「ストゥル地方がスヴェラストリよりも北方にあるのはご存知ですよね。そこで作られているアイスティーに向いた茶葉と、それに合うカヌレを作ってもらって持ってきました。……ちなみにロシアンというのは古い言葉で〝博打〟という意味です」

無論ロシアンは前世のロシアンであるので後半は適当だ。ひとつカヌレを取るよう促すと、アベルさんは首を傾げながらも従った。そして一口ぱくりと食べ、一拍置いてから……お手本のように電流が走った顔をした。

「あ、一発で当たっちゃいました? この中の一つはユレーナ特製シビレガラシ入りカヌレだったんですけど……」

「っ、だから毒を盛るなと……っ」

「毒じゃないですよ、シビレガラシです」

もはや言い返す余裕もないらしいアベルさんは、アイスティーを取るとぐっと飲み干し、それから溜息を吐いて壁際の椅子にどさりと座った。

「きみは私をどうしたいんだ……」

「からかいたい、ですかね……」

キリッと神妙な顔をしてそう答えると、深い溜息を吐かれた。

そんなやりとりにくすくす笑いつつ、椅子の前のミニテーブルに籠の中身を広げる。このテーブルや椅子も私が持ち込んだもので、最近ではアベルさんも普通に使っていた。

ちなみにシビレガラシは唐辛子のようなもので、意図して入れたものだ。

最近のユレーナはコニーの熱血指導により、致命的な調理ミスはしなくなってきている。しかしどういう訳か「見た目は普通の料理なのに中身が私クオリティだったら、いざという時に油断を誘う武器として使えるのでは……」という暗殺者のような発想に至り、料理修行だけでなくいろいろなネタ仕込みにもハマっているらしい。

見た目は完全に普通のカヌレなので私がひっかかる可能性もあったのだが、それを初手で引くところが流石の不運属性・アベルさんである。更にいえば、そんな公平性が分かっているのでそれ以上は怒らない所もアベルさんらしい。ちょっと優しすぎである。

ロシアンなカヌレは最初の一つだけだと告げると、安心した様に摘まんで口に入れていく。どうやら動いておなかが減っていたらしい。

「いつ見ても、アベル様の剣の動きは綺麗ですね」

思ったままを言うと、お茶を一口飲んだアベルさんはぽつりと喋った。

「私に剣の才はない」

これはそのままだと会話に発展しない返答だが、最近聞いた話を鑑みれば意図は伝わってくる。

というのも。アベルさんの面倒を見ているのは主にダヴィド校長かその直属の使用人な訳だが、それは生活面だけではなく勉強や武術、魔術の面でも同じであるらしいのだ。

アベルさんは今年で二十歳になるため、今では授業らしい授業は無くなったそうだが、十五歳を過ぎるまでダヴィド校長の個人授業(しごき)はなかなかのものだったらしい。

オルテンシア様の事はなんらかの原因であまり好きではないようなのだが、世話係に当たるダヴィド校長については、流石に嫌いではないらしかった。

……まぁつまり、今のは「私の才能ではなく、師の教えが良かった」と言っているのである。

そのへんを考えれば、私の返答は「ダヴィド先生もアベル様も、凄いです」となる。

しかし今日は、ややアンニュイな日であったらしい。

いつもなら穏やかな無言の時が流れるか、違う話題に移るのだが、アベルさんは目を閉じてぽつりと呟いた。

「何になるという訳でもないんだが……、せっかく教わったものを腐らせるのもな」

独り言めいたその諦めの言葉に対して、何かを言う事はできない。

そんなことありませんよ、いつか役に立ちますだなんて言えるほど状況を軽く見ているわけではないからだ。

色だけで人から恐れられる朱眼のアベルさんが、権力者による隔離と生活の保障なしに今より平穏に生きていくことは難しい。

そして、ここを抜け出して離れた地へ行きましょうと言えるほど、今の私には知恵も能力もなく、逆に捨てられないものは多い。

もっと言えば、タロットのチートを研究し尽くしたりして、アベルさんが外の世界で自由に生きていくなんらかの方法を見出せたとしても、結局本人に外の世界を生き抜いていく意思が無ければ意味がないのだ。

何を言っても、今は空回りになってしまう。

まぁそんな訳で、今の私にできることがあるとすれば、こんなとこだろう。

「役に立つときがきっと来ますよ。ほら、一寸先では何が起こるかなんてわかりませんから」

そう言って取り出したるは「力」のタロットカード。

ここ最近少しずつ検証を重ね、安心して使えるようになったものの一つだ。それの、彩色も施してカード型にした完全版である。

それを見てぎょっとしたアベルさんを尻目に、私はアサメイを抜き放ち呪文で魔力を解放した。

「〝展開(スプレッド)〟」

瞬時にカードは光を放ち、「解釈(リーディング)・正位置(アップライト)」の言葉と共に、私の意思を現実に反映し始めた。

咄嗟に距離を取って身構えるアベルさんににやりと笑って見せる。

このタロットの最も分かりやすい効果は「動物の使役」だ。もっと正確に言うならば、「相手の精神や力を御して手中に収め、制する」ということなのだが、実際の使い道はこうなる。

「かっかれー!」

――その言葉に呼応して、塔の上でくつろいでいた数羽の鳥たちの目がギランと光った。