Seiun wo Kakeru

Sixteen stories, the taste of alcohol.

春を目の前に、シエナ村は深い雪の日が続いた。

この村では毎年のことだ。

雪がやみ、東からまばゆい朝日が昇れば、季節は冬から春に移ろう。

吹きつける風の音さえ消えるような無音の中、村人は火を熾して家の中で一日を過ごし、来(きた)る春を待つ。

時刻は昼。家は暖かかった。

人の熱気、家畜の熱気が部屋に篭もり、そしてなにより暖炉の熱がある。

エイジは積んであった薪を二つ取ると、炎の中に投げ入れる。

パチ、パチと皮の油が弾けて音が立つ。

最初は火のついていなかった薪も、少し風を送れば時間とともに赤々と燃え始める。

「エイジさん」

「うん、もらおうか」

「熱いですからね」

「ありがとうございます」

最近、なんとなく言いたいことが分かるようになってきた。

阿吽の呼吸とでもいうのか。

ふとした仕草で何を求めているのか、それとなく察することが出来る。

相手のことを前よりも理解できるようになる。

それが嬉しい。

手渡されたのは湯気を立てるほどに熱い菩提樹のお茶だった。

エイジはコップを受け取ると、火の上に吊るしていた鉄の道具をおろした。

道具は二つの鉄瓶が、細い筒で繋がれていた。

隙間をきっちりとなくすために、口の部分は粘土で閉じられている。

「また新しいものを作ってたんですね。本当にエイジさんはなんでも作れるんですねえ」

「なんでも、なんて言えるほどじゃありませんが」

「今日は何をしているんですか?」

「お酒を濃くしているんですよ」

「お酒を?」

「ええ。村にはワインかエールがほとんどですよね?」

シエナ村で一般に飲まれるのは、エールやブドウ酒(ワイン)、リンゴ酒(シードル)といった蒸留していない果実酒ばかりだ。

当然アルコール度数はそれほど高くない。

まあ、飲めない自分には丁度いいんだけれど。

エイジはアルコールにあまり強くないからそれで構わない。

だが、マイクやフィリッポといった酒に強いものからすれば、酔いが回る前に水気で胃が一杯になってしまうという問題があった。

「山羊の乳を発酵させたお酒なんかもあるんですよ」

「色々あるんですね」

「あまり強くないお酒なんで、エイジさんでも大丈夫かな。飲みますか?」

「今度一度いただきます」

「おばあちゃんに今度頼んでみますね」

「お願いします」

一体どんな味なのか、想像もつかなかった。

牛乳のようなのか、それともヨーグルトなのか。

しぼりたての牛乳は滑らかで、そのくせコクがあって、市販のものなどとは比べ物にならないくらいに美味しい。

ただし長期間保存は出来ないから、すぐにチーズやヨーグルトといった加工がされる。

だから、もしかしたらかなり美味なお酒の可能性もある。

逆に山羊らしく臭みがある可能性もある。

味の想像をするエイジに、タニアは蒸留器を指さして聞いた。

「で、結局これはなんなんですか?」

「蒸留器です」

「じょう、りゅう、き?」

「ワインの中には、お酒の元になるアルコールと、水が入り交じっているんですね」

「はい」

「で、火にかけるとアルコールのほうが早く蒸発するんです」

「蒸発ってなんですか?」

「お湯をずっと炊いていると、失くなってしまうでしょう?」

「あ、分かりました! 湯気になって消えるってことですね。上に手をおいてると、手が潤うのは、その水が上がっているからなんですね」

「よく出来ました」

「うふふ……イェイ」

答えがあっていてニコニコと笑うタニアが可愛らしい。

お茶をひとまず置いて、頭を撫でる。

タニアが目を細めて、それを享受する。

「この方法を使えば、アルコールをぐっと濃縮することが出来るんです」

「でも、一度蒸発してしまったら、消えてしまうんじゃないですか?」

「今日みたいに冬の寒い日だと、天井なんかに水滴がつきますよね」

「ええ。ということは?」

「蒸発したアルコールを冷やすと、また液体に戻ります。筒の中で冷やされ液体に戻ったアルコールは、筒を通って反対側の鉄瓶に入ります。すると、先程よりもアルコールの強いお酒が出来るって寸法です」

「おおー。そうですか。こちらに濃いお酒が」

タニアがしげしげと蒸留器を眺める。

試作品なので量は多く作れないが、原理として上手く出来ているかどうか、確かめるには十分だった。

できればガラス製で作れれば内容量がよく見えて良いのだが、この村にはガラス製品がない。

融解温度が鉄よりも高いため、耐熱レンガでエイジが炉を作るまで、高熱に耐えられる窯が存在しなかったためだ。

青銅の鋳造は鉄の鍛造よりも高温が必要になるため、ほんのごく少量が領主の町で作られているが、とても貴重品で、交易などをするつもりもないという。

「飲んでみますか?」

「でも、濃いんじゃないですか?」

「一度だけの蒸留だと、水も随分と混ざるから、そんなに濃くはなりませんよ」

「じゃ、じゃあちょっとだけ」

蒸留器から空いたコップに移し替える。

火を入れたが、リンゴの香りは消えていない。

いや、それどころか暖かくなったことで、その芳醇な甘酸っぱい香りが、より匂い立つようだった。

薄い黄色だった色合いも濃くなって、琥珀色といっていいほどになった。

タニアはまず色を楽しみ、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「これはリンゴ酒から蒸留しているので、分類だけならブランデーになるんですかね。詳しくは知らないんですが」

「あら……美味しい。たしかにお酒の味が濃くなりましたね」

「より美味しくしようと思ったら、これを樽に寝かせたりするそうですよ」

「エイジさんって、お酒飲めないのに、詳しいですよねぇ」

「酔うだけで、丸っきり嫌いじゃないんです。むしろ、お酒に対する憧れみたいなのがあるんですよね」

タニアは頷きながらコップを傾ける。

口の中で味を確かめ、それからゴクリと飲み下す。

「あ、おいし」

「良かったです。熟成するともっとまろやかになるんじゃないですかね」

子供の頃からドラマや映画の一場面でバーが出てくると、格好良く飲む俳優の姿に憧れた。

カクテルブックを眺めたりするのも好きだった。

大学に入り成人になったあたりから、酷い酔い方をして痛い目を見ている大人の姿を見て、アルコールへの憧れはやや落ち着いた。

結局、映画やドラマのように上手に(・・・)アルコールに付き合える人は、それほど多くはないのだ。

だが、それでもアルコールに耐性のない自分の体質が恨めしく思うこともある。

「あんまり飲むと酔っ払いますよ。タニアさんもあまり強くないんですから」

「だいじょうぶですよ~」

「ああ、もうほとんど飲んじゃって!」

コップがほとんど空になっていた。

それはまたたく間といっていいほどの反応だった。

タニアの声が上ずり、顔が上気した。

息がかすかに乱れ、目はふわりと力を失って、潤んでいた。

「……暑くなってきました」

「完全にでき上がってますね。人のこと全然言えないじゃないですか」

「ねえ、エイジさん。力が入らないんです。脱がせてください」

「少しはこっちの言うことも聞いてくださいよね」

文句を呟きながらも、いそいそと手は動く。

この島にはどうやらボタンがない。

冬のゴツい服は数カ所のベルトで止められていた。

腰元と胸の下のベルトを緩めると、メリハリのついた外見が一瞬ストレートになって消える。

「はい、タニアさんバンザイ」

「ばんざーい」

これって絶対甘えたいだけだよな。

両手を上げた状態で、裾を上げていき脱がせる。

じろっと睨むと、えへへと笑って返された。

酔払うと態度が幼児がえりし、よく笑うようになる。

文句を言いながらだが、そんな姿がぜんぜん嫌いではなかった。

服を脱がせると、黒い下着があらわになった。

つけている下着はエイジ自身が何度も採寸して作ったブラとショーツだ。

どちらも素朴な服と違い、レースをあしらったやや蠱惑的なデザインだ。

バンザイを終えた手は、床につけられ、前かがみになっている

潤んだ目は狙ったように上目遣いだ。

もともと豊満な胸が寄せられ、谷間が出来ていた。

荒くなった呼吸に合わせ、胸が上下に揺れ動く。

やや汗ばんで上気した状態では、いつも以上に魅力的に見える。

ふだん、誠実な対応をこころがけているエイジも、このときばかりは、ゴクリと喉を鳴らした。

目を離すのに随分と意思がいった。

「エッチな目つきです」

「ごめんなさい」

「他の人にそんな目したらダメですからね」

たとえモーションかけられても、浮気はしないでおこう。

一瞬だけシラフに戻った目を見て、エイジは心に固く誓う。

「あふっ……頭がぐるぐる回ります。気持ちいい……」

「ほら、横になりましょう」

「いっしょに寝てくれるんですか?」

「それは……」

「私、一人じゃ寂しいです」

上目遣いに、目をウルウルと。

唇が触れるように二度、三度と重ねられ、その後舌を絡めた。

お互いの柔らかな舌の感触、歯茎の柔らかさ、上顎のゾクゾクとする心地よさを感じ合う。

息が苦しくなるほどに続ける。

キスは、リンゴの味がした。

唇をかわすと、胸がドキドキと高なった。

キスだけで酔っ払ってしまったんだろうか。

ここまで露骨に誘われたら、エイジもノーとはいわない。

子どもが出来るのは本当にすぐになりそうだ。

娯楽もなく、狭い家に閉じ込められているのだ。

まだ夜になる前から、二人は肌を合わせた。

裸のまま寝入ってしまったタニアを見つめながら、エイジは苦笑を漏らす。

普通、こういった後に寝入るのは男のほうじゃないんだろうか。

普段はその通りになるのだが、どうもアルコールが入ると立場が逆転するらしい。

エイジは起き上がると、暖炉に沸かしてあった湯の温度を水で調整し、布に浸した。

自分とタニアの体をさっと拭うと、さっさと服を着てしまう。

火を炊いているとはいえ、気密性は現代建築とは比べ物にならないほどに低い。

隙間風が入り込んで、裸だとひんやりと寒かった。

エイジは再び、暖炉の火を大きくすると、蒸留器にリンゴ酒を入れて、蒸留を開始する。

でき上がった蒸留酒を、再び蒸留し、少しずつ、少しずつアルコール濃度を上げていく。

リンゴの香りは徐々に飛び、残るのはアルコール特有のツンとした刺激臭。

元のアルコール飲料からするとほんの少量、わずか五%ほどしか出来ないわけだが、でき上がったアルコールを壺に入れて粘土で完全に密封して保管する。

すぐに必要ということはないが、いつか必ず必要な時が来るはずだった。

――消毒用アルコール

「ジェロ……」

人懐っこいシベリアンハスキーを思い出す。

GERODI《ジェロディ》は英雄という意味だそうだ。

確かにあの犬は、村を救った。

果敢に狼に立ち向かい、自分の主人を助けた。

だが、ジェロは死んでしまった。

マイクとジェーンの献身的な介護も役には立たなかった。

おそらくは菌が繁殖したのだろう。高熱を出して、そのまま倒れてしまった。

もし、という考え方は好きではない。

今回の事件があったから、蒸留器やアルコールについて考えることが出来たから。

あらゆる失敗は、経験となって次に活かされるべきだ。

それが物の作り手として、エイジが仕事から学んだことだった。

……だが、も(・)し(・)あの時、この消毒用アルコールがあれば、ジェロは助かることが出来たのだろうか。

そんな風に、考えずにはいられなかった。