Parallel World Pharmacy
3: 9: Palais de Medicis and the Pharmacy of the Other World
真紀元1147年、サン・フルーヴ帝都のド・メディシス家の屋敷にも新年が訪れた。
この頃ファルマは12歳に、そしてロッテは10歳になっていた。
「おはようございますファルマ様」
「ふわ……おはよう。何してるの?」
朝目が覚めると、目の前10cmのベッドサイドにロッテの顔があった。ベッドの上に折りたたんだ腕の上に顎をちょこんと載せて、顔が左右に揺れている。
「えへへ、見てただけですっ。ファルマ様の寝顔」
ピンク色の睫毛が目を瞬かせると、ぱたぱたと揺れる。変態じゃないのか、と一瞬思ってしまったファルマだが、彼女的にはファルマと一緒の空間にいられるだけで幸せらしい。
「こっちは何だ?」
腰のあたりがもぞもぞすると思ったら、ブランシュが布団の中に潜り込んでいた。いつ忍び込んでいたものか、気付かなかった。ブランシュの甘えん坊っぷりはなかなか治らない。
「今日は寒かったからではないでしょうか」
ロッテはぱあっとファルマの部屋の鎧戸を開け放つ。
すると外は一面の銀世界、雪化粧をしたサン・フルーヴ帝都が広がっていた。
(あー今日雪か。綺麗なんだけど、消去したい)
思わずそう思ってしまうほど、ファルマは雪が苦手だった。
去年の冬、ファルマの愛馬が凍った路面で滑ったのだ。おかげで落馬して腰を打って一日寝込んでしまった。馬は四駆だからと謎の理屈で油断して、雪道を甘くみていた。
「外は雪か、今日は家でゆっくりするかな。ロッテは今日何する予定?」
「お庭の風景が素晴らしくて、絵を描こうかと思います」
目をキラキラさせながら、ロッテは庭を眺めていた。
(こりゃうっかり雪を消したりできないな)
危うくロッテの絵画制作の邪魔をするところだった。
「お休みなので、ファルマ様もゆっくりできますね」
(店頭の仕事からデスクワークになるだけ、って話だけどな)
デスクワークをしようと思って、新年だということにかこつけて、薬局の営業も休みを数日もらっている。
なのでファルマも久しぶりに家で過ごすことにした。
「ファルマ様ー。今日は何をお召しになられますか?」
「普段着でいいよ、家にいるからリラックスできるやつで」
「かしこまりました」
ロッテが服をタンスから出してくれる。彼女はTPOをわきまえて服を揃えてくれるので、フォーマルな場に参加する時には助かる。だが、お任せでというと趣味に走り、ビジュアル系にされてしまうのが困りものだった。
「それじゃないやつで」
ロッテが今、満面の笑みで手に持っている、派手な襞襟や袖口にフリルがついた服をひっこめさせる。ロッテは召使なので、自分が派手に飾り立てられない分、ファルマやブランシュのファッションに興味がむいているのだろう。
「えーっ、わかりました」
(というか、ロッテはいつまで俺の召使やるつもりなんだろう)
ボタンを留めてもらいながら、ファルマは視線に困る。一応、まだ子供だからで通る年ではあるが、お互いに年頃になってくると着替えをロッテに見られるのは恥ずかしいし、ロッテ本人もやりづらいだろう。
(着替えぐらい一人でできるって言っても、御曹司が一人で着替えちゃ駄目なんだろうしな)
ファルマの世話係は男性使用人もしくはロッテの母に代わってもらったほうがいいのではないかと、気を回す。貴族生活が窮屈なことに変わりはない。
「さ、ブランシュお嬢様もお着換えしますよ」
「あい!」
ファルマはロッテにシンプルな服を着せてもらった。ブランシュはフリフリのドレスを着せてもらって、ファルマとブランシュは食堂へ向かう。その際に、ふと机の上の木箱の中から、職員証のレプリカをとった。
「兄上、いつもそれ持ってる」
螺旋階段を下りながら、ブランシュが不思議そうに指摘する。
「これはなぁ……」
「兄上の大事なもの?」
「大事なものだよ」
前世では、白衣の胸ポケットに職員証を入れておくのが常だった。研究室はカードキーになっているので、部屋を移動するときは必ず必要だったそのころの癖で、なんとなく肌身離さず持ち歩いてしまう。ただのレプリカなのだが、それが心の隅で気になっている証拠だ。
(早いうちに、行かないと)
ファルマは、大神殿に行って大秘宝の実物を見ようと考えていた。秘宝化しているというから、以前の職員証とは違う状態になっているのかもしれない。
大神殿は、サン・フルーヴ帝国にはない。
神殿の総本山は「神聖国」という小さな市国にある。
神聖国というのはヴァチカン市国のような、まるごとひとつの国が神殿組織になっており、そこには神官のみが住んでいる。
国境を越えなければならないというのもあるが、どうしても大神殿へ行くための踏ん切りがつかない。
大神殿に行くのは一筋縄ではいかない、というのは神官長の話だ。いわく、大神殿にファルマの存在はまだ知られていないが、存在を知られたら、貴重な神憑きということでまず軟禁状態にされるかもしれないし、大神殿を取り仕切る大神官ともなると、厄介な神封じの秘術を持っているという。だから夜間、警備が手薄な時に忍び込んで盗み見るほかにない、という犯罪じみた計画を話し始めた。
大神殿はダンジョンのようになっているので、普通に夜盗に入っても大秘宝のありかまでたどり着くことができない。手引きならする、と神官長は言っていた。手引きだなんて、泥棒じゃないんだから、とファルマは心が痛む。
(神官長のサロモンさんに危ない橋渡らせるわけにもなぁ、クビにされそうだし。神官しかいない国って、3歩歩いただけで正体バレしそう)
それに、そんな裏口からコソコソやっていて、普通に不法侵入でつかまってしまうのも不名誉だ。
食堂のホールに入り、朝食のために席に着く。
両親はすでに起きてファルマとブランシュが起きてくるのを待っていた。家族揃っての食卓が基本だ。
「パッレが帰るようだ」
給仕たちによって食事が運ばれてくる間に、帝都新聞を見ながら、父がファルマにさらっと重大なことを告げた。
「パ?」
パッの音を聞いただけで、ファルマとブランシュは身構えてしまう。
そして兄妹は顔を見合わせる。(どうしよう)(どうする?)(逃げる?)(逃げる!)(ちょ、そんな)と、お互いにアイコンタクトを交わしはじめる。兄の愛の鞭から、ブランシュは逃げる気満々のようだ。ファルマは動揺を覚られないよう、咳払いをする。
「それは楽しみです。あの、兄上はいつ帰るのでしょうか?」
「今日、知らせが来たのよ。今日帰るんですって」
母ベアトリスは機嫌がよかった。母は息子に久しぶりに会えるので嬉しいようだ。パッレは両親にとっては品行方正で従順で、かわいい息子のようだ。ちなみに両親は、パッレがノバルートで浮名を流しまくっているというのは知らない。
「驚かせたかったようだわね」
(そういうサプライズいらないから!)
ファルマは新年で薬局を休んでおいてよかったと、心底そう思った。使用人にファルマの居場所を聞いて、いきなり薬局に押しかけてきたりされかねない。
ファルマとブランシュは朝食後、暖炉の周囲に集まって落ち着かなかった。
ロッテは服を着こんで、テラスで庭のスケッチをしている。雪景色をモチーフにした、よいデザインが思い浮かんだのだそうだ。
「今日は雪だから、大丈夫かな。大きい兄上特訓だなんて言い出さないよね」
ブランシュは淡い期待を擁いた。
「前は大雨でもしばかれたよ。嵐が来た日もな」
ファルマは兄との対決を忘れない。兄は半年に一度帰省するので、あの後も何度か帰ってくるたびにファルマは対決を持ち掛けられた。とはいえ薬神杖の前に結局パッレは一度も勝つことはできなかったのだが、それでも1時間~2時間は本気の戦闘を挑まれる。
何が面倒だといって、戦闘行為そのものではない。戦闘そのものはよい運動になっていいのだが、しぶといパッレはKOするまで諦めないので、兄弟対決が終わったあとのドロドロになったパッレの治療が大変なのだ。
(今回は開始直後、ワンパンで意識飛ばしてやろうかな)
などと物騒なことを考えはじめたファルマである。それが負傷を最小限に抑えられるような気がしてきた。そして、ファルマがいつも偶然を味方につけて勝っていると信じているので、パッレは兄弟対決をやめようとしない。
午後、従者を引き連れ帰ってきた兄を、家族と使用人総出で玄関で出迎える。
「ただいま帰りました」
パッレはまた一回り大きくなっていた。ブリュノもそうだが、高身長の家系のようだ。また一段と逞しくなっている。
「よく帰ったな、我が息子よ」
ブリュノも息子の成長ぶりに目を細める。
「お久しぶりです。早速ですが、父上に報告があります」
勿体ぶって、パッレが言う。
「ノバルートを首席で卒業し、一級薬師の試験に合格しました」
パッレは鞄の中から卒業証書と、小さな箱に入った一級薬師のバッヂを両親に誇らしげに見せた。全寮制のノバルート医薬大で過酷な勉学と神術訓練の日々を過ごした彼の何年間かの努力の集大成だ。
「さすが私の息子だ」
「まあ、よく頑張ったわね。立派になって」
ブリュノとベアトリスは心から兄の栄誉を喜ぶ。パッレは嬉しそうだった。素直な兄である。
「お前たちにも見せてやろう。どうだ、羨ましいだろう」
鼻高々にファルマとブランシュに見せてくれるので、ファルマは「これが一級薬師のバッヂかーすごいなー」と褒める。同じ一級薬師であるエレンの襟元についているバッヂは帝国薬学校の印章の入ったバッヂで、ノバルート医薬大のロゴの入ったバッヂと若干形状は異なり、格式はパッレの方が高い。ちなみに宮廷薬師となれば王冠型なので、出身校は問われない。
「卒業をしたら、どうするつもりだ。留学するのか」
ブリュノがパッレに今後の進路を問う。嫡男であるパッレはゆくゆく、宮廷薬師であろうがなかろうが、尊爵位を授かろうが授かるまいが、ド・メディシス家を継ぐことになっている。なので、いずれは帝都に戻ってくるのだろうが、一級薬師としての修行や留学に出るといってもそれはそれで珍しくない。
「はい、屋敷に戻って研鑽を積み、父上の助手を務めながら宮廷薬師を目指します」
パッレは決然として告げた。
(げー! 兄が戻ってくるのか!)
ファルマは白目になった。同じく、ブランシュもである。
「これからは毎日朝練だぞ、兄に相手をしてもらえて嬉しいだろう。ファルマ!」
(出た-やる気満々だ!)
スパルタ兄の相手を務めなければならないようである。ファルマも神術の腕が鈍らないよう、神術の訓練をおろそかにしたことはないが、毎朝兄と、となるとかなりの時間的な負担だ。
それを聞いていたブランシュがさっとファルマとパッレの間に割って入った。
「んーとねー大きい兄上ー。小さい兄上はねー」
「なんだ?」
パッレが怪訝な顔をする。
(ちょ、何言うんだやめろブランシュ)
ファルマはパッレが戻ってくる前、ブランシュにファルマの近況を絶対に兄に報告しないように、と念押しをしておいた。だが、子供との約束である、反故にされたとしても責めることはできない。
「とっても忙しいから、邪魔しちゃだめなのー」
にこっと天使の微笑みを向けるブランシュに、兄も骨抜きにされる。
「仕方がない、ではお前から先に鍛えてやるか。ぴーぴー泣いても知らんぞ」
「ひどくしたらやなのー。優しくしてほしいのー」
目を潤ませて懇願するブランシュの頭を、兄はわしわしと撫でた。
ひとまず、ファルマ自身の毎朝の特訓は回避できそうだが、
(骨は拾うからな、頑張ってくれブランシュ)
ファルマはブランシュに感謝するとともに、彼女の無事を祈った。
とはいえその日の午後、大雪の降りしきる中、兄弟対決を持ち掛けられてしまって、ファルマは結局雪の中を3時間、兄に付き合うことになった。
それから数日の間、兄はファルマとブランシュ、そしてロッテを引き連れ帝都の遊び場を遊びつくした。脳筋と熱血漢なことを除けば、彼は弟妹思いの、面倒見のよい兄だ。女帝のはからいで帝都に公衆浴場ができたと聞いて、兄は喜んで入浴し、終始テンションが上がりっぱなしだったようだ。雪合戦、そり遊び、冬山登山なども遊びつくした。
そうして遊び倒したあと、パッレは卒業の手続きや引っ越しの準備のために大学へ戻っていった。
「はー、もうしばらく帰ってこなくていいよ兄」
パッレの目をかいくぐるように、ファルマは異世界薬局の新年の仕事始め式を行い、新年の営業を始めた。いつもの常連たちが、開店前の門の前に押し寄せている。
「新年おめでとうファルマ君」
エレンはたくさんの手土産を提げて出勤だ。
薬局のカウンターの上に顎を載せているファルマと、突っ伏しているロッテとブランシュを見て、
「どうしたの三人とも、新年早々ぐったりして」
「遊び過ぎて」
「珍しいわねファルマ君が遊びすぎ、だなんて」
「エレオノール様、美味しそうなにおいがします!」
すんすん、と死体化したロッテの鼻がひくひく動いた。
「あら、匂う? ロッテちゃんたら。ズイースを満喫してきたわー」
エレンは休暇の間、エレンの父の領地「ズイース伯爵領」に行ってきたようだ。珍しいチーズやお菓子をファルマとロッテ、そしてセドリック、薬局職員に配った。エレンの父の領地はスイスのような山間の領地で、放牧と観光によって領民は生計をたてている。
「おいしいです! つーんとした濃厚なにおいがまた」
ロッテは我慢できずにチーズを頬張ってしまった。
「あっ、歯磨きしてきます」
開店前にチーズを食べてしまって、接客時のにおいを気にしてロッテは歯磨きに行った。エチケット習慣が身についてきたようである。
「へえ、あいつが帰ってきていたの。ノバ大卒業したんだ?」
エレンはパッレという名を聞いて、複雑な顔をした。彼らは幼馴染であり、長年のライバルなのだ。尊爵家の嫡男をあいつ呼ばわりできるのも、エレンぐらいのものだろう。ここ数年、顔を合わせてはいなかったが。
「うん、首席で卒業だって。卒業と同時に一級薬師の試験にも受かったみたいだよ」
「へー、やるじゃない。でもこれでやっと私と同格ってわけね」
確かに、エレンのほうが一級薬師になった時期は早い。しかし名門ノバルート医薬学校を卒業して一級薬師になるのと、帝都の薬学校を卒業して一級薬師になるのでは同じ資格でも格が違う。
「ねえ。ファルマ君が宮廷薬師になって、陛下の主治薬師で、帝国勅許の異世界薬局をやっていて、しかも薬神だっていうのはあいつ知っているの?」
「知るわけないよ」
ファルマは何を恐ろしいことを、と左右に首を振った。
「実家に戻ってきたなら、隠すのって無理じゃない?」
「ばれたらどうなると思う?」
「そうね。あいつのことだから、弟に負けるなんてプライドが許さないと思うわ。それよりなにより、弟のほうが出来がいいと、嫡男の立場が危ないのよ。家督のこともあるし、揉めるでしょうね」
「まあ、そう簡単にバレはしないだろう。宮廷薬師になるために家で勉強したり、父の診療について回るって言ってるし」
「それは難しいかもしれませんな」
セドリックが新年になって新調した帳簿に会計のための罫線を引きながら、不穏なことを言う。
「帝都に評判のいい薬局ができたそうだが、それはどこにあるか、と私にお尋ねになりました」
「セドリックさん、何て答えたの?」
ファルマが凍り付く。
「どの薬局も評判がよいので、どこのことでしょう、とお答えしておきましたが」
最近、調剤薬局ギルドに加盟する帝都の薬局は、全て異世界薬局と業務提携している。販売する薬もシェアしているし、業績も患者からの評判も上々だ。
「パッレ様はその、帝都で評判の薬局が販売する新しい薬のことが気になっておられるようです」
「嘘だろ……」
「そろそろ開店の時間ですね」
セドリックは窓の外を覗く。そして、あっ、と言ったきり絶句していた。
「何? どうしたの?」
エレンがセドリックに尋ねる。
「パッレ様が行列に並んでおられます」
「げっ、大学に戻ったんじゃなかったのかよ、兄!」
「薬局に寄ってから、あちらに戻られるのでしょうな」
セドリックが彼の行動を読む。
ファルマは魂が抜けそうになった。
このときファルマの頭上に、『揉めそう』という副音声が吹き出しで見えたとエレンは後に語るのだった。