Saikyou Mahoushi no Inton Keikaku

Seven Nations Meeting III

「本当にあれが魔法師の頂点に立つ男なの?」

「単純な了見だと足元を掬われますよリチア様。彼(か)の討伐は彼がいたからこそ我が軍の被害があの程度で済んだのですから」

「そうだったわね」

リチアとジャンは既にこの場にいない人物が入っていった場所を見やる。

(アルスがなんであんな行動に出たかは不明だが、こちらに害意はないだろう。たぶん)

ジャンは自分ではその考えまでは読めないと諦める。しかしこの場に居合わせ、ルサールカ代表であるリチアを相手にしたのならば思案するしかない。

単純にアルスがルサールカに乗り換えようと考えていると穿つのは浅薄に過ぎるだろう。

とすれば、あれはリチアに対する礼儀と考える。アルスを知るジャンならばそれこそ鼻で笑いたくなるというものだ。

ならば、自国に対する、シセルニアに対するもの。だとすれば合点はいくが、その理由はさっぱりだった。

年齢通りの男でないことをジャンは知っている。

すでにジャンの脳内では別のことが渦巻いていた。今から楽しみというものだ。

なにせジャン以外の他国のシングルが1位を見るのは初めてなのだから。

その横顔を見たリチアも大凡の見当を付け面白そうに微笑む。

「初お披露目ということね」

「……えぇ、ですが、藪を突き過ぎないように見ていないと」

などと言ってはいてもジャンの眼にはハッキリと好奇心が居座っている。

♢ ♢ ♢

まさに元首が休むには十分な一室。アルスが仮眠を取った部屋と比べると調度品などが凝らされている。広さ的には同じぐらいなのだが、天蓋付きのベッドなどいかにもだ。

贅を散りばめたような部屋と言える。

そこにシセルニア、リンネ、アルスの三人が案内され、少々重苦しい空気が漂っていた。

その原因はもちろんアルスにあるわけだが。

正面に置かれた漆喰の机、豪華な椅子にでんと座り足を組んだのはシセルニア。

その傍にリンネが静かに控える。

「やってくれるわね」

「何がです?」

アルスも3人掛けのソファーに座り、ワザとらしく小首を傾げた。

「気付かないわけないでしょ。わかってるわよ。わかっていますよ」

フンッとベールをむしり取る。

真黒な前髪は柳眉を隠しきらないように綺麗に切り揃えられていた。長くカールした睫毛に吸い込まれそうな深淵の黒い瞳。どんな芸術家でも彼女を模すことはできないだろう。そう思わせるほど完成された美貌だ。アルスにその気はないが、彼の知る全ての女性の中で一番美しいのは? と訊かれれば間違いなくシセルニアの名を上げる。

とうの本人は言葉の通りご立腹のようだが、それでも絵になる顔だ。ぷっくりとした唇が引き結ばれていた。

「俺も今回が他国のシングルと初顔合わせなので、これぐらいの距離が丁度いいのですよ」

「いいじゃない少しぐらいデカイ顔したって」

アルスはシセルニアに利用されないために牽制を放ち、他国に移っても構わないという脅しも含めた。無論後者はリチアの働きあってだが。

ルサールカというアルファに匹敵する力を有していれば現実味も増す上、シセルニアとリチアの不仲というのも上手く働いただろう。

彼女はアルスがアルファに属する魔法師だから当然従うと思っているのだ。

アルスはこの女は覇権でも狙ってるのかと勘繰る。当然杞憂なのだが。

この考えもあながち的外れなものではないが、今彼がそれに気づくことはない。

7カ国の盟主とまでは言わずともシセルニアは7カ国中で最も力のある発言力を持ちたいという野望を秘めていた。

そのためには1位という魔法師を有効に使う必要性があったのだ、そんな考えも結局は頭打ち。

だから、これはある種腹いせなのだろう。

「アルス、あなたはアルファの魔法師なのだから、アルファの益となる働きをしなさい」

「…………」

「わかってはいるけど、一応、他国への移動は認められないわよ」

「…………」

「あなたは私の」

「…………」

「言うことを聞いていればいい。アルスの力なら十分に他国へ恩を売ることもできるのだし。代わりに地域の一つでも奪還してあげればいいのだ……か……ら……」

瞬間、室内の空気が張り詰めたものへと一変した。それは殺気と言う名の強者が弱者に向ける威圧。

しかし、元首を前に発して良い類のものではなかった。その出所は斜向かいに座る少年からのモノ。

リンネはコンマ数秒の内に確実な死を体感した。彼女も曲りなりにもアルファの眼、警護として傍仕えをしている身だ。

額にびっしりと汗を浮かばせながらもシセルニアを庇うように前へ出たのは称賛に価するだろう。

そして魔法師とは呼べないシセルニアは苦しそうに胸に手を当て荒い呼吸を上げていた。綺麗な唇が動くが、それは言葉を紡ぐためのものではなく、水の中で酸素を欲するような呼吸。

王族という血のみで今の座にいる彼女にはあまり耐性がないだろう。無論、血のみだけでないことをアルスは知っているのだが。

「勘違いするな」

そう張り詰めた空気を裂くように冷え切った声音が二人の耳に囁かれる。

「アルファなどどうでもいい。俺がいるのはべリックへの恩があるからだ。その点、お前がべリックを総督に据えたのは見事と言えるが。お前に命令する権利があると思ってるのか?」

シセルニアはそれに答えられない。蒼白となった顔は本来の透き通るような肌と相まって血の気が感じられず、俯いて机の木目に視線を固定させている。

「だからと言ってアルファが軽んじられるのはべリックにとっても面白くないだろう……」

「アルス様ッ!!」

やっとといった具合でリンネが声を張り上げた。

アルスは頬を上げてシセルニアを見、殺気を抑える。殺気といってもこれは裏の仕事柄身に付いたもの。普通の魔法師が放つ殺気とは少々異なるものだ。魔法師の場合は魔力に込めて発する類。より死を実感できるのは前者だろう。後者は威嚇や示威に近い。

「というわけだ。失礼は詫びる。まあ、これならシングルを前にしても平気だろう」

リンネは大きく深呼吸して問う。その間に数秒の間があっても仕方のないことだ。

「どういうことですか。シセルニア様は毎年シングルの方々と顔を合わせてますが」

「今回は俺がいるからな。粗相をされたら堪らん」

察したのかリンネからは異論の声は上がらない。最もな理由であるが、それが後付けされたものなのは彼女にもわかる。

「だ、誰が粗相をするって?」

「だてに修羅場は潜ってないか」

シセルニアは精一杯、アルスに眇めた目から放たれる力強い視線をぶつける。張り付いた前髪を無視して繰り返される荒い呼吸。しかし、その口元は確かに不敵な笑みを湛えていた。

「どうする不敬罪で処罰するか? 俺は構わないが」

「それこそ本当に他国に亡命するつもりでしょうが」

アルスはシセルニアの評価を一段階上げる。やはり、厄介な性格をしていると。

失神しない程度には抑えていたが、それでもシングルを相手に及び腰になる程度には殺意を込めたつもりだった。

処罰できないとわかっていて吐いた言葉だが、少々やり過ぎたかなと後悔する。

「アルス様、さすがに次は私も見逃せませんよ」

とリンネが釘をさす。

リンネ自身本当に何かができるとは思っていない。立場から来る言葉だろう。

明確な牽制を放ったが、何もそればかりではなく、アルスがいることによって多少なりとも興味本位の敵意に襲われるはずだ。シングル魔法師全員がジャンのような人間ならば楽なのだけど、と思ってみてもそれはそれで疲れそうだなとも脳裏を過る。

ややあって……とは言ってもややもくそもない。単に二人が落ち着くのも待っていただけだ。さすがにリンネは数分でいつも通りの冷静さを取り戻したが、シセルニアはそうもいかない。

十分近くも水を呑んだりと呼吸を整える。途中チラチラとアルスを見てはため息を溢す姿があった。

「シセルニア様? さすがにそこまで掛かると罪悪感が湧いてくるんですが」

「誰のせいよ。たんと罪悪感を味わいなさい。本当に感じているならだけど」

机にぺたっと頬を付けポツリと「着替える」と呟き、バッと顔を上げる。

「誰かのせいで汗をかいたから着替えます。リンネ、準備!」

「はい!」

当然、その間アルスは部屋の外だ。

二人きりの部屋内で着せ替え人形のごとくリンネに着替えさせられるシセルニアは今一度深いため息を溢していた。

「やってしまいましたね。アルス様はああいう御方ですから」

「知ってる! 今回来たのだってレティさんが任務中だったからでしょ」

「そのようです。アルス様も魔法大会に出場されるからかもしれませんが、もしかすると出場されなかったら来ていただけなかったかもしれませんね」

それを考えこの場に二桁魔法師を連れなければならなかったのかもと、想像するとアルファの国力が疑われるというものだ。シセルニアがアルファ代表であるように、供にする魔法師はアルファの国力を象徴しなくてはならないのだ。

それが他国の魔法師にあてられて萎縮されては目も当てられない。

するりと肩紐を外され、ドレスが音もなく足元まで落ちる。

それが当たり前のようにシセルニアは一歩ずれた。

そして何も言わずにリンネはシセルニアの下着にも手を掛け、取り替える。

「リンネ、あなたは?」

「いえ、私は……」

ふるふると顔を振って否定するが、主人の顔はそれを良しとしないものだ。

「リンネもよね? …………でしょ?」

リンネの盛り上がった形の良い胸を鷲掴みにしたシセルニアは満面の笑みで問う。

「……ひゃい」

「じゃあ、シャワーを浴びましょ」

♢ ♢ ♢ 

会合の場となるのは最上階にある一室だ。つまり5階ということになる。

4階までを三人で行き、そこから先リンネは入ることが出来ない。階段前にいる使用人に身体検査を受け、検査機を潜る。

これは刃物の類、またはAWRで使われる素材に必ず含まれる感応物質を検知するものだ。

問題なくアルスとシセルニアはクリアするとリンネが見送る。

「ここでお待ちしております」

「行ってくるわ」

ここから先は使用人ですら入ることができない。許されるのは元首であるシセルニアと儀仗兵として同伴を許された一名のみである。

シセルニアの後ろを一歩開けて歩く。彼女は来た時とは違いワインレッド色のドレスを纏い、フェイスベールで顔を隠している。これは元首での会合の際は必需品らしい。年齢や性別の差をなくすためだとも聞く。

気丈に歩いているようでもシセルニアの背中、足取りは少し落ち着きがない様子だった。

(脅し過ぎたな)

小さい背中を見たアルスはしょうがない、少しだけ手を貸すかと歩く先にある扉を見据える。

それは閉まっていても異様に漏れだす魔力の奔流だ。謀られたというほどではないにしろ、間違いなくアルスたちが最後の到着。

先を行かなければならないシセルニアには同情する。

近づくにつれ彼女の歩幅は段々と狭くゆっくりとなり、それはアルスが追い抜きそうなほどだった。

「シセルニア様? 俺が先に行きましょうか」

「だ、大丈夫。そんな恥を見せる訳にはいかないわ」

大きく息を吸い込む。

アルスは横にずれて取っ手を掴んだ。

「では」という言葉の後、僅かな隙間が開き、扉が開かれる。

それは関を切ったと表現できるだろう。それほどの敵意、はたまた値踏みするように示威する魔力が流れ出す。

中は円卓を囲うように6人の元首が座り、その背後に6人の魔法師が待機していた。元首はシセルニア同様にフェイスベールで顔を隠している。

そして元首6人を覆うように魔力のドームが覆われている。

(魔力キャンセラーか)

障壁魔法としては高ランクに属する魔力を遮断する効果を持つ。それをAWRもなしに使っているのだ。だてにシングルを名乗ってはいないということだろう。

(この障壁は垂れ流しの魔力を元首に知覚させないためか)

一斉に扉に向く視線。

しかし、それはシセルニアに向けられたものではなく、その背後にいる少年に向けられていた。

入室と同時に一人の屈強そうな男が歩み寄る。

シセルニアは案の定、自分に向けられたような敵意の塊に動けずにいた。

そんな目の前の彼女に一先ずの合格点を出し、アルスはシセルニアの背中に手を当てる。そして魔力がゆっくりと確かな温かみを持って全身へと巡らせた。

「……!」

それを感じたシセルニアは落ち着きを取り戻していく自分を実感する。温かく優しい力。魔法を行使されているのではなく、魔力が流れる感覚というのを彼女は初めて体感したのだ。

魔物を屠るためのエネルギー体にこんな効用があるとは思ってもみなかった。

冷静に考えればアルスのとばっちりなのだが。

元首として恥ずかしくない平常心を取り戻したと言えるだろう。

チラリとアルスを見たような気がしたが、それよりも……。

アルスは一歩前に進み、シセルニアの前に出る。

「本当にガキだったとは驚いた!」

目の前に立つ巨躯の男は第8位、ガルギニス・テオトルト、少し老けて見えるが30歳ぐらいだろうか。アルスは脳内にある各国の資料と照合しながら引っ張り出す。

魔法師らしからぬ隆起した筋肉に数多の古傷が顔や腕、手と見える所に無数に刻まれている。

ざっくりとオールバックにした髪に角張った顔は巌のようでありながら猛獣を思わせるものだ。

(ほう)

内心で値踏みしたアルスは感嘆を漏らした。魔法に溺れない体躯にだ。

しかし、それだけだった。アルスが彼を見た感想としてはそれ以上のものを感じない。

この場にいるシングル魔法師でこの敵愾心剥き出しの魔力はガルギニスのもので間違いあるまい。その他の魔法師も魔力を放ってはいるが、敵意は感じられないし、それはいつでも取れる臨戦体勢を意味している。

「こんなのが1位とは世も末だな。どうせ戦果を弄ったんだろ? アルファも焼きが回ったな」

すでに値踏みではなく嘲りが占めた口調だった。挙句の果てには「なぁ、こいつを倒せば俺の順位は上がるのか?」などと尊大に大口を開ける始末。

アルスは厄介なとジャンに視線を移すが、苦い顔を浮かべてどうするかあぐねいているようだ。他の者もただ傍観している。

どの道、口を挟まないのなら自分でなんとかするしかないのだが。

しかし、どうすればいいのだろうかと思案する。少なくとも考えを改めさせたほうがいいだろう。

自分が嘗められる分には構わないがアルファが軽く見られるのは将来的に良くはない。

(このお嬢さんの言う通りになりそうだな)

と背後でアルスの背中に隠れる元首を思う。毅然としているようでもアルスの袖を摘まんでいる。

見上げるほどの大男を前にアルスは面倒くさそうに右足でコツコツと地面を叩き、爪先を靴に合わせた。

そしてガルギニスの魔力がシセルニアにも向いた瞬間――。

2回ほど地面を叩く音の後、スパンッと鞭で打ったような乾いた音が鳴り。

「んあっ!?」

ガルギニスの巨体が崩れ、アルスの前で片膝を付いた。これでやっと目線が同じくらいだろう。

スッとアルスはガルギニスに近づき、前から首、反対側の肩へと腕を絡めるように回す。この流れるような一連の動作を、見てはいても動けるものは一人もいない。

わざわざ耳の近くまで寄ってもアルスの声はこの場にいる全員に届く。

細められた目が真横に向き、冷淡に紡がれた。

「そのきたねぇ魔力をさっさと仕舞え、この場で殺してもいいんだぞ」

空気の急激な温度変化はまさにぞっとしたためのもので、体感だ。

ガルギニスだけは一瞬で沸点を突破し、更に魔力が溢れ出る。

「あ? そんなこともできないのか。しょうがない」

アルスはそのままの体勢でもう一つの魔力を一瞬だけ解放した。瞬き程度の間だが、部屋内に充満していた魔力は綺麗さっぱり、跡形もなく消え失せていた。

無論、魔力キャンセラーすらもない。

「――――――!」

「なっ!」

一同が目を見開き驚愕の顔を一人の少年に向ける。

その中にジャンが含まれていても不思議ではない。彼にはこの力を見せたことがないのだから。魔力を喰う異能――暴食なる捕食者(グラ・イーター)――。

力を示すには十分だろう。理解できない現象は畏怖を呼ぶ。そうなれば詮索しようとする考えすら起こらないだろう。

アルスは腕を解き、ガルギニスの隆起した肩をポンッと叩いた。

「次はないからな」

アルスはシセルニアの手を取り、正面の空席に導く。

彼女は今の光景に心此処にあらずといった具合だが、アルスの前に出るとその口が僅かに上がり、瞳に野心が再び灯る。まさに腹に一物を抱えているという具合だ。

アルスが一歩踏み出した直後――背を向けた時だった――。

「ハッ! があああああぁぁあ!!」

我に返ったような声を上げ、振り被りざまにガルギニスが魔力を付与した拳を裏拳の要領で振るったのだ。

アルスに回避、もしくは防御の素振りはない。

「――――!!」

「ガルギニス、それ以上はさすがに不味いなぁ」

「元首を前に不敬だとは思わないかね?」

「みっともないよぉ~、おっさん」

順にジャンがガルギニスの後頭部を掴み床に抑え、第2位ヴァジェット・オラゴラムが左腕を踏みつけ、第4位ファノン・トルーパーが魔力付与された腕を魔法で拘束し、華奢な足――ヒールの部分だが――は背後から睾丸(こうがん)をいつでも踏み潰せるように持ち上がっていた。

瞬時に3人に組み伏せられたガルギニスは床に倒された。

誰の目から見ても今の攻撃は本能的な反射によるものだとわかっている。怒りから来るものではない。だから魔力で覆うだけという杜撰な攻撃。

結果、これ以上の抵抗は当然ありえない。

「ガルギニス、やめろ!」

そう声を上げたのは円卓の向かいで立ち上がった壮年の男だ。顔は隠されていてわからないが、声からべリックと同じぐらいの歳かもしれない。

北西に位置する国、ルサールカの隣にある【ハルカプディア】の元首だ。

「す……すまん、取り乱した」

組み伏せられたガルギニスが力なく発すると、3人は予想していたように拘束を解く。

アルスはチラリと視界に4人の姿を収める。その中でもジャンとガルギニスを除く初対面。

東の国【イベリス】第2位ヴァジェット・オラゴラムは長身痩躯、男にしてはスラリと細く美丈夫と呼べるだろう。

くすんだ紺の長髪は後ろで纏められており、中心で分けられた前髪から覗かせる眼は切れ長で猛禽類を思わせるものだ。

歳は26だったはず。

現在AWRの所持はないが彼は長刀、太刀をAWRとして愛用しているらしい。

もう一人はアルファ――ルサールカとは反対側の隣国――の隣に位置する【クレビディート】第4位ファノン・トルーパー。

シングル内にいるもう一人の女性だ。彼女の年齢は19歳とアルスに次ぐ若年。藤色の髪を二つに左右で結い、背も150cmあるかという小柄、歳の割に幼く見えるが、アルスは彼女も突っかかってくるだろうと懸念していた人物の一人だった。

理性的な人間でよかったと安堵するが、あまり良い噂を聞かないのも事実。

潔癖症で有名だが、外界任務中に部隊の一人が魔物を倒した後、汚れた手で彼女に触れただけで、その者は睾丸を潰されたと聞く。

そして魔物を前に部隊員を盾にして悠々と着替えたらしい。無論自分の周囲にのみ障壁を張って。

つまり、魔力キャンセラーはファノン・トルーパーによるもの。防御魔法のエキスパートとして名を馳せている彼女が鉄壁と呼ばれるのは潔癖症が故かもしれない。

最も強固な国は大国であるアルファやルサールカを指し置いてクレビディートが最有力なのも彼女がいるからだ。

ファノンの場合は魔法の特性関係なく外界にも積極的に出るという。防御魔法を得意とする魔法師には考えられない狂人。それが彼女をシングルたらしめているのだろう。

アルスはファノンが何を潰そうとして足を上げたのかは想像するまでもない。ゾクゾクするような恍惚の表情には嗜虐的な光が双眼に浮かんでいた。

だから、アルスはあれには関わらないようにしようと決意する。

周囲の視線に晒されながら立ち上ったガルギニスはシセルニアの前で膝を付く。

「無礼をお許しください。アルファ国元首、シセルニア・イル・アールゼイト様」

この場合は儀仗兵であるアルスへの謝罪ではない。

「お互い怪我がなくてよかったわ」

そういうと頭を垂れたまま他国の元首にも深く頭を下げる、立ち上り元の位置に戻る際にアルスにも目を伏せた。

ガルギニスは資料で見る限りかなり好戦的な性格らしい。

アルスとしては予想の範疇だった。もちろん言葉通り、一回きりだが。

そしてシセルニアの着席を見届けるともう一人のシングルに目を向ける。

この一騒ぎに一切関心を寄せなかった人物だ。

反応は見せたが動かなかったという意味でだが。彼はどちらでもよかったのかもしれない。

あのまま、ガルギニスが殺されようとも……。そういう無頓着で冷淡な所はアルスに似ているだろうか。

北に存在する国【ハイドランジ】第5位クロケル・イフェルタス。

一人壁に寄りかかり本を読んでいる彼はジャンと同じぐらいの年齢、24歳であり、細身の体躯に黒縁の眼鏡を掛けて、落ち着いた気風を漂わせている。

短め灰色の髪、前髪は目に掛かりながら流れて、全体的に頭の形に沿った少し乱雑さを思わせる髪型をしていた。

この中では最も争いを好まなそうな人物だ。さすがにアルファの真反対に位置するため、情報はあまり入ってこないのだが、バルメス同様領地が狭く戦果も乏しい。

おそらくクロケルが外界での任務に出ない為だろう。あまり戦闘の似合う人物ではなく、造詣が深いというのがアルスの印象だった。

同じ研究者なら有益な情報交換ができるかもしれないと、彼の本に目を向けるが。

(ああ、ダメだ。あれは小説だな)

おそらく英雄譚だろうか。

さすがの彼も全元首が着席したと見て、本を閉じ、ハイドランジ元首の背後に立つ。

「すまなかった、シセルニア殿」

「いえ、私は大丈夫ですので、彼に」

と目の前の元首は手を広げてアルスを示す。

「失礼した、アルス殿。何かお詫びを……」

と高貴な者はみんな金で解決しようとするな、とイデオロギーを感じていたアルスは肩を竦めるが、寛容なところを見せられては多少考えを改めたほうがいいだろう。

しかし、お詫びと提案されそれを即座に拒否するのもいかがなものか。

だからアルスは別の権利を得ようと手で制止した。

「お詫びは結構です。その代わりに一つ発言をいいでしょうか?」

元首たちはベールに包まれた顔を互いに向けるが、異論の声はなかった。

代表してハルカプディアの元首が肯ずるジェスチャーを向ける。

「では、私の知らない魔法師がいるようですが、彼を紹介していただけませんか」

その視線の先はバルメスの元首に集中した。

この場ではアルスに限らず同じような疑問を全員が抱いていたのだろう。

最初から今まで戦々恐々とビクつく壮年の男を。

あまりに不釣り合い。あまりに気の毒と言える。

正直彼が可哀想に思えてくるのだ。今にも気絶しそうな顔でアルスの言葉に飛び跳ねそうなほど反応するのだから。

まあ、最も彼を思いやるのならばこのままそっとしておくべきなのだろうが、シングルを冠する魔法師ならばアルスとしても知っておいた方が良いだろうという考えからだ。