「ご苦労だったな、勇」

ガラリエの闘技場、その中で関係者のみ立ち入りが許されている区域に勇とシルヴィアはいた。 

「まだ始まったばっかりだぞ?」

「戦っている時の方が気が楽なものだ。開会式とか、そう言うものの方が苦手だろう?」

流石、わかってらっしゃる。

「まぁな。……んで、シルヴィア的にはどう見る?」

もちろん襲来すると言う魔族の事に関してだ。

「今回は魔族だからな……どうなるかはわからん。今日より明日、最終日の方が可能性は高いと私は見ている」

「理由は?」

「魔族襲撃なんなこと、あの劣悪にして醜悪なアクアディーネが主導してるに決まっているからだ。……そしてアクアディーネは演出には拘るタイプだ」

「だよなぁ……なぁ、俺って一回戦で負けた方が良い?」

負ければその後は自由に動けるからだ。

「確かにな……だがズィーク・オイサーストへの借りもある……結局は無駄に終わったが、義理を果たさないで良い理由にはならないな」

「って事は?」

「……一回戦負けはするな。あの程度に負けては、リーゼリオンの名も墜ちよう」

そう言えば俺はリーゼリオンの食客扱いだったな。

「了解、まぁせいぜい頑張るさ」

「頼むぞ、勇。……しかし、お前はとことんついてないな」

シルヴィアが呆れたように言う。

「選手にしたのは確かに私に責があるが……」

「うるへー、俺だって参ってんだよ。行くとこ行くとこ問題ばっか。これじゃあ幾ら経っても落ち着いて旅もできやしねぇ」

「隠居でもするか?浮遊大陸に良い立地があるぞ?」

浮遊大陸と言うのは魔法大国リーゼリオンがある地方である。

「隠居、ねぇ」

「なんだ、嫌なのか?」

「……いや、隠居ってのもいいかな。旅も良いけど……落ち着く場所ってのも必要だしな」

「そうか。な、なら今回の一件が片付いたら一緒にリーゼリオンに行くか?」

頬を少し赤くするシルヴィア。

「そーだな、旅はちょっと休む事にするか」

今回の騒動が無事終わったならそれもありだ。

ワアアアアアァ!!

「お、もう始まるのか」

恐らくイーブサルの試合が始まるのだろう。歓声がこんな所にまで届いて来た。

「では私は客席に戻ろう」

「俺も戻るわ」

「ではここで」

「おう」

俺はフードを被りシルヴィアは表情をキリリと引き締め、その場を後にした。

「お、来おったな?主よ、こっちじゃ」

観客席の合間を縫って進んで行くと、吸血鬼のお姫様が俺に気づいたように手を振る。

「やっと来たねユウ」

「お帰り、ユウ」

「お待たせですトーレさん。悪いなリリルリー、席取りなんてさせて」

今の俺は観客としているので『黒き執行者』の外套、『黒夜の聖骸布《ホーリーナイト・シュラウド》』を脱ぎ、いつもの『ぬののふく』になっている。

「ほれ、ここじゃ主。ここに座るのじゃ」

「おう。よっ、と……試合は」

パイモンとリリルリーの合間に座った俺は闘技場のリングに目を移す。

「これからって所だよ」

「これより、魔装演武本戦第一試合を行います!」

司会嬢のウサギちゃんが宣言すると会場の観客が沸き立つ。

「騎士ナランテ対、拳聖イーブサル・ドラ・グレゴリア・バランシェル……戦闘《デュエル》開始!!」

最初に仕掛けたのは騎士の方だった。盾に剣と堅実な装備の騎士は大きく踏み込むと同時に剣を横薙に振り抜き、何もない空間を切り裂いた。

その騎士と向かい合っているイーブサルが騎士の思惑に気づき半身を逸らす。

すると、イーブサルの頬に薄く傷がつき赤い血がたらり、と頬を伝う。

「斬撃波、ってやつかい」

トーレさんがイーブサルの行動と頬の薄い傷から推測する。

そして恐らくそれは正しいのだろう。

空気を切り裂いて近づく何かを察知して回避したのだろう。

しかし見えない物を察知するのは尋常じゃないほどに難しい。

頬の傷は避けきれなかったからだ。

「ほう……キキキッ、ただの雑魚かと思えばあの騎士も中々やるようじゃ」

「影が薄いだけで強さに関してはこの世界でも上位に位置するだろうな」

低級の魔族となら良い戦いをするだろう。

「まぁ、イーブサルには流石に勝てないだろうがな」

俺がそう言うのと、イーブサルが動くのはほぼ同時だった。

「は?なんじゃあやつは、脚何ぞ上げよって」

イーブサルが右脚を上げた。

左脚と右脚は一つの柱のように直線なり、数秒振り上げたまま硬直すると、

──バツンッッ!!

空気の壁を突破する音が響き、脚が振り下ろされた。

──コーン!

次いで鳴った音は音速を突破した音と比べ、長く、長く音が響いた。

そして、目を疑うような現象が起こった。

闘技場のリングは岩を削ってできたブロックを敷き詰めたものだ。

その、岩のリングが、まるで湖に波紋が伝わるように、波打ったのだ。

「っ!?」

流石に俺も驚いた。

魔法やらで散々度胆を抜かされて来た俺だったが、こんなこと、俺では逆立ちしてもできないだろう。

しかもイーブサルのそれは、魔法なんかじゃなく、体術によるものなのだから。

「おっ、揺れるねぇ」

イーブサルの振り下ろした脚から放たれ衝撃は闘技場のリングに波紋を立て、その震度は観客席にいる俺達にまで伝わる。

あまりの事に観客席が押し黙る。

そして静寂の中、イーブサルが緩慢な動きで構えを取った。

すると観客と同じように眺めるだけだった騎士が思い出したように盾を構え、

刹那、イーブサルの姿が消え、次の瞬間には騎士の目の前に現れた。

「あ、あの野郎っ!?」

見えなかった。

シルヴィアの『縮地』ですら見切れる動体視力を持つ俺が、イーブサルの動きを捉えきれなかった。

ベルナデットのクイックドロウのように、一時的に身体の一部が見れなくなるほど速く動くのは、まだわかる。

だが、身体全体での動きまで見えなくなるほど速く動くなんて……正直公爵級の魔族並にありえない。

「瞬間移動、じゃねぇよな……」

そう思う程に、速い動きだったのだ。

中小国シュートバニアの騎士ナランテは叫びだそうなのを口を一文字にして耐えていた。

(こ、この私が、全く見切れなかっただと!?)

シュートバニアだけでなく、その周辺国でもその勇名を轟かせたナランテ。

その実力と清廉潔白な性格から、騎士中の騎士ファルハット・エンハンスの再来とまで謳われた彼は混乱の渦中にいた。

目の前で対峙した男は目の前で忽然と消え、そして次の瞬間には目の前に立っていたのだ。

咄嗟に盾を構えられたのは、鍛錬の末に染み付いた動きを身体が取ったにすぎない。

「へぇ……見切った、わけじゃねぇみてぇだな。身体が動いたってか?」

赤髪の男、帝国バランシェルの皇子イーブサルはナランテが構えた盾に拳を当てる直前に身体を止めていた。

「くっ!!」

「よっと」

剣で突きを放つ。がしかし、バランシェルの皇子イーブサルはあろうことかその剣の切っ先を二本の指で挟んで止めてしまった。

二指による白刃取りだ。

「なっ!?」

「へへっ、その程度じゃあ俺は殺れないぜ?」

そう言って、イーブサルは拳を振り上げる。

「ふっ!!」

その豪腕から放たれたのはボディブロー。騎士ナランテの身体が、大きく浮き上がった。

「うげぇっ!?」

ボディブローが放たれた瞬間にナランテを襲った衝撃は筆舌にしがたいものだった。

身体が揺さぶられ、拳が鎧と身体を貫いたのでは?と思う程の衝撃だった。

だが、イーブサルの攻撃は終わらない。

「オラオラオラオラオラオラオラァッッ!!」

浮き上がった身体に、拳のラッシュが叩きつけられる。ナランテは必死に意識を繋ぎとめようと奥歯を噛み締めて耐える。

が、

「らぁっ!!」

大きく振りかぶって放たれた一撃に吹き飛び、闘技場のリングを囲む海に叩き付けられてしまった。

「しょ、勝者拳帝イーブサル!」

魔装演武本戦はイーブサルの圧勝により幕を上げるのだった。