ロープを枝に掛け、ストライクボアを枝に吊り下げる。

子供の腕力で数百キロはあろうかという猪を吊り上げるのは不可能なので、滑車の原理や石の重りなんかを使って、なんとか吊り上げる事に成功した。

そして後ろ脚の動脈を切り裂き、そして首筋の動脈も切って血抜きをする。

その間ミシェルちゃんは周囲を警戒していた。抜いた血の臭いを、別の獣が嗅ぎつけてくる可能性があるからだ。

血抜きが一段落すると、俺は皮を剥ぎ取り、腹を裂いて内臓を処理した。

食べられる部位と食べられない部位を取り分け、残った部分は穴を掘って埋める。

残った大量の肉は木の枝を切り落として簡易の橇(そり)を作って村まで運ぶのだ。

そこまでの準備を整えた所で、俺達に声をかけてきた者がいる。

「はい、そこまで。戦闘は合格ね。その後の処理も、ちょっと時間がかかったけど問題なし。というかニコルは凄く手慣れてるわね?」

「そりゃ、がんばったもの」

実のところ、前世の経験があるから手慣れているだけで、ここは流れ作業でこなせるくらい繰り返している。

ただ筋力が無いため、皮を切り剥がす作業や、吊るす行為に手間取ってしまった。

これまでの戦闘は、いわば卒業試験である。

二人一組になって、ストライクボア程度のモンスターを狩り、食料や有用な素材を手に入れる。その工程をチェックされていたのだ。

「結果はどう?」

「そーねぇ。ミシェルちゃんはどうして首筋ばかり狙ってたの?」

確かに、射撃のギフトを持つ彼女ならば、頭部を狙う事も可能だったかもしれない。

だが彼女は胴体でも頭部でもなく、首筋を重点的に狙っていた。

「それは頭だと骨に弾き返されるかもしれないし、胴体だと有効打にならないかも知れないから」

「確かに頭だと跳ね返された可能性はあるけど、胴体なら問題なかったと思うけど」

胴体に矢が刺さると、その痛みに動きが阻害される可能性もある。

重要器官に直撃すれば、それだけで致命傷にすらなり得るのだ。動きを阻害すれば俺の回避も楽になったはず。そうマリアは言いたいのだろう。

「首の方が致命傷になる可能性が高いと思って……」

「そう、悪くないけど少し欲張ったわね。ストライクボアの首周りは頑強なのよ。よく考えてみて、あの突撃を支えてる首なのよ?」

「――あ、そっか」

数百キロの巨体で突撃する事を得意とする猪。その威力を支える首が華奢なはずはない。

むしろ他の部位よりも筋肉が集まっているとも言えた。

「じゃあ……わたしはしっかく?」

「そういう訳じゃないわ。もちろん合格! だってきちんとストライクボアを狩れたじゃない。これはむしろ、今後はこうした方がいいっていう忠告ね」

「ほんと! よかったぁ」

次にマリアは俺の方に向き直る。

「次にニコルだけど……自分の攻撃力を甘く見て強化付与(エンチャント)を掛けなかったのは失敗だったわね」

「うぐ」

そうだ。あの時俺の気配はストライクボアに捉えられてはいなかった。

つまりもう一度魔法を発動させ、自分にもエンチャントをしておけば、俺の攻撃も有効なダメージを与える事ができたはずなのである。

だが獲物を前にして、俺も気が昂っていたのだ。

早く戦いたいという欲求に負けて、自分への補助魔法を怠ってしまったのだ。

「ニコルのダメージも有効なら、戦闘はもっと早く済んでいたわ。それはミシェルちゃんの負担にもなっていたはずよ」

「うん」

「今後は気を付けてね。戦闘時間は短ければ短いほどいいのだから。もっともコルティナなら、戦う以前の方法を取っていたかもしれないけど……」

最後にポソリとかつての仲間の戦い方を回顧するマリア。

確かに彼女なら、攻撃経路を想定して罠を仕掛け、姿を現して敵を釣り出し、毒で仕留めるくらいの事はやりそうだ。

「今後は気を付ける」

「うん。でもここまで要求するのはさすがに無茶だったかもね。あなた達ってば優秀過ぎて、まだ七歳だって忘れちゃうんだもの」

「えへん」

俺とミシェルちゃんは二人並んで胸を張って見せた。

もっとも俺の場合、少々ズルをしている訳だが。

「それじゃ帰りましょう。お肉はミシェルちゃんちと半分こね」

「やったぁ!」

「やったぁって、これはミシェルちゃんが狩ったんだよ? 半分でも少ないくらい」

「えー? でもニコルちゃんがいなかったら狩れなかったよ。わたしじゃ、攻撃よけられないもの」

「でもわたしだけじゃ、倒せないし」

「だから半分こなのよ。こういう所では遠慮しちゃダメよ。かと言って過剰に要求するのもダメ」

「はぁい」

そう注意だけして、橇のロープを掴む。そのままマリアは軽々と引っ張っていった。

彼女も高位の冒険者である。いくら華奢とは言え、最低限は鍛えていて、その身体能力は一般人を超えるのだ。

まるで深窓の令嬢のようなマリアが、肉塊を積んだ橇を軽々と運んでいく様を見て、俺達は目を見合わせて言葉を失ったのである。

なんというか、母の逞しさを見せつけられた気分だ。

その日の夕食は、猪肉てんこ盛りの豪華な物だった。

その肉を俺達が狩ってきたと聞いて、ライエルは誇らしいような悲しいような顔をして見せたものだ。

俺達がストライクボアを倒したという事は、学院へ向かってもおかしくない力量を持ったという証明である。

それは同時に、ライエル達両親との別れの時期が近付いているという証拠でもある。

食後に家族で暖炉の前で寛ぎながら、俺は編み物を始めていた。

春先に近いこの季節に、毛糸でちまちまとマフラーを編んでいる。

これは俺が女性的な面に目覚めたという訳でなく、隠したままのギフト、操糸の訓練の一環である。

まぁ、編み終わった物はそのまま両親にポイしている訳だが。

「ニコル、さすがにこの季節にマフラーはきついんじゃないかな?」

「いいの」

「ママはもう少し涼しい服が欲しいかなぁ?」

「じゃあ、サマーカーディガンを編むね」

「あら嬉しい」

「パパは?」

「セーター」

俺の無慈悲な宣告を受け、ライエルは心底悲しそうな顔をした。

溺愛する愛娘の贈り物となれば、着ない訳にはいかないのだ。たとえ暑い季節にセーターでも。それが勇者たる彼のポリシーである。

まぁ、これから何年も離れて過ごす事になるのだ。ちょっとしたプレゼントくらい残していってもいいじゃないか。

もっともマクスウェルの魔法があれば、年に数回は帰省できる訳だが。

俺の言葉にハァと溜息を吐いたライエルは、そのままソファから立ち上がって部屋へと戻っていった。

「もう。ニコルってば、パパに意地悪し過ぎよ?」

「うぅん……」

俺としては奴はあくまでライバルなのだ。娘として甘えるなど、ご免被りたい所である。

その矛盾した距離感が最近難しいと感じる。

しばらくして、ライエルは一振りの剣を持って戻ってきた。

いや、それは剣と言うにはあまりにも細く、そして反りがあった。いわゆるカタナと呼ばれる剣の一種だ。

「ニコル。この剣ならお前でも扱えるだろう? 本当はもう少し後で渡したかったんだが、まぁ、ストライクボアを狩れるようになったのなら、問題ないだろう」

「え?」

「いつも服とかマフラーを編んでくれるからな。これはパパからのプレゼントだよ」

手に取ってみて分かる。これはかなりの業物だ。

スラリと引き抜いてみると、曇り一つない刃がランプの鈍い光を妖しく跳ね返す。

「魔法の剣と言う訳じゃないが、頑丈さは折り紙付きだ。だけど、このタイプの剣は手入れを怠るとすぐに鈍るからな?」

「あ、ありがとう」

「いいかい、ニコル。君の身体的適性は残念ながら前衛向きじゃない。できるならそれを振るうのは最後の手段にしてほしい」

「うん、わかった」

そうは言っても、俺はその忠告を聞くつもりはない。

俺はあくまで魔法剣士を目指しているのだ。今度こそ、恐れられる暗殺者ではなく、憧れられる勇者になるのだ。

その意志だけは、今も変わらなかった。

それからいくつかの試験を受け、俺達はついにラウムに向かって旅立つ日がやってきたのである。