あれから一時間くらい経っただろうか。

 隊長達は戻って来ない。

「もしかして、俺の毒矢が上手く刺さってなくて、隊長達は雪熊と戦うことになっていたら――」

 頭を抱え、震えた声で呟くウルガス。

「大丈夫です。ウルガスの矢はきちんと刺さっていましたよ」

 耳だけでなく、目もいいんですと自慢しておく。

「毒に耐性があったり……」

「大丈夫ですって。心配し過ぎです」

 いや、毒の耐性は知らないけれど、ここで悪いほうに考えるのはよくない。

 絶対に。

「ウルガス、チョコレート食べましょう! あ、マシュマロもありますよ」

 ごそごそと貴族の差し入れ袋を探り、お菓子を取り出す。

「私、マシュマロは初めて食べるんです」

 マシュマロとは砂糖、卵白、水、膠(にかわ)などを混ぜて作るお菓子である。

 フワフワで、口の中で溶けるらしい。

 村で流行っていた物語で、お嬢様がいつも食べている定番のお菓子として描かれていた。

 子どものころ、マシュマロとはどんなものか、夢見たものだ。まさか、食べられる日がくるなんて。

 袋に入っているマシュマロは丸くて、柔らかくて、薄紅色や黄色の可愛い色合いをしている。これを、騎士のおじさんやお兄さんが食べている姿を想像すると、なかなかほっこりしてしまう。

 マシュマロをウルガスの手の平に一つ乗せ、私もぱくりと頬張る。

「うわっ、ふわふわ! 美味しい!」

 見た目通りふっくら柔らかくて、表面はつるりとしている。ほんのり感じる甘い香りと、齧ればじゅわっとした弾力と甘酸っぱい果物の風味を感じた。まるで雪を食べているようで、上品な口溶けがあった。

「ウルガス、これ、凄いですよ! 食べてください!」

 マシュマロは想像以上の美味しさだった。

 ウルガスに薦めるも、ぼんやりと見下ろすだけ。

 仕方がないので、手の平のマシュマロを取って、口に詰め込んだ。

「むぐっ!」

「よく噛んでくださいね」

 もぐもぐとマシュマロを食べるウルガス。優しい気分になるだろうと言っても、表情は晴れない。

「あ、そうだ。本に書いてあったんですよ! マシュマロを火で炙ったら美味しいって」

 さっそく、ウルガスの分と二つフォークにマシュマロを刺し、炙っていく。

 焼くのはコツがいるらしい。一回目は火に近づけ過ぎて、焦がしてしまった。

 こう、焼くというよりは、熱波で炙ると表現したほうがいいのか。

 ウルガスは虚ろな目で、二個目のマシュマロを炙っている。

 今度は火に近づけ過ぎないように気を付け、焼き色が付いたら回すというやり方にしてみた。

「今度は上手く焼けましたね」

 まだアツアツなので、冷ましてから食べる。

 火で炙れば、甘い香りが洞窟内に漂う。それだけで気分も上がるもの。

 そろそろ冷えたころだろう。一応、ふうふうしてから食べた。

「熱っ!」

 まだ熱かった。もう一度、ふうふうして齧る。

 表面はサックリ。中はとろ~り。

 マシュマロは炙ったほうが、味わいが濃厚になるような気がする。

 ああ、美味しい。薄暗い雪の中だけど、幸せな気分になった。

 私が食べるのを見て、ウルガスも食べる。

「うわ、美味っ……」

 焼きマシュマロを食べたウルガスは、頬が緩んでいた。眉間に寄っていた皺も解れている。

 やっぱり、美味しい食べ物は気分を和らげてくれるのだ。

「ウルガス、ホットチョコレート作りましょうよ。マシュマロを浮かべて食べるんです」

 これも、物語の中に出てくるお嬢様が飲んでいた物なのだ。

「死ぬほど甘そうですね」

「でしょうね」

 でも、普段だったらもったいなくて飲めないだろう。

 私達には、貴族からもらった高級チョコレートがある。そして、美味しいマシュマロも。

 鍋を火にかけようとしていたら、こちらへ接近する物音に気づく。

「どうかしましたか、リスリス衛生兵?」

「なんか、来ます!」

 ズルズルと、重たい足取りだ。

「雪熊ですか?」

「すみません、よくわからなくて……」

 足音は複数聞こえるような気がする。まさか、仲間を引き連れてやって来たとか?

 風は先ほどよりも強くなっている。ごうごうと鳴っていて、上手く周囲の音を聞き分けられないのだ。

 ビシバシと殺気が伝わってきて、ぞわりと肌が粟立つ。

「リスリス衛生兵、俺の後ろに!」

 ウルガスは姿勢を低くして、弓を構える。

「もしもの時は、雪熊が俺に気を取られているうちに洞窟を脱出してください」

「そ、そんな……」

「援軍を呼びに行くのも重要な任務ですよ」

 ウルガスを犠牲にして逃げるようなことなんて……。

「いいですか?」

「わ、わかりました」

 こんなところで雪熊と戦闘になるなんて、ついていない。

 しかも、私とウルガスなんて、食べるところが少ない若者なのに。

 食べてもぜんぜん美味しくない。絶対の絶対に美味しくないから。

 必死に、雪熊へ念を送る。

 ザクザクと音を鳴らしながら、接近する雪熊。

「二体です! 殺気だった雪熊が、二体!」

「最悪だ……」

 ついに、洞窟の入り口に入って来る雪熊。

 のっし、のっしと、接近してきたが――

「あ、あれ?」

「どうかしました」

「え、えっと……」

 ウルガスに毒矢を下ろすように、やんわりお願いをする。

「いや、危険ですよ! だって、殺気がはんぱないですもん!」

「大丈夫です。だってあれは――」

 薄暗い中から、ぼんやりと何かがやって来ているのがわかった。

「やばいです! 今までの魔物の中で、一番の殺気が」

「誰が魔物だ!!」

 洞窟の中に低い響く声。それは、隊長のものだった。

「え?」

「お前ら、こっちが悲惨な目にあっている時に、呑気に甘いもん食いやがって!」

 ウルガスはやっと、弓矢を下ろしてくれた。

 それから、じわじわと涙目になっていく。

「た、隊長~~!!」

 ウルガスはがばっと立ち上がり、隊長に抱きつこうとしたが、左右のほっぺを掴まれて、全力で拒絶されていた。

「気持ち悪い、なんで抱きつくんだ!!」

「だって、だって~~」

 まあ、気持ちはわからなくもない。

 雪熊かと思ったし、隊長死んだと思っていたし。

 生存は隊長だけでなく、ガルさん、ベルリー副隊長、ザラさんも生きていた。

 さらに、ガルさんの背中には、行方不明になっていた貴族のお坊ちゃんが!

「途中でガルが見つけたんだ。けれど、崖の途中に引っかかっていて、救助に時間が掛かった」

 隊長達は必死に救助をして、お坊ちゃんを助け出したのだ。

 ベルリー副隊長は目が据わっていた。ザラさんの髪の毛は解れていて、疲れているように見えた。

 ガルさんも尻尾がしょぼんとなっている。

「クソ……こいつのおかげで、とんでもない事態に巻き込まれた」

 なるほど。救助で死ぬほど大変な目に遭ったので、殺気立っていたと。

 ごろりと、敷物の上に寝かせられるお坊ちゃん。

「ううん」と唸っている。

 こちらが呼びかければ、返事もしてくれた。自分の名前もしっかり言えた。よかった。意識ははっきりしている。

 まずは状態の確認をした。

 手足や頬などに赤い発疹が出ている。軽度の凍傷だろう。

 まずは体を温めなければならない。

 私は上着を貸そうと脱げば、ガルさんが待ったをかける。

 自分は毛皮があるのでと言って、上着をお坊ちゃんに貸してくれると言う。

「ありがとう、ガルさん!」

 ガルさんの外套ならば、体をすっぽりと覆うことができるだろう。

 焚火の数を増やし、体を温める。

 雪を持って来て湯を沸かす。再び雪を持って来て適温にすると、指先などをじんわりと温めた。

 血行がよくなれば、手巾で水分を拭い患部を揉んで、仕上げに保湿クリームを塗った。

 応急処置はこれで完了。あとは体温を下げないようにしなければ。

 外は嵐のようになっているらしい。ここまで辿り着けたのが奇跡だと思った。

「ガルが甘い香りがするって言ったんだ。きっと、お前らの仕業に違いないと思って、賭けに出た」

「そうだったんですね」

 焼きマシュマロのおかげで、合流できたのだ。

 やっぱり、マシュマロは凄い。

「そうそう! 焼きマシュマロ、とっても美味しいんですよ!」

「俺はごめんだ」

 他の物が食べたいと言われ、ハッと我に返る。

「すみません、食事を……あ、お茶を淹れますね!」

 お坊ちゃんの応急処置が終わって気が緩んでいたけれど、隊長達は食事を取っていないのだ。

 作っておいたカナッペを勧めつつ、お湯を沸かしながら、ソーセージを炙った。