Sacred Chevalier

Lesson 51: A Man named Paul

南方都市リューンにある酒場「バロン」は、酒とツマミが楽しめる。いわゆる「アペロ専門店」としてリューンでも名の知れた酒場であった。アペロとは、本格的な食事をする前の「軽い飲み」のことである。この店も夕暮れ時になれば、仕事を終えた男たちが夕食の前に集まり、会話をしながら軽いツマミと葡萄酒、あるいはもっと強い酒を楽しむ。

だがこの日のバロンは貸し切りであった。カイトをはじめとする英雄(シュヴァリエ)候補生三十人が集まり、男だけでアペロする。

「では改めて、無事に行軍訓練を終えたことを祝って……」

ステファン・ランズベルクが音頭を取って乾杯する。カイトは今回、英雄として参加していたため行軍訓練自体には殆ど加わっていない。ここにいる全員を引っ張ったのはステファンである。男だけの非公式の打ち上げで前に出るほど、カイトはでしゃばりではない。

「改めて紹介するよ。アルテュール、オスカル・ヴェルレーヌ、パウル・ミラボーだよ。隣の教室だけれど、恐らく来年からは一緒になると思う」

「アルテュールだ。学年首席と酒が飲めて嬉しく思う」

「オスカル・ヴェルレーヌ、オスカルで構わない。卿とは一度、忌憚なく話してみたかった」

「パウル・ミラボー、パウルで結構」

「カイトだ。アルテュールとオスカルの名前は知っている。聖騎士たちが知力、体力、生命力を兼ね備えた俊英と噂していた。パウルは初めてだったが、ルカに着くまでの経緯を聞いて驚いた。一人で動いた理由、そしてステファンたちに話を持ちかけた背景もな。知り合えてよかった」

「ありがとう」

パウルは特に嬉しくもなさそうに、無表情のまま素っ気なくそう返事をした。ステファン、アルテュール、オスカルは肩を竦めただけだが、その暗さを率直に指摘してしまうのがカイトであった。

「なぁ、パウル。もう少し笑ってみないか? あんまり無表情で暗いと、モテないぞ?」

「これが私の地だ。直すつもりもない。不快なら、席を外すが……」

「あぁ、いやスマン。別に不快なわけじゃない。俺の聖騎士にも、無表情な少女……女性がいる。パウルが冷徹な男ではないことは知っている。班を組んだ聖騎士たちに気遣えるんだからな」

相手の気持ちを配慮できる男が、冷徹なだけの男であるはずがない。「そういう個性なのだ」とカイトはパウルを受け入れた。

「ところで、みんなは自分の番いを決めたのかい?」

タイミング良く、ステファンが話題を変えた。

「あぁ、俺はもう決めている。クララだ。明るく可愛らしい性格が良い。同じ平民だしな」

アルテュールが快活に笑う。一方、オスカルは難しい表情を浮かべた。

「俺の場合は、実は悩んでいる。二人までは絞り込んだのだが、決めるにはもう少し時間が欲しい。カイトのように、いっそ複数の聖騎士を持ちたいほどだ」

「へぇ、その二人って誰だい?」

「フェルティア・フランドルとジュリエット・アルトワだ」

「両方共、中立派の貴族出身だね? なるほど……」

カイトとアルテュールは顔を見合わせた。平民の二人には貴族社会の機微など無縁の話である。オスカルが事情を説明する。

「現在、王国の貴族はジャヴァール派、フェアチャイルド派、中立派の三つに分けられている。ヴェルレーヌ子爵家は中立派の末端に位置する貧乏貴族だが、それでも貴族は貴族だ。学院にはジャヴァール派やフェアチャイルド派出身の聖騎士候補生もいるが、彼女たちを選ぶわけにはいかない」

「だが英雄になった時点で名誉貴族となり、実家とは別の家を持つことになる。そこまで気にすることなのか?」

アルテュールの疑問に、オスカルは仕方なさそうに笑った。

「こればかりはな。俺がどうとかではなく、周囲がどう見るかという問題だ。俺は次男だが、それでも実家に迷惑を掛けるのは気が引けるからな」

「なるほど。貴族社会ってのは存外、面倒なんだな。ステファンのところは大丈夫なのか? ランズベルク伯爵家といえば、確かフェアチャイルド派だったよな?」

カイトは面倒くさそうに背もたれに寄り掛かり、友人に顔を向けた。

「僕は平気だよ。ランズベルク家は確かにフェアチャイルド派の中でも上位だけれど、そもそもフェアチャイルド派というのはそこまで締め付けはキツくない。それに僕は三男だ。当主が集まる会合でも、話題にすらならない存在だよ。それよりむしろ、パウルのほうが気になるよ。ミラボー男爵家は、ジャヴァール派だったよね? パウルはどうするんだい?」

「別に考えていない。私の聖騎士(パラディン)になりたいという者がいれば、来る者拒まずだ」

「……ほう?」

「おいおい、パウル。いくらなんでも、それは投げ遣りだろ」

スッと目を細めたカイトの横で、アルテュールが意見する。だがパウルは淡々と語った。

「私はミラボー男爵家から放逐された身だ。当主から勘当を受けている。私が学院に入ったのは、食べていくためだ。英雄になれば、カネに困ることはない。無論、私は早死するつもりはないし、自分の聖騎士を疎かにするつもりもない」

チリッという僅かな苛立ちが、カイトの中に生まれていた。これまでの経緯から、目の前の男が相当に切れることは理解っている。だが、自分とは何かが合わない。

「勘当って、いったい何をやらかしたんだい?」

ステファンが、衝突しそうな話題を巧みに変える。

「ジャヴァール派を抜けて、中立派になるべきだと主張した。ジャヴァール公爵家とフェアチャイルド公爵家、次期当主の器量を考えた時、将来的にはジャヴァール公爵家は没落しかねないと危惧した。だがいきなりフェアチャイルド派に入るのは問題がある。だから中立派になるべきだと言ったのだ」

「で、その結果が勘当ってわけか。パウルも存外、大胆だな?」

アルテュールの冷やかしにも、パウルは無表情であった。

「私は別に、ミラボー男爵家などに興味はない。もともと三男で家を継ぐこともないし、独り立ちをしなければならない立場だったのだ。勘当は良い機会だったというだけだ」

「まぁ、事情はともあれ、今回の行軍訓練で卿に対する認知は大きく変わるだろう。卿の聖騎士になると手を挙げる候補生も出てくるのではないか?」

オスカルが纏める。パウルはただ頷いた。カイトもまた、目を細めたまま、黙っていた。

「英雄(シュヴァリエ)と聖騎士(パラディン)の組織化か……」

カイトの話を聞いたオスカルは、酒杯を手にしながら小さく呟いた。黒髪と青い瞳を持つ美男子は、他の二人の反応を確かめる。アルテュールは酒精で少し顔を赤くしながら頷いた。

「俺は賛成だ。確かに英雄は個々独立の存在なのだろうが、同じ戦場にいるのだ。協力し合えるところは多いだろう。今回の行軍訓練で、全員で協力し合えばどれだけのことが出来るのかも理解ったしな」

「ウム。俺たち英雄(シュヴァリエ)は聖騎士と番いとなり、戦場へと赴く。誰がどの戦場に向かうかは、これまでは軍部からの〈要請〉という形式で決められていた。だがそれは過去からの不文律に過ぎない。しっかりとした組織を形成し、その組織が軍部とやり取りをして派遣先を決定する。誰かに偏るような無理な運用はなくなるし、全体の底上げにも繋がるだろう」

亜麻色の髪を持つ精悍な顔の友人が賛同し、オスカルも自分の考えを述べる。だがここに、別の意見がテーブルに載せられた。載せたのはパウル・ミラボーである。

「正直言って、夢物語……だな」

「ほう? どうやらパウルには異論があるようだ。卿の意見を拝聴しよう」

オスカルの瞳が冷たく光る。パウルは頷き、カイトを真正面に見据えた。

「第一に、現役の英雄たちからの承認をどのように取り付けるのだ? 現在、王国内にはニ百名を超える英雄がいるが、まずは彼らの賛同が必要となる。王国から得ているカネは、形式的には援助金という名目だが、実質は給金であり生活費だ。王国に楯突いてまで、彼らが動くだろうか?」

そこで一旦、パウルは言葉を切った。四人それぞれに顔を向け、続ける。

「第二に、仮に英雄たちの賛同を得られたとして、どのように王国を動かすのだ? 新たな組織の形成と、それに実質的な権限を持たせるためには、王国の承認が必要となるだろう。王国の貴族社会は三つの派閥に分かれ、暗闘している。そのうち二つ、フェアチャイルド派と中立派の重鎮であるローグライア侯爵の後押しを得たとしても、軍部はいずれの派閥にも与しておらず、独自の利権も持っている。軍部を動かすには、国王陛下の勅命が必要となるだろう。そして最後に……」

パウルはカイトを見つめたまま尋ねた。

「仮に組織が出来たとして、誰がそれを束ねるのだ? 束ねる者は、多数の英雄、聖騎士を動かすことができるのだ。危険なほどの力を持つことになる。そのような〈実力〉を一人の人間に持たせるのは危険極まりない。軍部のみならず、貴族の大多数がそう考えるだろう。以上の理由から、英雄の組織化は不可能だと私は結論付ける」

「では聞くが、どのような条件があれば、実現可能になる?」

カイトは無表情のまま、パウルを見つめていた。ステファンは内心でハラハラしていた。友人がこうした表情を浮かべたときは、大抵の場合、大きな衝突が起きるからだ。パウルの返答が不安であった。

だが、結果として衝突は起きなかった。その内容が、予想の斜め上を遥かに超えていたからである。

「条件はただ一つ。英雄(シュヴァリエ)が強力な権力を握ること。端的に言えば、現在の王国を転覆させ、英雄が新たな国王となり、他の英雄や聖騎士を束ねるのだ。そうすれば誰も邪魔はできない」

「……聞かなかったことにしよう。パウル、卿は少し飲み過ぎのようだ」

オスカルが笑って首を振った。ここは笑わなければならない。笑わなければ、パウルを反逆罪や不敬罪として詰めることになるからだ。ステファンもアルテュールも同じ思いのようで、肩を竦めて笑った。

だがカイトは真っ直ぐに見つめたまま、小声で問いただした。

「お前……貴族が嫌いなのか?」

「嫌いだな。憎んでいると言っても良い。血統などという無価値なものを根拠に尊大になり、統治することが当たり前だと考えている。そのような過去の遺物は、肥壺に投棄すべきだろう」

「止めろっ、お前らっ!」

アルテュールが机を叩いて止めた。酒場内がシンッとする。何が起こったのかと全員の視線が集まった。カイトは息を深く吐き、パウルは厠へと立ち上がった。

「済まないな。不可能だと言われて、つい熱くなってしまった。ここだけの話にしておいてくれ」

「ある意味ではカイトらしいよ。でも気をつけたほうがいい。僕たちは英雄(シュヴァリエ)だ。無知な平民という言い訳は、もう許されない立場だからね」

カイトは頷き、立ち上がると出来るだけ明るい声で、全員に詫た。

「あぁ、スマンッ! ちょっと悪ふざけをして、酒を飲みすぎただけだ。気にしないでくれ」

その後は、パラパラと解散になった。もともと、各人は自分の番い候補たちと食事をする約束があるのだ。夕食前の「食前酒」として集ったに過ぎない。アペロを終えたステファンたちも、思い思いに立ち上がった。

「ふーん、英雄が国王にねぇ…… ま、確かに人前で話す内容じゃないわね」

エルザは美味そうに肉を噛みながら頷いた。食べながら話すなど品がないが、どうやら本人は気にしていないらしい。男性的な性格のソフィアは、口調とは裏腹に上品に食事をしながら頷いた。

「危険な男だな。同学年の学友を悪く言いたくはないが、まるでカイトを焚き付けているようだ」

「そうね。確かに、ジャヴァール派には特権階級意識の強い貴族が多いけれど、国王陛下への忠誠心は本物よ? そんな話を聞かれれば、処刑台一直線だわ」

「ん……そんなことを人前で言う人は、バカ……」

リューンの高級酒場(エスタミネ)「エスキス」の個室で、カイトたち五人は食事をしていた。パウル・ミラボーの提示した「英雄が権力者になる」という意見は、四人からは予想通り、酷評された。

「仮に何らかの理由があって、英雄(シュヴァリエ)が政治的な権力を握ったとしましょう。その人はもう〈英雄(シュヴァリエ)〉とは呼べないんじゃないかしら? 権力とは義務と対になるものよ? 英雄(シュヴァリエ)の義務を果たしながら、権力者としての義務も果たすの? 無理だと思うわ」

「そうだな。俺が考える〈相互扶助組織〉の統括者でさえ、〈元英雄〉という立場になるだろう。俺としては、ワルター・ワッケンハイム殿が相応しいと考えていたんだが……」

カイトは手を止めて考えた。パウルの意見は腹ただしいものだったが、同時に的を射た部分もあった。それにあの時、パウルは「反対」したのではなく「困難さ」を明確にしただけである。既に定まった権力構造を変えるには、政治権力者の力が不可欠なことは、カイトも否定できなかった。

「それにしても、そのパウルという男は気になるな。たしか、エルザとサーシャは同じクラスで座学を受けていたな? どんな男だ?」

「言ってみれば〈陰気〉ね。常に一人で、端っこで本を読んでいるような奴よ? ただ、座学の成績は相当らしいわね。多分、座学だけならカイト以上かも」

「聖騎士候補生からの評判は、あまり良くない。というより、良く解らない」

エルザとサーシャの答えは、半ば当たり前の評価であった。カイトは黙ったまま、パウルの言葉を思い出していた。

(私の聖騎士(パラディン)になりたいという者がいれば、来る者拒まずだ)

(あの男にあるのは、英雄としての責任意識だけなのかも知れん。一人の男として、女を想う気持ちが欠落しているのではないか? 英雄は聖騎士に女神の加護を与える存在。戦場で聖騎士を動かし、活躍させ、それを支える。それさえしていれば良い…… 冷徹に、合理的にそう割り切っているのではないか? 恐らくあの男、自分の聖騎士が他の男と寝たところで、なんとも思わないのだろう……)

「カイト?」

エルフィーナに問いかけられ、カイトは思索から戻った。

「どうしたの? 怖い顔をしていたわ」

カイトはエルフィーナを見つめ、そしてソフィア、エルザ、サーシャを見つめていった。

「いや、俺は果報者だと思ってな。四人もの素晴らしい女性を聖騎士として持つことができた。俺の聖騎士(パラディン)になってくれて、有難う……」

頭を下げるカイトに、四人は戸惑った。毎日のように交わっているのだ。何を今更、というのが感想であった。無論、こう言われて悪い気持ちではないが……

「どうしたの? 今更そんなことを言うなんて……」

「うむ。何か悪いモノでも食べたのか?」

「いや、カイトのことだからきっと、リリア先生に飽き足らず、他の女にも手を出そうとしているのよ」

「カイト、頭を下げてもお菓子はあげない……」

四人それぞれの反応に、カイトは笑った。パウルの在り方を否定するつもりはない。だがやはり、自分とは合わない。カイトはそう思った。

王都の南東にあるプルージュ湖は、温暖な気候と豊かな森林に囲まれ、古くから景勝地として貴族の別荘が並んでいる。その別荘地から少し離れた場所にある平民たちの街〈デンハーグ〉の一軒家に、その母娘はいた。母親の名はエマニュエル、娘はアドリーヌという。その美貌は街中の評判であった。

平民ではあるが、お金には困っていない。エマニュエルの亡き夫は南方ではそこそこ知られた商人であった。すでに商会は他人の手に渡っているが、それなりの財産を遺してくれていた。さらに数ヶ月前、一人の女性が訪ねてきて多額の金を置いていった。

(お嬢様を護れなかったのは、学院長であった私の責任です。申し訳ございません……)

勝ち気そうな見た目とは裏腹に、礼儀正しく丁寧に謝罪し、ことの顛末を詳しく教えてくれた。不運な事故であった。長女を喪った悲しみは大きかったが、目の前の女性を責める気にはなれなかった。

「母様、準備ができましたですわ。早く王都に行きましょう」

「あらあら、アドリーヌったら……急がなくても王都は逃げませんよ?」

アドリーヌに笑顔が戻ったのはいつ頃だっただろうか。姉が大好きだったアドリーヌは、訃報を聞いてから二週間は、塞ぎ込んでしまっていた。番いだったという同学年の男性からの手紙が来たときも無視していた。しばらくして、娘の部屋にその手紙があったから、知らぬうちに読んでいたのだろう

その手紙には、亡き娘への想い、守れなかった悔悟と自責の念が、痛切な程に認められていた。娘をどれほどに愛していたのか、一読して理解った。

母親であれば、距離が離れていても自分の娘の気持ちを察することはできる。娘は幸せだったに違いない。きっと、手紙の差出人である男の腕の中で、微笑んで逝ったのだろう。

「まず、姉様のお墓参り、続いて王都見学ですわ。姉様が通っていた学院も、ぜひ見てみたい……いいえ、そこで勉強したいですわ」

「貴女が入学するのは、来年の九月ですよ? まだ先のことです。まずは学院長へのご挨拶が先です。それと、あの手紙をくれた人にも……」

エマニュエルは、母性あふれる美貌に笑みを湛えた。一方、アドリーヌは姉に良く似た顔を少し膨らませた。気弱に見えた姉とは違い、性格はどちらかというと勝ち気である。

「姉様を守れなかったダメ男、一発、殴ってやるんですわ。それでスッキリしますわ」

隣人たちが馬車に荷物を運び入れてくれていた。二人の出立を名残り惜しむ。

「皆さん、本当にお世話になりました。皆さんのことは決して忘れません」

母娘は馬車に乗り込んだ。大きく突き出た乳房が揺れ、絹のような黒髪が風に靡いた。