「ふぅ……やっぱり、初めからこうすればよかったな」

……結局、俺はその場で拵えた大型オーテムに乗り、山道を進んでいた。

やっぱり坂道は無理だった。

むしろなぜ皆、ここまで体力が続くのか。

ちょっと恥ずかしいが、背に腹は代えられない。

「ほう、そりゃあ便利でいいな、兄ちゃん。ディンラート王国では、こんなのが流行ってんのか」

オーゲンが物珍し気に声を掛けてくる。

これはチャンスである。

「ええ、もう、魔術師は皆使ってますよ。別にあの、俺が特別体力ないとか、そういうアレじゃないんで。ディンラート王国では普通なんで」

「そ、そうか……」

オーゲンは納得してくれたようで、相槌を返してくれた。

文化の違いを利用して上手く誤魔化せたようだ。

やや歯切れが悪いような気はするが、きっと気のせいだろう。

ソフィアは今、杖を掲げて目を瞑って歩いている。

悪魔感知の魔術を使っているのだ。

この山には厄介な悪魔が多数存在しており、如何に戦わずにそれらから逃れるかが問題になってくるそうだ。

中には、出会ったら最後一流の冒険者でも死を覚悟しなければならないほど凶悪な悪魔もいるのだとか。

ソフィアも自分を含めて五人の命が肩に乗っかっていることをひしひしと感じているらしく、目をぎゅっと瞑り、頬に汗を浮かべている。

かなり緊張しているようだ。

俺はオーテムを使ってもっと高精度に楽に感知できる自信はあるが、この辺りの悪魔のことは一切知らない。

慣れている様子の彼女に任せた方がいいだろう。

……というのは建前で、彼女の口と目が塞がっている間は例の猛勧誘が来ないので、今の内に心を休ませておこうという判断である。

正直、ただでさえしんどい旅の道中で事あるごとにあの勢いで来られたら、こっちがバテてうっかり了承しかねない。

「そういえば、リヴ・フォーグが出たっていうのは、どういう場所なんですか? 地図を見せてもらってもいいですか?」

俺は続けてオーゲンへと話を振る。

パルガス村に滞在しているリーヴァイ教の内情を探り、今件の全貌と派閥を確かめておく必要がある。

そのためには全体の中でも話がしやすいネログリフと、ネログリフの信用している彼らとのコミュニケーションは大切である。

刺客が紛れ込んでいないかを炙り出すためにも、積極的に声を掛けておきたい。

「ここだな、この、バッテンをつけてあるところだ。この辺りで、ふっと消えてな」

「それは、見失った……っていうことですか?」

「いや、リヴ・フォーグは……ふっと消えるんだ。遠くから仕留めようにも、小さい上にすばしっこくてな……動く豆粒を矢で射抜くようなもんだ」

「えっと……じゃあ、どうやって捕まえるつもりなんですか?」

「消えたと言っても、リヴ・フォーグは、そう遠くまで移動しているわけじゃない。消えたら、虱潰しに手分けして捜索するんだ」

なるほどリヴ・フォーグは転移魔法に近い能力を持っているわけだな。

確かにそれなら、捕まえるのが厄介なのにも納得がいく……ん? なんかおかしくないか?

「捜索するじゃないですか?」

「うむ」

「見つけるじゃないですか?」

「うむ」

「また逃げられて終わりじゃないんですか?」

「だいたいそうなるな。来るときにも、大勢で手分けして捜して二十回ほど姿は見たが……ついに捕まえることができなかった」

ええ……。

「惜しいところまで行ったときはあったんだ。カムラも、もう少し剣が長かったらリヴ・フォーグの頭へ剣を叩き込めるところだった。だからあいつも、今回は他の奴から長めの剣を借りてきている」

……備えてたら、そんなピンポイントな状況ってなかなか来ないもんだけどな。

ひょっとしてこれ、偶然近くにリヴ・フォーグが姿を晒してくれるのを待ち続けなければいけないのか?

ちょっと正攻法で挑むのは遠慮したいところだ。

リーヴァイ教の連中がリヴ・フォーグを見かけて大喜びで一日中追いかけ回して、結局根気が尽きて見失って全員意気消沈しながらトボトボとパルガス村に向かってくる光景が脳裏に浮かぶ。

ネログリフが教徒達を必死に宥めているところまで綺麗に想像できた。

あれ、ちょっと可愛く思えてきたぞ。

「交代して三日三晩追いかけ続けたんだが……まったく駄目でな。挙句の果てには、オーガシープの群れの襲来を受けて……疲労状態でまともに応戦できず、諦めてこっちが逃げ出したわけだ。危うく死人が出る騒ぎだった……」

お、思ったより三倍悲惨だった……。

そこまで必死になって探してたのか。

そりゃそうなるよな。だって、伝説の治療薬の素材だもんな。

ちょっと安請負し過ぎたかもしれない。

俺が考えていたよりも、ずっと貴重で手に入れにくいものだったようだ。

ネログリフも、よく俺にぽんと投げてくれたものだ。

そこまで俺の魔術の腕に期待してくれているのなら、それに答えたいところではあるが……。

つい、今から探す姿勢に入らなければと考え、俺は遠くへと目をやった。

木々には、道に迷わないように縄や印が付けられている。

リーヴァイ教徒が付けた印のようで、色や形状がそのまま地図にメモされているようだった。

「あれ……なんか、地図、おかしくありません? 今、どの辺りですか?」

なんとなく……違和感がある。

目でちらほらと印は追っていたのだが、なんだかズレていたというか……メモされているのとは違った順番で並んでいたような気がするというか……。

「ああ、それはだな……ええと……おろ? 悪いな、すっかり話に熱が籠っちまってたようだ。おい、カムラ……今、地図のどの辺りだ?」

オーゲンは前を向きながら尋ねたが、その先にカムラはいなかった。

「あら? カムラ……は……」

ふと横を見れば、メアとカムラが話をしていた。

「ふんふん、メアちゃんはそれで集落を出てきたわけか。かーっ、酷いとこもあったもんだな、そりゃあ。目を付けられながら逃げ回るなんて、つれぇだろ? どうだ? この騒動が片付いたら、リーヴァラス国に来てみねぇか? リーヴァイ教は来るもの拒まず、清濁併せ呑むのがモットーだからな。さすがにそいつらだって、国外までは追ってはこねぇだろう」

カムラが馴れ馴れしくメアの肩へと手を回していた。

メアはおどおどしながらも、どうにか身体を捻じらせてカムラから自然に距離を取ろうとしている。

俺がソフィアから勧誘を受けていたときはばっさり切り捨てていたのだが、自分がいざ照準を向けられるとはっきりとは返し辛いようだ。

なんというか、見ていて苛立った。

「えっ、えーっと……と、とりあえず、アベルに訊かないと……あ、アベル……話、終わりましたか?」

メアが助けを求めるように俺を見る。

俺はオーテムから降りて間に分け入り、強引に二人を引き離した。

メアは俺の服の裾を掴みながら、俺を盾にカムラからの死角へと回り込む。

「その点については、心配してもらわなくても大丈夫です。そのためにファージ領まで来たようなものですし、お互いの集落からも十分離れていますから」 

「とと……ああそう? それはいらない世話だったみたいだな」

カムラは横槍を入れられても特に気分を害した様子もなく、ヘラヘラと笑っていた。

俺はカムラを一瞥してからメアへと振り返り、小声で耳打ちした。

「……多分こいつ、クロエの一派の刺客だぞ。向こうに来てた、宣教師のリングスと雰囲気が似てる気がするし。気を付けろよ、次に声掛けられたら、変に気遣わなくても、優先して呼んでくれていいからな?」

「別にあの人とは、そこまで似てない気はしますけど……」

「悪ぃ悪ぃ、ちょっと馴れ馴れしかったか、俺? まぁそんなピリピリすんなって、リヴ・フォーグ狩りには、根気の次にチームワークが大切なんだからよ」

こいつ、勧誘は控えろって言ってた癖に……いや、そうは言っていないか。

ソフィアを止めてくれてはいたが、あれは普通に勧誘関係なく止めるか。

……というか、やっぱり一番大切なのは根気なんだな。

いや、わかってはいたけど。

「おいカムラ、今はリヴ・フォーグのことに集中しろ。気が緩んでたら、全員山の悪魔にばっくりいかれちまうぞ」

「オーゲンまで、固いこと言うなぁ……ただ俺はさ、メアちゃんが悩んでるみたいだったからそれならどうだって言ってただけじゃんかよ。もっとさ、砕けて行こうぜ。この山にはそこまで好戦的な悪魔はいないはずだから、避けて通ってりゃ目を付けられることなんざないって話だろ」

「ったく……それはいいとして、今は地図のどの辺りだ?」

「今は……この印んとこだ。例の場所までそろそろだな」

「いや、そこは違うだろう。印が地図とかみ合わんぞ」

「は? え……あれ? となると……」

オーゲンの訂正を受けたカムラが動揺しながら、手にした地図を広げて顔を近づける。

お、おいおい……これ、本格的に迷子じゃないのか?

「あの、魔力方位計とかは持ってないんですか?」

「この山の魔力場の歪みが酷すぎて、まともに機能しなくてな……」

あ……なるほど。

「ちょっとソフィア、止まれ。道、迷っちまったみたいだ」

カムラに名前を呼ばれたソフィアが、目を開きながらこっちを振り返る。

表情がやや引き攣っている。

ただ、道に迷ったから、というわけではなさそうだ。

「……そのう、悪魔、来ちゃってるみたいです。それなりに、大きいのが」

「あ? マジかぁ……このタイミングかぁ……マジかぁ……」

カムラが頭を抱える。

「それも、なんだか前後から感じると言いますか……それにしても、妙で……何が変とはしっかり言えないのですけど……違和感と言いますか……」

前後……つまり、二体で挟み撃ち、か。

「下手に動きたくないときに……」

最悪だ。

後ろにいるということは、安易に来た道を引き返すこともできない。

道がわからなくなった今、一番無難な手段を奪われた。

おかしい。

確かに各々気が逸れていたとはいえ、ここまであっさりと現在地が把握できなくなるとは……。

「クソ、なんか目印が変だな……悪魔に細工でもされてたのか?」

「とにかく……最悪を考えれば、今回はもう諦めてとにかく降りるしか……。ネログリフ様と、パルガス村の民には申し訳ないが……」

「あ、あのう……片方、離れていたような気もします。ただ、後を追う形になったら、刺激するかもしれませんが……」

リーヴァイ教の三人組が、地図を眺めながらあれやこれやと騒ぎ始めた。

俺も横から首を伸ばして地図を見る。

ふと、違和感が頭の中で合致した。

「あ……どこか、わかったかもしれません」

「ほ、本当か兄ちゃん! よかった、これで逃げられる……」

オーゲンがほっと胸を撫でおろす。

俺は地図に手を伸ばし、一本の道を指でなぞる。

「兄ちゃん、その道は印の順番が……」

オーゲンが言い切るより先に、印の一つまで来たところで、指でなぞり始めた位置まで指を戻す。

「……多分、こっからこっちに飛ばされてます。これで順番も合いますし、途中でちょっと違和感もあったんで。種はわかりませんけど……まるで、こことここの道がくっ付いてたかのようですね。この山が特殊な魔力場だからこそできることなのだとは思いますが……これ、かなり高位の悪魔ですね」

これで唐突に迷った理由も、悪魔から挟み撃ちにされた理由も説明がつく。

恐らく……今、こっちを狙って来ている悪魔は一体だ。

ただ、前後の道が繋がっていたがために、まるで二体いるかのように錯覚してしまったのだろう。

片方が近付いた分だけ、片方が退いていたのにも納得がいく。

悪魔の縄張りにうっかり足を踏み入れてしまったようだ。

限定とはいえ、空間操作のできる悪魔など、俺も御伽噺レベルの話でちろっと耳にしたくらいである。

ただ、悪魔の影響で魔力場が歪み、その結果山の魔獣の生態系に影響を与え、リヴ・フォーグを生み出していたのだとすれば、大元である悪魔もそれだけの力を持っていると考えるべきだろう。

ただの幻覚魔法なら、はっきり言って俺が気付けない理由がない。

魔力による精神干渉を行い、そのことを気付かせないなど、格下の相手にしかできないことである。

空間をひん曲げていると考えた方が筋が通る。

「ば、馬鹿な……そんな悪魔がいたとして、なんでわざわざ俺達なんかを狙い撃ちするんだ! 来るときだって、まったく目を付けられなかったのに! そんな好戦的な危ない奴がいたら、もっと騒ぎになっているはずだ!」

「なにか……なにかタブーでも、踏んでしまったのではないでしょうか?」

オーゲンとソフィアが騒ぎ出す。

「なんでアンタらはそんな落ち着いてんだ! おいっ!」

カムラが、俺とメアへと苛立ったように叫ぶ。

「ご、ごめんなさい、なんていうか……メア、慣れちゃったんで……」

「悪魔の行動原理なんて、人間が簡単に理解できるものではありませんよ。ただ……ひょっとしたら、何か悪魔の気に障る物でも、誰かが持っているかもしれません。とりあえず皆さん、呪われてる魔法具だとか、出所がわからない怪しい魔法具があったら出してみてください」

「な、なるほど……しかし、そんな妙なものを持ってきた覚えはないんだがな……」

カムラはそう言い、オーゲンとソフィアを振り返る。

彼らも心当たりはない様子だった。

ふと、俺の頭にラピデスソードが過った。

「あっ……」

ラピデスタトアは、大悪魔サタン十三柱の内の一体であると伝えられている。

その残骸から造ったラピデスソードは、悪魔から見ればあまり気分のいいものではないのかもしれない。

何にせよ、変わった魔法具はそれだけで十分悪魔を引き寄せる理由になる。

たらりと、俺の頬から冷や汗が落ちるのを感じた。

「仕方ねぇ……とりあえず全員、荷物を放棄して逃げてみるしか……」

「や、やっぱり迎え討ちましょう! 戦う前から諦めるべきではありません!」

俺は自分の意見を翻し、応戦の意を表明した。

「……え?」

「だ、だって……今武器やら荷物やらを捨てて逃げ出して、それでも襲われたら敵いっこありませんし、野営の準備がなくなったら逃げ切れたって野垂れ死ぬしかありませんよ!」

「い、いや……今、兄ちゃんが言い出したことだったと思うんだが……」