ゴルドウルフはその時、店舗の2階にある事務所にいた。

……ずべしゃあああああっ!

窓の外から響く、賑やかな滑落音をBGMに、今まで溜めていた書類に目を通す。

書類にはきちんと付箋が付けられて仕分けされており、ひと目で目的のものが探し出せるようになっていた。

プリムラはゴルドウルフ不在のときに、できる範囲ではあるものの、密かに秘書としての仕事もしてくれていいたようだ。

ふと、窓に張り付いていた幼い妖精たちが、タンポポの綿毛のように漂ってきて、オッサンの顔の前でふわふわと遊びはじめた。

『みんな我が君(マイロード)が来ないとわかった途端、ずっこけてたよ』

『プリムラさんも、とっても申し訳なさそうにしていましたね』

『いっしょに行ってあげなくて、だいじょうぶかなぁ~?』

オッサンは妖精たちには目もくれず、書類に目を落としたまま、心の中だけでつぶやく。

『プリムラさんは、まだ恐れているようですね』

『恐れてるって、なにを?』

『まったく……。プルったら、そんなこともわからないのですか? プリムラさんは、他人から失望されるのを極端に怖がっているのですよ』

『シツボーって、なあに?』

『呆れたり、怒ったり、残念がったりして、その人のことを見放してしまうことです』

『ふ~ん。プルは失敗して怒られても、べつになんとも思わないけどなぁ~?』

『我が君(マイロード)に怒られてもですか?』

『わあっ!? それはやだっ!』

『それと同じで、プリムラさんは失望されることを恐れているようです。とくに、我が君(マイロード)に失望されるのを。プリムラさんが、我が君(マイロード)に尖兵(ポイントマン)の依頼をしたときも、その動揺がありありと伝わってきました。彼女の姉である、マザーのへこたれなさが10分の1ほどでもあれば、まだよかったのですが』

『毛色は、少し違いますが……。昔はマザーも、あんな感じだったのですよ』

『えっ、そうなのですか?』『臆病になってるマザーなんて、想像もつかないよ!』

『いずれにせよ、今回の冒険はプリムラさんにとっては試練となるでしょう』

『ユニコーンって、人間にとっては手強いからね~。見つけるのも大変だし』

『おそらく、それらの点については問題ないでしょう。問題はむしろ、その後……。そこで彼女は、大いなる失望と向き合うことになるでしょう。彼女の人間性が試されるほどの失望を』

『もしその場に我が君(マイロード)がいたら、彼女はまた我が君(マイロード)を頼ってしまう、とおっしゃりたいのですね』

『ええ。だからこそ今回、私は同行を辞退したのです。でもプリムラさんであれば、この試練をきっと乗り越えられるであろうと私は信じています』

言いながら、書類に目を走らせていたオッサンは……。

ほぼ反射的に顔をあげ、社長席の隣にある秘書席を見てしまった。

秘書であるプリムラは今はいないので、もちろん空席である。

その妙な行動の理由を、白いドレスの妖精はすぐに見抜いた。

『あっ、我が君(マイロード)……。いま、プリムラさんに書類の内容について、質問しようとしましたね?』

『プリムラはさっき、クエストに出発してったよ?』

『我が君(マイロード)は、書類関係はすべてプリムラさんに任せっきりでしたからね。もうクセになっているのでしょう。朝から数えていましたけど、秘書席のほうを見るのはこれで20回目ですよ』

『……プリムラさんは、秘書としてとても優秀でした。私としても彼女に甘えていたのかもしれません』

『だったら、新しい秘書さんを雇えばいいのに』

『まったく……。プルったら、そんなこともわからないのですか? 我が君(マイロード)は、敢えて秘書席を空席にすることで、プリムラさんがいつでも戻ってこられる場所を残してあげているんですよ。たとえ一時的なものとはいえ、新しい秘書を雇ってしまったら、プリムラさんはさらに不安になるでしょう?』

『う~ん。難しすぎて、プルにはよくわかんないよ!』

『そうですね、簡単に言うと……。これは我が君(マイロード)に課せられた試練というわけです』

オッサン以外は誰にも見えない妖精の例えは、言い得て妙であった。

オッサンは部屋のなかでひとりでいるというのに、思わず苦笑いしてしまう。

『そうかもしれませんね。ではその間は、ルクプルが手伝ってください。まずは、紅茶を淹れてもらえますか?』

『はい、我が君(マイロード)』『プルがやる~っ!』

妖精のルクが頭を下げている間に、プルは妖精から実体化して、ティーワゴンに向かってとたとたと駆けていた。

「ああっ、走っては危ないですよ!」

ルクが叫んだそばから、プルはカーペットの毛脚でつんのめって、

……がっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーんっ!!

ティーワゴンに体当たりしてしまった。

そのままキャスターでツツーっと滑っていき、真ん前にあった本棚めがけて、

……どっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーんっ!!

派手に激突し、本と衝撃をあたりにまき散らす。

まわりにあった棚も、影響を受けて揺れだし、ドミノのように次々と倒れていく。

……どすんっ!! どすんっ!! どすんっ!!

……どんらがらがっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーんっ!!

一瞬にして、部屋はメチャクチャに。

もしこれがコントであれば、ついでに部屋の外壁も倒れていたであろう惨状であった。

臨時のちびっこ秘書は、紅茶を淹れてくれと頼んだだけなのに、仕事を倍以上にも増やしてしまう。

ゴルドウルフは苦笑いを通り越した、複雑な笑みを浮かべていた。

「ああ……たしかに、私にとっても試練かもしれませんね」