神尖組の魔の手が迫るなか、野良犬マスクは気付いていた。

彼らの存在よりも、大事なことに。

「リュックが無くなっています。きっと、ストロングタニシさんが持っていったのでしょう」

洞窟で、野良犬マスクに襲いかかったストロングタニシ。

彼はひとりで勝手にすっ転びまくって、ひとりで勝手にボロボロになっていった。

自慢の長刀も、けっきょく鞘から抜かれることはなく……。

それどころか狭い洞窟では引っかかりまくり、持ち主の邪魔ばかり。

ストロングタニシは、まるで自分の影に吠えかかり飛びかかる犬のように、何度目かのヘッドスライディングを見せたあと……。

「ヘンッ、チクショウ! この俺様にほんの少しとはいえ、土を付けるとは……なかなかやるじゃねぇか! 今日のところはこれくらいで勘弁してやるが……ヘンッ、次に会ったときは、殺し合いだ!」

台詞だけは威勢よく、四つん這いのままシャカシャカと逃げ去っていった。

まさかその時に、ドサクサまぎれにリュックを持ち去っていたとは……。

「かみさまのたいせつなものが、はいっていたのですか?」

ゴルドウルフのことをすっかり神様だと思い込んでいるチェスナは、ワイルドテイルの特徴である犬耳をぺたんと、シッポをだらんと下げて心配しくれている。

「いいえ、尖兵(ポイントマン)の装備が少しと、非常用の食料や水などが入っていただけです。あとは、エサ(●●)が少々」

言いながら、ゴルドウルフは手持ちの装備を確認する。

真っ白いハンカチと、使い捨てのような木のナイフとフォークが数本あるだけだ。

金属のナイフなどのサバイバルに役立ちそうなものは、すべて持ち去られたリュックの中……。

しかしゴルドウルフは落ち込む様子もなく、チェスナに向かって言った。

「ここにどのくらい滞在するかはわかりませんが、夜を明かす準備をしましょう。私はちょっと出かけてきますから、チェスナさんは先ほどお願いしたとおり、この洞窟の付近で薪拾いをしてくれますか?」

「はいです! かみさまをおてつだいするのです!」

チェスナはとても良い返事で立ち上がり、しっぽをぱたぱたさせながらゴルドウルフのあとについて、外に出る。

洞窟の中は薄暗かったが、外に出てもそれほど明るさは感じなかった。

上空には鉛色の空があり、重しのようにのしかかっているせいだ。

このグレイスカイ島の中央にある山、シンイトムラウは常に曇り空に覆われている。

だから周囲は快晴であっても、山全体には木陰のような影が落ちていた。

ゴルドウルフたちは今、島を見渡せる頂上付近にいる。

洞窟のまわりは平らな岩に覆われた、天然の展望台のようになっていて、見晴らしは抜群。

しかし周囲は鬱蒼とした森に囲まれており、そこには夜のような暗さがどこまでも広がっていた。

「チェスナさん、私は少し出かけてきます。でも必ずここに戻ってきますので、いくら待っても帰ってこないからといって、探すようなことはしないでください。必ず、洞窟のまわりにいてください。いいですね?」

ゴルドウルフは念を押し、「はいです!」という声に見送られ、森に分け入った。

ちなみにではあるが、ここに来るまでに乗ってきた愛馬はもういない。

用が済むと風のように姿を消し、再び呼ばれたら疾風のごとく現れる……それが『錆びた風』なのだ。

ゴルドウルフはその速さにも負けないほどに、森を疾駆する。

すると、まるで未来のナビゲーターのように、白と黒の妖精がポヨンと現れた。

『クンクン、匂いがするね。30人くらいの人間が、山を登ってきてるよ』

『プル、我が君(マイロード)には敵の正確な情報をお伝えするよう、いつも言っているではないですか。我が君(マイロード)、32名の神尖組の者たちが、私たちが乗り越えてきたバリケードを破壊し、山道を登ってきております』

『さっき、ひとり遊びしてた子の匂いも混ざってるね』

『ストロングタニシさんですね。彼の案内があるということは、敵集団はまっすぐに洞窟に向かってくると思われます』

『わかりました。ではストロングタニシさんの匂いを辿ってください。おそらく同じルートで登ってくるでしょうから、その途中で枝打ち(●●●)してしまいましょう』

『ねーねー、我が君(マイロード)! プルたちも少しだけお手伝い(●●●●)していい?』

『もう、プルったら……』

『っていうか、ルクがやりたがってたじゃん! プルはそれを代わりに言ってあげてるだけなのにー! ねーねー、いいでしょ? 我が君(マイロード)!』

『かまいませんよ。ただし、決して姿は見られないようにしてください』

『はい我が君(マイロード)!』

『うん我が君(マイロード)!』

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

集落の原住民たちの制止を振り切り、バリケードを破壊。

神の住まう山と言われる『シンイトムラウ』に、どやどやと踏み込んだサイ・クロップスの一団。

さっそく不満たらたらだった。

「ったく……リゾートに来て、なんで山登りなんてしなきゃなんねぇんだよ、オイっ!」

「でも、サイ・クロップスの旦那……アッシがいなけりゃ、しらみつぶしだったんですぜ? そこんとこ、わかってくだせえ!」

「チッ、しょうがねぇなぁ……! でももし、その洞窟とやらに野良犬がいなかったら……かわりにテメーを狩ってやるからな、オイッ!」

「ヒイッ!? そ、それだけは勘弁してくだせぇ!」

一行は、中腹にある岩壁に着いたところでひと休み。

座り込んで水筒の水をガブ飲みしていると、サイ・クロップスはある異変に気付いた。

「……? 隊員の数が減ってるじゃねーかよ、オイッ!?」

サイ・クロップスのあとには、神尖組の若い衆たちがついてきていた。

リヴォルヴの屋敷を警備していた小隊を借りたのだが、山に入った時には30名ほどいたはずなのに……。

今では半分の15名ほどしかいない。

「ったく……山登りが嫌だからって、逃げやがったな、オイッ! まあいい。場所がわかってる以上、人手はそんなにいらねぇんだ。ただ、任務放棄ってのは気に入らねぇなぁ! 帰ったら、とっちめてやるとすっか、オイッ!」

気を吐くサイ男は知らなかった。

自分のすぐそばにある、道はずれの茂みの中に……。

今しがた何者かの手によって引きずり込まれた、隊員たちがいることを……!

野良犬マスク、ルク、プル……。

覆い被さるような木々の奥に潜んだ、彼らのそばには……。

口を押さえられてもがく、3人の男が……!

「んーっ!?」「んーっ、んんーっ!?」「んんんんーーーーっ!?」

隊長に助けを求めるように、もがいていたのだ……!

盛り上がった筋肉の腕で、がっしりと押さえつけ、首筋に木のナイフを押し当てる、野良犬マスク。

押し倒し、女王様のように胸に乗っかるルクと、じゃれつくように後ろからしがみいているプル。

『うーん、手応えが全然ないね。まだ生きてるはずなのに、死にかけの虫みたい!』

『そんな小さな鳴き声では、お仲間には聞えませんよ? もっと大きく鳴けるように、してさしあげましょうか?』

涙ぐんでイヤイヤをする兵士たちに、無邪気な笑みを向ける天使と悪魔。

『あっ、ルク、わかってくれたみたいだよ! プルたちがこの子たちのモノマネをしてるって!』

『彼らにやられたワイルドテイルが、死ぬ間際にした命乞いと、同じことをしてくれてますね』

『じゃあせっかくだからさ、その時と同じように鳴かせてあげようよ。えっと、□(シカク)○(マル)×(バツ)△(サンカク)の順だっけ?』

『違いますよ、プル。彼らは、ワイルドテイルの恐怖をより煽るために、□(シカク)は後のほうに残していました。最初は○(マル)からですね。でも聴覚も恐怖を感じさせられる器官なので、鼓膜だけは残しておきましょう。そして、別の意味でも鳴かせる場合は、いちばん最後に喉がきます』

中央で押さえつけている野良犬マスクだけは、いかにもゲリラ戦の真っ最中という感じであったが……。

その両脇にいる少女たちは、その幼い見目と、白いドレスと黒のボンテージという服装も相まって、異質であった。

まるで積み木で遊んでいるかのような、無垢な笑みを浮かべ……。

刃物のように伸びた爪を、すでに触覚以外の五感を失った、首筋にあてがい……。

……ひゅっ!

……ひゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーっ!!

「オイッ!? なんだぁ、この音はぁ!?」

「ああ、旦那、これは『神様の笛(シンイトゥク)』っていって、虎落笛(もがりぶえ)の一種でさぁ。この山で誰かが死ぬと、犬神様が笛を吹くって言い伝えがあるんでさぁ」

「辛気くせぇ言い伝えだな、オイッ!」

「でももしかしたら、あの野良犬が死んじまったのかもしれませんぜ!」

「なるほどぉ……! そう考えたら、なんだかいい音色じゃねぇか、オイッ! がっはっはっはっはっはっ!」