Ouroboros Record ~Circus of Oubeniel~

012 Picking Up the Fallots

部屋住みの朝は早い。

少なくともある男爵家の四男、ジャン・ジャック・ルベールの場合はそうだった。

姉や妹があらかた嫁ぎ、庶子である次兄らも騎士団の末席に加わっている彼の家では、職の無い男子を見る目は厳しいのである。

くる日もくる日も、朝から仕官の口は無いかと訪ね歩き、当てが外れれば食堂で平民と変わらない安い昼食を食べ、いつか来るその日に備えて図書館に学び、家に帰っては父母の落胆を買う。そんな毎日だ。

同い年で似たような境遇をかこつ青年貴族は、思いの外多い。知り合いの何人かは、実の無い都暮らしに見切りを着け、仕官の口を求めて地方に向かったり、騎士となる為の修行に出たり、冒険者になったりとしているようだ。だが一番多いのは、飼い殺しの生活に甘んじ、だらだらと日を消すだけの人生を選ぶ連中である。

そうした輩は、貴族とのコネを求める暗黒街の連中とつるむようになり、やがては平民に無い特権を利用した犯罪を行いだす。家の名を恐喝に利用するのは序の口で、酷いものになると見目の良い女子供を使用人に仕立て上げ、言いがかりを付けて罪に落し奴隷にするという商売もある。

ジャン・ジャック・ルベールはそうした行いに走った挙句、家の看板に泥を塗って獄へと消えて行った同輩を何人も見てきた。自分はそうはならない、いやなりたくない。その一心で、今日もどこか自分を召し抱える家は無いかと歩き回っている。

そうした活動を行うには、やはり王都が一番向いているとルベールは考えていた。地方の貴族を訪ね歩いても、結局は代々培ってきた地縁が壁となり、新参が家臣団に割って入る余地は少ない。その点、王都では宮廷政治の延長として、地方に配する駒を求める貴族が少なくない。例えば、どこかの領主の家が取り潰された際、家臣もそれに連座して罰せられるなどしたら。その土地に新しく赴任する貴族には、脛に傷を持たず、他家の色にも染まっていない人材を宛がいたいのが人情だろう。そうした需要を見込んでいるのである。

だからルベールは噂に目が無い。どこそこの領主が後ろ暗いことをしているだの、誰それとかいう貴族が政敵に追い詰められているだの、そうした情報を元に潰れそうな家を推測し、その後釜に座りそうな貴族も名前を控えておく。全ては自分が職を得る為だ。

ある意味では、罪深い習性である。彼は毎日、どこかの貴族が不幸にも家を潰すのを待っているのだから。

そんな貴族の青年、ジャン・ジャック・ルベールがその高札を見たのは、いつも通りに朝早くに出掛け、目を皿のようにして仕官の口を探している時であった。

『≪急募・家臣団召抱えのお知らせ≫

新たに興された子爵家の領地となった、ヴォルダン州マルラン郡。

この地にて、新規に行政へと携わる方を募集しております。

風光明媚、自然豊かな土地で働くことに、興味はありませんか?

経験者優遇、未経験者歓迎。

上司との相談がしやすい、家庭的な職場です……』

云々。

爵位持ちからの呼びかけとは思えないほど下手に出ていると同時に、何とも俗っぽい印象の文言だった。

「よお、ルベール家の四男坊。お前も見ていたか」

そう言って声を掛けてきたのは、ルベールと同じ部屋住みの庶子である。同じくこの王都で職を探している身で、募集の枠を何度も取り合った仲だ。まあ、その結果は二人揃ってこの体たらくであるが。

「ああ、仕官の口は毎日探しているからね。にしても、この高札は……」

「変わってるよな。けど、待遇は結構なものじゃないか」

知人の言う通り、高札の下部に書かれていた俸給は、中々の条件だった。驚くほど良い訳ではないが、良心的な金額だ。単に食っていくだけでなく、趣味や貯蓄に回すだけの余裕もある。工夫次第では、女だって囲える者もいるだろう。

「けど、マルランってのは聞かない名だな。ヴォルダン州なら王都の大分南東の方だけど、ヴォルダンのどこにあるんだろうね?」

「毎日本を読んでるようなお前でも出てこないんだ。俺が知っているわけないだろう?」

言われて、それもそうかと納得する。

何しろ謳い文句からして『風光明媚、自然豊かな土地』ときたもんだ。おそらくは相当な田舎だろう。

知人は大きく溜息を吐く。

「もし受かったとしても、田舎暮らしかァ……」

「贅沢言うなよ。このままずるずる王都に居続けても、辛くなるだけだ」

ルベールは自分に言い聞かせるように言った。

両親は毎日こっちの顔と財布の中身を見比べ、他家に嫁いだ姉妹は色々やかましい癖に職の世話はしようともしない。挙句に下の兄弟も、最近は競争相手を見るような目で自分を見てくる。

展望の開けないここに留まるより、思い切って乗ってみるべきだろうか。

考えながら、高札の続きを読む。

「……『マルラン郡領主・王国子爵トゥリウス・シュルーナン・オーブニル』だって?」

久しぶりに嫌な名前を見た。

余程きな臭い顔をしていたのだろう、知人は怪訝そうに訊いてきた。

「知ってるのかい? そういや、お前。勉強だけでなく噂の方にも熱心だったんだっけか」

「まあ、ね……ちょっと信憑性に欠ける話だけど」

そう前置きをし、掻い摘んで説明する。

トゥリウス・シュルーナン・オーブニル。オーブニル伯爵家の次男。

あまり芳しい噂を聞く人物では無い。幼少の頃こそ聡明さでもって知られていたが、やがて錬金術に耽溺し、奇行で知られるようになった男だ。奴隷を一度に何人も買って行っては実験と称して皆殺しにしているだの、いつも彼が傍に侍らせている美しいメイドは実は蘇らせた死人だの、そんな荒唐無稽な噂を幾つも立てられるような怪人である。その情報の真偽は不明だが、彼が異常なペースで奴隷を買い、また屋敷の庭から怪しげな光――死んだ奴隷を燃やす炎だとも――が度々目撃されているのは事実らしい。

「少なくとも、偏屈なお人であることは確かだ。社交の場にもほとんど顔を出さないし、どこかの家の令嬢と婚約を結んだって話も聞かない」

「次男とはいえ伯爵家の血筋だもんな。嫁さんの世話も無いってのはおかしい、と」

「そういうことだね。兄君である今代当主の方も、弟の悪評の所為で嫁探しに苦労しているとも聞くけど、それは余談かな」

要するに、真っ当な貴族じゃないってことだね。とルベールは結ぶ。

知人は腕を組んで唸った。

「そんなヤツが子爵様で、俺たちゃ部屋住みかよ」

「やめてくれよ、悲しくなるようなこと言うのは……」

要するに、血筋の問題なのだ。

件のオーブニル家次男のように、権門の子は人格に多少(?)問題があっても、しかるべき道がある。男爵や準男爵、騎士の庶子は真っ当な性格であっても険しい道しかない。それでも教育を受けることさえ難しい平民に比べれば、大分マシではあるのだが

「で、ルベールの。お前はどうする?」

「どうするって?」

「とぼけるなよ。この話に乗るかどうかさ」

言われて、ルベールは考え込む。

確かに新子爵であるオーブニルの次男は悪名高い貴族だ。彼に忠誠を誓えるかと聞かれれば、答えは否しかない。だが、子爵家領を切り回す仕事には魅力を感じる。ルベールは自分のことを、騎士だの冒険者だのといった武張った仕事よりは、官吏の方に向いていると考えていた。そして貧乏貴族の庶子がそうした仕事に就ける機会は、思ったより少ない。

実質的に答えは一つしかなかった。

「……乗るさ。仰ぐ主君の趣味は気に食わないものだけど、選り好みしている余裕も無い。東南の片田舎だろうとどこだろうと、行ってやるとも」

「だろうな。ま、俺もその気持ちは同じさ」

今度も精々頑張ろうや、と肩を叩いてくる知人。

また彼との競争だ。どちらが採用されても恨みっこなし。最初に顔を合わせた時からの口約束は、今も続いている。どちらもこの様だからだ。果たして今回はどうなるものやら。

件の新子爵トゥリウス・シュルーナン・オーブニルとやらは、現在領地から離れられないらしく、家臣登用の面談は向こうで行うこととなった。太っ腹なことに路銀は向こう持ちだ。知人は金払いが良いじゃないかとご満悦だが、ルベールとしては違う思惑を巡らせたくなる。

「提示された俸給といい、この道行きの負担といい、どうにもお金を勘定するのに向かない人みたいだな」

乗り合いの大型馬車に揺られながら、ルベールは呟く。彼が乗っているのは、王都からマルランへ向かう馬車の一台だ。志願者は何台かの大型馬車に分乗し、これで現地へ向かうことになる。まだ採用が決まった訳でもない面談の志望者の為に、ここまでする貴族はそうはいない。これだけの数がいる志願者なら、路銀はこちらに持たせ、大上段に構えて待っていれば良い。豊かな土地に暮らし経済的に恵まれているなら分かるが、ヴォルダン州はそれ程旨みのある地方ではなかったはずだった。つまりオーブニル子爵は経理や人事には暗い人物という推論が成り立つ。

隣の席に座る知人は、耳聡くそれを聞くとすぐに喰いついてきた。

「でも、それっておかしくねえか? 聞いた話じゃ、独自にポーションを売って稼いでいたんだろ?」

「個人的な商売に関する経理と領地の経済とは別物さ。子爵殿は長く奴隷ばっかり使っていたんだろ? 連中には俸給は要らないし、大した待遇も必要無い。位は下とはいえ同じ貴族社会に属する僕らとは、そこが違う。だから加減が分からないんだ。世間知らず、と言っても良いかもしれない」

確かに人使いを学ぶ為に、貴族の子に与えられるのはまず奴隷だ。だが、そこから学べるものの程は、子ども向けの教科書のように、あくまで初歩の初歩。通常であれば、長じるにつれ信用のある平民家臣の子どもや、同年代の下級貴族、年長の補佐役が傍に就けられる。そうやって人あしらいを学んでいくのが貴族の帝王学というものだ。

まだ会ったことは無いのだが、ルベールから見たトゥリウス・オーブニルには、そうした経験がすっぽり抜けているように思えてならない。

と、そこへ、

「ほう、中々に興味深い話をしておられるな」

身なりの良い青年が割って入ってきた。

知人が胡散臭げな顔をする。

「……アンタは?」

「失礼。私は――」

青年はとある伯爵家の庶子、しかも末子だという。兄弟が多いもので中々家職が回ってこず、痺れを切らして今回の募集に応じたとのことだった。

「ルベール男爵家の方だったかな? 先程は目の覚めるような考察を拝聴させて頂いたよ」

「いや、単なる推測で……」

「謙遜することはない。筋の通った話振り、実にお見事。ただ――」

青年は周囲を見渡す。

「この馬車に乗っている者たちは、仕官を争う相手ばかりだ。あまりお喋りが過ぎると、讒言の元となることもある」

言われてルベールは失策に気付いた。自分たちはこれからそのトゥリウス・シュルーナン・オーブニルに、採用を乞いに向かっているのだ。そこで陰口めいた推測を滔々と流していたのは、迂闊である。万が一子爵の耳に入れば不興を買うのは間違いない。ただでさえ狭き門を自分の手でみすみす更に狭めているようなものだ。

「ご忠告、感謝するよ」

「なに、気にすることは無いさ」

青年は微笑む。彼は血筋が良い。まずこの仕官の希望は叶えられるだろう。血統に重きを置く貴族社会において、庶子とはいえ伯爵家の血を引いているという事実は重い。競争相手に親切ごかして忠告するのも、その余裕の表れだろうか。

「忠告ついでに、良ければ話をしないか? ここには私の顔見知りが少なくてね」

「でしょうね」

この馬車に乗っているものの多くは、下級貴族の子弟だ。伯爵家出身の彼とは、面識が無い者が大部分だろう。

ルベールの物言いは遠慮が無かったが、青年は気分を害した風も無くにっこりと笑う。

「ありがたい。長い道中だが、君らとなら退屈はしなさそうだ」

「……そりゃどーも」

知人は少し不機嫌そうだった。彼の実家は騎士、辛うじて貴族という身だ。そんな彼からすると、見るからに貴公子然とした伯爵家の青年は、寒門の劣等感を強く刺激するものなのだろう。

貴族の若者たちを乗せて、馬車はゆっくりとマルランへの道を進んでいた。

「田舎だとは聞いていたが……」

「予想以上に、何も無いところだな」

馬車の窓から見える景色に、知人と青年は溜め息を吐いた。

外にあるのは森か野原か山か畑か。その畑もほとんどが麦などの主食を産するものばかり。道中に見かけたワインに使う葡萄畑など、そういった特産物を作っている様子は見られない。畑は畑でも産物や方式で余所者の目を楽しませるものもあるのだが、この田舎にはそんなものすら期待できないらしい。この地に入る以前と比較すると、本当に同じ州、いや同じ国なのかとすら思う。

「これが子爵様に任せるような土地かね?」

「うーん、確かに代官数人で分割して統治した方が効率良さそうだね。だけど――」

ちらりとルベールは窓外の畑で鋤を振るう農夫を見る。額に汗を浮かべながら作業に勤しむ彼らは、それでも歌など歌いながら陽気な雰囲気を醸していた。

「――農民の顔が妙に生き生きしている。それと農地に水も行き渡っているみたいだ。民を大事にした施策を取っているみたいだね」

「ほう、流石はルベール卿。目のつけどころが違う」

「卿は止してよ」

茶化すような青年の言に、笑って手を振る。

「まあ、田舎は田舎だけれど、伸び代はあると思う。何か新しい産業でも興れば、もっと栄えるんじゃないかな」

「ふむ。例えば鉱山などか?」

出発前に軽く調べたところ、マルランはかつて銅山で栄えていたらしい。もっとも、現在はほとんどの山が廃鉱となり、人も寄り付かずに寂れているが。

「酒だ酒! 俺は酒造が良いな! 一応、ワインで有名なんだろ、ヴォルダン州は?」

「いや、それは僕らが決めることじゃないし……というかここで働けるかも決まってないんだけど」

勢い込む同行者に苦笑する。確かにヴォルダン州はワインの産地である。が、それは同時に州内の他地域が既にシェアを握っているということ。麦など主食の畑を耕すのに精一杯なマルランが割って入る余地は少ないだろう。

だが、まあ、娯楽に乏しい田舎であること――そして統治者が王都に残した悪名――に目を瞑れば、そう悪い土地ではないように思えた。

「それより、僕ばかりが話すんじゃ不公平だ。二人は何か気付いたことは無いのかい?」

「うーん、そう言われるとなあ……」

「ふむ、少々気になることが無いわけではない」

青年は少々勿体つけてから言った。

「ここまでの道行きの途中、砦らしき建物をあまり見なかったな。あったとしても、ほとんど手入れが為されてなかった」

「ああ、そういえば確かに」

知人もうんうんと肯く。

野盗や山賊、モンスターを相手に治安を守るためには、各所に騎士団を駐屯させる砦を整備する必要になる。特にマルラン郡は人口密度に比して土地が広い。領内を巡検する騎士団、その屯所となる拠点は、もっと多くてもいいはずだった。

「つまり、ここの騎士団はあんまり規模が大きくないのかな」

人数が乏しければ、自然と砦の数も減る。手入れや守備に割く人数が足りなければ、砦は忽ち賊に奪われその拠点として悪用されるだろう。そんな事態を避ける為だ。

「そいつァ朗報だ。俺ァ、あんたみたいに血筋が良いわけでも、ルベールのみたいに勉強が出来るわけでもねえ。騎士団が人手不足なら、俺が入る余地もある」

「そうだな。まあ、王都の騎士団よりは易しいだろうが……」

「その分、忙しくなると思うよ?」

「職が無いよりゃマシさ。たとえ端くれでも騎士を名乗れる好機だ。やってやるとも」

などと話している内に、馬車は郡の中心となる町に着いた。人口は三、四千人ほどあれば上等といった、鄙びた町だ。ボロボロの城壁の中で小高い丘を中心に、小さな家が羊の群れのように寄り集まった風景。モンスターや賊の脅威に震える、ごく一般的な小規模城塞都市である。

「マルランへようこそ、皆さん」

馬車から下りた志願者たちを迎えたのは、どうにも抑揚を欠いた声の小男だった。身なりからすると小身の貴族。だが精彩の無い表情と青白い顔色は、どうにも存在感が無い。町ですれ違っても平民と間違えそうだというか、或いは、

「人形みてえな顔だな。薄気味悪ィ……」

知人が印象を小声で代弁してくれた。そう、人形だ。生きた人間とは思えないくらい、生気に欠けている。長年酷使された奴隷でさえ、ここまで感情の磨り減った顔はしないだろう。

周りの貴族子弟も似たような思いを抱いたのか、男に注がれる視線に好意的なものは無い。だが、それに頓着することなく、平坦な声は続く。

「皆さんには、この町で一夜を過ごして頂いた後、改めて試験を受けて頂きます。その後、主と引見なさり、採用の可否を決める……このような段取りとなっております」

「質問をしてもよろしいか?」

青年が早速手を挙げた。

「……。……どうぞ」

「後ほど案内はされると思うが、宿泊する場所についてあらかじめ聞いておきたい。失礼ながらこの町は小さく、我々のような大人数が一度に泊まれる施設は少なかろう。そこで貴殿の主が我らをどう遇されるかを知りたく思うが、如何か?」

大胆な質問だった。要するに『お前の主は貴族の遇し方を知っているのか?』と聞いているようなものだ。下手をすれば不興を買いかねない問いに、ルベールは意図を判じかねる。これまでの道中で接した青年の人柄からすると、このような態度に出る理由が解らない。

その困惑をよそに、男は答えた。

「主からはあらかじめ、各々の家格に応じた待遇を心がけよと聞いております」

「その心は?」

「子爵以上の位のお家の方は、少々離れますが代官屋敷を改装した逗留所が用意されております。男爵家からお越しの方には、この町の旅籠をご利用下さい。準男爵、騎士家のお方には、ご不便ですが町の有志の家に一晩お泊まりいただくこととなります」

紙に書いてあることを読み上げたような、妙に抑揚の無い返事だった。

青年はふむ、と肯くと、

「……失礼した。ご気分を害されたやも知れぬが、昨今は伝統ある王国貴族の序列を無視するような輩が多くございまして。まあ、子爵様がそのような方ではないとは信じておりましたが」

慇懃にそう結んだ。

案内の男は、感情の読めない目で一同を見渡すと、

「では、ご案内いたします……」

陰鬱な調子で応募者の先導に取りかかった。

青年は肩を竦める。

「ふむ。案外如才無いな」

「……冷や冷やさせんなよ。これから仕官しようって先に、いきなり喧嘩腰になってどうするんだ」

「貴方らしくない物腰でしたが、これは――」

言い募るジャンと知人に、青年は軽く手を振る。

「すまんすまん。私も少し、格好を付けて探りを入れたくなったのだ」

ただ稚気に逸っただけだという弁解。

ルベールは直感的に嘘だと断じたが、

「……まあ、それで採用の可能性が遠のくのは貴方ですからね」

「おいおい、酷い言い草じゃないか」

そう流すことにした。

親しくなったとはいえ、行きずりである。何か裏の事情を感じないでもないが、奥までつついて藪蛇、というのは御免被る。

「しかし、俺たち三人見事にバラバラになってしまったな。俺は町人の家に間借りかよ」

「元々、それぞれ家格が違うからね」

「ふふ。だが不思議とそんな差は感じなかったな。願わくば、三人揃って登用されたいものだ」

そう結ぶ伯爵家の青年。

隠し事があるのは確かだが、利発で話していて楽しい相手でもある。

本当に、何事も無く全員採用されれば良いのだが。

翌日。

旅籠でまんじりともしない一夜を過ごしたルベールは、旅の疲れを少し残した身体で試験を受けていた。試験の内容はそう難しいものではない。簡単な読み書き計算を小手調べに、さらっとした歴史やマナーなどの教養問題、ちょっとした民事裁定や刑法の常識などだ。最後に論述形式の問題に解答して締めると、それで終わり。

日頃から図書館で勉強していたジャンにとっては、多少のケアレスミスを除けば失点は無いレベルの問題。同様にそれなりの意識を保っていた志願者にとっては、然程難しくは無かっただろう。だが、逆に毎日を無為に過ごし、貴族という身分だけで世の中を渡っていたような者には、少々厳しい問題だったと思われる。

「……時間です。試験を終了します」

遠くから聞こえる鐘の音を合図に、メイド姿の女奴隷が無情にも宣告した。その言葉に、未だ空欄を埋めていた何人かの受験生が絶望的な顔をする。

「ま、待て! まだ途中だ!」

「いいえ、試験は終わっています」

「待てと言っているだろう、この奴隷め! 私は貴族だぞ? お前のような卑賤なように命令される覚えは――」

見苦しく言い募る受験生の一人。だが、その奴隷メイドはまるで意に介さない。

「はい。奴隷です。ですが貴方はご主人様ではありません」

その通りだった。奴隷は主人の所有物である。そして、その主人はこのマルラン郡を領するオーブニル子爵だ。このメイド奴隷が主の意を受けて動いている以上、幾ら貴族の子弟といえど、その子爵に仕官を願う立場で彼に委託された業務を妨げられはしない。

もっとも、それが分かっていれば、この受験生も騒ぎ立てはしないだろうが。

「生意気であるぞ、婢風情が!」

乾いた音が、試験会場に響いた。激昂した受験生が、奴隷を殴ったのだ。

流石に拙い。ジャン・ジャック・ルベールは思わず顔を覆った。試験後も解答の提出を拒んだ上に、暴力沙汰である。態度からして実家は名のある貴族と見えたが、他家の屋敷でこのような騒ぎを起こす、そんな庶子を庇い立てする家は無い。躾けも碌に出来ぬかと他家に恥を晒すだけだ。末は修道院送りか勘当か、最悪ワインに混ぜ物をして呷る羽目となる。

そんなことにも気付かず、その受験生はよろめくメイドに勝ち誇った笑みを向けていた。

「いいか、貴様……私を誰だと思っている?」

「はい、存じております。受験番号014番、姓名は――」

「そのようなことは聞いていない!」

もう一発、平手が飛んだ。

ジャンもこれには堪りかねる。

「君、止しなさい!」

「ええい、放せ! ルベール家の木端風情が! 私が何をしたというのだ!?」

手を掴んだルベールにもこの口ぶりである。救いようが無かった。

だが、乗りかかった船だ。とにかく落ち着かせねばなるまい。この辺りで矛を収め謝ることが出来れば、そう重い沙汰は下らないはずだ。出来れば、の話であるが。

「いいから聞いて下さい、奴隷とは所有者のものです。それを無為に傷つければ、その主の顔に泥を塗るのも同じなのですよ?」

「不正を働く奴隷は無礼討ちしても構わぬだろう!?」

「いや、不正って……」

それはどちらかというと貴方の方では?

と、言い募る前に、その受験生はルベールの腕を振りほどく。彼にはそれを抑えるような膂力は無い。

そこへ、

「おい、何の騒ぎだァ? こりゃあ」

長身の、剣士風の男が試験を行っていた部屋に入室する。

騒ぎを起こした受験生は、動揺も露わに声を上げた。

「な、何だ貴様は!?」

「……当子爵家家臣、ドゥーエ・シュバルツァー。さっきまで別会場で、武官志望者を試験していたもんだ」

子爵家の家臣を名乗った男は、伝法な口振りでそう言った。儀礼的な装束こそ子爵家の武官らしいが、言動といい、身のこなしといい、表情といい、いずこからも粗野な雰囲気が滲む。下級貴族か、それとも平民上がりか。ジャンはそう推測した。

問題の受験者もそう判断したのだろう。急に侮りの色を顔に浮かべ始める。

「そうか、それは丁度いい。私は貴家の奴隷によって大変気分を害されたところだ。ここは貴殿が適当な罰をくれてやりたまえ」

「あん?」

「察しが悪いな、君は。野卑な言い方でなくば分からぬか? なら、こう言おう。そこの奴隷の尻拭いくらいして見せろ」

得意絶頂の顔だった。

ドゥーエ、と名乗った男は、床に尻餅を搗いた女奴隷に向き直る。

「えぇと、お前――」

「スザンナです、ドゥーエ様」

「そうそう、そんな名前だったっけ。……何があった?」

女奴隷は、感情の窺えない声で言った。

「ご主人様からの言いつけに従い、定刻の鐘に従って答案を回収しようと試みたところ、受験番号014番のお客様より『記入がまだである』と抵抗を受けました」

「……ハァ。成程ねェ」

呆れ返った表情のドゥーエは、ジャンたち他の受験生を見る。

「こいつァ確かなのかね? 中立の立場の受験生諸君よ」

「あ、はい」

ルベールは思わず肯いた。静かな目であったが、嘘を許さない得体の知れぬ迫力があったのだ。また偽りを述べても何も良いことは無い状況である。他の受験生もジャンに倣って首肯した。

「では、014番くん。お前さんは失格だ。大人しく王都にお帰り願おう。路銀が無ければ、無利子で都合しても良い」

「な、何ィ! 帰れとは何だ!? しかも無利子で都合とか抜かしたか!? それは示談金を払うのではなく、貸し付けるとでも言うのか!?」

「分かっているなら、話が早ェ。さっさと退出してくれ。それとも――」

ジロリ、とドゥーエの眼光がその受験生を射竦める。

「――手をお貸ししなければ、歩けませんかね?」

叩き出されたくなければ、自分の足でとっとと失せろ。そういうことであった。

「く……っ! こ、こ、こんな侮辱を受けたのは、生まれて初めてだ! し、失礼するっ!」

言って、件の問題行動者は退出する。

ドゥーエは呆れを滲ませた溜息を深く吐き出した。

「『こんな侮辱を受けたのは、生まれて初めてだ』、ね。随分と幸せな人生を送っていたんだな」

「……受験生の皆様、大変お騒がせしました。改めまして答案を回収いたします」

「じゃ、俺もお暇するぜ。受験生諸君、受かったら長い付き合いになりそうだ、よろしくな」

奴隷にメイドに答案回収を任せると、ドゥーエは退出した。

程なくして、回収は終わる。その際に、何人かの受験生がしてやったりという顔をしていた。

(ああ、騒ぎに紛れて空欄を埋めていたのか……)

或いはもっと露骨なカンニングも行った可能性がある。抜け目の無いことだ、とルベールは嘆息した。

下手をすると、これが元で試験を掻い潜った連中と同僚になるかもしれない。そんな連中と上手くやれるだろうか? そう考えたら憂鬱になる。

「では、採点の後に合格者は主との面談に入って頂きます。しばらくお時間を取らせて頂きますので、その間は食堂で昼食をお摂りになるなどなさいまして、お寛ぎください。以上です」

言ってメイドも退出する。先程受験生相手に殴られたことなど、まるで忘れてしまったかのような素振りだった。

「……中々に教育の行き届いていたメイドだったな。そう思わないか?」

とルベールに話しかけてきたのは、先日知り合ったばかりの青年である。

「君か。どうだった、試験の方は?」

「まあ、解答欄は全て埋まったよ」

なら、問題は無いだろうとルベールは考える。それだけの事が出来れば、十分に合格圏には届くだろう難易度だ。それさえ出来なかった問題外が、幾らか混じっているようだが。

「それより、ジャン・ジャック・ルベール。あのメイドはどう思う?」

「おいおい、試験が終わった途端にそれか? ああいうのが御所望なのかい?」

傍仕えが仕事であるメイドだけあって、奴隷にしては小奇麗ではある。だが顔立ちはそう選りすぐった方ではなく、小さな村の同世代で三番目くらいといった評価が関の山だ。あのどうにも素っ気ない態度も頂けない。女性としては味気無いし、奴隷としては少し不遜に映る。

果たして、青年は苦笑を滲ませた。

「そういうことではない。見ていて気付かなかったか? あの侍女衣装、ちょっとした魔術礼装だったんだぞ?」

「何だって?」

ジャンは思わず訊き返した。

魔術礼装。魔導師の手により製作される、魔法の掛かった物品を指す言葉だ。通常の仕立てに加えて魔法を付与する為に、基本的にかなりの高額である。貴族の社会では珍しくもないが、奴隷がそれを身に帯びるなどそうある話ではない。

「ここの子爵は錬金術に傾倒しているとは聞いていたけど……」

「おそらく、手ずから製作したものを部下や奴隷に下賜しているのであろうな。先程場を収めた剣士の装備も、近衛でさえそうは帯びられぬ格と見る」

「いや、そりゃないだろう? だって、近衛といえば王国の最精鋭だ。それでさえ手の届き難い物を、子爵家の一武官が?」

有り得ない。そんな物を調達したうえで、あの高札にあった気前の良い俸給を払う余裕。どれだけの財産があればそんな事が出来るのか。

「いや、財産自体は子爵の格を出るものでもないだろう。恐らくはあれも子爵の手製と考える」

「待ってくれ、ちょっと理解が追いつかない。手製? 王国最精鋭の中でも上位の装備、それに匹敵する物を作れる? それって、ただ錬金術に凝ってるってだけじゃ、説明つかないよ?」

「……私としても、少々面食らっているよ。この地にくるまでオーブニル新子爵の噂は、話半分だと思っていたからな。だが、今日初めて確信した。我々がこれから会う男は、凄腕の錬金術師だ。おそらくは大陸全土でも五指に入る程の、な」

「そう言われても、よく分からないよ……」

言ってジャンは首を横に振る。元々、錬金術自体が貴族にとっては縁の薄い分野なのだ。鉛を金に変え、不老不死を実現するなどという夢物語を、真顔で語る詐欺師の術。人によっては魔法の範疇に入れることすら躊躇う。そんな認識である。それで大陸でも五本の指に入ると評されても、どの程度のものだか理解できない。

王侯貴族が用いる霊薬や礼装の類は、ある程度の実力がある魔導師が作れば事足りるし、それ以上を望むのならばドワーフの鍛冶師の出番だ。錬金術など、真っ当に学ぶ価値があるかどうかさえ疑問視されている程度のものだ。そんなものに入れ上げているなど、どんな酔狂かと思ったが……。

「……面談は昼食の後であったな。少し場所を変えようか。二人きりで話がしたい」

言って、青年はジャンを外に連れ出す。向かう先は人気の無い屋敷の裏手だ。

「それで、一体どういうことだ? こんな所で話って」

いきおい言葉が辛くなる。強引に連れ込まれて、何ぞろ内緒話だというのだ。どう考えても厄介の種である。

青年は、その前に、と前置きをして話し出した。

「ジャン・ジャック・ルベール。君は不審に思ったことは無いのか?」

「何をだい?」

「そもそもトゥリウス・シュルーナン・オーブニルが、この地で子爵をやっていることをだ」

妙な成り行きだった。警戒しつつもルベールは先を促す。

「君は仕官登用の口を求めて、様々な貴族の噂を蒐集していたはずだ。その中には、当然オーブニル家の兄弟不仲に纏わる話もあったはず」

「確かにそうだね。大分前はオーブニルの次男は長男を凌ぐ神童とも言われていたし、その名が地に落ちてからは、弟の悪評が兄の足を引っ張っていった。そういう話はちらほら聞いているよ」

そこだよ、と青年は嘆息する。

「そんな弟に対して現当主である兄君は、宮廷に運動まで仕掛けて子爵位をくれてやり、この地を与えた。何故だと思う?」

「うーん、不仲の噂が正しいのであれば……王都から引き剥がす為?」

「それもある。幾ら罪に問われない奴隷殺しとはいえ、後ろ暗い実験を王都で続けられては敵わぬからな。だが理由はもう一つある」

理由。言われてジャンは考え込んだ。錬金術に狂い、酸鼻な方法で奴隷を殺し、およそ真っ当な貴族とは思えない実弟に地位と権力を与えた理由とは、何か。

一つ、愉快ではない想像が脳裏を過った。

「待ってくれ、まさか……!?」

「そのまさかだよ」

青年は苦々しげに肯定した。

「領主として失政させ、その罪をもって実の弟を誅する為だ」

「馬鹿な……」

本当に馬鹿な話だ。弟を殺す? その為だけに子爵の地位を? 手が込み過ぎている上に、成功しても悪評は避けられないはず。その事を問う前に、青年は補足する。

「勿論、オーブニル伯爵家の名に傷が付くのは避けられん愚挙だ。だが、そうしなければ現当主は弟を殺せない。貴族社会の建前というヤツでね、自分の庇護下にあり、自分の地位を脅かしうる家督継承権保持者を殺せば、保身の為に実弟を殺したと謗られる。が、領地経営失敗のかどで誅殺すればどうだ? 話はこう擦り変わる」

そう言いながら、大手を振って芝居調に声を出す。

「『嗚呼、伯爵家御当主は政道を正す為に血を分けた弟君をも処断された! 任命の際には兄弟の欲目で過ちを犯されたが、伯は恥とそれを雪ぐ術を弁えられたお方だ!』……とな。弟殺しという結果は変わらぬが、家の評判に負う傷はこれなら最小限だ」

「そんな猿芝居を打つ為に……領地を……?」

「思い上がりも甚だしい所業であろう? 国王陛下から信託された統治権を、兄弟相克のダシに使い、果ては宮廷まで巻き込んで位を下賜させたのだ。大した伯爵殿だ。それに従って呑気に錬金術に興じながら政務を取る子爵も、相当だがな」

青年は吐き捨てるような侮蔑を隠しもしない。

ルベールにもようやく話が見えてきた。勿論、彼もそこを解からせるように話を運んでいることだろう。

オーブニルの兄弟双方を嫌悪するような口振り、そして仄見える情熱的なまでの王家への忠誠。総合すれば、帰結する点は明白である。

「つまり君は……子爵家を内偵する為にここに来たんだね。のみならず、子爵の先にいる伯爵の尻尾も掴みに。そして真の主君は、おそらく中央集権派の貴族」

「やはり君は聡明だな。今まで浪人させていた連中も、見る目が無い」

「それはどうも……で、事ここに至って話を持ちかけたということは――」

「君には私の内偵を手伝って欲しい。下手を踏む気は無いが、少し調べれば私が中央集権派と繋がっていることはすぐに分かることだ。その点、君ならば経歴も綺麗なものであるからな」

勝手な理屈ではある。結局、ルベール男爵家など及びもつかない雲の上での政争に、巻き込まれてくれと言っているようなものだ。

だが一方で分かったこともある。オーブニル新子爵のマルラン統治はなくは無い。ただでさえ兄という敵を抱えているところに、地方領主の天敵である中央集権派まで目を着けてきたのである。

万一、午後の面談を突破してその臣下に加わったとしても、先は暗いということだ。

「君は僕を、聡明だと買ってくれたね。なら、答えは分かってるんじゃないのかい?」

「だとしても、君自身の口から聞きたいのだよ」

「つまり言質を取りたいんだね……やれやれ」

しょうがないな、と肩を竦める。

「やるさ。勝ち筋を考えたら、やるしかない。ただし使い潰されて後はポイ、というのは御免だね」

「その辺りは働きぶり次第であろうよ。君だけでなく、私もな」

そして契約の証に握手を交わす。

青年の手は冷たかった。だが冷たい手を持っていてこそ政を捌けるというものである。青年が子爵の、そしてその兄である伯爵の身命を決する情報を手に入れれば、中央集権派でもそれなりのポストが用意されていることだろう。そこに収まった彼を主と仰ぐのも、悪くないかもしれない。

「ところで、君の知人はどうする? 彼にも話は通しておいた方が良いと考えるが」

「止めておこう。アイツは平気な顔で嘘が吐けるような性質じゃない。内偵なんて仕事には不向きさ。……ただしぶといところもあるし、正義感の強さがこちらに利することが有れば、後で拾うことも出来るはずだ」

そしてただ手が冷たいだけではない、というアピールだ。見え透いた手ではあるが、乗っておく。こうした建前を立ててやるのも貴族の付き合いである。その程度にはジャンも世渡りを心得ていた。

「うむ。では、午後からの面談では、お互い用心することにしよう。さっきも言ったが、子爵は並々ならぬ錬金術師だ。どのような手配りがされているか分からんからな」

「そうだね」

錬金術師の手配りというものはよく知らないが、用心に越したことは無いだろう。貴族としては常識に欠ける面が目立つが、そちらの方面では一流と聞く。相手の土俵に引き込まれないよう、心がけねば。

ルベールは肝に銘じた。

……だが、そんな物は無駄だった。