踏み込みと同時にスカイソルジャーへ加速コマンド、アキレウスへパワーアシストのコマンドを叩き込んだ。

加速しながら身体強化。

流石に〝アブソリュート・スクエア〟ほどの強化係数は得られないが、それでも通常の数倍にまで僕の能力は倍加する。

全身が、全神経が、急激に加速していく。

「――!」

僕はロケットのごとく急上昇していく感覚を一瞬にして掴まえ、己の支配下においた。どんな数値の変化も見逃さず、何もかもを意識の制御下に敷く。

全て問題なし(オールグリーン)。いつもの体感覚の変化に比べれば、こんなものは屁でもない。

「〈ドリル――!」

視界の中、見る見るうちに巨大化していくハウエルのパワードスーツ。熊と見紛うような青黒い鋼鉄の塊が猛然と迫る。

でかい的(まと)だ。外しなどしない。

「――ブレイク〉ッッ!!」

剣術式を一斉発動。十五回連続で発動した術式が雪崩を打って〈バルムンク〉に作用する。ミルフィーユのごとく重なりながら展開するディープパープルの回転衝角。背中から凄烈に噴き上がるフォトン・ブラッドのスラスト。

スカイソルジャーによる踏み込みの加速と、〈ドリルブレイク〉の推力とが、歯車が噛み合うように合致して相乗効果を生んだ。

僕は空中において弾丸のごとく撃ち出される。

一瞬にして、時間が吹っ飛んだかのごとく間合いが詰まった。

激突。

『――――――――ッッ!!』

耳を劈く快音。

重複〈ドリルブレイク〉が牙を突き立てるのは、迎え撃つように放たれたハウエルの右拳だ。ボクシンググローブのごとく膨らんだ剛拳が、背中や肩、肘から噴射する海老色のフォトン・ブラッドのパワーアシストを受けて、僕の突撃槍と化した〈ドリルブレイク〉と真っ向から鬩ぎ合う。

ハウエルが吼えた。

「――ぉおおおおおおおおるるるぁあああああああああああああああぁッッ!!」

なんという豪腕。僕の全身をかけた〈ドリルブレイク〉を、パワードスーツの補助を受けているとはいえ片腕一本で受け止めている。

狂ったように迸る火花のシャワー。

だがその拮抗もほんの一瞬だけのこと。

奴の纏う装甲に、術式およびフォトン・ブラッドを分解する能力があることはわかっている。

「くっ……!」

少しずつだが〈ドリルブレイク〉の先端が、熱した鉄板に押し付けた氷柱のように溶けていく。背中から噴出するスラストには影響ないようだが、このまま続ければ十五層の〈ドリルブレイク〉全てが【剥ぎ取られてしまう】。

だから僕は押し切れないと見て取るや否や、自ら剣術式をキャンセルして〈バルムンク〉の刀身を露わにした。高速回転していたディープパープルのドリルが弾け飛び、白銀の刃がマグマの輝きを真っ赤に照り返す。

「づぁああああああああああああッッ!!」

だが、術式を解除しても僕の肉体にかかった慣性はまだ生きている。改めてハウエルの手甲と〈バルムンク〉の刃がかち合い、激音を響かせた。

「ハッハァッ! なにをビビってやがるベオウルフゥ! どうしたどうした腰が引けてやがるぜぇッ!」

「――~っ……!」

二度の激突による衝撃で手足が痺れる中、ハウエルのダミ声が僕を挑発しにかかる。だけど今は言い返している余裕すらない。奴のパワードスーツから噴出する海老色の光はまだ止まっていない。このままでは拮抗が崩れ、押し負けてしまう。

だから、

「――〈ズィースラッシュ〉ッ!」

僕は新たな剣術式を発動。併せて、〈ステュクス〉の『パワー・ムーブメント』をキックした。

術式は術式でも〈ズィースラッシュ〉は〈ドリルブレイク〉と違ってフォトン・ブラッドによる加工のない、純粋な剣技による術式だ。ハウエルの特殊能力によって分解されることはまずあるまい。

「ッはぁああああああああああああッッ!!」

僕の全身を覆う〈ステュクス〉が唸りを上げ、四肢の動きをサポートする。僕は空中で足を踏ん張り、両手で握る〈バルムンク〉を力任せに振るった。

ハウエルの右拳と接触している〈バルムンク〉の刃が横に滑り始め、ガリガリと音と火花を発生させた。ただでさえ双方が鬩ぎ合っているところに別ベクトルの力を加えたのだから、無理があるのは当然だ。無茶な反動がこちらにフィードバックされるが、僕は歯を食いしばってそれに耐える。

やがて〈バルムンク〉の刀身がハウエルの五指の上を滑り抜け、一気に力が解放された。

「――!」

次の瞬間、僕の体にかかった二重のアシストが猛威を振るう。

自由になった巨大な刃が稲妻のごとく『Z』の字を描いた。

まさに電光石火。静から動へ、じっくりと高まっていた緊張感がここで一挙に爆発したのだ。

三連続の剣撃がほぼ同時にハウエルの巨体に襲いかかり、肉食獣の牙よろしくパワードスーツに喰らいつく。

しかし。

「――~ッ……!?」

硬い。

どの攻撃も青黒い装甲に跳ね返され、全く傷つけることが出来なかった。

「ぐぁ……っ!?」

果物の咀嚼中に誤って硬い種を噛んでしまったような衝撃が、僕を襲う。目の前が真っ白にショートして、骨の芯まで痺れるような震動が全身を駆け巡った。

結局、渾身の〈ズィースラッシュ〉で破壊されたのはこちらの刃だけだった。せっかくフリムが鍛え上げてくれた〈バルムンク〉の刀身が刃毀れし、白銀の欠片がいくつも宙に舞う。

一瞬の硬直。どうしようもない隙。そこを付け込まれた。

「……ぁあ? いま何かしたのか、ベオウルフ?」

舌なめずりするような声と共に巨体がのしかかってくる。さっきまでは握りしめられていたハウエルの右手が、大きな掌となって僕の頭を鷲掴みにした。ミシリ、と〈ステュクス〉の兜が軋みを上げる。

「効かねぇ効かねぇ、効かねぇなぁその程度じゃなぁッ!」

さらに奴の左手が喉輪を作り、僕の首元に叩き付けられた。

「が――!?」

そこも鎧に守られているとはいえ、強い衝撃に一瞬だけ喉が詰まる。

首から上を大きすぎる両手に拘束された僕は、そのまま人形か何かのように宙吊りになった。

「おらおらおらおらおらおらおらおらおらおらぁあああああああああッッ!!」

ハウエルのスラスターから噴き出す海老色の輝きが、雄叫びとともに倍加し、僕もろとも加速した。

猛烈な速度。ほんの一瞬で広いはずの『女王の間』の端まで移動し、僕は背中から岩壁に叩き付けられる。

「がっ――はっ……!?」

頭の天辺から足の爪先まで余さず衝撃が駆け抜ける。自分の体が壁の中に埋没していくのがわかる。ハウエルの両手が僕の頭と喉を深くめり込ませていく。

「ぐぅ――!?」

右手は意地でも〈バルムンク〉だけは手放すまいとし、左手を首にかけられたハウエルの腕に当てる。だが、ゴツい装甲に包まれた太い腕は、それこそ丸太のような存在感で僕をその場に張り付けにしていた。

「いい格好だぜベオウルフ、結局のところ力勝負じゃ俺の勝ちってわけだ。さっきは一分以内に……なんつってたっけな? ええおい」

今なおメキメキと〈ステュクス〉の頭部と喉元を圧迫し、壁に沈めていくハウエルが誇らしげに嗤う。

「こっ、のっ――!」

僕は左手で奴の腕を押しつつ、右手に〈バルムンク〉を構え直すための力を込める。

これではさっきの焼き直しだ。先刻の戦闘でもそうだったように、僕は圧倒的な膂力と重量によって押さえつけられ、しかし〈ステュクス〉のおかげでほとんどダメージはない。というか、フリムがリメイクしてくれたこの戦闘ジャケットがなければ、僕はもう何度死んでいるのかわからないぐらいだ。

しかし、先程はこうして行動不能な状態にされて、後は勝負がつくまで待て、などと言われたが――

「――どうやら一分以内にやられるのはテメェのようだなぁ? ええコラッ!!」

一瞬、目の前が明るくなったかと思った矢先、腹部に爆発的な衝撃がきた。文字通り腹の上で爆弾が炸裂したかのような威力に、たまらず体が『くの字』に折れ曲がる。

「――……!?!?」

鎧の装甲を貫いて届く破壊力に悲鳴すら出なかった。内臓を直接掴んで揺さぶられたかのような感覚に、目の前の光景が数瞬、真っ白に染まった。

何をされたのかはわかっている。ハウエルが僕の頭を掴んでいた右手を離し、代わりにボディブローを叩き込んできたのだ。

「そらそらそらそらそらァッ!! どうしたどうしたぁッ!!」

勢いづいたハウエルはそのまま重すぎる腹打ちを連発した。鉄球のような拳が叩き付けられる度、爆撃じみた破壊力が炸裂して僕の呼吸が止まる。何度も、何度も。

「がっ――げぶっ……!?」

喉奥から何か熱いものが込み上げてきたかと思った刹那、僕は〈ステュクス〉の中で吐血していた。海老色のフォトン・ブラッドで加速させられたボディブローそのものは〈ステュクス〉の装甲が止めてくれていたけれど、その破壊力は内部まで浸透し、僕の内臓をしたたかに傷つけていたのだ。口元から胸元へ熱い液体の感触が広がり、細い流れがヘソの下まで流れ落ちていくのを感じる。

「この程度でおしまいかぁベオウルフゥ! だったら――このまま壁にめり込んで一体化しちまいなぁあああああああッ!」

ハウエルの腕は止まらない。左の喉輪で僕を壁に固定したまま、今度は右ストレートを執拗に繰り返し始めた。ボーリングのような一撃が炸裂する度、僕の頭部は深く、さらに深く、壁の中へとめり込んでいく。

「が、ぐ、がっ、ぎっ、うぁ……っ!?」

破壊力の大半を兜が受け止めてくれるが、腹と同じくどうしようもない衝撃と震動が、僕の脳へダイレクトに響く。回数が重なる都度、頭蓋の中がシェイクされていくような錯覚を得る。

――駄目だ、早くこの状態から脱出しないと……!

もう五感のほとんどが麻痺しているようで、自分が今どんな状態にあるのかがさっぱりわからなくなっていた。鼻や耳からも血を噴いているような気もするのだが、その感覚が合っているのかすらもわからない。

ただ一つわかるのは――このままでは鎧を砕かれるまでもなく、僕は殺されるということだけだ。

気が付けば右手が軽い。我知らず〈バルムンク〉を手放してしまったらしい。

「――――」

もはやまともな思考も出来なくなっていた僕が選択したのは、ストレージから新たな武器を実体化させることだった。

ハウエルの豪腕による連打が続く中、僕は左手に取り出した『それ』の鞘を強く握り締め、右手で柄を掴む。

抜いた。

「……ぁあ? ――おいおいおいおい! なんだそりゃ勘弁して欲しいぜ! そんなちっせぇ刃物(ヤッパ)で何するってんだ? もう諦めて自決でもするってぇのか? ああ!?」

僕が取り出したナイフの小ささに気付いたハウエルが、いったん手を止めて嘲笑する。それもそうだろう。〈バルムンク〉の重量を以てしても奴の装甲に罅一つ入れられなかったというのに、こんな小さな刃物で何をするのか――誰だってそう思うに違いない。

だから、その油断こそが――僕が狙いだった。

震える両腕をなんとか持ち上げ、蒼い刃の切っ先をハウエルの胸甲に当てる。無論、刃先は一ミリトルも突き刺さらず、ただスーツの隙間に引っ掛かっているだけで、何の意味もない。

「ハッハァッ! 何がしてぇんだテメェは! 殴られ過ぎて頭がおかしくなったってかぁ!」

違う。

僕はヴィリーさんやアシュリーさんほど剣技に長けているわけではないし、彼女らのようなオリジナルの術式も持っていない。だから、このエーテリニウム製の蒼いナイフ――月光(モンデンリヒト)を十全に使いこなすなんてことは出来ない。

だけど。

それでも。

金属の特性を引き出すことぐらいは出来るし、その術をアシュリーさんから習ってもいた。

故に、僕は囁くようにそのコマンドを口にする。

「――リリース・エンクロージャ……!」

その瞬間、ナイフの刀身に封印されていた【冷気】が一気に解放された。

「――ぬぉっ!?」

ハウエルの飛び上がるような驚愕の声。

さもありなん。モンデンリヒトの切っ先から迸った冷凍波が瞬く間に、空気の割れる音を立てながらハウエルの全身へと広がり、パワードスーツの隅々まで真っ白に染めたのだ。

「な、なん、だ、こ、」

青黒いパワードスーツのどこかについているであろうスピーカーから漏れるハウエルの声も、どこか不鮮明なものへと変化していく。

僕がこのモンデンリヒトを戦いに使用したのは、過日のロムニックとの決闘においてのみ。そして、その際に僕はロムニックの発動させた〈フリーズランス〉を何度もこのナイフで切り裂いた。

ヴィリーさんが〈ブレイジングフォース〉の蒼炎を〝リヴァディーン〟に吸収させて〈ディヴァインエンド〉を放つように。アシュリーさんがドラゴンブレスを〝サー・ベイリン〟に吸収させて、飛竜や駆竜に跳ね返していたように。エーテリニウムには術式を吸収し、保存する性質がある。

つまり、僕はモンデンリヒト内に眠っていた数発分の〈フリーズランス〉を、ここで一気に解放抜刀(リリース・エンクロージャ)させたのだ。

ロムニックが僕に向かって連発した〈フリーズランス〉は冷凍系の攻撃術式で、しかもその特徴は攻撃力よりも拘束力にある。〈フリーズランス〉の強烈な凝結は対象を一瞬にして凍り付かせ、その動きを固め封じるのだ。

「テ ェ ベ ウル   ぁ …!」

冷気が内部まで浸透しているのか、ハウエルの声――スピーカーの音が小さくなっていく。また、フェイスカバーの両目に灯っていた海老色の光も徐々に輝きを失っていく。

一発でも大型獣の動きを完全に止めることが出来る術式を、一度に何発分も受けたのだ。膨大な冷凍波は瞬時にハウエルのパワードスーツを浸食し、関節や装甲のわずかな隙間にすら潜り込み、硬く凝固していった。

やがてハウエルの全身が純白に見えるほど漂白され、その動きが完全に停止する。

「――……かはっ……!」

攻撃が来なくなったことで、いつの間にか呼吸を止めていたことに気付く。喀血しつつも深く息を吸うと、たったそれだけのことで傷付いた肺が悲鳴を上げ、胸に張り裂けそうな痛みが走った。

「――ッ……!」

思い出したように回復術式〈ヒール〉を重複発動させ、僕は傷の治癒にかかる。

そうしている間に、僕の喉元を押さえつけていたハウエルの左手が、ゆっくりと剥がれ始めた。スーツ全体が凍り付き、スラスターの噴射も止まった巨体は、当然のごとく重力に引かれ、死んだ蝉の亡骸のように落下していく。

「くっ……!」

僕は回復中の体に鞭を打って、壁に手をつき、めり込んだ穴から体を引き離す。ハウエルには数発分の〈フリーズランス〉をゼロ距離で叩き込んだのだから、しばらくは動けないはずだ。けれど、今回はシチュエーションが悪い。よりにもよって活火山の真下、すぐ傍を溶岩の川が流れているような高温の空間である。通常より回復が早いのは明らかだ。

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

まだ頭の中でガンガンと鐘が鳴っているような違和感がある。思考が上手くまとまらない。

――駄目だ、頭を止めるな、考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろアイツをどうにかする方法を何としてでも考え付くんだ……!

歯を食いしばりながら、モンデンリヒトをストレージに収納し、スカイソルジャーで不可視の階段を下るように下降する。さっき無意識の内に手放してしまった〈バルムンク〉は、ちょうど純白の彫像となったハウエルのすぐ近くに落ちていた。両刃についた大きな刃毀れが、見るからに痛ましい。フリムと再会したら絶対に怒られるに違いない。でも、考えようによっては新しい戦闘データが取れたとも言える。次は、ハウエルのような重装甲の相手にも負けないような武器に鍛え上げてもらわなければ。それに、こちらの術式を解除するなんていう反則技に対する対策も――

――……? いや、ちょっと待てよ……? 無意識にやったことだったけど、どうしてモンデンリヒトに吸収されていた〈フリーズランス〉は効果を発揮したんだ……?

突然、頭の片隅で鎌首をもたげた疑問が、瞬く間に膨れ上がっていく。

――どうして〈フリーズランス〉が効いた? どうして奴は今も凍ったままなんだ? どうしてすぐ解除しない? できないのか? それとも解除できない振りをして僕の油断を誘っている? いや、そんなはずはない。さっきみたいな優位な状況を敢えて手放す理由なんてどこにもないはず……

一つの疑念が潤滑油になって、思考回路が活発化する。

ハウエルの鎧が術式を分解・消滅させる詳しい仕組みは、未だによくわかっていない。だが、推測することぐらいなら出来る。

予想されるパターンは二通り。

まず、パワードスーツの材質そのものが特殊であるパターン。エーテリニウムのように術力に作用する特性がある希少金属で出来ており、それが故ハウエルと直接接触した途端、術式が解除されてしまう可能性。

あるいは、ハウエルが持つオリジナル術式の効果であるパターン。と言っても、他人の術式を強制的に分解・解除するなんて術式が存在するだなんて、常識的に考えれば有り得ないのだけど――しかし、そんな【例外】がこの世に存在することを、僕は知っている。

即ち、〝神器〟。

そうだ。何故、今の今までその可能性に気付かなかったのか。

もし、ハウエルがロゼさんやヴィリーさんのような〝神器保有者(セイクリッド・キャリア)〟だったとしたら。

ロゼさんの〝超力(エクセル)〟のように。

ヴィリーさんの〝実在(イグジスト)〟のように。

そして――シグロスの〝融合(ユニオン)〟や、ロムニックの〝共感(アシュミレイト)〟のように。

常識では決して考えられない、あの超常の力を持つ概念をハウエルが有しているとしたら。

決して不可能ではないはずだ。

術式を消す術式、などという情報法則を超越したものを作り出すことだって。

「……!」

そうと気付いた瞬間、僕の胸の中で燃え上がったのは、かつてないほどの焦慮の炎だった。

――まずい……!

何にせよ〝神器保有者〟の力は未知数だ。まるで予測がつかない。

前にロゼさんがこんなことを言っていた。かつて僕と一騎打ちを演じたシグロスの、奴の〝融合(ユニオン)〟の使い方は実に初歩的だった――と。

当時の対ヘラクレス戦で、ロゼさん自身が己の〝超力(エクセル)〟で肉体と〝SEAL〟の限界を超えて、支援術式による強化係数【二〇四八倍】という人類未曽有の領域に達したように。

先日のルームガーディアン戦で、ヴィリーさんの〝実在(イグジスト)〟と僕の支援術式〈ミラージュシェイド〉が合わさって放たれた『分身〈ディヴァインエンド〉』のように。

神器には無限の可能性が秘められている。

使い様によっては、いくらでもその効果を上昇、拡大させることが可能なのだ。

「……っ……!」

嫌な予感に突き動かされ、僕は滑り落ちるようにしてハウエルの近くに着地した。すぐ傍に落ちていた〈バルムンク〉を急いで拾い上げ、軋む体を無視して構える。切っ先を真っ白に染まった、氷の彫像のようなハウエルに向け、

「――〈ドリルブレイク〉ッ!」

『パワー・ムーブメント』

一切の躊躇なく、剣術式とパワーアシストを同時にキックした。身体強化の恩恵を得ながら〈ドリルブレイク〉×15を展開し、猛烈に回転する深紫のドリルの先端を身動きできないハウエルの横っ腹に叩き込む。

「……ッ!」

鋼鉄を擦り上げる激音が響く。〈ドリルブレイク〉の先端は分解されない。奴の術式分解能力は停止している。しかし、

――硬い……! まだダメなのか……!?

さっきの〈フリーズランス〉による急激な温度変化によって多少のダメージがあるはずなのに。

「――こっ、のぉおおおおおおおおおおおおおッ! 〈ドリルブレイク〉ッ!」

さらに〈ドリルブレイク〉×15を追加発動させ、三十連にも重なった回転衝角が、獰猛な獣のごとくハウエルのパワードスーツに喰らい付く。僕の背中から噴射するフォトン・ブラッドの出力も上がり、やがてハウエルの巨体が少しずつ地面の上を滑り始めた。こちらの推力が奴の体重と静摩擦係数を上回ったのだ。

だが、それでもハウエルのスーツには罅一つ入らない。

「……!」

先程のヤザエモンの〈イモータルアブスタクル〉を思い出す。主従共に防御力に偏重したタイプというのは珍しいが、ハウエルの場合は類稀なる巨躯がそのまま強力な武器となる。強盗対象を殺さず勝利するためには、なるほど、相手に〝自分は勝てない〟と思うほど硬くなるというのも一つの手ではあろう。

だが――こいつの堅固さは常軌を逸している。僕のように支援術式〈プロテクション〉を重ね掛けしているわけでもないのに。

まさに〝鉄壁〟――いや、〝城塞〟とでも呼ぶべき堅牢性だった。

――それでも……!

「――〈ドリル……!」

今ここで。

突破口を開かねば。

傷一つでいい。ほんの僅かな綻びでもいい。

ハウエルが無防備に転がっている今の内に、奴を倒す糸口を、勝利につながる細い糸を掴まなければ。

僕は手も足も出ないまま、負けてしまう。

それだけは。

それだけは、何があっても許されないのだ。

僕は奥歯を噛み締め、全身の〝SEAL〟を全力で励起させる。

「……ブレイク〉ゥゥゥッ!!」

全霊を込めて叫び、さらに〈ドリルブレイク〉×15を追加。正気じゃとても扱いきれない数の術式処理を直感だけで捌ききる。

「ぁあああああああああああああああああああああッッ!!」

これだけ剣術式を重ねているのに、いつもの威力が出ないことが歯痒い。身体強化(フィジカルエンハンス)の支援術式さえ使えれば、こんな装甲など一瞬で貫いてやれるのに。ヘラクレスの装甲を打ち破った、あの時のように。

何の成果も成しえないまま、時間だけが無益に過ぎる。

一秒、二秒、三秒――〝アキレウス〟の『パワー・ムーブメント』は一回につき五秒が稼働限界だ。いいや、構うな。残り七ショット、ここで一気に使い切ってやる。回数を分けて少しでも長持ちさせるつもりだったが、どうせこの局面を乗り越えなければ次などない。

「――ッ!」

四秒、五秒――このタイミングで、僕は事前にチャージしておいた『パワー・ムーブメント』の残り全部を一気にキックした。

『パパパパパパパワー・ムーブメント』

いったんチャージしてから発動させたせいか、パワーアシストの発動音声が微妙にズレる。ほんの少しの時間差で畳み掛けるようにして全身の力が漲っていく。

ここからの五秒間が勝負だ。

「――ぉおおおおおおおおあああああああああああああああああああああッッッ!!!」

一気に十数倍に強化された筋力と四十五回も重ね掛けした極大の〈ドリルブレイク〉を以て、ハウエルのパワードスーツの脇腹を穿つ。

真っ白に染まっていたパワードスーツはすでに霜が溶け始め、表面がしっとりと濡れだしていた。また、ナメクジのような速度で地面を滑っていた巨体は、今やブルドーザーのような勢いで岩肌を削り、そこらに転がる石や、溝に流れる溶岩を弾き飛ばしていく。

一秒、二秒、

「――ぬぁあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」

玩具の人形のように地を滑るハウエルの体がやがて壁に激突するが、角度が浅かったため、そのまま両足の先で壁面を削るようにしてカーブを描き、なおも押し流されていく。

三秒、四秒、

――駄目だ、間に合わない……!?

もうすぐ『パワー・ムーブメント』の効果が切れてしまうのに、まるで手応えがない。さらに追撃を仕掛けるのも手だが、流石にフォトン・ブラッドの残量も心もとなくなってきた。枯渇状態(イグゾースト)に陥ったらまともに動けなくなる。それでもなおフォトン・ブラッドを注ぎこんで同じ攻撃を続けるのか、あるいは別の方法を考えるべきか――

などと迷っていた僕の頭を殴りつけるようなタイミングで、ハウエルが凍結状態から回復した。

突如、パワードスーツのアイレンズに海老色の光が灯り、次いでハウエルの周辺で大爆発が起こる。

「なっ――!?」

ちょうど『パワー・ムーブメント』の効果が切れる直前だった。爆発の原因はおそらく全スラスターの一斉噴射。それも全力全開の。

「ぐっ……!?」

いかにも自暴自棄な行動ではあったが、奴の防御力を考えればむしろ僕の方こそ被害が大きいと判断したのだろう。急激かつ無軌道なスラストによってハウエルの巨体が真上に飛び上がり、僕の〈ドリルブレイク〉はその軌道を捻じ曲げられた。

「――!? しまっ……」

出し抜けにエネルギーのぶつけ先を失った僕の〈ドリルブレイク〉はそのまま突進を続け、『女王の間』の壁に激突した。あまりにも唐突すぎることだったため僕も多少混乱しており、術式のキャンセルが間に合わず、ほんの数秒で十数メルトルものトンネルを穿ってしまった。

「この――止まれっ!」

焦りのあまり自分の剣術式に向かって吐き捨てながら、〝SEAL〟からプロセスを強制終了させる。スカイソルジャーの靴底をデコボコしたトンネルの壁面にドリフトさせて慣性を殺し、慌てて穴倉から飛び出す。出入り口を塞がれたら、またしても身動きが取れなくなってしまうからだ。

幸いなことにハウエルの方にも余裕はなかったらしく、僕が〈ドリルブレイク〉で作った穴から飛び出してきた時、奴はまだ空中で体勢を整えている最中だった。肘や肩の部分についている小型のスラスターから微量のフォトン・ブラッドを噴射し、空中で上下を正そうとしている。

隙だらけだ。

「――アキレウス、クインタプル・マキシマム・チャージ!」

『マママママキシマム・チャージ パワー・ムーブメント』

即座に身体強化の五重チャージとスカイソルジャーの加速コマンドをキックして、僕は矢のごとく上昇する。

下段に構えた〈バルムンク〉を流星の尾のごとく引きながら、空中のハウエルに一気に肉薄。

「――っだぁっ!」

すれ違い様、バットを振るように〈バルムンク〉の刀身をハウエルの脇腹――先程まで〈ドリルブレイク〉で抉っていた箇所に叩き付けた。

快音。

金属の裂ける音が耳を劈く。

――やったか……!?

会心の手応えに一瞬、その確信を持ちかける。

が、しかし。

いきなり手元の大剣が軽くなった。

「――――」

見ると、前方に振り抜いた〈バルムンク〉の刀身が、半ばから綺麗に折れていた。

――な……!?

空中で減速しながら後ろを振り返ると、そこには無傷のハウエルがいる。青黒いパワードスーツのどこにも瑕疵はない。フリムの鍛えてくれた実体剣は、奴の装甲に文字通り【刃】が立たなかったのだ。

『散々好き勝手やってくれたじゃねぇか、ベオウルフ。気は済んだかよ、ええ?』

未だスーツの外部音声機能が死んだままなのか、ハウエルはマルチキャスト通信で話しかけてきた。あれだけ攻撃を叩き込んだというのに、奴は悠然と足の裏から噴き出すフォトン・ブラッドによって空中にホバリングしている。

『――しかし、さっきのは本気で肝が冷えたぜ。一体何をしやがった? まったく油断ならねぇガキだぜ……本気で一体いくつ隠し技を持ってやがんだ』

怪訝そうに苦笑いするハウエルには、やはり深いダメージを受けた様子はない。結局、僕の〈ドリルブレイク〉は奴の装甲を貫くこと能わず、内部に衝撃を与えることも出来なかったということか。

――フリム、ごめん……せっかく作ってくれた武器を壊してまでやったのに……

『だがまぁ、このクソ暑い中キンキンに冷やしてもらえたのは、ちぃとばかし気持ちよかったがな。もちろん二度目はごめんだが……それで? まだ何か隠し持ってるってぇんなら今の内に出しておけよ。手遅れになっちまっても知らねぇぞ?』

不敵に笑って、ハウエルはゆるりと身構える。心なしか、先程よりも手足の構えが小さくなったように見える。慎重になっているのかもしれない。

我ながら、さっきのモンデンリヒトによる〈フリーズランス〉の成功は本当に驚きだった。それだけに、ハウエルは鉄壁を自負していた術式耐性を破られて、警戒心を強めたのだろう。僕の前では、決して無敵ではいられない――と。

しかし、だからと言って状況が好転したわけではない。

未だに僕はハウエルの重装甲を破れず、それどころか頼みの〈バルムンク〉の刀身が折れてしまった。スペアはもちろんない。

僕は〈バルムンク〉の合体を解除して、再び黒玄〈リディル〉と白虎〈フロッティ〉の二刀に戻す。純粋な打撃力は減少するが、こうなれば俊敏性と手数で勝負するしかない。もっとも、今の僕の腕力と二刀の軽さであの装甲を抜けるのなら、だが。

「…………」

諦めるな。戦意を落とすな。勝機は必ずある――僕は自分にそう言い聞かせる。さっきの〈ドリルブレイク〉だって、〈バルムンク〉の破損だって、きっと無駄ではない。ハウエルの左脇腹を重点的に攻めたのだ。着実にダメージを積み重ねているはずだ。いくら堅固な装甲でも、度重なるダメージの蓄積には必ず限界が来る。そこを狙えば……!

『――おっと、今でちょうど一分が経過したようだぜ? どうしたよ、一分以内に俺を片付けるんじゃなかったのかぁ? 大言壮語も大概にしておけよ、クソガキ』

タイマーでもセットしていたのか、ハウエルはどこか楽しげに、同時にどこか苛立たしげに僕を揶揄する。

だが挑発には乗らない。こんな見え透いた手に引っ掛かったら、後でアシュリーさんにどれだけ怒られるかわかったものではない。

「――――」

そこまで考えたところで、瑠璃色の鋭い瞳が脳裏に蘇り、はっ、となる。

そうだ。あの人は、アシュリーさんは言っていた。感情のまま力を振るうのは愚か者のすることだ、と。そして、こうも言っていたではないか。勇者、英雄と呼ばれる者ならば頭を、知恵をこそ使うべきなのだ――と。

その言葉を思い出して、遅ればせながら僕は己の愚かさを悟った。全くその通りだ。腕を振り回すだけなら小さな子供にだって出来る。相手の腕力が自分よりも強いことがわかっているのなら、するべきは真っ向勝負なんかではない。

僕は、すぅ、と大きく息を吸って、心を落ち着かせる。

『……一分を超えたとしても、お前を早めに片付けることに変わりはない。もう忘れたのか? 僕はお前の〝術式防御〟を貫通することが出来るんだぞ』

左手の白虎と入れ替わりで、ストレージから蒼い刃のナイフ――月光(モンデンリヒト)を取り出し、これ見よがしに切っ先をハウエルに向ける。

もちろんハッタリだ。どうしてさっきの〈フリーズランス〉が有効だったのかもわかってないし、さらに言えば、さっきのでもうモンデンリヒトの中身は空っぽだ。ロムニックから吸収した〈フリーズランス〉は全弾撃ち尽くした。いわゆる〝弾切れ〟状態である。

だが、そんな懐事情をハウエルが知る由もない。

『…………』

途端、さっきまでの威勢は鳴りを潜め、ハウエルの構えから警戒の度合いが増したように見える。

やはり、これだ。〝アブソリュート・スクエア〟の使えない僕が、『冒険者狩り(レッドラム)』とはいえ〝追剥ぎ(ハイウェイマン)〟という、あの剣嬢ヴィリーさんをしてその名を憶えているほどの手練れと互角以上に戦うには、もはや搦め手で行くしかない。

頭を使え、知恵を働かせろ――正攻法でなくてもいい。戦いとは、相手の嫌がることをどれだけ効率的に行うか、だ。

『――チッ、どうやらそいつもエーテリニウム製らしいな。〝剣嬢〟のといいテメェといい――ああ、〝絶対領域(ラッヘ・リッター)〟のもいやがったな。ったくよ、十代のガキがおいそれと持つ物かよ。これだからトップエクスプローラーの連中は、どいつもこいつもふざけてやがるぜ』

「――!」

ハウエルの悪態に記憶野を刺激されて、僕は奴と初めて顔を合わせた時のことを瞬間的に思い出した。

僕達『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』とヴィリーさん達『蒼き紅炎の騎士団《ノーブル・プロミネンス・ナイツ》』の合同クラスタの前に現れたハウエルは、すぐ近くにいた『放送局』の人々を人質に取り、道を譲るよう強請ってきた。

だが、思い返すだに、どう考えてもあれはおかしい。

あの時、ハウエルとその一味は、数的にも状況的にも圧倒的優位に立っていた。

なのに何故、ハウエルは戦いを避けたのか?

戦闘になれば、人質を持つ奴らは明らかに有利だったはずなのに。ヴィリーさんの騎士道精神を考慮に入れれば、あの人はきっと無抵抗で負けを受け入れていただろうに。

そうしなかったのは――おそらく、【万が一】が怖かったからだ。

ヴィリーさんの愛剣〝輝く炎の剣(リヴァディーン)〟が希少金属――エーテリニウム製であることは、その筋では有名な話だ。特に『燃え誇る青薔薇(ブレイジングローズ)』の由来にもなった、火炎を物質化するオリジナル術式〈ブレイジングフォース〉――それを刀身に吸収して放つ〈ディヴァインエンド〉は、多くのゲートキーパー級(クラス)を屠ったヴィリーさんの必殺技であり、小さな子供でも真似するぐらい世間に広まっている。

そして奴の口振りから察するに、あの青黒いパワードスーツとエーテリニウム製の武器とは相性が悪い。

つまり、ハウエルが『放送局』の人々を人質に取ったのは、僕達やヴィリーさんに先んじて特別セキュリティルームに入るためではなく。

己が武装の天敵であるエーテリニウム製の武器を持つヴィリーさんと、かてて加えて〝双剣の騎士(サー・ベイリン)〟の所有者であるアシュリーさんとの戦闘を避けるためだったのだ。

――なら、このナイフを上手く使えば……!

ほんの微かな希望の光を見出した僕を、しかしハウエルが嘲笑する。ハッ、と吐き捨て、

『だがよ、ベオウルフ。残念ながらテメェのそれは短小過ぎるぜ。勘違いするんじゃねぇぞ、さっきは俺が油断していたから打てたラッキーパンチだ。次はねぇ。テメェが俺の懐に潜り込む前に、容赦なく叩き潰してやる。もう一度同じことがやれるってんなら、やってみろよ』

ヘビー級ボクサーのように構えていたハウエルが、左の掌を立て、くいくい、と誘う仕草をする。

確かに、奴の言う通りではある。モンデンリヒトの刃渡りはせいぜい二十セントルほど。僕とハウエルの身長差を考えれば、奴の方がリーチは上だ。

だが逆に言えば、僕はハウエルよりもずっと身軽なのだ。スカイソルジャーの加速だってある。もう真っ向勝負もしないと決めている。そう易々と仕留められるものか。

故に、僕はこう言い返した。

『それはこっちの台詞だ。お前こそ、やれるものならやってみろ……!』

奴の装甲に穴は空けられなかったが、どんなに細くとも糸口は掴んだ。

後はその糸をたぐり寄せるだけだ。

薄氷の上を歩くような戦いであろうと、決して諦めるつもりはない。

ハヌが僕を待っている。

きっと、ではなく、絶対に。

だから僕は負けられないのだ。

――必ず、必ず僕が迎えに行くからね、ハヌ!

改めて心に誓うと、僕は膝を深く曲げ、スカイソルジャーにもう何度目かわからない加速コマンドを叩き込んだ。