ワァァァァァァァ!!

(歓声……お父様、お母様……お兄様……)

 牢獄の中で少女はギリと唇を噛みしめる。歓声の意味するところを少女は理解していたのだ。

 自分の両親と兄が処刑されたのだ。

 少女の名はエミリア=フィル=ザルブベイル、ザルブベイル侯爵家の令嬢だ。エミリアは少し前までフィルドメルク帝国の皇太子であるアルトス=ゲイル=フィルグルトの婚約者であった少女だ。

 過去形なのは当然婚約を破棄されたからなのだが、その経過は中々酷いものであった。皇太子アルトスがマーゴルク子爵家の令嬢であるリネアと恋仲になり、エミリアを排除したのだ。

 皇太子アルトスのやったことは実の所稚拙と呼ぶにふさわしいものであったが、ザルブベイル侯爵家の政敵である陣営に利用され、ザルブベイル侯爵家は国家反逆罪の汚名を着せられ一族郎党処刑されるという結果になったのであった。

 もちろんザルブベイル家は無実であったのだが、大事なのは真実ではなく事実と信じさせるという事である。政敵の陣営はザルブベイル家を国家反逆罪にするために数々の証拠を捏造した。

 もとより結末の決まっていた裁判である以上、ザルブベイル家の面々が無罪を訴えても意味をなさなかった。

 皇帝であるアルトニヌス2世もザルブベイルを庇うよりも切り捨てることを選ぶと処刑裁定書にあっさりとサインをし死刑が執行されることになったのである。

 まずは家臣から……

 次に一族の者が……

 そして今日、両親と兄が……

 処刑台に送られた。処刑された者達の中には赤ん坊もいたのだが容赦なく処刑は執行された。

 この血の饗宴に皇都の民は熱狂した。ザルブベイル侯爵家は決して悪逆非道な一族ではなかったが帝国で皇族に次ぐ経済力を持っており、その栄華を妬まれていたのだ。

 自分達の生活が困窮しているのは別にザルブベイルの責任ではなく実の所、皇族のフィルグルト家が責を負うべきなのだがそこまで庶民は考えない。自分達の困窮した生活を一時でも忘れさせてくれればそれで良かったのだ。

(この国は本当に腐りきってるわね……)

 エミリアの目には涙はない。もはや涙を流す段階はとうに過ぎたのである。帝国のために民のためにあれほど尽くしたというのに誰も彼もがザイブベイルを悪と罵り、嘲笑した事にエミリアの心はもう壊れてしまったのだ。

“この国に住むすべて(・・・)の者に報いを!!”

 エミリアの目には確かな憎悪が宿っている。それは大切な者達をすべて奪われた者の復讐の炎である。

 コツ……コツ……

 エミリアの耳に何者かの靴音が響いた。それがこちらに向かってきている。

(腐ったクズのお出ましね)

 エミリアは牢獄の扉に視線を移した。そして皮肉気な笑みを浮かべる。

「ほう……涙も見せぬとはな」

 そこにはかつて婚約者であった皇太子アルトスの顔があった。アルトスの容姿は美しいと称しても良いだろう。だが、その心魂の醜悪さがにじみ出ておりエミリアはそれに見惚れるような事はしない。

「家族が処刑されたというのにな。やはりお前はそういう女だったというわけだ」

 アルトスの声にはエミリアへの嘲弄が含まれている。背後にいる取り巻き達もエミリアに嘲弄を向けている。

「もう、後戻りは出来ませんよ?」

 エミリアはアルトスに向かって堂々と言い放った。エミリアの言葉にアルトス達は不快感を一気に刺激される。

「巫山戯るな!! 売国奴の一族が!!」

「皇太子殿下に対してなんたる口の利きようだ!!」

「大体貴様は……」

 取り巻き達の罵詈雑言を鎮めたのはアルトスである。アルトスが手を上げて取り巻き達を制したのだ。

「良いではないか。負け犬の遠吠えを聞くのも一興よ。どうせこの者は明朝に処刑されるのだ」

 口元を醜く歪めてアルトスはエミリアに言う。

「さぁどうした? どのような妄言でも吐くがいい」

 アルトスの意図を察した取り巻き達もニヤニヤと嗤う。アルトス達はエミリアが泣き叫びながら自分達に呪詛の言葉を叩きつけるのを嗤うつもりであったのだ。

 どのような呪詛の言葉であっても所詮は負け犬の遠吠えでありアルトス達に危害を加える事は出来ない。檻の中でいかに猛獣が咆哮しようが自分達の安全が保障されている限りいい嘲弄の対象でしかないのだ。

「ふふふ、愚かですわね」

 エミリアの言葉にアルトス達は全員が訝しがった。エミリアの目には確かに憎悪の炎が宿ってはいる。だが、その態度はまったく取り乱してはいないのだ。そのアンバランスさがアルトス達には理解不能であった。

「私が死んだらそれで終わりと思っているのでしょう?」

「何だと?」

「そんな甘い事を私がするとでも思っているのですか?」

「どういうことだ?」

「ふふふ、私の処刑が終わったらわかりますわ」

 エミリアはそう言うとゆっくりと嗤った。その嗤いは明らかに不吉なものを孕んでいる。いや、不吉そのものであると称しても良いだろう。

「貴様!!」

 取り巻きの一人が叫ぶと剣を抜こうと手をかける。

「あらあら、せっかちな方ね。私の処刑まで待てないのかしら?」

「よせレオン!!」

 アルトスが取り巻きの名を呼び制止するとエミリアを睨みつける。

「エミリア、貴様は何を企んでいる?」

 アルトスの言葉にエミリアはニヤリと嗤う。

「もちろん、この国すべて(・・・)への復讐ですよ」

「なんだと?」

「あら、そんなに不思議かしら。無実の罪で一族が殺されるのだから当然ながら復讐ぐらい企むものでしょう?」

「貴様、まさか本当に他国に……」

 アルトスの声に険しさが増すがエミリアは静かに首を横に振る。

「ふふふ、他国などに頼る必要はありませんわ」

 エミリアの言葉は相変わらず要領を得ない。それがアルトス達には限りなく不快であった。そして心のどこかで恐れが芽生え始めていたのだった。

「明日が楽しみですわね」

 エミリアの笑顔にアルトス達はゴクリと喉をならした。