シャオマオは薄暗い瞳のまま、しばらく茫然自失となっていた。
しかし不意に、その瞳にカッと光がともると、
「ゆ……許せないね! あの野良犬! いますぐにでも、マオマオの仇を……!」
草原を舐め尽くす烈火のごとく駆け出そうとした。
しかしゼピュロスは、すかさず後ろから抱きすくめる。
「待つのさ! 辛いだろうが、今は我慢するのさ!」
「は……離すね、ゼピュロス様! どうして止めるね!?」
「まだ野良犬に騙されている者たちがいるのさ! しかも相手は大聖女と、大魔導女のビッグバン・ラヴ……! 今斬りかかったところで、彼女たちはまんまと利用されて、命がけで野良犬を守ろうとするのさ!」
「……くっ……!」
「だから今は、彼女たちの目を覚まさせるのが先決なのさ! でないと何の罪もない彼女たちを、傷付けてしまうことになるのさ! それではあの野良犬と、何ら変わりない……! 無差別に人を傷付けているだけになるのさ!」
「うううっ……! くぅぅぅっ……!」
ギリギリと歯を食いしばり、ボロボロを涙を流すシャオマオ。
そこに、ふたつの足音が近づいてきた。
「シャオマー!? そろそろ出発……って、なにやってんだよっ!?」
呼び声とともに秘密の通路に飛び込んできたバーニング・ラヴは、すぐにゼピュロスを見咎めた。
続いて入ってきたブリザード・ラヴも、「ふーん、ド変態じゃん」と冷たく蔑む。
「おいっ! ド変態ヘタレ野郎っ! シャオマオから離れろっ!」
しかしその誤解に弁解したのは、ド変態ヘタレ野郎という名の勇者ではなかった。
「ご、誤解ね! ゼピュロス様は、シャオマオたちを助けに来てくれたね!」
すっかり取り込まれてしまった、異国の少年であった……!
「ハァ? あーしらを助けに来た? なに言ってんのシャオマオ」
「ふーん、意味不明じゃん」
「……それについては、このゼピュロスが話してあげるのさ」
ゼピュロスはこの機を逃さず、ゆらりと立ち上がる。
しかし途中で何かを思いつくと、再びしゃがみこんでシャオマオにささやきかけた。
すっかり勇者の手下となってしまった少年は、ウンウンと頷きながら聞いている。
彼は「わかったね!」と駆け出し、ビッグバン・ラヴの横をすり抜けて、部屋へと戻っていった。
「おい、シャオマオになにを吹き込んだんだよっ!?」
「ふーん、怪しさ爆発じゃん」
しかしゼピュロスはその問いには答えず、コツコツと鋼のブーツを鳴らし、ビッグバン・ラブの元へと近づいていく。
彼は無害を装った笑みを浮かべていたが、頭の中は高速回転していた。
シャオマオにしたように、どんな真実(ウソ)で彼女たちをモノにしようか、必死に考えていたのだ。
――真実(ウソ)のコツは、強いインパクトをぶつけること……。
『驚き』という名のスパイスで、疑う心を麻痺させれば……マヌケなメスブタは、勝手に信じ込むのさ……!
やがて見えない電球が、ピコーン! と彼の頭上で輝いた。
「……レディたちのプロデューサーにして、人生の師である大魔導女とは、懇意の仲なのさ」
こんな持って回った言い方から始めたのは、今回の話のネタとして思いついた、キーとなる人物の名前を知らなかったから。
こうやって相手から情報を引き出すのが、彼のやり方であった。
「え、ミグレアさんと……?」
そうとも知らず、まんまとその名前を口にしてしまうバーニング・ラヴ。
「そう。そのミグレアがなぜ、車椅子に乗ることになったのか……レディたちは知っているかい?」
「たしか、クエスト中の事故だって聞いたけど」とブリザード・ラヴ。
「表向きはそうなのさ。でも……本当はミグレアの脚は、邪神の生贄として、捧げられてしまったのさ……!」
「「……えっ?」」とハモるふたり。
我が耳を疑うように、目を見開いている。
ここまでは、上出来……! とほくそ笑むゼピュロス。
そしてここからは例によって、口からでまかせのオンパレード。
「ミグレアは、クエスト中に儀式の生贄にされ……脚を奪われてしまったのさ」
「ええっ!? それ、ウソっしょ!? ミグレアさん、言ってたし! クエストには、ずっと一緒に冒険してたすげー尖兵(ポイントマン)がいたって! その人には何度も危ないところを助けてもらってたって! むしろ勇者が……!」
ああ……!
ここでうっかり、尖兵(ポイントマン)の事実を出してしまったバーニング・ラヴ……!
それを利用されるとも知らず……!
「それはその尖兵(ポイントマン)に、真逆のことを言わされているのさ。脚を取られているからね。一度身体の部位を生贄に捧げさせられた者は、いつでもその魂を奪われてしまう……。それを利用されて、彼女は脅され続けているのさ」
「な……何のために!?」
ゼピュロスの脳内ではすでに、
謎のすごい尖兵(ポイントマン) → ゴルドくん → スラムドッグマート → 今回のツアー
という図式が出来上がっていた。
そしていかに『さっきシャオマオに言ったでまかせ』に繋ぐかも……!
「レディたちは、不自然だとは思わなかったかい? 『大魔導女学園』で、スラムドッグマートの装備が正式採用されたことに……。いままではずっと『ゴージャスマート』だったものが、突然……」
「べ……別に……! そんなの、不自然でもなんでもなくなくない!?」
バーニング・ラヴはすでにゼピュロスの術中にハマり、声を荒げていたが、
「それは、学園のオーナーの娘でもある、ミグレアさんの推薦だって聞いたけど……。ふーん、それも脅しだって言うの?」
ブリザード・ラヴはまだ取り乱してはいなかった。
しかしその冷静さがかえって、ゼピュロスの真実(ウソ)をアシストしてしまうことになる。
「そうさ。ミグレアはカリスマモデルで、『大魔導女学園』のオーナーの娘という、大いなる立場にいるレディなのさ。魂を生贄に捧げるよりも、脅し続けるほうが価値がある存在なのさ」
「その口ぶりだと、『スラムドッグマート』の社長の、ゴルドウルフさんが黒幕みたいじゃん」
「その通り、レディは察しがいいのさ。そうなると、実行犯のほうも、もう目星がついているんだろう?」
ブリザード・ラヴは思案するようにうつむいて、そしてつぶやく。
「……ゴルドくん……」
隣にいたバーニング・ラヴが、怒声とともに彼女の肩を掴んだ。
「ちょ、なに言ってんのブリっち!? ゴルドくんがミグレアさんをあんな風にした犯人だっていうの!? それ、ありえなくなくない!? こんなヤツの言うことなんて、真に受ける必要なくなくなくなくない!?」
「でも確かに、不自然なんだよ、バーちゃん。『勇者教育委員会』の規定で、教育に使う装備は『ゴージャスマート』のものが推奨されているんだよ」
「ハァ!? 意味わかんなくなくない!? ミグレアさんは、『スラムドッグマート』のほうがいいから変えたって言ってたし!」
「うん、確かにそうなんだけど、『ゴージャスマート』以外の装備を採用すると、勇者教育委員会から村八分にされるらしいから、冒険者学校はどこも『ゴージャスマート』の装備を使わざるを得ないみたいだし……」
もし彼女たちが、ミグレアが憧れている尖兵(ポイントマン)が、ゴルドウルフだと知っていたら……。
こんな疑惑は起こるはずもなかった。
そしてミグレア自身も、学園に採用されている装備を変えた理由を、彼女たちに正直に話していればよかったのだが……。
さすがに『自分を何度も助けてくれた尖兵(ポイントマン)に恩返しをしたかったから』。
などという個人的な理由で、ずっと使われていた『ゴージャスマート』の装備を変えるわけにはいかなかったのだ。
そのわずかな掛け違いのせいで、あれよあれよという間に作り上げられていく……。
なにもかもが間違っている、歪んだ既成事実……!
ゼピュロスは彼女たちから情報を引き出し、それをどんどん自分の都合の良いように作り替え、言葉の調べに乗せた。
黒幕はゴルドウルフで、実行犯はゴルドくん。
悪魔憑依者(デリビッシュ)のゴルドウルフの命を受け、魔王信奉者(サニタスト)であるゴルドくんの中の人が、尖兵(ポイントマン)として動き……。
かつては、ミグレアを……。
そして今まさに、シャオマオやビッグバン・ラヴのふたりを、生贄に捧げようとしていることを、デッチあげたのだ……!