Riot Grasper
Eight Stories [Two Talking Backs]
メルベイルの西側にある大通りは、港町パスクムからの交易品が行き交うために活気に湧いている。
昼時には料理屋台を出して路上で商売をする者もいるため、辺りを漂う香りは食欲を刺激するものとなるのであった。
現在の時刻といえば、昼の十二時を告げる鐘の音が鳴ったばかりだ。
屋台が軒を並べている一画で、二人の男が椅子に座って飯を食べている。
「――そうか……魔族の襲撃で……その、お前さんの家族……ミレイさんとリムちゃんは無事なのか?」
フサフサとした毛に覆われた耳が頭部側面に垂れた状態になっている犬の獣人が、そんな言葉を口にした。
腰の後ろ側にある尻尾もまた、椅子から垂れ下がって地面を擦りそうになっている。恰幅の良い身体を包み込む衣服は、異国で編み上げられた生地に刺繍が施されている商人服だ。そこそこ値が張ることを鑑みると、商売を順調にこなしていることが窺える。
「ああ、いや、ミレイは……死んだ。無事に逃げることができたのは、オレと娘のリム……後は数人といったところか」
犬の獣人――ドーレの問いにそう返したのは、狼の獣人である。
お世辞にも引き締まった身体といえないドーレに比べて、その身体は獣人ならではの身体能力を十分に発揮できるように鍛錬されたものだ。
革の鎧を身に付け、戦うことを前提とした出で立ちの男の顔は獣面といって差し支えない強面だが、発せられる口調は穏やかである。
身長190cmを超える体躯は、座っていてもドーレより頭一つ大きい。
狼の獣人――アーノルドは、妻の死を口にして微かに顔を顰めた。
片耳にある古傷を指で弄り、一度だけ息を吐いてドーレの次の言葉を待つ。
「……すまなかった。そんな大変なことがあったなんて知らず、昔話でもしようと誘ったのは軽率だったな。くそっ、その時に俺がいれば……」
ドーレは過去にアーノルドと同じ村で暮らしていたのだが、早くに両親を亡くし、かれこれ十年と少し前、村を出て商人となることを決めたのだ。
頭の回転も悪くなく、要領良く物事をこなすドーレは商人として地盤を固める日々を過ごしてきたのだが、村には一度も帰ることはなかった。
メルベイルで偶々かつての友人に再会したのが、昨日の出来事というわけである。
再会を喜んだ二人は、今日こうしてお互いの近況を報告し合う場を設けたのだ。
「はっは、よせよせっ……そんな弛みきった身体で何ができるものかよ。お前まで逃がそうとして、オレまで魔族に殺されていたことだろうさ」
友人の言葉を豪快に笑い飛ばし、アーノルドは片手でバシバシとドーレの背中を叩く。
「うっ……ゲホゲホ……な、何言ってるっ……俺だってなぁ、昔はそこそこ……」
背中への衝撃で咳き込むドーレが反論する。
が、確かに……長く鍛錬していないであろう腹はポッコリと出てしまっており、とても戦闘に役立つ要員には思えない。
「昔は、だろう? 十年以上も商人として仕事をしているお前が魔族の前に飛び出せば、瞬殺されるに決まってる」
「随分と言ってくれるじゃないかっ。よし、俺だってもう一度鍛え直して――」
「――やめろ、いや……やめてくれ」
息巻くドーレに一言、至極真面目な色を含む声で静止する言葉が放たれる。
「な、なんだよ突然……」
そのあまりの口調の変化に、ドーレが驚くように見返す。
「いや……すまん。ただ、お前はこれからも商人として生きればいい。さっきのは冗談なんだろうが、間違っても魔族をどうこうと考えるなよ」
「……ああ」
アーノルドが真剣な表情で訴える意味――ドーレはすぐさまそれを理解した。
隣に座る狼の獣人は、決して弱くない。むしろ強い。
それこそ昔の話であれば、自分もそこそこ対等に戦うことができたが、あれから十年以上も経っている。
アーノルドは更に力を付け、自分は衰えた。
それなのに、友人は娘一人を助けることが精一杯だったと言ったのだ。
魔族と実際に相対したことはないが、その恐ろしさは確かに伝わってきた。
つまり――隣に座る友人は心底この身を案じてくれているのだ。
「――ところで、リムちゃんはどうしたんだ? 挨拶ぐらいはしておきたいんだが」
場の空気を変えるため、少しばかり意図的にドーレは話題の転換を図る。
先程の話だと、娘は無事のはずだ。
アーノルドにいえることではないが、ドーレはミレイに恋心を抱いていた。
結局のところ、ミレイと結ばれたのはアーノルドだったが、別段ドーレがそれを恨んでいるというようなことはない。
素直に祝福できるほどには、アーノルドとも、そしてミレイとも仲が良かったからだ。
リムが幼い頃の姿しかドーレは知らないが、どことなくミレイに似ていたということは覚えている。
「確かミレイさんに似ていたから……今頃は綺麗になってるんだろうな。良かった良かった」
「父親に似なくて良かったと聞こえるんだが……?」
「ん? その解釈で合ってるとも。お前さんに似たんじゃあ……そりゃもう大変なことになる」
「その喧嘩買った……弛んだ身体を叩き直してやる」
「いいとも。商人の根性を舐めてもらっちゃ困るっ……と、それで、何で居ないんだ?」
昔にやったような他愛もないやり取りを楽しみつつ、ドーレがふたたび質問した。
「お前と会えば村が襲われた時のことを話さねばなるまい? あいつは、まだ……自分の中であの出来事を消化できていないからな。時々夜にうなされることもある」
「なるほど、な」
「だから……今頃は、良い景色とやらを満喫してるだろうさ」
「ん? そりゃどういう……?」
面白そうに頬を緩ませるアーノルドの顔を不思議に思いながら、ドーレが続きを促す。
「この街に来てからなかなかに面白い少年と出会ってな。歳はリムと同じか少し下ぐらい……いや、確か本人はもう少し上だとか言っていたか……まあいい」
「獣人の少年かい?」
「いや、ヒューマンだ。これが外見からは信じられないほどの剣の腕を持っていてな。初めて会った時でも強かったのだが、短期間でめきめき力を付けている。たまに一緒に冒険者としての依頼を受けるんだが、最近では魔法も習得したらしい。身体能力ではオレに分があるが……戦えば勝つのは難しいだろう」
アーノルドの言葉に、ドーレは少々驚く。
ヒューマンの少年が、この屈強な獣人をして勝てないだろうと言わしめたからだ。
獣人の身体能力はヒューマンと比べてかなり優れている。
その上アーノルド自身も身体を鍛えているのだ。身体能力で勝るのは当然のこと。
それでも勝てないというのは、相手の技量がアーノルドよりも一歩次元の違うところへ達しているということだろうか。
そもそも、ヒューマンでありながら魔法の素養を持つ者は少ない。
種族的にエルフやドラゴニュート、魔族などは素養に恵まれており、逆に獣人やドワーフは魔法を扱える者が滅多にいない。
ヒューマンは中間に位置するが、それでも二十~三十人に一人程度の割合だったろうと、ドーレは自らの記憶を探る。
「そりゃあ、凄い少年もいたもんだな……それで、リムちゃんにどう関係してくるんだ?」
「最初は歳も近いので、沈んでいるリムの話し相手になってやってほしいと頼んだのだが、これがなかなかどうして、リムが最近明るさを取り戻してきたのはセイジのおかげかもしれん」
「セイジっていうのが少年の名前か?」
「ああ、今頃はパウダル湿地帯の景色を楽しみながら、二人で昼飯を食べてる頃だろうな」
純粋に娘が元気になっていくことを喜んでいる良き父親なのだろうが、わずかばかりドーレの中に悪戯心が芽生えた。
恋に敗れたささやかなる復讐というものである。
「ふーむ、もう父親公認の仲ってことか」
「……なに?」
訝しげな表情をする姿に、ドーレはかかったとばかりに追撃する。
「いや、だからリムちゃんと……セイジ君? が」
「はっはっは、馬鹿を言うな。あの二人はまだ子供だぞ」
脳裏によぎる微かな不安を強引に笑い飛ばすかのように声を上げる。
「じゃあ訊くが……お前さんがミレイさんのことを女性として意識するようになったのはいつごろだ?」
「……」
「今の二人とそう変わらない年齢だったんじゃないか?」
突如、アーノルドが握っていた陶器製のコップに罅が入ったと思われた瞬間――
ビキバキ……パァンッ!
と、弾け飛んだ。
悪戯が過ぎたかと感じたドーレが半笑いで粉微塵になったコップを見やり、屋台の店主に謝罪の言葉とともに数枚の銅貨を手渡す。
「――ま、まあ冗談だ。話を聞く限りセイジ君は良さそうな少年だし、大丈夫だろ」
「あ、ああ、そうだな」
動揺を感じさせぬように努めているが、アーノルドは微かに震える手で取手のみとなってしまっているコップを口元で傾けた。
そんな様子を窺うドーレであったが、ふと視線が相手の耳に止まる。
片耳の一部が千切れたように欠けてしまっていた。
「――……なぁ、その傷って……」
「ん? これか。ああ……これは別に魔族の襲撃の際についた傷じゃないぞ。お前が村を出た後の話だがな」
「あ~……さっきはあんな冗談言っておいてなんだが……大丈夫か?」
ドーレは友人の顔を窺うようにして質問する。
ミレイが亡くなったことを聞いてドーレは少なからずショックを受けているが、それを一番嘆いているのは家族であったアーノルドとリムだろう。
懐かしい友人に出会ったことで弾む話の内容は、どうしても過去の情報を引き合いに出すことが多くなってしまう。
今さらだが、妻を亡くした友人に過去の話をさせることが負担にならないかと心配した結果の言葉だった。
「心配するな。オレはもう……大丈夫だ。ミレイとも仲の良かった友人であるお前と話をしていると、確かにあの頃のことを思い出す」
「……」
「今は少しばかりそれが辛くもあるが……同時に嬉しくもあるからな」
「そりゃ、また……なんでだ?」
その意味するところをすぐには理解できないドーレが、不思議そうな顔をする。
「オレはあいつの……ミレイのことを沢山知っている。だが、知らない一面だってあったかもしれないだろう。お前との会話で……あいつのことを思い出し、もしかしたら新たな一面を発見することだってあるかもしれん」
「……ああ」
「もう会うことは叶わんが――それは……きっと嬉しいことだろうよ」
ドーレは傾けていたコップをテーブルに置き、俯いた状態で一言だけ呟きを漏らした。
「ミレイさんは、幸せだったんだろうな……」
両親を早くに亡くし、故郷に未練もないという理由で村を出たが、密かに想っていた相手が友人と結ばれたということも、ほんの少しではあるがドーレの背中を押した。
十年以上の年月を商人として成功するために費やし、今では二人が幸せに暮らしているならそれが良いと心の底から思えるほどに気持ちは安定した。
それでも、ミレイが亡くなったという報告を受けて『もし俺と結ばれて村を出ていれば……』といった感情が、沈殿していた堆積物から顔を覗かしたのは否定できない。
だが、そんな感情が、ドーレの心の裡から取り払われた。
これで、良かったのだ――――と。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
「――この傷はな、そう……確かリムが7歳の時だったか。ミレイが病で寝込んでしまったことがあってな。《赤熱症》だった」
赤熱病とは、アーノルド達が住んでいた地域で発生する原因不明の風土病であり、罹患すると高熱で苦しむことになる。
熱は七日七晩続き、抵抗力が弱い者は命を落とすこともある難病だ。
獣人は魔法の素養を持つ者が極端に少なく、治癒魔法の使い手は村に存在しなかった。
仮にいたとしても、病の原因が何かということを理解できなければ魔法による治癒は望めない。
ただ、森に住む《メディタートス》という亀型魔物の甲羅に生えている苔を煎じて飲むことで、対症療法的に熱を下げることができるとされている。
「確か……普通の熱冷ましの薬草なんかは効果がないんだったな」
「ああ、だがメディタートスは好戦的ではないにしてもやはり近づけば襲ってくる魔物だ。それもかなり強い」
「俺も見たことならある。あれは……苔を取るのも命懸けになるだろうな」
それでも熱を下げることができるのならとアーノルドが森の奥へ向かおうとした際、ミレイがそれを止めたという。
そんな苔が無くとも自力でなんとか頑張るから、危険なことはしないでくれ、と。
アーノルドはしばし悩んだが結局はミレイの言に頷き、横で看病することに努めた。
――三日が過ぎ、熱に苦しむミレイの姿に我慢ができなくなったのは娘のリムだった。
『パパのいくじなし。ママはあたしが助ける』
そんな置き手紙を残して夜の森へと一人で向かったらしい。
早朝、それを読んだアーノルドはすぐさま後を追いかけるように森へと駆けた。
発見した時には、メディタートスの強靭な顎がまさにリムを噛み砕こうとする瞬間だった。
小さな身体を傷だらけにしながら、息も絶え絶えの状態で、泣きながら何かを叫んでいたらしい。
「それで……どうなったんだ?」
話の続きを促すようにするドーレに、アーノルドが苦笑して返す。
「本当に危なかったがな。今こうしてオレも娘も無事なのだから、つまりはそういうことだ。片耳を喰いちぎられ……身体にも何箇所か傷を負ったが、リムを助けることはできた。この傷はその時のものだ」
「はぁ~、無茶するなぁ……7歳の時だっけか? いやはや」
「なんとかメディタートスを振り切って村へ帰ったのだが、そこからがまた大変でな。なにしろオレは血塗れでリムは泣きっぱなしだ。家に戻ったオレ達を見てミレイは卒倒しかけていたな」
当時の状況を思い返し、一部欠けてしまっている耳を弄りながら獣人が微かな笑い声を上げた。
「リムの凄いところはここからだ。掌に握りしめていたものをミレイに差し出したんだが……なんだと思う?」
「まさかっ、メディタートスの苔……?」
「はっはっ! 我が娘ながらやるもんだと思ったぞ」
ミレイの顔は怒りと嬉しさがない交ぜになった奇妙な表情をしていたと、アーノルドは言う。
リムはまず一人で勝手に森の中へ行ったことへのお叱りを受け、頬を叩かれて更に泣いたらしい。
ミレイ曰く『何かを成すという判断は、最低でも自分の力で責任が取れるようになってからになさい』とのことだ。
苔を持ち帰ることができたのは、アーノルドが助けに来たからであって、リムだけならばメディタートスの腹の中に収まっていたことは確実である。
当時、その言葉の意味を半分も理解できなかったろうリムは泣きじゃくっていたが、今はどうなのだろうか。
泣き叫ぶリムを今度は抱きしめたミレイが言ったのは、お礼の言葉。
『――ありがとう』
優しく、慈しむように頭を撫でる姿は、怒りを露わにしていた先程の光景が嘘のようだったらしい。
「――ここからがまた大変でな。ミレイはそのまま熱で倒れるわ、オレも傷から血が出るわ出るわで、またリムが泣き出す始末だ。他の村人に手伝ってもらって事なきを得たが、あれはなかなか大騒ぎだったな」
「そりゃまた……大変だったな。にしてもミレイさんがそんなことをねー……立派な母親してたんだな。昔は人のこといえないような無茶したくせに……」
昔を懐かしむような素振りのドーレに、なんのことだ? と聞き返すアーノルド。
「ああ、これはお前さんが知らない事かもしれないが、ミレイさんが小さい頃にな――――」
「なに……そんなことが――あいつそんなことは一言も……――」
――そんな昔話を、アーノルドは一言一言を噛みしめるように頷いては、わずかに目尻に涙を浮かべていた。
「――すまんな、なにやらこちらの話ばかりになってしまった」
「いいさ。久しぶりに会った友人と話す内容は、どうしても昔話になるもんだよ」
一頻り二人が語りあい、時間もそれなりに経った頃。
「よし、少し早いがゆっくりと酒が飲めるような場所に移らないか?」
「お前……仕事の方は大丈夫なのか?」
「ああ、今日は問題ない。とことん飲もう」
「……うむっ、それならば丁度良い場所があるぞ」
大柄の獣人が立ち上がり、続いて少し丸みを帯びた垂れ耳の獣人も席を立つ。
「で、お前の方は商売を上手くやってるのか?」
「それなりにな。詳しくは店に着いてから話すが、西にある群島諸国とリシェイル王国の交易で利益を上げてる。群島諸国との交易を優遇する政策も持ち上がってるそうだし、アルベルト様万歳ってとこだな」
アルベルト・テュオ・ベラド――メルベイル周辺の地域を治める領主の名前だ。
領主といっても、現リシェイル国王ハーディンの実の弟であり、国王と対等に意見を交わせる間柄である。
政務に優れたハーディンに国王の座を争うことなく譲り、自らは商業都市メルベイルの領主というかたちに収まった。
確かな商才を持って他国との交易を発展させ、国力増強に一役買っているというのは商人達の間では有名なことだ。
群島諸国との交易を優遇する政策も、アルベルトがハーディンとともに進めている。
「リシェイル王国は、さっさとスーヴェン帝国と手を切るべきなんだよ。武力で脅したり汚らしい策を用いて質の悪い農作物や家畜を売りつけやがって……あんなのは商売じゃないっ」
「まあ、落ち着け」
「……あぁ、しかしまあ、今回の優遇策で状況は少し変わるだろうな。大体スーヴェンの奴らはヒューマン以外の種族を見下すから腹が立つ。俺らが南に追いやられて住むことになったのも元々はあいつらのせいで――……」
「よし、分かったドーレ。酒を飲みながらじっくり聞いてやるから、そう喚くな」
「いや、愚痴はここまでだ。次は俺の初めての商談の話を――……」
――こうして、二人の獣人は商業区に向かって歩いて行ったのだった。