Sayonara Ryuusei Konnichiwa Jinsei

It is an intermission.

レニーア達がベルン男爵領での強化合宿を終えて、ガロア魔法学院へと帰還して数日後の王都アレクラフティア。

かつて数百年もの昔にアークレスト王国を建国した一人の冒険者が国家の心臓たる地として定めた土地である。

その都に国家の象徴たる王城を建築し、歴代の国王達の居城として、住居として増築と改築を繰り返しながら時代時代に合わせてその姿を変えてきたこの場所に焦点を当てる事としよう。

アークレスト王国で最も貴い血統を受け継ぐ王族――当人達は元を辿れば冒険者だけどねと笑うが――の住まう城の一角、最上の腕前と確かな氏素性の職人たちが毎日手入れを欠かさずに維持している緑の庭園に彼女達はいた。

石の通路と細い水路がさながら迷路のように交差し、芸術作品と呼んで差し支えのない繊細さで整えられた緑の木々と季節を彩る花々が目を引く庭園。そこに三つの人影があった。

地下水脈から水を引いて作られた人工の小さな池のほとりに建てられた瀟洒な東屋で、深緑色のドレス姿の犬人の女性と、どうやら男装しているつもりなのかシルクの光沢が眩いシャツに赤いジャケットを重ね来た狐人の女性。

そして浅黄色のドレスを纏い、誰かの庇護がなければ今にも枯れてしまいそうな、儚さという概念が人間になったかのような人間の女性の三名である。

奇妙な緊張感の満ちる三人は何やら言い合いの最中であったらしく、犬人を庇った狐人がキリっと精一杯自分なりに凛々しさを意識した顔を作りながら、人間の女性に本人は敢然と、他者からは棒読みとしか聞こえない台詞を口にした。

庇われている側の犬人はそんな狐人の大根芝居に気付いていないのか、こちらもあらん限りの演技力を導入して、頼もしい恋人に庇われている気弱な女性をへたっぴながら演じている。当人達は至極真面目である。

「アムリア、今日を持って君との婚約を破棄する!」

狐人に糾弾されたアムリアは、手に持っていた扇子を広げて口元を隠すと、すっと目を細めて頑張ってあくどい女性らしく聞こえるように声を作って応戦する。

「まあ、私の耳がどうにかなってしまったのかしら? 風香様、お戯れも時と場所をお考えにならないと……」

「戯れなどではない。アムリア、君とは家の決めた幼い頃からの婚約者であり、父と母の顔と我が家の面目の為にとこれまで我慢してきたが、君のこれまでの行いは目に余る。

讒言 家格を笠に着た傲慢極まりない言動、使用人ばかりでなく同じ学校の生徒達すら下に見て人間扱いすらしない態度、婚約者たる私に対する度重なるの数々」

体 どうやら貴族の子弟らが通う学校の中にある庭園での一幕、という設定らしい。おそらく三人以外にも他の生徒や教師がいるというでのやり取りなのだろう。

「貴族として自らの背負った家名の重さを自覚し、それに相応しい態度を心掛けていたまでですわ。風香様の目には傲慢としか映らなかったのは、残念事ですけれど。

それと何時、私が人間扱いをしていなかったのでしょうか。付け加えますと風香様、ここは単なる学びの場ではなくこれからの国政を担う若き貴族達の通う場。お互いの血縁、所領の関係、派閥、およそ考え得るありとあらゆる要素を考慮した上で関係を築く必要があります。

残念ながら、中にはそれを理解しておられない方がいらっしゃいますから、それとなく注意はさせていただきました。その行いが相手を人間扱いしていないというのなら、それは心外というもの。

私はあくまで貴族に相応しくない振る舞いである、より深く考えを巡らせる必要があると、そう誠意をもって説いたつもりですわ」

風香の方は棒読みの大根役者と謗られても仕方のないものだが、アムリアの方は中々堂に入った演技をしている。

軟禁生活を送っていた時期には良く本の世界に没入していたというが、本の中の登場人物達に感情移入をしていた成果であるだろうか。

あまりに見事な役者ぶりに八千代と風香は、時折、ひええ、と引いているのか情けない声を上げている。ドランと出会った時から、何一つ変わっていないへっぽこにしてぽんこつたる二人だ。

「くくく口だけは達者だな、アムリア。なんと小賢しい事か、素直に己の非を認めてこれからの人生を賭して贖罪に費やすと宣言すれば、温情を掛けようと思ったものを。

お前の非道、外道で殊更に許せないのは、この八千代にまで害を及ぼした事だ。彼女が男爵家の令嬢だからか? 天真爛漫な彼女に人望が集まるのが気に障ったか? それとも、私が彼女に心惹かれて行く様子が気に食わなかったか!?

彼女への陰湿な嫌がらせに、心ない言動の数々、そのような卑劣な行いをするものは私の婚約者として相応しくない! 故にお前との婚約を破棄すると、そう断言したのだ!」

「アムリア様、どうか婚約の破棄と御自分の間違いをお認めになってください。そうすれば、風香様もご温情を掛けて、ひどい事にならないようにしてください」

風香よりは幾分かそれらしく聞こえる声で、アムリアを諌める八千代に、風香は彼女を振り返って優しく抱きしめてみせた。一応は、嫉妬の炎に身を焦がす心ない婚約者との関係を断ち切り、真実の愛を選んだ二人という役割である。

「ああ、八千代、あのような真似をしたアムリアに対してまで君は何と優しいのだろうか。君のその優しさに私は救われたのだ。これからもどうか私の傍で野に咲く花のよう可憐に、夜空に輝く月のように美しくあってくれ!」

「風香様!」

「八千代!」

互いの名前を呼び合い、ひっしと固く抱き合う二人の姿を、少し離れたテーブルから眺めていた者達の内の一人、アークレスト王国王太子スペリオンが懐かしそうにこう評した。

「私達の小さい頃に流行った『真実の愛ごっこ』か。いやはや懐かしいな。風香は少し……うん、まあ、少し固いがアムリアと八千代は中々にお芝居が上手じゃないか」

アークレスト王国でその身を預かっている、ロマル帝国皇女アムリアとその友人兼護衛の八千代、風香の三人が今日も今日とて暇つぶしにお芝居をして遊んでいる光景を、スペリオンは完全に保護者の目線で見守っていた。

スペリオンを始め、アムリア達の日常風景を知っている者達のほとんどは、おおよそ二十歳前後のアムリア達だが、どうにも中身の方はそこから十歳程引いた年齢が妥当なのではないかと考えている。

外界から隔てられた山中で生まれ育ったアムリアは兎も角、故郷を飛び出し、海を越えて漂着した異国で逞しく生き抜いてきた八千代と風香はもっと落ち着いていてもおかしくはないのだが、精神がアムリアに引っ張られているのかそれこそ子犬のように一緒になって遊んでいるばかりだ。

一応、王城の近衛騎士を始めとした警護の者達と合同で鍛錬を積む時などは、しっかりと真面目な顔をこしらえて苛烈な鍛錬にも弱音を吐く事はないのだが、アムリアと一緒になるとどうにも無邪気に過ぎる。

スペリオンの記憶しているごっこ遊びではここでアムリアが演じている愚かな婚約者が、その地位を失う失言なり醜態なりを晒すところなのだが、芳しい香りのハーブティーに口を付けつつ見守っていると、アムリアがつらつらと言葉を並べたてて逆に八千代と風香が狼狽する芝居をし始めた。

おや? 風向きが変わったぞ、とスペリオンが思っていると、今日のお茶会の相手でもあった妹フラウがコロコロと鈴を転がしたように笑って、兄の疑問を正確に見抜いた上で答えを告げる。

「アムリアさん達がなさっているのは、お兄様のおっしゃる『真実の愛ごっこ』ではなく、『愚か者の婚約破棄ごっこ』ですわ」

「婚約破棄をするのは変わらないようだが、ふむ、見ている限り令嬢役のアムリアの方が勝ちを収めると言うか、主役の立場になるごっこ遊びなのかい?」

王族に限らず貴族と言う立場にあるものならば、婚約破棄という言葉を耳にしただけでもひやっとした思いをするものだろうが、スペリオン達が幼少のみぎりにその貴族層の間でも流行ったのが『真実の愛ごっこ』だ。

その後、王位を継ぐものとしての勉学などに追われたスペリオンの中で、子供の時分に流行った遊びとなると『真実の愛ごっこ』なのだが、妹の語るにはどうやら違うらしい。

「『真実の愛ごっこ』ならこのまま八千代さんと風香さんが新しい婚約者同士となり、結ばれてめでたしめでたしとなりますが、『愚か者の婚約破棄ごっこ』となりますと、だいぶ異なりますの。

自分達の立場や責任を弁えずにパーティーなど衆目の集まる場で、家に相談せず独断で婚約を破棄した風香さんと実は他の殿方達とも関係のあった八千代さんの追及を、アムリアさんが理路整然と論破し、自身に全く非がない事を証明してみせるのです。

最後は家の後継者として問題ありとされた風香さんが継承権などの剥奪、八千代さんは僻地の修道院等で生涯幽閉、アムリアさんは新しい婚約者を得て幸せに暮らす、という結末になるのが一般的かしら」

「それはまた『真実の愛ごっこ』よりも余程恐ろしいというか、とんでもない遊びが最近では流行っているのだな」

「わが国でもなければ早々流行る遊びではなかったでしょう。それにしても、アムリアさん達は一体どこで覚えられたのでしょう」

スペリオンの言う通り、彼ら位の年齢となれば既に婚約者がいてもおかしくはないし、また、そうでなくても独断で家の決定を覆すなど、現実では早々あってはならない行いを遊びとはいえ行うのは心臓に悪いという他ない。

よくもまあこんな遊びが流行したものだと、スペリオンは本気で呆れそうになった。

「フラウと一緒に遊んだ時など、私は男の婚約者の役が多かったが、今、アムリア達がやっている遊びの中では、無能な婚約者役になるのか。私達の小さい頃にあの遊びが流行らなくてよかったと思うよ」

ちなみに傍らで控えているスペリオンの専任騎士であるシャルドだが、彼は将来スペリオンに仕える臣下候補として幼少期から傍にいた為、このごっこ遊びに付き合わされている。

スペリオンとの関係性をほとんどそのままに、婚約者の親友か従者役だった。

今、アムリア達の興じている『愚か者の婚約破棄ごっこ』だったら、シャルドは八千代が演じている女性に恋する複数の男の内の一人になるだろう。

フラウ曰く、大抵は王族か公爵家を始めとした大貴族の子息に宰相ないしは大臣の息子、宮廷に仕える魔法師団長の子や孫、騎士団長の息子など、次世代の国家の中核をなす人物達が断罪され返す側にいるらしい。

そんな遊びが流行っていいのかと、ますますスペリオンが心の中で頭を抱えたのを、フラウはまず見抜いているに違いなかった。

「最近ではどれだけ穴だらけの追及をして、それに対して糾弾されていた側の女性が理路整然と有無を言わさぬ反論を述べられるか、その舌鋒の鋭さを競う傾向にあるとか」

「それは、何だかごっこ遊びの目的が迷走しているように思えるのだが……」

「目的など実際に遊びに興じる方次第でいくらでも変わりますわ、お兄様」

「まあ、そうなるか。アムリア達があのような遊びに興じている事は父上の耳にも入っているだろうし、それを放置しておられるという事は問題ないと判断されたに違いない。

それにしても私がこの前見た時は、三人仲良くベンチに腰掛けて編み物をしたり、お互いの髪の毛で色々な髪形を試したりと、もっと穏便な時間の過ごし方をしていたのだがな」

ドラン達に何度も何度も念を押された上でアムリア達の身柄を預かっているスペリオンは、自身が口にした以上にアムリア達の事を気遣い王太子としての勉学と執務の合間を縫っては足しげく彼女らの元に通い――さながら通い妻の如く――友愛の情を深めてきたが、寸劇に勤しむアムリア達というのは目にした覚えがなかった。

「八千代と風香と一緒に遠乗りに出掛けたり、登山に出掛けたりする姿は見ていたが、お芝居に興じるとは珍しい。それとも流行りに弱いのかな?」

「どうでしょう? お三方ともこの辺りの文化とは縁遠かったようですし、目に着くものがなんでも目新しくて、好奇心のままに突き動かされているのではないでしょうか。

いずれにせよ警護の関係もあって、あまりお城の外にはお連れできませんから、ああして塞ぎ込む様子もなく遊んでおられるのに越した事は御座いませんわ」

「フラウの言う通りだな。特にアムリアは初めて会った時と比べると別人のように明るくなった。それまでの勘所の境遇を考えれば、八千代達の願った通りに連れ出してよかったと思えるよ」

そう言って優しげに、そして誇らしげに笑う兄をフラウは慈しむように見ていた。ただし唇を突いて出た言葉は案外辛辣だった。なかなかどうして、この王女も、他所の国と比べると若干頭のネジの締め方が変わっていると評判のアークレスト王家の一員らしい。

「ドランさん達がいなければとても連れだせなかったでしょうに、と申し上げてはお兄様の御気分を害しますでしょうか?」

十二翼将「ううむ、害しはしないがあの時の我が身の役立たずぶりを思い出して情けなくなるのは、どうにも止められん。ロマル帝国の内、複数名を相手にして五体無事に帰って来られたのは、ドラン達の力あったればこそだ。ドラン達に護衛を頼んで良かったと、今でも心の底から思うよ。私の中ではともすればメルルよりも頼りになると評価している。

年の近い同性という気安さもあるし、ドラン達は私に対して必要以上に物怖じする事も緊張する事もないから、居心地が大変よいのも事実だ」

スペリオンが身分の違いを明確に理解した上で、ドランやクリスティーナ達に対して抱いているものは友情である、と断言して構わないだろう。ただしドランの魂の素性は知らないが、と付け加えた上でだ。

聡明かつ社交的で次期国王としての重責を理解しているスペリオンは、幼い頃から広く交流を持ち、あちこちに協力者ないしは友人を持っているが、ある意味最高のある意味では最悪の友がドランであるという自覚はない。

アムリアに対して不埒な真似をすれば即座に野良の白竜による襲撃と、アムリア、八千代、風香の誘拐劇が発生するわけだが、これまでもそしてこれからもまずは心配しなくてよいだろう。

そうであり続ける事こそ同時にスペリオンが無自覚ながらドランに対して、自身の誠意を証明する最良の手立てでもあった。なんとも奇妙な縁を結んだ二人である。

「うふふ、お兄様はすっかりドランさんの事がお気に召しておいでですのね。でも、私もクリスティーナさんの事を考えると、お兄様にはこれ以上何も言えなくなりますわ」

クリスティーナの名前を口にした途端、ほうっと蕩けるような吐息を零したフラウに、スペリオンだけでなくシャルドや近くで控えていたメイド達も困ったように、またあるいはクリスティーナの顔を知っている者達は同じく恍惚の吐息を零した。

今のところ、フラウのクリスティーナに向けた感情は恋愛方面へは伸びていないが、崇敬や心酔方面へと向いており、こちらはこちらでお互いの立場を考えると厄介なものだ。

フラウが真っ当な判断力を堅持している事と、クリスティーナが王女の寵愛を利用して自己の利権と得ようとするような人間ではない事、むしろそんな発想すら出て来ない人格の主であるからまだ救いはあるが、フラウの伴侶となる人物には気の毒な事に違いない。

「それでお兄様、アムリアさん達を一時的にベルンにお預けするというお話ですけれど、本当にそうなさるのですか?」

「ああ。ロマルの情勢が大きく動いた。皇弟と皇女の争いが終結に向けて大きく加速する段階に入ったよ。そのせいでアムリアの価値が大きく動いてしまった。メルルの守りがあったとしても、彼女の身柄を狙う動きを見せてもおかしくはない。

それに、メルルを王都から動かさざるを得ない状況に持ち込まれる可能性も十分にある。

ベルンもムンドゥス・カーヌスと呼ばれる勢力との激突が予測されているが、ガロア総督府には迅速に戦力を派遣できるよう準備させているし、何よりドラン達の傍にいれば万軍も十二翼将も恐れる道理はない。

ロマル帝国からの干渉をひと段落させるまでは、アムリアの行方を眩ませて時間を稼ぐ意味合いも含めて、ベルンに預けるのは悪くない選択肢だ」

スペリオンが口にした通り、アークレスト王国の北のみならず東西でも無視できない動きがすでに起きていた。

東の高羅斗国は轟国と繋がっていた重臣達の粛正が終わり、再度軍備増強の兆候が見え始めている。西のロマル帝国では皇弟派が帝国南部の反乱勢力の大規模討伐に乗り出し、兵士の士気高く討伐の勢いを借りて皇女派との決戦を目論んでいると水面下ではまことしやかに噂されている。

皇弟派にとっては隠されていたとはいえ、前皇帝の実の娘であるアムリアは権力基盤の強化にもまたあるいは第一皇女の身代わりとしても良いように使える美味しい駒だ。

是が非でも、とまで価値を見出しているかは怪しいが、アークレスト王国に潜らせていた間諜の大部分を引き換えにしても良い位の価値は見出しているだろう。

だからこそ危険を避ける為に、アムリアをベルンへと預ける話が秘密裏に進められているわけだ。

「名目上は、再開された北部辺境開拓計画の現状を王家の人間が直接視察する、と民草への宣伝を兼ねた視察にアムリアさん達をこっそりと同行するのですよね?」

「ああ。前計画の責任者の孫娘であるクリスティーナが領主となり、またエンテの森に龍宮国とこれまで地上国家とほとんど接点を持たなかった彼らの玄関口となっているのがベルンだ。

ならばそこに王家の人間が視察に行くのもおかしな話ではない。というよりも今後の影響力を考えれば、赴かねばならない場所だよ、あそこは」

なにしろモレス山脈の諸種族ならびに竜種と友好条約並びに軍事同盟を結びました、と要点を抑えた実に読みやすい正式な報告書が、暗部の誰よりも早くクリスティーナとドランの連名で送られてきた時には、スペリオンと父王は揃って『はい!?』と珍妙な声を上げてしまった程なので。