8月。

パインパックが熱を出して寝込んでしまった。

聖女一家のなかに病人がいるというのは、聖女として沽券にかかわってくるので、どんな軽い病気でも『祈り』を駆使してすぐさま治療する。

ホーリードール家であるならば、マザー・リインカーネーションの力があれば、たとえ発熱した幼児が100人いようとも一瞬にして解熱できるであろう。

しかしマザーもプリムラも、パインパックを癒やすことはない。

熱っぽい赤ら顔の妹をベッドに寝かしつけ、看病をしていた。

それはハナアラシ少年にとって、とても奇妙な光景に映る。

少年がルルディの村で目の当たりにした、マザーの祈りとも呼べぬ祈り。

しかしその威力はすさまじく、万年といわれた年寄りの腰痛も、一生ものといわれた顔の火傷跡も、一瞬にして無かったことのようにしてしまった。

その神がかり的な治癒能力をなぜ使わないのか、不思議でしょうがなかったのだ。

「なんで治してやらないんだよ? お前らの祈りがあれば、一発で治るだろう」

「おはなたんは……?」とうわごとのように言うパインパックの頭を、慈しむように撫でていたマザーが顔をあげる。

そして自分でも歯がゆいような、しかし娘の自立を促す母親のような、困惑とやさしが入り交じったような困り眉を少年に向けた。

「ママのママはね、ママがちっちゃい頃、お熱を出してもお怪我をしても、祈ってくださらなかったの」

「なんでだよ? 祈りがもったいないからか?」

「ううん。ママのママはね、ママにこう教えてくれたの。聖女は痛みに強くならなくちゃいけない、そして誰よりも痛みの辛さをわからなくちゃいけない、って……。痛みに強くないと、みんなを治せないでしょう? それに痛みがわからないと、ルナリリス様へのお祈りで、早く治してほしいお気持ちをお伝えすることもできないでしょう?」

ベッドを挟んだ向こう側に座っていたプリムラも、そっと言い添える。

「はい、わたしも小さい頃によく病気になりましたけど、お母様もお姉ちゃんも祈りをくださいませんでした。でもそのおかげで、ご病気になられた方や、お怪我をされた方の辛さがわかるようになりました。そしてルナリリス様への祈りにも、その方が早く健やかになってほしいと一生懸命祈ることができるようになったんです」

この世界で幅を効かせている大聖女の多くのは、世間体を気にする。

一族のなかで病人が出たとなれば、それこそ一族を総動員して治癒を行なう。

庶民相手には決して捧げない祈りを、惜しげも無く注ぎ込むのだ。

彼らがいくら土下座して頼んでも与えられることがないものを、湯水のように……。

しかし聖女の名家、ホーリードール家は違った。

世の聖女たちとは、まるで真逆。

身内の病気や怪我は、立派な聖女になるための試練とし、また逆に、庶民たちには湯水のように祈りを与える。

それは先日のルルディの村のマザーの無双っぷりを見れば明らかであろう。

ちなみにではあるが、あの時のマザーの祈りは『石で怪我をしたので、自分自身を治療した』ということになっている。

村人たちを治療したのは、そのついでに過ぎない、という体(テイ)なのだ。

なぜそんなまわりくどいことをしているのかというと、村人たちを恐縮させないため。

そして下手をすると勇者たちからの批判が起こってしまうので、それを避けるためである。

今や世界に名だたる大聖女が、寒村の下賤なる者たちに、祈りを捧げたとわかれば……。

「今や女神にもっとも近いといわれるリインカーネーション様に祈りを求めるなど、無礼千万! 我らですらリインカーネーション様の祈りを授かったことがないというのに……! そのような身の程知らずなことをする村など、丸ごと焼き払って、根絶やしにしてくれるわ!」

などと、身なりはいいのに蛮族のような思想の勇者たちが、嫉妬に狂って乗り込んでくる可能性があるからだ。

ルルディの村にいた時の、彼女の言葉を覚えているだろうか。

「あらあら、まあまあ……。ママ、また(●●)転んじゃったみたい。いたいのいたいの、とんでいけ~!」

彼女はいつも転んでいる。

彼女が慰問する街や村では、必ずといっていいほど。

そう……!

みんなを健やかにするために、わざと……自らを傷つけていたのだ……!

しかし彼女は屋敷でもしょっちゅう転んでいるので、もしかしたらただの天然の可能性もある。

ちなみにではあるが、彼女の近くにとある(●●●)オッサンがいる場合、転倒率が大幅に上昇するという研究結果が、わんわん騎士団の手によって明らかにされた。

……話を元に戻そう。

姉たちはつきっきりで、妹の看病を続けていた。

しかし病状は思わしくなく、さらに連動するかのように、庭の『フラムフラワー』もしおれていった。

マザーとプリムラは看病のため園芸はできず、花の世話のほうはハナアラシ少年に一任される。

しかし彼がいくら手を尽くしても、花は日に日に弱っていくばかり。

パインパックは病床で、しきりに花のことばかり気にしていた。

今朝も、花の世話するため花壇に向かっていた少年が、パインパックの部屋の前を通りがかったところ、開けっぱなしの扉の向こうから、

「……はなたん……。おはなたん、おはなたんは……?」

今にも死にそうな声で、そう尋ねられた。

そしてつい、心ないことを言ってしまう。

「フン、お前と一緒で、今は寝込んでるよ。『フラムフラワー』は上級者でも育てるのに失敗する事がある、難しい花なんだ。もしかしたら、仲良くおっ死んじまうかもしれねぇな」

しかし、不思議であった。

花壇に立った少年は、まるでパインパックのように倒れた、蕾のままの『フラムフラワー』を見下ろしながら、首を捻る。

――フン、なんでだ?

肥料も水もやってるし、虫もいないし病気にもなっていない……。

7月から8月にかけては、この花にとってはいちばんいい季節で、花を咲かせる時期でもあるのに……。

なんでこんなにグッタリしてるんだ?

しかしいくら考えても、わからなかった。

◆  ◇  ◆  ◇  ◆

とある雨の日の夜。

トイレに起きだした少年が、廊下を歩いていると……。

ふと、パインパックの部屋の扉が開けっぱなしになっているのに気付いた。

通りがかりに覗き込んでみると、そこには……。

ベッドの両サイドの椅子に腰掛け、突っ伏して眠る姉妹がいた。

いつもならその間には、コアラのような幼女が眠っているのだが……。

そこは、もぬけの殻。

布団を引きずって抜け出したような跡だけが残っていた。

少年の脳裏に、とある台詞が閃光のようによぎる。

『……はなたん……。……おはなたん、おはなたんは……?』

「……まさかっ!?」

少年は廊下の窓に張り付いて、庭を見た。

すると、どしゃぶりの雨の向こう……。

花壇のそばで蠢く、小さな影が……!

「あのバカっ!」

少年は走り出したが、裏口から出るのももどかしく、窓を破るようにして庭に転がり出た。

芝生を散らすほどの勢いで駆け寄ると、パインパックが……!