「こんにちは!」

いつものように秘密の通路を通り抜け、デリスさんの家に着く。

ノックをしてから扉を開けると、薬草の匂いがした。

どうやらデリスさんは薬を作っていた最中だったらしい。大釜を大きな棒でかき混ぜていた彼女が顔を上げ、「降りておいで」と招いてくれた。

階段を降り、彼女の側に行くと、デリスさんは大釜の中身をかき混ぜるのを止めた。

「良いんですか? もしかして邪魔しちゃいました?」

「いや、これで完成だから問題ないよ。あとは冷ますだけさ」

「へえ? 良い匂い」

ラベンダーに似た香りは心地良いものだったが、当然、ラベンダーそのものではないのだろう。

「ほら、椅子に座りな」

デリスさんに言われ、いつも座っている場所を見る。

「あ」

四人掛けのテーブルが六人掛けのものへと変化していた。

一列に三人座れるタイプだ。これは、もしかしなくてもフリードを連れてくると思ったから用意してくれていたと、そういうことなのだろうか。

「デリスさん……」

「連れて来てもいいって言ったろ。席がないなんて嫌がらせはしないよ」

「ふふっ、ありがとうございます」

フリードを歓迎してくれているのがわかり、嬉しかった。フリードは面食らったような表情をしていたが、すぐに頭を下げた。

「訪問の許可を頂きありがとうございます」

「別に。元々来るなと言った覚えはない。それだけだよ。ほら、それより頼んでおいたものがあるだろう。早くだしな」

ほれほれと手を出すデリスさんに、フリードは苦笑しつつも持っていた麻袋を袋ごと手渡した。

中身を確認し、デリスさんが頷く。

「確かに頼んでおいたライレリックの種だね。しかも結構量がある。これなら庭で栽培する分と薬に使う分と分けることができるか」

「……ちょっとした疑問なんですが、デリスさんの家って庭があるんですか?」

純粋に不思議だった。

何せ靄の中に家があるような状態なのだ。

庭と言われてもピンとこなかったが、デリスさんはニヤリと笑った。

「もちろんあるとも。貴重な薬草をたっぷり育てているんだ。誰にも見つけられない場所に作ってある」

「へえ」

見てみたいなと思ったが、大事な薬草を間違って傷つけたり踏んでしまっては大問題だ。私はわりとうっかりなところがあるので、止めておいた方が無難だろう。それに説明してもらったとしても理解できないだろうし。

「興味あるかい?」

「ないと言えば嘘になりますけど、私おっちょこちょいなので、踏みそうで怖いからいいです……」

正直に告げると、デリスさんは目を丸くして、大声で笑った。

「はははっ! まさかそんな理由だとは思わなかったよ。でも確かに、あんたならやりそうだねえ。まあ、いいさ。ほら、茶を淹れてやるから座りな」

「はい。あ、これ良かったらどうぞ。デリスさんにはまだ食べてもらっていなかったなと思って作ってきたんです。『おはぎ』って言うんですけど」

「ほう?」

持っていた木箱を彼女に渡すと、デリスさんはすぐに蓋を開け、中身を確認した。

「……初めて見るね」

「ええ。デリスさん、大福がお好きでしょう? これも餡を使ったお菓子なので好きかなと思いまして。中にもち米が入っているんです」

「ふむ。それなら皆で食べようか。せっかくリディが作ってくれたんだからね。よし、とっておきのお茶を淹れてやるから待ってな」

「ちょ、ばあさん待ってくれ!」

張り切った様子のデリスさんにカインが待ったをかけた。

「淹れるっていうのは、あのうまい方の茶だよな? 飲んだら吐きそうになるえげつない茶じゃねえよな?」

「ほう? あんたは吐きそうになる茶が良いと、そういうことだね」

「ちげーよ! それだけは止めてくれって言ってんだ!」

本気で焦っているカインをデリスさんが笑いながらいなし、隣の部屋へと続く扉を開けた。

「せっかくリディが作ってくれたんだ。ちゃんとした茶を出してやるさ」

「……本当だろうな。ったく、ばあさんは結構愉快犯なところがあるから」

ブツブツ言うカイン。

デリスさんとカインの気軽なやりとりを初めて見たフリードは驚いていた。

「……吃驚した。カインと魔女はずいぶん仲が良いんだね」

「そうなの。孫と祖母って感じに見えない?」

「見えるね。あのカインが完全に子供扱いだ」

「うん。でも、多分、そういうのがカインは嬉しいんだと思う」

カインはその生い立ちからして、『普通』に扱われることがなかった。だからこそ、自分を暗殺者ではなくただの十代の子供として扱ってくれるデリスさんに素直に突っかかって行くのだと思う。

信頼関係がなければできないことだ。

「私、カインとデリスさんの会話を聞くの、すごく好きなの」

「うん、分かる気がするよ」

「……そこ、保護者みたいなことを言わないでくれ」

フリードと話していると、カインが口をへの字にしながら文句を言ってきた。

「ごめんね。そんなつもりはないんだけど。ただ、好きな人が好きな人と仲良くしているのを見ているのは楽しいってだけだから気にしないでくれると嬉しいかな」

「……別に良いけど。ほんっと姫さんて『好き』とか平気で口にするよな」

「? そりゃそうでしょ。言葉にしなきゃ伝わらないんだから」

カインの疑問に首を傾げた。どうしてそんなことを言われるのか分からなかったのだ。

『好き』は言わなければ伝わらない。それは私の中では常識である。

ただ想っているだけで相手に分かってもらおうなんて、甘いのだ。義理の両親を見ても、その必要性はわかると思う。その点、フリードは最初から好意を分かりやすく示してくれたから嬉しかったし有り難かった。

この人は私のことが『恋愛という意味で』好きなんだと、誤解することなく理解できたからだ。

「言わなくても分かってくれるだろうってのは勝手な思い込み。言ってくれなきゃ、分からない」

「リディ、愛してる」

カインに微笑みかけると、なぜかフリードが突然私の腕を引き、耳元で囁いた。

「フリード?」

いきなりなんだと彼を見る。フリードはにっこりと笑って私に言った。

「私もリディに私の気持ちを伝えておこうと思ってね」

「ん? フリードが私を好きなのは知ってるよ?」

「それでも、だよ。それともリディは知っているのなら、たまにでいい? 毎日好きって言ってもらいたくない? 私は言われたいけど」

「言われたいです」

全くもってその通りだ。毎日言われたって全然飽きないし、毎回嬉しい気持ちになる。

心から納得しているとフリードが言った。

「だから、言ったんだよ。愛してるってね」

耳に優しく響く言葉に自然と笑みが零れる。私もフリードに言った。

「私もフリードのこと愛してる。大好き」

「うん、知ってる。嬉しいよ、リディ」

「フリード……」

愛しい人と見つめ合う。彼の顔が近づいてきた。

うっとりとしていると、カインが呆れたように言った。

「それくらいにしとけよ。忘れてるかもだけど、ここ、ばあさんちだからな」

「あ」

至極尤もな突っ込みに、我に返った。

パチパチと目を瞬かせる。

「そういうのは、頼むから自分の部屋でやってくれ……ばあさんも困ると思うぜ」

「……そ、そうだよね! ごめん!」

慌ててフリードから離れた。彼は残念そうではあったが、比較的素直に私を解放してくれた。その代わりと言わんばかりに小声で念を押される。

「……リディ、帰ったら、いい?」

とても分かりやすくお誘いが来た。反射的に子宮が疼く。

すっかり彼に躾けられてしまった身体は、簡単に期待をしてしまうのだ。

深い場所を穿たれる感覚を思い出し、顔が熱くなる。

「う、うん……帰ったら……」

私の返事を聞き、フリードが上機嫌になる。

「良かった。楽しみにしてる」

「も、もう……」

私は頬を染めながら頷き、デリスさんに勧められた椅子に座った。私の左隣にフリードが、右隣にカインが座る。

タイミング良く、扉が開いた。

「おや、イチャつくのはもういいのかい?」

トレイを持ったデリスさんがニヤニヤしながら私たちを見ている。彼女は人数分のコップと皿をテーブルに置き、おはぎをとりわけ始めた。

餡ときなこをひとつずつ。コップの中は覗いてみたが、おそらくは以前出してくれた緑茶なのだと思う。

「別に私は気にしないから、思う存分イチャついてくれていいんだよ」

「そ、そういうわけには……」

隣の部屋にいたのに、どうして知っているのか。不思議に思ったが、彼女は魔女だし、ここはデリスさんの領域。私たちが何をしているかくらいお見通しというわけだろう。