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慶長7年(1602年)9月10日――

徳川勢の布陣が進む中、黒田如水は、立花家と徳川家の間を取り持つ、九州取次の使者として、久留米城に入った。彼はこの時一つの目的を持って、徳川秀忠との会談に臨むことにしていた。

その会談で如水は、徳川家康の大軍が九州に到着する前に、秀忠をけしかけて、戦を始めてしまうことを企んでいたのだ。なぜなら立花も島津も、徳川家康が率いる大軍が到着してしまえば、到底勝ち目はないことを理解していたからであり、兵力差としては現時点においても不利な状況ではあるが、それでも絶望的な状況とまでは言えない今のうちに、戦の引き金を徳川秀忠が自らの手で引いてくれることを期待していたのである。

そんな決意を胸に、普段からひょうひょうとしている如水にしてみれば、若干固い表情のまま秀忠の待つ部屋へと入ったのだが、そこで待っていた秀忠の表情は、柔らかいものであった。

無論、この時点で城に迎え入れた徳川秀忠は如水の事をもはや味方だという認識は薄い。なぜなら父である徳川家康から、そのように言い含められているからだ。しかし、秀忠は過去に何度も如水と接した事があり、感情の上では敵味方に分かれて対面するという事に、少なからず抵抗があったのだ。

その部屋には秀忠の他に、徳川家の知恵袋で、今は秀忠の目付として秀忠と行動を共にしている本多正信もいる。正信の方は、如水が何か企んでいるに違いないと踏んでおり、如水と同様に表情は固い。

そんな二人をよそに、秀忠はにこやかに如水に話しかけた。

「やあ、黒田殿。九州取次の任務の件、それがしも非常に残念に思っておる。

だが、黒田殿が悪いということではないゆえ、安心いたせ。

これも全て立花宗茂や島津義弘が強情なのが悪いのだ。

次はこの徳川秀忠が降伏を勧めてみるゆえ、黒田殿は久留米城にて高みの見物でもしておるがいい。

この大軍を持って勧告すれば、必ずや立花も島津も折れるに違いあるまい。はははっ」

と、秀忠は、如水が敵方であるという恐れが大きいにも関わらず、あっけらかんとして笑い飛ばしたのだ。

その様子に、傍らの本多正信も黒田如水も、眉をひそめて秀忠をただ見つめている。

しばらく秀忠の乾いた笑いは続いていたが、残りの二人が神妙な面持ちを崩さないところを見て、ようやく場の空気を察したのか、秀忠は急に口を真一文字に結び、正信に「先を進めよ」と目配せで合図を送ると、その視線を受けて、正信はいつも通りのゆったりした口調で、話を切り出した。

「立花と島津は、徳川内府殿が定めた期限に降伏せず、それどころか彼らは大友そして龍造寺の軍勢をも加えて、久留米城を囲うように軍勢を繰り出す始末。

この件、九州取次として黒田如水殿には責任を取ってもらわねばなりますまい。

ついては、今久留米城を囲っている軍勢に即刻兵を退くように、ご催促願いたい。

そして引き続き、立花と島津には降伏するように交渉をお続けくだされ。

周辺の民が稲刈りを終える長月(9月)いっぱいまでは、こちらも兵を進める事はいたさぬゆえ、それまでに無条件で降伏し、当主自ら右大将殿(徳川秀忠のこと)に謝罪するように勧告されるがよい」

穏やかな口調ではあるが、そこには徳川家の重鎮らしい重みがあり、「否」とは言わせぬ気迫が感じられた。

だが、相手も百戦錬磨の黒田如水。口元にはかすかな微笑を携えて、正信の言葉の終わりを待って口を開いた。

「これは、わしにとっては荷が重い任でございますな」

その如水の言葉に、正信の目が光る。如水も目に力を込めて続けた。

「もとを正せば、立花殿も島津殿も、謝罪の使者を徳川内府殿に送っておる。

そして天下人である豊臣秀頼様より、彼らの本領安堵は保証されておるのだ。

その豊臣家の意向をないがしろにして、謝罪の使者を門前払いしたのは、徳川内府殿の方じゃ。

徳川内府殿は、幼い豊臣秀頼様の名代として仕置きを決めるべきところを、その豊臣家の意向を無視するというのは、天下に弓を引いた事も同じ。

むしろ右大将殿の方から立花宗茂殿と島津義弘殿のもとへと赴き、手違いがあった旨を謝罪するのが筋であると、豊臣家の名代の九州取次としては思うのだが、いかがであろうか」

辛辣な如水の言葉は、秀忠を戦場に引きだす為の挑発であることは言うまでもない。もちろん正信はそのことに気付いており、如水に殺気を帯びた鋭い視線を向けている。

だが如水は、正信の厳しい視線を無視して、秀忠の顔をじっと見つめていた。

その秀忠は、先ほどから固い表情はあまり変わっていない。そこからは如水の言葉に対しての感情は全く感じられないことに、如水は多少なりとも焦りを感じていた。

――何を考えておられるのか、さっぱり分からん…

表情に表れずとも、内心は如水の言葉に怒り心頭であれば、次の秀忠から発せられる言葉には、その感情が必ず表れるはずだ。そう思い、如水は秀忠に話を振った。

「徳川右大将殿は、いかがであろうか?」

すると、秀忠は表情と口調ともに平静を保ったままに答えた。

「ふむ… 確かに、黒田殿の言うことも一理あると思うぞ。

確かに父上は、幼い豊臣秀頼殿の名代としての役割を担っておる。その豊臣秀頼殿が、『本領安堵』を保証したということであれば、それを受け入れねば名代とは言えぬからな」

「な…なんと…」

思わずそう漏らしたのは本多正信であった。

黒田如水も、秀忠の発言に呆気にとられて、口が開いたままで塞ぐことが出来ない。

「むむっ!?二人ともいかがした?それがしが何か可笑しな事を申したであろうか?」

秀忠は顔をしかめて二人に問いかけると、正信がそれに答えた。

「すなわち右大将殿は、立花と島津に頭を下げても構わない…とおっしゃるのでしょうか?」

「うむ。そんな事で無事に解決するならば、それもよかろう」

「な…何をおっしゃっておられるか、ご自身でもお分かりか!?」

と、正信は思わず語気を強めたが、ますます秀忠は不思議そうな顔をした。

「当たり前だ!本多佐渡は、それがしが呆けているとでも思っているのか!?」

「い、いえ…さような事ではなく…」

と、さすがの正信も、秀忠の言葉にたじたじとなっている。

――右大将殿は一体何を考えておるのか…

と、如水も表にこそ出さないが、内心では混乱のさなかにあった。

そんな如水に対して、秀忠は核心をつく問いかけをしたのだった。

「立花と島津の本領安堵とは、豊臣秀頼様が確かにおっしゃったことであろうな?黒田殿」

真っすぐに如水を見つめる秀忠の視線が、如水の胸に突き刺さった。そこには嫌味や人を騙すような狡猾さは全く感じられない、純粋な視線であったのだ。

「そ、それは当たり前でございます。その証にこちらを…」

と、如水は秀頼の花押が入った、立花と島津の本領を安堵する旨が記された書状を広げた。しかし、秀忠はその書には一瞥もくれずに、真っすぐに如水を見つめている。

――何なのだ…?このお方は…

と、如水はますますその秀忠の態度に混乱するばかりだ。

そんな如水に秀忠はさらに問いかけた。

「それがしは、今年に入って二回ほど豊臣秀頼殿にお会いした。

それはもう、今は亡き太閤殿下の忘れ形見だけあって、聡明さを鏡にうつしたような素晴らしいお人だ。

だが、未だに齢は九つ。

先の大戦の事情を汲み取り、九州での戦乱を知った上で、立花と島津に『本領安堵のお墨付き』を与えたのであろうか?

恥ずかしい事に、人の親となったそれがしですら、立花と島津の仕置きをいかようにするべきか、判断がつきづらいものだ。それをわずか九つの秀頼殿が、あっさりと判断を下されるとは…

それがしにはどうにもそれが不思議でならないのだ。教えてくれ、黒田殿」

その言葉とその視線。そこには駆け引きも何もない。単純に、純粋に、真実を知り、正しい事を成したいという、強い気持ちが感じられた。

今まで、人に取り入り、そして時には騙して、というあまたの駆け引きを経験してきた如水にとって、その真っすぐな秀忠の問いかけに言葉がつまってしまった。

それは正信も同じようで、秀忠のことを見つめる目の色が先ほどまでとは大きく違っている。

そして、回答に困っている如水に対して、秀忠は言った。

「確かに父上の行いは、無礼ともとらえられかねないものであろう。それを責めるのであれば、それがしが徳川を代表して頭を下げても構わぬ。

だが、幼き秀頼殿をたぶらかし、自分たちに有利な条件を持って謝罪にきたというのであれば、話は別であると思う。

それがしであれば、もしかしたらその使者を手討ちにしていたかもしれぬ。なぜなら秀頼殿がまだ何も分からぬ純真なお方であることを悪用して、その書状に花押を書かせたとするならば、それこそ反逆者以外の何ものでもないではないか、と怒りを覚えるからだ。

しかし父上は、手討ちにするどころか、その罪すら不問として国に帰したのだから、むしろ寛大な沙汰で、さすがは父上であると、それがしは感心しておるほどだ。

どうであろう?黒田殿。秀頼殿は未だ天下の仕置きの判断のつかぬ為、立花と島津の仕置きの事は、父上に一任してはいかがであろうか。

かように寛大な父上のことである。立花と島津が仕置きの事に口を出さずに謝罪の使者をよこせば、彼らの命を奪うことまではしないと思われるのだが…」

理路整然として、至極まっとうなその物言いに、如水は言葉を失った。そこには悪意など全く感じられず、徳川家康が九州の仕置きを行う大義に飾りも見られない。それは、如水が今まで接したあらゆる言葉よりも、反論の隙がないものであり、如水はまさにぐうの音も出ない状態だったのだ。

如水は唇を噛んで言葉を出せない。そんな如水に対して、秀忠は続けた。

「父上は、黒田殿の事を、『秀頼殿を盾にとり、徳川に弓を引くつもりである』とおっしゃっていた。

だが、それがしにはどうにもそうは思えないのだ。

そこで黒田殿に願いがある。

長月いっぱいまでは、本多佐渡も申した通り、民の稲刈りと避難の為に、戦は控えようと立花と島津らに伝えて欲しい。

それまでに思いなおして、謝罪をしに来たならば、こたびの出陣の事はこの右大将が不問とすることを保証いたそう。

だが、長月が終われば、残念だが柳川城に兵を進めねばならぬ。

そうなれば、兵たちの被害は甚大なものになろう。そしていかに立花と島津が戦上手であろうとも、大義がない軍に勝ち目などないはず。

兵たちの事を考えて、よく考えて行動して欲しいと、お伝えいただきたい」

と言うと、秀忠は如水に対して軽く頭を下げたのであった…

………

……

秀忠との会談を終えて、久留米城を出た如水は、未だに混乱の中にある。彼はなおも唇を強く噛みしめながら、その胸の内を鎮めるのに必死であった。

――何者なのじゃ…あの方は…

と、徳川秀忠という人間に、畏怖すら感じている事に、身震いを覚える。

何がなんだか分からぬうちに終わってしまったその会談において、明確なことは、如水が交渉の場において、何も出来なかったという事実だ。

しかし不思議な事に、如水は醜い屈辱的な感情を抱くことはなかった。

――面白くないのう…

と、彼は心のうちで愚痴をこぼす。

その「面白くない」という如水の感情は、自分の交渉が不出来であったことに対するものなのか、それとも飾り気もなく、駆け引きなど全く通じる事がない徳川秀忠という人間に対するものなのか、それは自分でも判断がつかないものであった。

◇◇

徳川秀忠が久留米城に到着したその頃、九州から遠く離れた伏見には、江戸から大軍を率いた徳川家康が、とうとうその姿を現した。

白い陣羽織に身を包んだ家康は、栗毛の名馬にまたがり、まさに威風堂々と街中を進んでいく。

その様子は神々しさすら感じるもので、自然と人々は道の端に寄り、頭を深々と下げて家康の進む道を開けた。家康はその様子に気を緩めることもなく、相変わらずの仏頂面のまま、その行く先である伏見城を目指していた。

無論、このままゆっくりと西へと軍を進めていくことになっているが、大方の予想とは異なり、家康は他の東国の大名たちを巻き込んで引きつれてくることなく、言わば単身で伏見に入ったのだ。

もちろんこのまま単身で九州に進軍していく可能性は低く、出雲の堀尾忠氏、周防・長門の毛利秀就、土佐の山内一豊や讃岐高松の生駒一正といった西国の大名たちの加勢と合わせていくのではないかと目されていたのである。

家康が伏見城に入るやいなや、その出陣を祝い、多くの堺や京の商人や有力者たちが彼のもとに訪れ謁見を望んだ。しかし、大軍を率いて遠路をやってきた疲れもあり、家康は彼らの対応を、傍らの本多正純に全て任せて、自身は京の二条の屋敷の一室に、姿をくらましたのであった。

………

……

「もう全員帰ったか?」

甲冑を脱いだ徳川家康は脇息にもたれかかるようにして、不機嫌そうに問いかけた。その相手は無論、本多正純であり、伏見城で謁見を希望してきた人々への対応を終えて、家康のいる部屋へと、その報告をしにきたのであった。

「はい、みなもうお帰りになられました。こちらが殿への謁見を望む人々になります」

と、正純は分厚い名簿を、どさりと家康の目の前に置いた。その重みからして、相当な人数がそれを望んでいることは、床に置かれたその音だけで想像が出来る。

その名簿の中になど目を通すこともなく、家康は深いため息をつくと、ひらひらと手を振った。

「かようなものを見せるでない… その分厚いものを目にしただけで、気が滅入るわい」

「かしこまりました。では、どなたともお会いになるおつもりはない…ということでございますな」

その正純の澄まし顔を、恨めしい目で見た家康は、苦々しい口調で答えた。

「ふん!分かっていて聞くではないわ!全くわしが何をしに行くと思っておるのだ!」

「そんな事はみな分かっておられるでしょう。それでも何か事があれば、その都度媚を売っておきたい…それが人の性というものです」

「ふん!お主がわしに人を説くか!?」

「これは失礼いたしました。では、虫の居所があまりよろしくないご様子でございますゆえ、それがしはこれにて失礼させていただきます」

と、正純はいつも通りの淡々とした口調で言うと、静かに頭を下げた。そして彼は頭を上げると、同じ調子でこの後の予定を話し始めた。

「では、明日でございますが、まずは石清水八幡宮にて戦勝祈願に行きます。そして伏見城にて、堺の商人の代表と武器の手配について、最終確認の会談を開きます。その後、京と伏見の守りについて板倉勝重殿と会談していただき…」

「もうよい… とにかく明日は色々と用事を済ませて、明後日ここを発つという手はずであったな?」

「はい、左様でございます」

「であれば、それでよい。今日はもう疲れたから休む。疲れに効く薬を阿茶に持ってくるよう、伝えておいておくれ」

その家康の言葉に、正純はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「あら?殿は戦をしに行かれるのに、側室を連れてきたのでしょうか?」

そんな正純に顔を赤くした家康は抗議した。

「ふん!阿茶はもとより伏見の屋敷に住まわせておるだけだ!まさか戦場までおなごを連れては…」

と、そこで言葉を切ると、正純はその後を継いだ。

「はて…?たしか小牧の役では、常に殿の傍らには阿茶殿がおられたような…」

「う、うるさい!!お主はいつも一言余計なのだ!!とっとと阿茶を呼んで参れ!!」

と、家康の大きな声が部屋の中をこだましていたのであった。

緊迫する九州と比べて、いまいち緊張感のない徳川家康と本多正純…

さらに、加勢を一切引きつれてこなかった事の意図は…

家康の腹の内では既に『とある事』を決めていたのだ。

そしてその事こそ、家康にとっての大博打であり、避けて通れぬ一種の儀式のようなものであったのだが…

その思惑通りにいくのかは、ひとえに彼の『息子たち』の働きにかかっているのであった。