少し曇り気味の空模様。

それでも、相変わらずカリストの町は外を歩くだけで気持ちがいい。

活気のある大通りを通り、露店を通り過ぎて宿屋や酒場が並ぶ通りへと進む。

俺の少し先を歩き道を先導するクロの長い黒髪が左右に揺れる。

キャスパーについて何かが分かるかもしれない‥‥‥。

その期待を胸に、俺はただ黙ってクロの後をついていく。

「ここのはずなんだが」

そう言ってクロはある建物の前で立ち止まると、頭に手を当て不思議そうに眉を潜める。

クロに連れられてきたその場所は、殺風景な宿屋だった。

軒先につるされた看板にはホコリが溜まり、入り口前の道には砂が積もっている。

どう考えても、営業などしていそうにない閑散とした光景。

建物の作り自体も大分古いようで、ところどころ改修して使い続けた痕跡がある。

「ここで合ってるのか? えらく寂れた宿屋だが‥‥‥つーかやってないだろここ」

「リエラとかいう女が死んでから誰かが引き継いでいるものと思っていたんだが‥‥‥」

「引き継いだ結果、経営不振にでもなったか?」

そう言ってはみたものの、立地としてはかなり好条件の場所で、人通りも申し分ない。

大通りの割と近くで、人が集まる酒場も近い。

パッと見高級な宿にも見えないし、船乗りや旅人、商人なんかで賑わっていそうなものだが。

とても経営不振でつぶれたとは思えない。

――と、その時、宿のドアがカランと開く。

「あっ」

「‥‥‥ギル君!? と、クローディアさん‥‥‥!?」

中から出てきたのは、スピカさんだった。

その後ろには2人ほど騎士を引き連れていた。

「スピカさん‥‥‥! なんでここに!?」

「それはこちらのセリフなのだけれど‥‥‥」

驚いた表情でスピカさんは俺たちの顔を交互に見る。

すると何を思ったのかあっ、と声を漏らす。

「もしかして‥‥‥リザさんから聞いてきた‥‥‥? 確かに口外禁止とは言ってないけれど普通わかるでしょまったく‥‥‥」

リザさん?

なんでリザさんが出てくるんだ?

ということは何かの調査‥‥‥ということか。

――とその時、俺はリザさんが家に来た時のことを思い出す。

確か言ってたな‥‥‥スピカさんが失踪事件の調査も平行してしているって。

「失踪事件‥‥‥ですか?」

するとスピカさんは観念したように深いため息を漏らす。

「あぁもう、やっぱり言ってたのね。‥‥‥まあ元はゾディアック管轄の仕事じゃなかったから別に口外禁止ではないのだけれど‥‥‥余計な事言ってくれたわねあの子。後で説教だわ」

スピカさんの後ろに広がる宿屋の中は薄暗く、完全に廃墟のような状態になっていた。

「――で、結局あなた達は何しに来たのかしら? また首を突っ込みに来たの?」

「いやいや、心外だなあスピカさん」

そう言ってクロが前に出る。

「実は私達もリエラさんという人に用があってね。結構前にお世話になったから久しぶりに挨拶に伺ったのさ。ただ失踪事件‥‥‥まさかリエラさんの宿屋と同じだったとは衝撃だよ」

するとスピカさんは渋い顔をし、少し俯く。

「リエラ‥‥‥リエラ・レイモンドさんね。彼女はその‥‥‥とても言い辛いのだけれど、10年前に既に亡くなっているわ」

「そんな‥‥‥!」

クロは大げさにショックを受けた仕草をし、口を押える。

おお怖い‥‥‥。吸血鬼は怖い生き物だ‥‥‥。

「じゃあその、失踪事件と言うのは?」

「あぁっと‥‥‥まあ元は公表されてたただの失踪事件だし概要くらいはいいかしらね。――実は数か月前、ここの店主だった女性、レナ・レイモンドさんが突然失踪したのよ」

「突然‥‥‥?」

スピカさんは頷く。

「それからずっとここは休業状態なのだけれど、調査を進めていた騎士達がいろいろ妙な話を聞いていてね」

「なんですか?」

「レナさんが失踪する直前に接触してきたローブを着た人達が居たらしいのよ。それに、従業員の1人がレナさんが"アビス"という単語を口にしていたのを聞いていたらしいの。それで、管轄が私達ゾディアックに移ったって訳」

「‥‥‥ということは、失踪だと思っていたものが、"アビス"による誘拐の線が出てきたと?」

スピカさんは静かに頷く。

「ま、あくまで可能性での話だけれどね。私は最初それを調査しにカリストに来ていたのよ。それで、その後に吸血鬼事件の話を聞いて――って後は知っての通りね」

するとクロが口を挟む。

「ということは、リエラさんはレナ・レイモンドの親にあたるということか?」

「いいえ、リエラさんはレナさんの祖母よ。リエラさんの息子さんが2代目で、それをレナさんが引き継いでいたみたいね。‥‥‥知り合いだったとはね。心中お察しするわ」

「いいや、いいんだ。知れてすっきりしたよありがとう」

俺とクロは顔を見合わせる。

これで決まりだ‥‥‥!

キャスパーが好きだった女性、リエラ・レイモンド。

そして、キャスパーがディアナさんを殺した時期とほぼ同時期に"アビス"に誘拐された可能性のあるリエラさんの孫娘レナ・レイモンド。

果たしてキャスパーが唯一心を許したリエラさん、その孫という立場の人間にどれほど執着があるのかは未知数だが、少なくとも無関係ではなさそうだ。

つまり、キャスパーが吸血鬼を殺せと命令されそれに従っている裏にはこの宿屋の店主だったレナさんが関わっている‥‥‥!

「一応当事者であるあなた達だから話したけれど、これ以上の捜査状況は流石に言えないわよ。失踪事件について気になってきた訳じゃないんだろうけれど、あまり嗅ぎ回らないことね」

「わかってますよ。ありがとうございました、スピカさん」

「わ、わかればいいのだけど‥‥‥」

やけにすんなりと引く俺たちに拍子抜けしたのか、スピカさんが少し驚いた顔をする。

「さて、クロ。一旦家に帰ろうか」

「そうだね。いろいろと考えないといけないからね、今後について」

そうして俺たちはその宿を後にした。

◇ ◇ ◇

俺たちは家に帰ると、知り得た情報をまとめる。

宿屋を営んで誘拐か失踪したレナ・レイモンド。

キャスパーの恋の相手は10年前に死んだそのレナの祖母、リエラ。

何かが、今はっきりとわかった気がした。

キャスパーの言っていた意味、そしてキャスパーがクロも同じだといった意味が。

すべては繋がっていたのか‥‥‥。

キャスパーが唯一心を許したリエラという女性から続く呪いの様な枷。

その繋がりが今キャスパーを縛り付けている。

すべては吸血鬼をも脅迫し支配下に置こうとしている"アビス"の底知れなさだ。

どこで知ったのか、彼らはキャスパーとレナさんの繋がりを利用した訳だ。

「キャスパーと繋がりのあるリエラ・レイモンド‥‥‥。その孫、レナ・レイモンド。その人は"アビス"の連中に攫われた可能性がある――と」

「――つまり、キャスパーはそのレナという人質のせいで、奴らの言うことを聞かされているって訳だ」

俺は頷く。

「そう考えるのが自然だな。確定では無いだろうが」

クロは渋い顔をして眉間に皺を寄せる。

「私も他人事ではない、なんて奴が言っていた意味がなんとなく理解できたよ‥‥‥人間なんかを好きになったばかりに、ここまで来てその繋がりが自分の首を絞めて同胞殺しを強要されているのか」

さて、どうしたものか。

キャスパーの動機は何となくはわかった。

気が触れた訳ではないらしい。

‥‥‥じゃあどうするか?

クロは腰に手を当て、大きく息を吸う。

「‥‥‥ふぅ。すっきりした気分だよ、ギル」

クロは天井を見つめ、そうポツリと呟く。

「――どうするつもりだ? どの道キャスパーをどうにかしないことには恐らくレナさんは救い出せないぜ?」

するとクロはいたって普通の顔で答える。

「もちろん、キャスパーは殺すさ。その後で、攫われたレナとかいう娘は助け出してやることにしようじゃないか。どうせ君が気になるのはそこだろう?」

吸血鬼は非情だ。仲間に対しても。

感情に流されることは無い。

「まあな‥‥‥覚悟はできたって訳か」

「それは元からあったさ。同胞殺しはいかなる理由があれ極刑だ。それは覆らない。殺す前にわかってよかったよ」

「わかってるよ。それに悪いが、"アビス"が関わってる以上俺も一緒に戦わせてもらうぜ。クロの敗北は人間の脅威になりかねねえからな」

「はっ、それは頼もしいねえ。キャスパーを筆頭に全員ぶち殺すぞ。吸血鬼を舐めたツケを払わせてやる」