Sayonara Ryuusei Konnichiwa Jinsei
Episode 16
いま、私は成竜の姿となって地上世界の空を気ままに飛んでいる。
破棄された廃村を除けば王国北部辺境区最北に位置するベルン村の更に北方には、東西に渡って巨大な山脈――モレス山脈が広がっている。
雲を貫いて屹立するその山脈を眼下に見下ろし、私は翼に受けた大気の流れと風の精霊力を利用し、一気に上昇する。
人間はおろか家々や数千以上の人々が住まう町は芥子粒のように小さくなり、広大な筈の湖でさえも小さな水溜まり程度にしか見えない。
より正確を期するのならば竜の姿をしているのは、人間に生まれ変わった私ではなく、私の魂が生産する魔力と大気中の元素などを材料にして作った分身体である。
この竜の分身体を作り始めたのは、実はごく最近になっての事だ。
ここ最近、旧友であるマイラールに挨拶に行った時とカラヴィスが私の夢の中に侵入してきた時に本来の竜の魂で対応した事で感じた解放感と、ゲオルグらとの戦いで久しく忘れていた翼を使って空を飛ぶ感覚を味わった事が、私が分身体を作った理由だ。
白い雲の海を抜けて中天に差しかかる強烈な太陽の光を満身に浴び、分身体ではあるが、私は久方ぶりになにものにも縛られることなく空を飛ぶ自由を再度満喫していた。
ところがそうして暫くしているうちに、何も考える事もなくただ大気と風の精霊力の流れに任せて心地よい気持ちで空を飛んでいる私の諸感覚が、急速に接近してくる異物の存在を感知して小さく警告を発する。
危険度は極めて低い。だが私は異物の正体に気付いた。私を目がけて近づいてくるのは、紛れもなく竜の系譜に連なる存在なのである。
久方ぶりに感じる同族の気配に私は思わず目元を緩めた。遠い遠い私の子孫と顔を突き合わすのは、そう悪い気分ではない。
ほどなく雲海を下から突き破って姿を見せたのは、鮮やかな深紅の鱗を持った若い雌の火竜であった。
いや、鱗の色彩から考えて火竜の中でも強力な深紅竜であろう。
私の白い鱗と同様に陽光を跳ね返す鮮やかな深紅色の鱗、若々しい生命の躍動に満ちながら老竜ほどには成熟しきらぬ発達途中の四肢から、私はまだ子竜から脱皮して二十年と経過していない成竜であると判断した。
鱗と同じ深紅色の瞳の瞳孔は縦に窄まって険しい警戒と闘争の光を宿して私を見つめる。
人間に換算すれば十代後半、多めに見積もってもかろうじて二十歳に届くかどうかといったところか。
力強く羽ばたく翼、強靭な筋組織と神経、骨格を堅牢な鱗で覆った姿は、久方ぶりに同族を見るという事もあって、竜としては最高齢の私には若々しい生命力に満ちたとても眩いものに見えた。
若いという事はそれだけ未来と可能性に満ち溢れているという事だ。それだけでも素晴らしい事であると私には感じられた。
「貴様、私の縄張りと知った上でこの地に足を踏み入れたのか?」
「いいや、そなたが縄張りとしているとは知らなかった。気に障るようならばすぐに離れよう」
少しは会話を楽しみたかったのだが、どうにも深紅竜は私に対する警戒の念が強い様子で話をするのも難しそうだ。
火竜は総じて気性が荒いものだが、ここまで露骨に警戒しなくても良かろうに。
己の縄張りを侵されたにせよいささか同族を相手に、気炎を吐きすぎのように私には感じられたが、巣立ってからまださほど時間が経っておらず、色々と気を張っているのやもしれぬ。
若者の心を汲む事にして、多少残念な気持ちを抱きながら私はこの場から去ることを提案し、実際にそうしようとした。
だが私が背を向けようと動いた時、深紅竜の口腔に紅蓮の炎が噴き出すのを知覚する。
「二度と私の前に姿を現さぬように痛みを以て知らしめてくれよう!」
「己の縄張りを守る事も大切だが、要らぬ戦いを起こす事は感心できんな」
開かれた深紅竜の口から直径が二階建ての家屋にも達する巨大な火球が放たれる。
竜種の吐く炎は意識する事もなく強大な魔力を帯び、単なる物理的な炎とは一線を画す。それは霊体、魂さえも焼く炎なのである。
「あまり血気に逸ると寿命を縮めるぞ。お嬢さん」
「貴様も私と年はそう変わるまいが、その口を利けぬようにしてやる。私はモレス山脈の深紅竜ヴァジェ! この名を死ぬまで覚えておくがいい」
「ふむ、“炎の偉大なるもの”有翼の蛇ヴァジェトにあやかった名前か。かの女神は慈悲深き善神であるが、血の気の余っておるお嬢さんにはちと似合わぬ。良い名前ではあるがな」
ヴァジェと名乗った深紅竜の返答は、再びの火炎弾であった。
私の顔面を捉える火炎弾を、こちらも白く燃える火炎弾を吐いてぶつけることで相殺し、私は更に上空へ向けて翼を打つ。
火炎弾を相殺するのと同時にすでに動く用意を整えていた私にやや遅れて、ヴァジェもまた私の後を追って深紅色の鱗と皮膜の翼を広げる。
既に雲海の上に出ている以上私とヴァジェの間に遮蔽物は存在せず、眩い陽光の光を浴びて、白と深紅の鱗は眩い輝きを纏う。
「どうした、ただ逃げまどうだけか白いの! 名すら名乗らぬ臆病者めが」
「なに、まだ若いお嬢さんの練習相手になろうと思っておるだけよ。私の名は、ふむ、私に傷をつけられたら名乗ってやろう」
「小癪な」
私は翼をたたみこみ、風の精霊力と大気に対する干渉を止めて急激に失速。
たとえ遮蔽物がないにせよ、高速で飛翔していた私が急激に速度を落として下方に落下するように動いたことで、ヴァジェは私の姿を一瞬見失ったようである。
ヴァジェが私の姿をようやく見つけ出した時、私はヴァジェの腹部を見上げる位置に居た。
そこからヴァジェに合わせて周囲の大気流に干渉して加速し、雲海を背に翼を広げて、ヴァジェのお株を奪う火炎弾を私の前に晒している薄紅色の鱗で覆われた腹部に連射する。
加減した火炎弾は傷を与えるまでには及ばないが、高速で飛行中に下方から大きな衝撃を受けたことで、ヴァジェは一時翼の制御を失い、激しく錐揉みしながら眼下に広がる白い雲海の中へと落下してゆく。
私はそれを追う為に雲海に背を向けた体勢から一回転して、空を仰いで地を見下ろす体勢になってから翼を畳んで急下降に移る。
畳んだ翼を広げて風を受け止めながら、私は雲海のどこに、あるいは既に雲海の下か上にヴァジェが出ているのかを確認しようとして、正面から五連射された火炎弾の回避を余儀なくされた。
やや弾速は遅いが私の回避を予測した予測射撃による火炎弾は、先ほどまでのものより私の体の際どい所をかすめてゆき、焦げた大気の匂いが私の鼻の粘膜を刺激する。
火炎弾の射出方向に目を向ければ、ヴァジェが悔しげな瞳で私を見ていた。
私はヴァジェが次の行動に移る前に先手を打った。周囲に散らばったヴァジェの火炎に混じっていた魔力を自身へと取り込む。
大気中に満ちる魔力に溶けて消えそうになっていたヴァジェの魔力を選別し、自身の魔力と同調させて吸収する私の姿に、ヴァジェは追撃を加える事を忘れて驚いている様子であった。
魔法使用後に周囲に残留する魔力の残滓を吸収する技術は、修得しておけば長時間の戦闘でも自身の魔力の消費を抑え、敵の魔力を利用する効率的な戦闘方法の学習に繋がる。
驚きの様子を見るにヴァジェはおそらく、まだ他者の魔力を同調させ取り込むような事は出来ないのだろう。そういった技術の学習の必要を迫られた事がないのかもしれないが、となると自分より格下の魔物か亜人としか戦った事がない可能性が高い。
「魔力の同調は出来ぬようだな。憶えておくと同格以上の相手と戦う時に役に立つ。修得の努力を欠かさぬようにせよ」
言い終わるのと同時に私は開いた口の先に圧縮していたヴァジェの魔力と、私の魔力を融合させたブレスを私の上空にいるヴァジェめがけて解き放った。
ヴァジェが私に放った集束ブレスと同形態の光線状のブレスは、私の白い火炎を軸にその周囲をヴァジェの深紅の火炎が縁取り、巨大な光柱となってヴァジェへと襲い掛かる。
「私の鱗を焦がす!? 馬鹿な、私は深紅竜だぞ!!」
「そなたの体が耐えられる限界を超えていただけの事。火竜といえどもあらゆる火炎に対し無敵というわけではない。
それと相手から意識と視線をはずす真似は、あまり感心できんな。だからお嬢さんなのだよ」
ヴァジェの意識が逸れた数瞬の間に私は、その懐にまで飛び込み愕然とするヴァジェの首筋に喰らいつく。
そのまま深紅色の鱗を貫く事も出来たが、まだ年若い同族にそこまでするつもりはなく、私の拘束から逃れられない程度に込める力を留める。
私の声と気配に自分が取り返しのつかない失態を演じつつある事に気付いたヴァジェは、私に完全に拘束される前に私を振り払おうと足掻くが、すぐに私が伸ばした腕と尻尾が体 に巻きついて、翼を羽ばたかせることすらできなくなり、落下を始める。
私は地面がぐんぐんと迫ってくる中、翼を広げて風を受けて減速し、竜語魔法による干渉で慣性を操作して体に掛る負荷を全て消し去り、拘束していたヴァジェの体を解放してモレス山脈の山肌に叩きつけた。
私の戒めから解放されたとはいえ、高速で放り投げられたヴァジェは体勢を立て直す暇もなく、勢いをそのままに山肌に叩きつけられて大きく山肌を揺るがす。
ヴァジェの激突と同時に一斉に山肌に蜘蛛の巣状の罅が広がって、ヴァジェの巨体は崩れた土と岩に半ば埋もれる。
それでも私が急速に減速をかけた事もあって、ヴァジェは激突の衝撃にも耐えており骨が折れた様子もない。脳を揺らされてやや意識を朦朧とさせているといったところだろうか。
私は、頭を振って意識と気を持ち直そうとしているヴァジェを見下ろす。
「あまり同族や自分より強いものとの戦いには慣れておるまい? ほとんど必要になる事は少ないとはいえ、戦い方に工夫を凝らすことを常に意識しておくべきだ」
「……ぐぅうう、貴様ぁ、どこまでも私を下に見て!」
「意識を保っているだけでも大したものよ。口惜しく思うのならばいつか私を倒す事だ。
まずは私に傷の一つも与えて、名乗らせる事からだな。近いうちまたそなたに会いに来よう」
私は羽ばたきを打って飛びあがり、ヴァジェの姿が見えなくなる所まで来てから、一旦その場に滞空してふむ、と一つ漏らす。
今回の事で北のモレス山脈に深紅竜の成竜がいる事がわかったのは大きな収穫だ。
将来的にはベルン村以北の荒野や森林地帯、山岳部の開拓も出来たらよいと考えていた私だが、竜の分身体を北に飛ばしていなかったら、何も知らぬままにヴァジェと遭遇し戦う事になっていただろう。
今の内にその存在を知る事が出来たのだから、これから対策を講じる余裕もある。
まあ、現状ではベルン村以北の開拓など絵に描いた夢物語に過ぎない事が最大の問題であるだろうか。
私はこのまますぐ分身体を構成する魔力を本体に戻すのも勿体無いかと、モレス山脈を離れて暫く空中散歩を楽しむ事にした。
さてもうしばしどのようにして時間を使おうかと私が考えごとをしていると、南西の方角から珍しい気配があるのを感じた。
ヴァジェと同程度の力を持った同族の気配。
巣や集落があるわけでもないのに、こうも連続して同族と出会う事は稀である。ただ感じ取れる気配から竜ではなく龍であると判断出来た。
始祖竜が自ら細分化した肉体から産まれた原初の竜達は、位階の他に竜と龍とに分類される。
私を含む最高位の七柱の竜の内、四柱が古神竜であり、残り三柱が古龍神と称されるように、竜と龍とでははっきりと外見に違いが出る。
竜は蝙蝠に似た皮膜を持った翼と長く伸びた尻尾に、人に似た四肢と長く伸びた首を持つが、龍は蛇のように細長い胴に短い手足、鹿のような角が伸びる頭部からは細長い髭が伸び、後頭部からは長い髪がたなびいているのが特徴だ。
私が見つけた龍は、山脈の中にある一つの山頂に出来た湖のほとりで休んでいるようだった。
見る間に龍の姿が私の瞳に映り、龍の方も私の白い姿を認めていることだろう。
背の高い針葉樹に囲まれた鏡のように澄んだ湖の傍らに、その龍はいた。
細長い体はどこまで吸いこまれそうな海の青を思わせる鱗に覆われ、段々になっている腹など体の内側は鱗よりも淡い水色。
細長い口には髭はなく、後頭部から長く真っ直ぐに伸ばされた烏の濡れ羽色の髪が風にそよいでいる。
絹糸に星と月の灯りを取りはらった夜の色を写し取る事が出来たなら、この龍のような美しい黒髪が出来上がるだろう。
底まで見通せそうな透き通った海の青に似た細長い胴体は、龍という生物の王者的な存在の強靭さよりも、柔らかさとしなやかさの印象の方が強い。
これまたヴァジェとそう変わらぬ年頃のお嬢さんである。
私が龍として生きていた時代にはもう少し年を取ってから親元を巣立っていたと思うのだが、最近では親元を巣立つ若者の低年齢化が進んでいるのだろうか。
私は翼の羽ばたきを止めて、私の姿をまじまじと見つめるお嬢さんと挨拶を交す為にゆるりと湖のほとりに舞い降りた。
おずおずと遠慮がちに私に視線を向け、観察している様子の龍のお嬢さんからは、ヴァジェのような気性の荒さは感じられない。
竜種そのものが比較的穏和な性格をしている事もあるが、それ以上にこのお嬢さん自身の個性として穏やかな気性なのだろう。
「こんにちは、龍のお嬢さん。随分と遠き地より参られたようだが、如何したのかね? ここいらではあまり見ぬ顔だが」
気軽な調子で話しかける私に対して、私のような竜と会うのは初めてなのか、ひどく緊張した様子でお嬢さんは精一杯胸を張って私に挨拶を返してきた。
瑠禹「初めまして。わたくしは三大龍皇であらせられます水龍皇龍吉様にお仕えする、龍巫女のと申します」
軽く頭を下げて主の名前と合わせて自己紹介をする瑠禹の所作や、川のせせらぎを耳にしているように涼やかな澄んだ声音は、全てを燃やし尽くさんと猛る業火を思わせるヴァジェとはどこまでも対照的である。
「水龍皇の龍吉公主となるとリヴァイアサンを遠き祖とする系譜に連なる龍であるか。今地上に残る古竜の中でも屈指の力の主と記憶している。
その巫女を務めているとならば、瑠禹もずいぶん高位の龍ということになるな。若いのに大したものだ。ああところで瑠禹と呼んでも構わぬかな?」
「わたくしの事はどうぞお好きなようにお呼びくださいませ。
それとたまたま公主様にお仕えする一族に生まれ付いただけのことですから、お褒めに与るようなことではありません。
あの、ところでこの辺り一帯は貴方様の治める地だったのでしょうか。そうでしたのなら、不用意に足を踏み入ってしまった事をお詫びいたします」
「いやいや、ここら一帯を縄張りにしているのは私ではなく、瑠禹と同い年くらいの深紅竜だ。私は最近この辺りに来たばかりの旅の者だよ。
深紅竜だがずいぶんと気性の荒い竜であるから、どうしてもこれより先に北上せねばならぬ用事がないのであれば、迂回して行った方が良い」
「そうですか。でしたら急ぎの用向きがあるわけではございませんし、北に向かう理由も特にはございませんから。貴方様の仰る通りに致しましょう。
あの、ところで龍吉様とはどのような御縁がおありなのでしょうか? リヴァイアサン様の事もなにやら深く御存じの御様子ですが」
ふむ、ちと口を滑らせたか。
「いや、昔少しな。公主については、そうだな……。そなたが一度公主のもとへ戻る事があったなら、その時にこう訪ねてみると良い。
ひょっとしたら私の事を憶えておるかもしれん。幼少のみぎり、ある古神竜を招いた宴で公主は左の頬に小さな火傷を負った事がある筈だ。
それはもうすでに治り痕は残っておらんが、“もう痛いのは飛んでいったか?”とな」
私が勇者達に討たれる前、龍吉の一族とまだ地上に残っていた龍神の海底にある城に招かれたおりに開かれた宴の席で、まだ幼かった公主が私の言った通りに頬に火傷を負う事故が起きた事がある。
その時に私が公主の所まで行って火傷を治してやり、人間か亜人の子供に教えて貰った“痛いの痛いの飛んでいけ”というおまじないをしてやり、公主はそれまで一番恐ろしかったのであろう私が、優しく接したことで緊張の糸がほぐれ、にっこりと笑みを返してくれたのだ。
「なに、私の言が信じられぬなら公主に訪ねずとも構わぬ。公主は理知的で温厚な名君と聞くが、戯言を耳にしては表に出さずとも不愉快な思いをするやもしれぬ。
仕える主にそのような思いをさせたとあっては、巫女であるそなたに私も申し訳ない」
私は微苦笑と共にそう瑠禹に告げて、それからしばし瑠禹の住む海の中の竜宮城での同胞の龍達、人魚や魚人達との暮らしなどを聞かせて貰い、代わりに私はここから北に行けばヴァジェが縄張りとする一帯にさしかかり、北西に行けばおそらく魔物たちの大規模な集落がある事などを伝えた。
「差し障り無ければ瑠禹がどうしてこのような所に居るのか教えて貰っても良いかね?」
「公主様にお仕えする巫女や武官はある程度年を経ましたら、一度竜宮城を出て外の世界を回り、見聞を広めるのが習わしなのです。
わたくしも直に竜宮城を出る頃合いですので、一足早く外の世界を知っておこうかと思いまして、こちらまで参ったのです」
「ふむ、散策がてら、というわけか」
というのが瑠禹と私の出くわした理由らしい。
私と出くわすまで巨大なロック鳥や飛行性の魔物などは目にしたようだが、竜と出会ったのは私が初めてだったようで、瑠禹もずいぶんと緊張したのだと言う。
「最後に瑠禹よ、そなたは南から飛んできたが龍の棲む東方からではないのか?」
「あ、いえ、東の海を出ましてこの土地の南の海から北上してまいったのです」
瑠禹は少し慌てた様子で隠し事をするように、言葉を濁す。どうやら余り深く追及して欲しい話題ではないようだ。
「ふむ、そうか。時間を取らせてしまってすまぬ。帰り道は気をつけておゆき」
「ご心配いただき、ありがとうございます。時に、貴方様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「おや、これは失礼、名乗らぬままであったか。私は……ドランだ」
人として貰った名を告げるべきか、それとも竜としての名を告げるべきか逡巡したが私は人の父母から貰った名前を気に入っているし、竜としての名を告げても信じて貰えるか分かったものではなかったから、人としての名を口にした。
「ドラン様ですね。今日は本当に楽しいお話をありがとうございました。またお会いする事がございましたら、なにとぞよしなに」
「ああ。また巡り合う運命である事を祈っておる」
身を翻し、青い鱗に覆われた細長い胴体をくねらせながら南へと向かって飛んでゆく瑠禹の姿を見送りながら、私は瑠禹の体から薫っていた香りを思い出し、野太い首を傾げた。
「あれは潮の香り。しかし南の海から飛んでくる間に取れていてもおかしくはない。さて、どんなからくりで潮の香りを纏っておるのやら」