一方、その頃。

ここは冒険者ギルドから大通りを1本挟んだ先にある『酒場街』である。

エクスペインの街の裏通りに面した酒場街は、荒くれものの冒険者にとっての憩いの場となっていた。

(……心配だ。ユートのアニキ、今頃、上手くやっているのかなぁ)

悠斗と同じ《彗星世代》の冒険者の1人――《百面相のギリィ》は晩酌を済ませた後、1人帰路に着いていた。

ギリィの周囲にはかつてつるんでいた悪友たちの姿はどこにもない。

『――これは俺の持論であり信念でもある。女の尻が好きなやつに悪いやつはいねぇ。お前は最低のゲス野郎だが、何かきっかけがあれば変われると信じているよ』

悠斗の言葉を聞いて以来、ギリィはそれまで使っていた『顔』を捨てて、生まれ変わることを決意した。

――誰かに信頼されるというのは何時以来だろうか?

ギリィの胸の内から湧き上がる感情は、『その男』の元で働くようになって以来、すっかりと失ってしまったものであった。

「やぁ。ギリィ。探したよ」

突如としてギリィの目の前に長身痩躯の1人の男が現れる。

男の名前はエドワード・ウィルソン。

エクスペインの街に『2人しかいない』ゴールドランクの冒険者にして、ギリィとは昔からの顔なじみだった。

エドワードの姿を目にした瞬間、ギリィの心臓はトクンと跳ね上がった。

「何を言っているんだ? 人違いだろう?」

「おいおい。冷たいじゃないか。残念だが、裏が取れているんだよ。ボクの知り合いには優秀な探査系能力のスキルホルダーがいるからね」

「…………」

エドワードの言葉を聞いたギリィは誤魔化し通すことを諦める。

この男は昔からそうであった。

荒くれものたちが集う冒険者たちの中にいて、エドワードは珍しく『爵位』を持った貴族の家庭で生まれ育った。

容姿端麗。頭脳明晰。

おまかに優れた固有能力を有していたため、冒険者の仕事を初めてからほんの数年でゴールドランクにまで昇進した。

戦闘能力にのみ絞るならばエドワードと肩を並べる人間がいないわけでもない。

だがしかし。

生まれながらにして与えられた財力、人脈に関してエドワードは他の追随を許さないものを有していた。

「……で、要件はなんだい? その様子だとあまり穏やかな話ではなさそうだが」

かつてギリィはエドワードの『手駒』の1人だった。

自ら望んでそうなったというわけではない。

エクスペインの街を支配しているエドワードに逆らうことは、冒険者としての死を意味するものである。

エドワードの下で働くようになって以来、ギリィは人間らしい『優しい心』を完全に失うようになっていた。

「――至急、消して欲しい男がいる。ソイツは既にボクのドラゴンを屠っている。到底許すことができないよ」

そこまで聞いたろころでピンときた。

エドワードの使役しているドラゴンは一介の冒険者に太刀打ちできるレベルではない。

となると該当する冒険者は自ずと絞られてくる。

「――男の名前はコノエ・ユート。話は簡単だ。キミが『変身』のスキルで奴の取り巻きの女の1人に化けて、隙を見て消せばいい」

ドラゴンのことがなくてもエドワードと悠斗が衝突するのは必然であった。

エドワードは何より『自分の理想』に拘る男であった。

他のどの冒険者よりも、強くあり、注目を集めて、尊敬されなければ気が済まない。

自分の理想と世界の間にギャップが生まれると、どんな手を使っても埋めに行く。

それがエクスペインの街に2人しかいないゴールドランクの冒険者――エドワード・ウィルソンという男であった。

「残念だったな。オイラはもうお前の操り人形じゃない。他を当たりな」

ギリィが拒絶して踵を返そうとすると、エドワードは意味深な笑みを零す。

「いいのかい? ボクに逆らって。キミには大切な妹がいるんだろう?」

「……どういうことだ」

ギリィには歳の離れた妹がいた。

直接的な血の繋がりはなかったものの、スラムの街で孤児として暮らしていた時から一緒に生活している大切な存在であった。

「知っているよ。妹さんの病気は東の国から仕入れた、希少な薬を飲まなければ生きていけないそうじゃないか。泣ける話だねぇ。キミが冒険者になった理由も元をただすと薬代も稼ぐためだったみたいじゃないか」

「…………」

そこまで聞いたところでギリィはエドワードの言わんとしたことを察した。

この街におけるエドワードの人脈は絶対である。

エドワードがその気になれば薬の1種類くらい平気で街から消すことも可能だろう。

「……なぁ。悪いこと言わねえ。これ以上はコノエ・ユートという男に関わらない方がいい」

その言葉は親切心から生じたギリィの忠告だった。

エドワードは強い。

人脈、財力といった外部の手段に頼らなくても冒険者として十分に1流と呼べる実力を持っている。

そのことは長年エドワードの『手駒』として働いていたギリィが一番よく知っていたことであった。

「正直に言うよ。あんたの時代はもう終わったんだよ。これからはユートのアニキと、クラウドの2強さ。この2人の間には何人たりとも入れねえんだっ!」

ギリィの知る限り、悠斗と肩を並べることのできるのは孤高のゴールドランク冒険者――クラウド・J・ファーストのみである。

悠斗とクラウド。

両者は共に『強さの底が知れない』という意味で共通していた。

いくらエドワードが強いと言っても、2人ような『人外』を前にすると遠く霞んだ存在になってしまう。

「ギリィ。何を言っているんだ?」

「ハハッ。オイラが知らないとでも思っていたのか? あんたの手口はこうだ。懐柔のスキルで使役したモンスターを野に放って暴れさせて、ソイツを自分でトッ捕まえて功績を上げる。あんたはそうやって不正を働いてゴールドランクに成り上がった。違うかい?」

図星を突かれたエドワードの表情からは、たちまち笑顔が消えていく。

「口が過ぎるよ。ギリィ」

「――ゴフッ!?」

突如としてギリィの脇腹に鋭い走った。

エドワードの拳をモロに受けたギリィの体は、酒場街のゴミ置き場の中に向かって飛んでいく。

「さて。ギリィ。最後のチャンスだ。もう一度だけ返事を聞こうか。大人しくボクに従うのであれば、先程の失言には目を瞑るとしよう」

「答えならとっくに出ているんだよ! ボケがっ! オイラはもう……悪事からは足を洗ったんだ!」

覚悟を決めたギリィは《変身》のスキルを使用する。

過去に触れたものの姿に成り代わることのできる《変身》のスキルは、人間に限らず様々な生物の姿に変化することが可能である。

ネズミの姿に変身したギリィは闇夜に紛れて、エドワードの元から離れていく。

「悪いな。ギリィ。これも全部エドワードさんの命令なんだ」

「――――ッ!?」

ギリィの行く手を顔見知りの冒険者たちが塞いだ。

引き返して別方向からの脱出を試みたギリィであったが結果は同じである。

「見つけたぞ! そっちに行った!」

「なんとしても探し出せ! じゃないと今度はオレたちが殺される!」

エドワードの敷いた包囲網に死角はない。

この酒場街に集う冒険者の半数以上は、エドワードの息がかかった人間たちだったのである。

「さぁ。ギリィ。お仕置きの時間だよ。誰がこの街の支配者なのか――。お前の体にたっぷりと教え込んでやらないとな」

袋のネズミとは今この時、こういう状況のことを指すのだろう。

変身のスキルを駆使して夜の街を逃げ回るギリィであったが、ついには壁際にまで追い込まれることになった。

(ハハッ。そうだよな。そりゃまぁ、これまで悪党だったやつが無傷で足を洗えるはずがない……か)

それから。 

夜の街に1人の男の呻き声が響き渡るのだった。