Seiun wo Kakeru

Thirteen Stories Salt Making Preliminary

海が広がっていた。

陽光を反射してキラキラと輝いている。

エイジはますますきつく立ちこめる潮の香りをうっとりと吸い込み、手をかざしながら水平線を睨み見た。

その隣をフランが全速力で走りぬけようとする。

「海だ―!」

「うわっ、フラン急に服を脱ぐんじゃありません!」

「およ?」

「胸と股間は隠しなさい。嫁入り前の娘なんだから」

「うおーっ、ありがとうエイジ」

砂浜に移動した途端、フランが喜んだあまり、服を脱ぎかけた。

ブラジャーはなく、また水着もない生活環境だ。

普通は年頃になれば裸になろうとしないが、フランは別らしい。

エイジは布を巻かせて即席の胸当てと腰当てを用意する。

フランは腕を上げてされるがままだが、抵抗しないのでやりやすい。

「これでよし。でも真夏も過ぎているから、急に入ると冷たいぞ?」

「大丈夫。ひゃっほー!」

エイジの忠告も軽く聞き流し、フランが海に入っていく。

打ち寄せる波をかき分けて泳ぎ始める。

ああ、若いって良いなあ。

自分にも同じ頃はあったはずなんだが。

一体あの頃のエネルギーはどこに行ってしまったんだろうか。

ずいぶんと昔のように思える。

今はフランほどがむしゃらには動けない。

ちりちりと熱い砂の感触、海鳥が飛び、海猫が鳴いている。

空の青と海の青が広がる光景。

手元には洋ナシのジュースが木杯に入っていた。

「元気な娘さんじゃなあ」

「本当ですね」

隣に立ってエイジに話しかけたのは、マリーナ村の長老を名乗るエドという男だった。

齢六十になるそうだが、体は海の男らしく、鍛えぬかれていた。

毎日陽の光と潮風にあたっているためか、深いしわは全身に、まるで彫刻のように深く刻まれている。

ややしゃがれた声でエドは笑う。

日に焼けた黒い肌のせいだろうか、笑うと白い歯が目立った。

「フェルナンドさんは泳がないんですか?」

「え、いやだよ。なんか水が上下に動いてて怖いじゃん」

「川泳ぎできるんだったら大丈夫だと思いますけど」

「いや、やめとく」

フェルナンドはとんでもない、という表情で断った。

初めての海は少し刺激的すぎるのだろうか。

エイジはニヤリと笑った。

「フェルナンドさん、海の水って、ある味がするんです」

「味? 海の水には味があるのかい?」

「そうです。良かったら一度飲んでみませんか?」

「よし、試してみよう」

フェルナンドが海辺へと進み、手で海水をすくった。

その姿を見ながら、エイジはニヤリ。

企みを悟ったエドも、特に何かを言うことはなく、ニヤリと笑った。

「どうせならぐいっと一気に飲んでみてください」

「分かった。……げほっ! 辛い! 塩辛いよ!?」

「あはははは。そりゃ海水ですからね。塩水ですよ」

「ほっほっほ。いい勢いじゃったのぉ」

「エイジ、僕をはめて楽しいのかい……! いや、爺さんあんたも見てるんなら止めてくださいよ! ああ、喉が。水がほしい!」

「嫌じゃよ。面白そうじゃもん」

しれっと言い放つエドに、フェルナンドも二の句が継げない。

エイジが洋ナシジュースを持っていけば、奪うようにして持ち、喉に流し込んだ。

完全に杯を空っぽにして、残った水滴まで吸うようにして飲んだ後、ようやく一息ついた。

「ふぅ……まだ喉が乾いてるな。はっ、フランちゃんは大丈夫なのかな!?」

「大丈夫ですよ。口を開かなければいいだけですし。フェルナンドさんとは違います」

「そうじゃ。あの娘は海で何度も泳いどるよ。君とは違って」

「エイジくん、僕をからかってそんなに面白いかい?」

「面白いですが、それだけじゃなく、これで少しでも海がどんなところか分かったんじゃないですか?」

「うん……それは、確かに。しかしこの海すべてが塩水で出来ているって、ちょっと信じられないな」

フェルナンドが気付いたように、海を見る。波は穏やかで、フランは腰ほど浸からない浅瀬で立って、何かをしていた。

一体何をしているんだろうか。

「もともと、私達が毎日使ってる塩は、この海水から作られてるんですよ」

「ほう、君は塩の作り方を知っているのかね?」

「いえ、詳しくは。ただ海水を煮詰めれば出来るということぐらいは知っています」

「これは驚いた。この村の人間以外には特に秘密にしているんだが」

「あー、いや。ちょっと特別な事情で」

エドの目が疑わしそうにエイジを見ていた。

うん、まいったな。

こんな警戒心を抱かせるつもりはなかったのに。

つい気が緩んでしまっていた。

おそらくマリーナ村が塩の製造を一手に引き受けているのだろう。

さて、どうやってこの警戒心を解いたらいいだろうか?

「やり方が分かったとしても、私達ははるか山の上の住まいですからね。海がない以上、どうやっても塩を作ることは出来ませんよ」

「ふむ、それはそうじゃわえのう」

「そういうわけで、もし良かったら実際に作っている工程を見学させてはもらえませんか?」

「いや、それは……」

「先程も言いましたが、見たところで真似できるものではありませんし、それに後ほど必ずお役に立てると思いますよ」

エイジの強気の発言に、しばしエドは無言で考え込んだ。

村の秘密が知られることのリスクと、ここで見せることでのちほどの交渉を有利にすることのリターンを天秤にかけているのが分かる。

しばらくして、エドがうむ、と頷いた。どうやら決心がついたらしい。

「仕方ないのお。見ていくとええわい」

「ありがとうございます」

「ふん、その代わり、ほんとうに役に立つんじゃろうな?」

「約束します」

エドが諦めたように首を横に振り、肩をすくめる。

エイジが強気な態度で見学にこだわったのは、何も塩作りの工程自体を見たかったわけではない。

あらゆる作業には効率をあげようと考えれば、必ず道具の改良に行き着く。

それは塩作りも例外ではないだろう。

つまりエイジは現場を見ることで、必要とされる道具を見極めようと思った。

それは村の発展や交易のためではなく、一人の職人としての勘が、これから目に入るであろう作業の困難さ、労力を思い、自分の力が必要とされるはずだと思ったための行動だった。

その思いに突き動かされたと言っても良い。

エドがエイジたちを連れて海浜を移動すると、木が連なり壁のようになった高台が見えた。

自然物ではなく、外部から怪しまれずに視界を遮るため、わざわざ作られたものであるらしい。

ずいぶんと手が込んでいるな。

エイジは少し気を引き締めた。

この塩作りはかなり組織的に作られている。

他の村よりも隠蔽度合いがはるかに高い。

木々をくぐり抜けると、海岸に堤防が作られていた。

その堤防の中ほどに、幾つもの大きな空白がある。

そしてその手前に砂浜が広がり、そこで村の男が作業をしていた。

エドが観察するエイジに向いて、問いかけた。

「あの穴が気になりますか?」

「ええ、なにか役割があるんでしょうか?」

「今はあの穴より高い波は来ませんが、月の満ちる時期になると、あそこから海水が流れこむのです」

なるほど、干潮と満潮か。

エイジが意図を察した頃、フェルナンドが横で首を傾げていた。

「月と波の高さに何の影響があるんだ? 毎日は入らないのか?」

「時間帯によって入るのお。海の水の量は一日の間でも、月日によっても変わるようですの」

「川水は雨が降れば増えるが、そんなことってあり得るんだろうか?」

「毎日海辺で過ごしていれば、いやでも分かりますぞ」

フェルナンドが初めて見る海に対し、疑問を持っても仕方がないことだ。

エドに案内されて堤防の近くに寄る。

堤は石を隙間なくピッチリと詰めた後、コンクリートで固められていた。

足音の砂は、先ほどの砂浜と較べるとわずかだが色が白っぽい。

そして明らかに固かった。

「何度も海水に浸かった砂は、ご覧のように色が変わってくるんじゃ。そしてその色は表面に近いところだけで、底は他の場所と変わらん」

「この砂に塩気が含んでいるわけですね?」

「理屈はわしにも分からんが、そのようじゃの」

「表面が濡れてる感じじゃないけどな。どうやってその塩気が含まれるようになるんだろうね」

フェルナンドの疑問ももっともだった。

塩が砂全体に広がるなら話は解りやすいが、なぜ表面ばかりに集まるのか。その原理は何なのか。

「もしかして」

「エイジくんは分かるのかい?」

「毛細管現象かもしれませんね」

「もう、さいかん……げんしょう?」

「なんじゃい、それは。わしはそんなの聞いたこともないわい」

フェルナンドとエドが不思議そうな表情を浮かべる。

いきなり毛細管現象などと言われても、確かに理解できないよね。

エイジは頷いて、詳しく話すことにした。

「布の一部が濡れると、広がっていきますよね」

「それは、そうだね」

「堤防から入り込んだ海水は、砂の深い部分を濡らします。それが、布に水が広がるように、砂の表面の方に分散して伝わります」

「ふむ、ここまでは理解できるぞい。続けて」

「はい。砂の表面は、太陽光に当たることで乾燥していきます。すると、海水に含まれていた塩分は、塩に変わります。海水はまた下の方から伝わってきますが、一度塩になった部分はなかなか溶けて拡散することもなく、表面にとどまり続けます。この繰り返しによって、表面に大量の塩分が集まることになります」

言い終えたエイジが反応を待つが、返事はなかった。

エドは呆然とした様子でエイジを眺め、そのまま身じろぎもしない。

フェルナンドは呆れたような表情を浮かべていた。

またこいつは非常識なことをし始めた、とその顔が言っている。

やり過ぎてしまったかもしれない。

この島の人達には難しすぎただろうか。

エイジはそんな心配を抱いたが、問題はそれだけではなかった。

知識量の差も大きいが、何より島の人間にとって、そこまで論理的に思考を重ね、推論していけるものではない。

そこまで考え込める環境にはないのだ。

思索に時間をかける暇があれば、明日の生活のために体を動かす必要があった。

そのため、深く考え込める人間そのものが、非常に稀有な存在になっていた。

エイジのように疑問に対して深い洞察、仮説を立てれば、否が応でも異常性が浮き彫りになってしまう。

フェルナンドが呆れただけで済んでいるのは、これまでの信頼の積み重ねによるものだろう。

エドはすっかり気圧されてしまったようだった。

「わしの長年の疑問が、一目見ただけで解決してしまうとはなあ……」

エドが呟いた声は、少し寂しげだった。

「さて、これならシャベルが使えそうですね」

「ああ、確かにね。いくら固いとは言っても、砂だしね。ツルハシは要らなさそうだね」

エイジは空気を変えようと、砂の状態を確認して、今の現場に必要そうなものを提案する。

シャベルはスコップとも呼ぶが、実は分類があやふやで、国内でも東西によって呼び方が逆転する変わった性質がある。

エイジが住んでいた和歌山では、小さなものをスコップと呼んでいたが、ある時関東から来た客がスコップを依頼して作ったところそれはシャベルだ、と問題になったことがあった。

エイジが一旦荷物を取りに戻って持ってきたのは、刃が鋭く尖った剣先シャベルと呼ばれるものだ。

今回は砂を掘るために使われるが、剣先の形をしたものは固い土を掘り返したり、木の根を切ったりと開墾にも使われるため、今回けっこうな量を運んできていた。そのほとんどはこれまでの交易で順調に交換されている。

エドが実際に働いている青年に対して、シャベルを渡す。

「おい、ラウ。このシャベルという物を使ってみてくれ」

「はあ。分かりました」

ラウという青年は、やはり海辺の男らしく、日に焼けた精悍な姿だった。

チリチリの短い赤髪はくるくるとカーブを描いている。

ラウは手渡されたシャベルを、面倒そうな表情で眺めるも、文句ひとつ言わず実際に砂を掻き始めた。

色の変わった撒砂《さんしゃ》と呼ばれる塩混じりの砂をシャベルで掘り集める。

ジャク、と音を立ててシャベルの刃が砂を切った。

「お……なんだ、これ」

「どうじゃ、ラウ」

エイジはこの瞬間が好きだ。

自分の作った物の効果に使用者が驚き、短いながらも驚きの声や喜び、そして現実を理解できないような疑問の声を上げた時、おもわず笑みが浮かんでしまう。

「長老、これなんかよく分かんないけど、良いよ」

「そうか」

使い手が難しい理屈を知る必要はない。

ただ、ラウという青年の喜んだ表情を見るのが、たまらなく嬉しかった。