「クリスちゃん、用意は出来て?」

満面の笑顔でお母様が扉から顔を出す。

最初の街行きはお母様とって決めていた。ずっと一緒に行くのを楽しみにしていらしたし、私が頑張って勉強しているのをずっと傍で見守り励ましてくれたのはお母様だったから。

「まあ、さすがねえ」

目を細め口元をおさえる仕種はやっぱりどこか上品で、クリスと呼び方を変えても、上品過ぎる言葉を改めて貰っても、隠しきれない優雅さが滲み出ている。

お母様をして「さすが」と言わしめるほど町娘姿が似合う私とは、明らかに下地が違う感じだ。お母様は自分の姿を見下ろして「裕福な商家のご婦人に見えるかしら?」ってはにかんでらしたけど、どうかなあ。

お母様が一緒の時は隠れた護衛の数も多いから、もうここはそれを信じるしかないだろう。

なにせ今日は盛りだくさんのスケジュールで、朝の市場の混雑がひと段落した時間を見計らって邸を出発、服や雑貨、お洒落なカフェが店を開ける頃に街へ到着し、それからはお母様とウインドウショッピングを楽しむつもりだったりする。

弟のルーフェスによると、お忍びで私が働くのを見にきていたお母様は、そのついでにとルーフェスを引っ張ってあちこちお店を連れ回したらしい。

ルーフェスは辟易した顔をしていたけれど、私にとってはお母様とそんな風に気軽なお出かけなんて、これまで当然したことなんかなかったから、楽しみで仕方がない。

馬車で街の路地裏まで連れて行ってもらい、密やかに馬車を降りる。

お母様と視線を合わせて、どちらからともなく「ふふっ」と笑みが溢れた。

邸から逃げだして、あてもなく街へ走ったあの時とは明らかに違う高揚感。馬車で通り過ぎるだけではない、肌で感じる街の熱気は一年前と変わらず生き生きと働く人達のエネルギーで溢れていた。

なんだかそれがとても眩しく思えて、なぜか少しだけ胸があつくなる。

「まあクリスちゃん、泣いているの?鼻の頭が赤いわ」

「嬉しくて……私、街の人達がこうして毎日元気良く働いている姿を見るのが、とても好きで」

「そうね、今日は元気を分けて貰いましょう」

お母様お手製の美しい刺繍が施されたハンカチで、涙ぐんだ私の目の端をそっと押さえてくださるお母様は慈しむような微笑を浮かべておいでだった。

「今日は元気を貰って、代わりにクリスちゃんが市井官になった時には、皆さんがもっと元気でいられるように尽くせば良いわ」

コクコクと肯く私に、お母様は「さあ、行きましょうクリスちゃん」と発破をかける。

「時間は有限ですもの。今日は行きたいお店も数えきれない程あるし、なによりクリス、あなたは女将さんにも会いたいのでしょう?」

そう、今日はなんとしても女将さんに会いたい。泣いてる場合じゃなかった!