働かざる者食うべからず。

この言葉は元々『なまけものに喰わせるものはない』という意味なのだけど、最近ではすっかり『金がない奴は死ぬしかない』みたいな用法がまかり通ってしまっている。

何を隠そう、今の僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』は、まさしく後者の状況に陥っていた。

つまり、簡単に言うと――お金がない。

「づぁああああああああああああッ!」

気合の声と共に右足を踏み込み、両手に握った二振りの柳葉刀を構え、SB(セキュリティ・ボット)の群れに突っ込む。

支援術式による身体強化のない僕の動きは、自分で情けなくなるほどに遅い。それでもここ、ルナティック・バベル第八〇層に出てくる程度のSBであれば、その速度が致命的なものとなることはまずない。

僕がしゃにむに突進していく先にいるのは、十二体のバグベアー。薄汚い茶色の体毛で全身を覆いつくす、小人型SBだ。背丈はハヌと同じか、もしかするともっと小さいぐらい。ぱっと見は小熊のようで可愛く見えるけど、その実、内に秘めた凶暴性は凄まじいの一言に尽きる。

『GGGRRRRRRAAAAAAAA――!!』

僕の急接近に気付いたバグベアー達が、一斉に甲高い電子音で哮り立った。毛むくじゃらで目も鼻もどこにあるのかわからないけど、唯一、ぞろりと鋭い牙が並んだ大きな口だけは否が応でも目につく。

小さな見てくれに騙されることなかれ。この小人型SBは、奴らの顔の半分以上を占めるあの強靭な顎門で、出会ったエクスプローラーを集団で襲い、【喰ってしまう】のだ。

『GRGRGRGRGRRRRAAAAAAA――!!』

僕という獲物を見つけ、狂喜乱舞するバグベアー達。奴らは連携もへったくれもなく、各々の欲望――否、食欲だけに従って襲いかかってくる。時には仲間の隙さえ突いて獲物に食らいつくことで、結果的に完璧な集団攻撃を成しているのだ。

走ったり飛び跳ねたりと、てんでバラバラな動きで迫り来るバグベアー。やがてその一体が僕の間合いに入った。

「でやぁあっ!」

僕の両手から二条の銀閃が走る。剣光が弧を描き、飛びかかってきたバグベアーを切り裂いた。

『GRAAAA――!?』

青白い光を飛び散らせ、三分割されたそいつが断末魔の声を上げて活動停止(シャットダウン)シーケンスに入るのを尻目に、僕は次の敵へと意識を向ける。

師匠こと祖父から受け継いだ武器コレクションの一つ、二刀一対の柳葉刀。二〇セントルほどの握りと、五〇セントルぐらいの湾曲した刀身を持つ、非常にシンプルな形状の剣である。一流の品とは決して言えないが、主武装である白虎と黒玄が破損している為、今はこの二振りが僕の相棒だった。

「次ぃっ!」

体の軸がぶれないよう意識しながら足を踏み込み、足元に近付いてきた二体目のバグベアーを迎え撃つ。

『GGGGRRRRAAAAAAAAAAAA!』

小柄な体に不釣合いなほど大きな口から、サバイバルナイフのような牙を幾本も突き出し、僕の左足に噛み付こうと低い位置から飛び付いてくる。僕は腰を落とし、左の柳葉刀を掬い上げるような軌道に乗せ、バグベアーの顔に叩き込んだ。

『GR――!?』

バキン、と硬い手応えと共に牙を砕き、バグベアーの顎を下から上へ真っ二つに切り裂いた。勢いよく突っ込んで来たところにカウンターをぶち当てたので、ほとんどバグベアーの頭を両断する形になった。勿論、そいつはそのまま活動停止シーケンスに入る。

『GGGRRRRAAAA!』『GRRRRRRRAA!』

さらに立て続けに、二体のバグベアーが左右から同時に躍りかかってきた。

「こん――のっ!」

思わず攻撃術式を起動させようとして、寸前で思いとどまる。ダメだダメだ、この程度で音を上げていたらキリがない。ちゃんとロゼさんの言いつけ通り、余程のことでもない限り剣と体術だけで切り抜けないと。

「――はぁあああああああああッ!」

気合一閃。左右から襲い掛かってくるバグベアー二体の動きを戦闘演算。それぞれの未来予測位置に向けて二本の柳葉刀を奔らせ、体を回転させる。僕の周囲に銀光が煌めき、星屑のように飛び散った。

『GRRRAAA!?』『GGGRRRRRRR!?』

時間差で、力尽くで肉を断つ感触が両腕に生じる。この無銘の柳葉刀は、白虎や黒玄ほど斬れ味が鋭いわけではないが、刃の反りと重さのおかげでそれなりによく斬れる。本来このあたりの階層に出てくるようなSBなら、これクラスの武装で充分おつりがくるのだ。

残り八体――そう考えながら改めて周囲に視線を巡らせた時、思いも寄らぬ光景が僕の目に飛び込んできた。

申し合わせたように、一斉に跳躍する残り全てのバグベアー達。

「――ッ!?」

まさかの八体同時攻撃。だが、長くソロでエクスプロールしてきた僕にとっては特別珍しいことでもない。支援術式で身体強化すれば――って、いけない。それも基本的には使わないと約束してしまっている。

なら。

――いいですか。とにかく大切なのは、敵の動きをよく見ることです。落ち着いて、冷静に。

耳にロゼさんの教えが蘇る。僕はその声に従って、心を落ち着けたまま、迫り来るバグベアーの群れを【見】た。

――動きを観察した次は、予測です。現在の情報を基に、未来を【視】ます。頭にそのイメージを描くのです。

僕はバグベアー八体のそれぞれの未来位置を戦闘演算。さっき二体を相手にやったのと同じ要領だ。たかが四倍程度の数、僕にとっては誤差の範囲内である。

――敵の未来がイメージ出来たのなら、最後に自身の攻撃の軌道をそこに重ねます。ラグさんであれば、剣で切り裂く軌跡です。それをイメージに追加してください。そして、敵の位置と攻撃のイメージが合成できれば、後はそれを実行するだけです。

SBが理想的な位置取りをするタイミングを瞬時に見極め、これから放つ攻撃の軌道を脳裏に思い描く。

敵の予測位置と、斬撃の線とが、頭の中でピッタリ重なった。

両手に剣術式のアイコンを灯す。支援術式と攻撃術式は禁止されているけど、流石に剣術式だけは使用を許可されている。

両手の甲あたりに表示されるアイコンは、尾が剣になった蛇のピクトグラム。そう、これはつい最近インストールしたばかりの新技、

「〈ヴァイパーアサルト〉ッ!」

一度の起動音声で二つの剣術式を一挙に発動。アイコンが弾け、僕のフォトン・ブラッドの色――ディープパープルの光が柳葉刀の刃に宿り、まさしく蛇のごとく伸長する。

「ッぁああああああああああああッ!」

剣術式のフォローを受けた両腕が、刀身の倍以上まで伸びた深紫の光刃を縦横無尽に奔らせる。剣術式〈ヴァイパーアサルト〉は、鞭のようにしなる刃がその名のごとく『強襲する蛇』にも似た軌道を描き、敵を切り裂く術式だ。

右手と左手の柳葉刀が、それぞれ別個の生き物のように動き、暴れ回る。

先日戦った竜人シグロスの〝触角〟にも似た動きで、二匹の蛇が宙を躍り狂った。

『GGGRRRRRRAAAAAAAA――!?』

〈ヴァイパーアサルト〉の斬閃に撫でられたバグベアーが次々と活動停止していく。だけど、これで全てのSBを捉えたわけではない。まだ三体が奥の方で難を逃れている。

僕は思いっきり足を踏み込み、跳躍。銃弾のように頭を先頭とした螺旋回転をしながら、飛び掛かってくるバグベアー達の中へ飛び込む。

剣術式〈ヴァイパーアサルト〉のアクションサポートが切れ、けれど刀身の伸長効果がまだ残っている――そんなタイミングで次の術式を二つ同時発動。『Z』の形に組まれた三本の剣が真ん中に描かれているアイコンが生まれ、弾け飛ぶ。

「〈ズィースラッシュ〉ッ!」

鞭のようにしなる光の双刃が空を切り裂いた。『Z』の軌道を走るはずの剣閃は、けれど僕自身が竜巻のように回転しているため、さらに複雑な軌跡を描く。

「――ッ!」

歪で捻れた輝線を撒き散らし、深紫の光を纏った柳葉刀が、残る全てのバグベアーを切り刻んだ。

『GRGRGRRRGGRRRAAAAAAAA――!?』

僕が膝を曲げて着地する頃には、SB達はもう床に下りることなく青白いコンポーネントへと回帰している。

「……よしっ!」

ほぼイメージ通りの動きが出来た喜びに、思わずガッツポーズをとってしまった。

空中に浮いていたバグベアー達のコンポーネントが、やおら僕に向かって動き出す。自動的に〝SEAL〟へと吸収されるそれを受け取っていると、

『――GGGGRRRRR……!』

通路の奥から、新しいSBの唸り声が聞こえてきた。しかも、一つや二つではない。

――しまった、やっぱり間に合わなかったか。

小人型SBバグベアーの嫌なところは、一定時間以内に群れを全滅させなければ、ほぼ無限に次の〝波〟が生まれてくるところだ。つまり、モタモタしていると次から次へとポップするバグベアーの荒波に、いずれは呑み込まれて死ぬ羽目となる。

対策はただ一つ。新しい仲間を具現化させる前に、群れを蹴散らしてしまうこと。それしかない。

普通のエクスプローラーならパーティー単位で戦うし、よほど実力のない人間でもなければそんな憂き目に遭うことはないのだけど――今の僕はソロだ。しかも、攻撃術式と支援術式の使用を戒めている。

剣だけでは、制限時間に間に合わなかったのだ。

「……ふぅ……」

とは言っても、落ち込むつもりはない。元より想定の範囲内だ。

むしろ、こうなることを見越してこの階層に、このSBを求めてやってきたのだから。

「――よし」

僕は両手の中で柳葉刀をヒュンヒュンと回転させ、構え直す。

新しく具現化したバグベアーは、ざっと見て総数十五体と言ったところだろうか。さっきよりも数が多いけど、こうなったらやるしかない。

強くなるために。

今の僕より、もっとずっと強くなって、大事なものを守れるほど強くなるために。

そう。

ハヌやロゼさんという仲間がいながら、ソロでエクスプロールしているのも。

手持ちの術式のほとんどを封印しているのも。

主武装でない柳葉刀を装備しているのも。

全てはトレーニングのため。

これは、僕に課せられた〝修行〟なのだ。