「この灰色の悪魔めっ!」
その少女は、スラムドッグマートの片隅にある商談スペースに引きずり込まれるなり、そう叫んだ。
「落ち着いてください。こちらで話を聞きますから、座ってください」
傍から見れば、オッサンが幼い少女を誘拐しているように見えなくもない。
その様子を、同じ店にいたミスミセスはハラハラと見ていたが、「お茶をお願いします」とゴルドウルフに言われ、「あんっ、はいっ!」とバックヤードにぱたぱた駆けて行った。
その背中を見送ったあと、オッサンは少女に向き直る。
対面に座っている少女は椅子に足が届かないほど小柄。
ワイシャツに赤い蝶ネクタイに、サスペンダーの半ズボン。
大きなキャスケットを目深に被り、いかにも快活そうな瞳を覗かせている。
一見して男の子っぽいが、オッサンは彼が少女であることを知っていた。
「それでは、改めてご用件を聞きましょう」
「だから何度も言っておるであろう! この店でいちばん偉い者を、わらわの前によこせと!」
「私がこの『スラムドッグマート』のオーナーの、ゴルドウルフ・スラムドッグです」
「おーなー? いちばん偉いということか?」
「別に偉くはありませんが、このお店になにか不満があるようでしたら、私が承りますが」
「そうか、では申し伝える! ただちに王城内に、『スラムドッグカフェ』を作れ! そしてチョコレートもぜんぶ、わらわに献上せい!」
「あんっ……失礼いたします」
ちょうどミスミセスが紅茶を持ってきた。
少女は礼も言わず、砂糖の入った瓶を掴むと、中身をぜんぶ紅茶に入れてしまった。
目を丸くするミスミセスをよそに、一気に飲もうとしていたが、
「あつっ!? わらわは猫舌ということを知らぬのか! いますぐフーフーして冷ませ!」
「はあんっ!? は……はいっ!」
少女の迫力に押され、ミスミセスはその場で跪き、紅茶に向かって吐息をフーフー吹きかけはじめる。
冷ますにしても他の方法があると思うのだが、このやり方はある意味、タイムリーでもあった。
いま絶賛営業中の『スラムドッグカフェ』。
好評につき期間を延長し、さらにホットドリンクの提供も開始した。
それに伴いマザーが、「フーフーして冷ます」という新サービスを始める。
給仕として手伝っていたミスミセスも、「フーフーして冷ます」をずっとやっていたので、つい咄嗟にやってしまったのだ。
しかし彼女の場合は、
「あっ……はんっ……あふっ……ふうんっ……あはぁんっ……んふぅぅ……」
などと誤解を招きかねない、桃色吐息を漏らす。
本人的には、一生懸命フーフーしているだけなのだが……。
眉根を寄せ、ルージュの唇をすぼめるという悩ましい表情も相まって、なんともいえない気まずさを、その場にもたらすのであった。
湯気がなくなったところで、少女はカップをひったくり、一気にあおった。
オッサンは艶っぽい空気の残る中で、話を戻す。
「王城への出店要望ということですね? でもその前に、どちら様ですか?」
オッサンが尋ねると、少女はカップを口から離す。
彼女は紅茶をぜんぶ口に含んだのか、欲張りなハムスターのように頬が膨らんでいた。
その状態のまま、テーブルに手を置く。
無言のまま、ブラウスの袖をまくりあげた。
紋章の入った黄金のバングルが、ちらりと覗く。
ハムスター少女は、ニヤリと笑った。
そして口の中のものを、一気に飲み下す。
……ごくり!
「……ぷはあっ! さて、もう言葉は不要であろう! カフェは明日までに王城に、チョコは今日中に王城に届けるのだ、よいな!」
「わかりました。では、カフェは要望として承ります。チョコレートの納品については、お断りいたします」
「なにっ!? これを見てもなお、わらわの言うことが聞けぬというのか!?」
腕時計を見せつけるように、バッとバングルをかざす少女。
「あなたが何者であろうと、私は誰の命令にも従いません。そしてこの店にいる以上、誰であれ、等しく私のお客様です。身分や貧富の差で待遇を変えるようなことはしません。常に同じサービスを、誰でも、どこにある店でも、同じように受けられる……それがスラムドッグマートのポリシーですから」
「ええい、そなたの言い分など聞きとうないわ! いいからこの店にあるチョコを、全部よこせっ!」
「今日の分はぜんぶ売り切れてしまったので、もうありません。明日また来ていただいて、行列に並んでください」
接客スペースから少し離れた所にある階段が、どやどやと揺れる。
2階の『スラムドッグスクール』にいた子供たちが、休憩のために下に降りてきたのだ。
皆、野良犬印のチョコレートを手にし、さっそく包みを解いてかぶりついている。
その楽しそうな様子をビシッと指さし、少女はさらに声を荒げた。
「あそこにたくさんあるではないかっ!!」
「あれはスラムドッグスクールの生徒に、1日1枚配っているぶんです。もともとチョコレートは、塾の合間のおやつとして配り始めたものですから、その分の在庫はとってあるんです」
「ならばそれをぜんぶ、わらわによこせ!!」
「それはできません。彼らが明日以降に食べるぶんが無くなってしまいますから」
騒ぎを聞きつけた子供たちが、ゴルドウルフのそばにやって来る。
見せびらかすようにチョコを食べながら。
「なによこのちびっ子。新しい入塾希望者? それともチョコ強盗?」
「一度飛び出したら引っ込まない、壊れた手品用ナイフみたいな暴れっぷりのん」
「チョコが欲しいんでしたら、私のをはんぶんこ……」
「ウガーーーッ!! ぜんぶよこすのだっ!! ここにあるチョコは、ぜんぶんぜんぶ、わらわのものなのだっ!! よこせっ!! よこすのだぁぁぁぁぁーーーーーーっ!!」
とうとう我慢できなくなった少女は、3人の少女たちに飛びかかっていった。
しかし、相手が悪い。
……ゴチンッ!!
とシャルルンロットから容赦ないカウンターゲンコツをくらい、
……コツコツコツコツコツコツコツコツ!
とミッドナイトシュガーから執拗に杖で小突き回されて、とうとう……。
「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーんっ!! わらわのチョコが、わらわのチョコがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!」
少女は床にぺたんと座り込んだまま、駄々っ子のようにわんわん泣き喚きだす。
ちょうどそこに、カフェから戻ってきたリインカーネーションとプリムラが店内に入ってくる。
なまはげのように子供の泣き声を聞きつけたリインカーネーションは、接客スペースをシュバッと覗き込んだ。
そして、ギャン泣きしている少女を目にするなり、
「あらあら、まあまあ!? バジリスちゃんじゃないの!?」
バジリスと呼ばれた少女は、迷子の末にようやく母親を見つけたように、大きすぎる胸に飛び込んでいった。
「わあああんっ! リインカーネーション! こやつらが、わらわのチョコを取ったうえに、みなでわらわをいじめるのだ! わあん、わあああん、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーんっ!!」
隣にいたプリムラはキョトンとしていたが、少女のめくれあがった袖のバングルに気付くと、
「も、もしかして、あなた様は……バジリス・ハールバリー様っ!? ご、ご無沙汰しておりますっ! 王女様ともあろう御方が、どうして……!?」
血相を変えて膝を折るプリムラ。
その場に居合わせた子供たちも、仰天しつつもひれ伏した。
なおも立っていたのは、少女を抱きしめているリインカーネーションと、懐疑的な表情を浮かべるシャルルンロット。
そしてオッサンに至っては、椅子から立ち上がろうともしていなかった。