126話(マオの期待)

時間は少し遡る。

ヴァイトがクラウヘンで廃坑を調べていた頃、マオは宿でカイトとにらみ合っていた。

「おい、お前の手下が見あたらないが、どこで何をさせてるんだ?」

元老院の調査官カイトが、胡散臭そうな目で私を見ていた。

特に隠す必要がないときは、誰にでも正直に。

それが私のルールだ。

「うちの商会の者は、あなたたちと入れ替わりに南に向かわせました。ここはもう安全ではありませんし、私には部下を守る力がありません」

あの人狼の司令官が来た以上、一波乱起きるに決まっている。

するとカイトが不思議そうな顔をした。

「避難させたってことか? 意外だな」

「何が意外なんですか」

「いや、お前のことだから、手下を見捨てるぐらいは平気でやりそうだなと……」

失敬な。

「そういうのは一番嫌いなんですよ、私は」

「本当に意外だ……」

ますます失敬な。

味方の、それも元老院の官吏に誤解されたままというのも不都合なので、少し説明しておくとしよう。

「私も駆け出しの青二才の頃、使い捨てにされましてね」

「お前が?」

そこで怪しまないで欲しい。

私だって、最初から悪辣な商人だった訳ではない。

「……私の名前、変だと思いませんでしたか?」

「ん? ああ、リューンハイトじゃ見かけない名前だな。生まれはシャルディールの辺りか?」

私は思わず苦笑する。

「いいえ、ミラルディアの出身ではないですよ。異国の者です。風紋砂漠のずっと東にある国にいました」

するとカイトのまなざしが、調査官のそれに変わった。

「何かやらかして、ここまで逃げてきたのか」

「ええまあ。知らないうちに、禁薬の密輸の片棒を担がされていましてね。捕まれば死罪でしたから、逃げ続けてリューンハイトに落ち着きました」

あれ以来、私は商品の管理には細心の注意を払うようになった。

塩の壷に入っている白い粉が、いつも塩とは限らない。例えそれが、雇い主の手配したものであっても。

貴重な教訓だ。

授業料はいささか割高だったが。

「私を雇っていた豪商は、禁薬の密輸で莫大な財を築いていたんですよ。表向きは庶民の味方、商売の神様なんて崇められてね。私なんかは使い捨てです」

「使い捨て……か」

カイトのつぶやきは、ひどく重かった。

彼も似たような境遇だと聞く。元老院の腐敗ぶりを考えれば、確かに彼のような者は疎まれるだろう。

「だから私は、自分の部下は絶対に使い捨てないことにしているんですよ。今回のように本当に危ない仕事は、私が自分でやります」

「悪徳商人のくせに、なんでそんなにこだわるんだ?」

「悪徳商人には、悪徳商人なりの意地があるんですよ」

そう、これだけは譲れない。

ここを譲ってしまえば、私は私が憎んでいる連中と同じ悪党に成り下がってしまう。

カイトは感心したようにうなずいて、こうも言ってきた。

「だったら賄賂も使わずに、正々堂々商売すりゃいいのに」

私は溜息をつく。

「だからあなたは、甘っちょろい世間知らずなんですよ」

「なんだよ、せっかく少し見直してやったのに」

「話になりませんね」

やはり私の取引相手は、あの人狼の司令官ぐらいがちょうどいい。

彼は強大な武力と権力を持ち、慎重さと大胆さを併せ持っているが、同時にひどくお人好しでもある。

あのバランスは、なかなかに絶妙だ。

「ふふ……」

「おい、今度は急に笑い出してどうした?」

「何でもありませんよ。さて、そろそろ出立の用意をしましょうか」

私が荷物をまとめ始めると、カイトが首を傾げた。

「まだヴァイトさんたちが戻ってきてないぞ?」

まったく何もわかっていない。

私はもう一度溜息をついた。

「あの人が来た以上、穏便に済むはずがないでしょう。そんなのんきな気分でいたら生き延びられませんよ」

「そ、そうかな」

「そうですよ」

あの人狼は無茶苦茶だ。

元老院だろうが太守だろうが勇者だろうが、そんなものお構いなしに何もかも蹴散らしてしまう。

商売をする身としてはひどく迷惑なのだが、彼の無茶をもっと見たいと思う気持ちが抑えきれない。

「彼はリューンハイトの黒狼卿、魔王陛下の代理人ですからね。全く、困ったものです」

「だからお前、なんでニヤニヤしてるんだよ」

「してませんよ。ほら、そんな格好だと凍死しますよ? 岩兎のコートを用意しましたから着てください。暖かいですし、闇に紛れるはずです」

「あ、ああ。悪いな」

貴族も愛用する上質な毛皮のコートを手にしたカイトに、私は少し意地悪をしたくなる。

「銀貨百七十枚です」

「ひゃっ、百七十!? てか、金取るのかよ! 仲間だろ!?」

「クソ官吏と仲間になった覚えはありませんが、仲間になってくれるのなら無償で差し上げましょう」

「なんだよてめえは!」

さて、彼がどんな無茶苦茶をしてくれるのか、今から楽しみだ。