Soul Eater of the Rebellion

扉を開けて室内の空気に触れた瞬間、俺は反射的に眉をひそめた。

むせ返るほどの甘い匂い。

睡死薬　それがの香りであることを俺は知っていた。何故といって、鬼ヶ島で何度も嗅いだことのある匂いだったからだ。

睡死薬　の香りが壁にまで染みついていそうな部屋の寝台で、クラウディアが横になっている。

すぅすぅと穏やかな寝息をたてており、苦しんでいる様子はない。これだけ見れば、とてもこの子が呪いに侵されているとは思えないだろう。

枯渇　だが、俺の目に映るクラウディアの魂ははっきりとの兆候を見せていた。

厩舎　先日、で話をしたときと比べても減少ぶりがである。

あのときはまだ、王都とイシュカを往復する程度の時間はあると思っていたが、今の状態を見れば、とてものことそんな余裕はない。へたをすると、今日明日にでも魂が底をつく。

そんな状態のクラウディアに魂を注ぎ込むわけだから、ルナマリアのとき以上に慎重にやらねばならない。

そんなことを考えていると、不意にクラウディアの目がぱちりと開かれた。

誰かが部屋に入ってきた気配に気づいたのだろう。

俺を見た公爵令嬢の目が意外そうに見開かれた。

「……ソラ、さん？　どうして、こんなところに……？」

「クラウディア様をお助けするためです。おそばに行ってもよろしいでしょうか？」

「……それは……だめです。この部屋の空気は――」

「聞く耳もちません」

相手の答えにかまわず、ずかずかと部屋に入る。

寝台の横に立ってクラウディアの額に軽く触れる。

「ふむ。熱はないようですね」

「……ふふ。聞く耳を、もたないなら……はじめから、許可を求める必要、ないでしょう」

「本当にクラウディア様が俺に近づいてほしくないと思っているならともかく、どうせ『この部屋の空気は健康な人には毒になるから入っちゃ駄目』とか言おうとしていたのでしょう？」

それなら気にする必要はない。そんなことを気にするくらいなら、はじめからクラウディアに会いにきたりはしないという話である。

そのあたりを説明しようかとも思ったが、クラウディアの状態を考えれば無駄話をしている時間はない。だから、そういった余計なことは全部あとまわしにする。

俺はさっさと本題を切り出した。

それを聞いたクラウディアは愉快そうに、それでいてどこか諦めを含んだ笑みを見せる。たぶん、俺が気休めを口にしていると思ったのだろう。

「……ボクを助けるために、唇を合わせる必要が、あるんですか？」

「はい。なに、溺れた人間を助けるために人工呼吸するようなもの。乙女の唇は清いままでございます」

「……それ、父上は納得しました？」

「あやうく叩っ切られそうになりました」

腹蔵　真顔で応じると、今度はのない本当の笑みを見せてくれた。

「ふふ、それ、見てみたかったなあ……それにしても、魂、ですか。どうして、ボクなんかのために……そこまで？」

「女の子が苦しんでいたら、助けてあげたいと願うのが男の子というもの。それに、クラウ・ソラスからも頼まれていますしね」

「クラウ・ソラス……あの子が？」

「はい。自分と同じ名前を持つ仲間を助けてほしい、と」

それはクラウディアが厩舎でクラウ・ソラスに語りかけていた言葉だった。

すぐに気づいたのだろう、クラウディアは目を丸くした後、心底嬉しげに破顔する。

「あはは、それは……うん、断れませんね」

「そうですか。それでは」

「え――むぶ！？」

躊躇　クラウディアの言葉を許可と受け取った俺は、せずに少女の唇を塞いだ。

時間をかければ変に緊張させてしまう。一気にばーっとやっちゃった方がいいだろう。

そうして、俺が触れ合った唇から魂を注ぎ込んだ瞬間――

「――んんッ！？」

びっくん、とクラウディアの細い身体が大きく跳ねた。

心装　今、クラウディアは俺がはじめてでを切り殺したときの快感を体験している。いや、濃度、密度を考慮すれば、あれを数倍、数十倍に濃縮したようなやつだ。

実験に付き合わせたルナマリアいわく、快感も過ぎれば苦痛になる、とのこと。

慌てたように少女の両手が俺の胸を押す。思わぬ衝撃にびっくりして、とにかく俺から離れようとしているのだろう。

見開かれた紫色の瞳が、困惑と混乱を宿して俺を見つめていた。

――だが、俺は相手の要望を意図的に無視する。

すまぬ。ここで中断した場合、へたするとそれだけで俺のレベルが下がってしまうんだ。改めてやり直したら、もう一レベル下がってしまった、なんてことも起こりえる。

なので、右手でクラウディアの腰を抱え、左手でクラウディアのあごを固定して、強引に続行する。

俺は腕の中でびくんびくん跳ねまわる少女の身体を、力ずくで押さえつけ、唇を合わせ続けた。

どれくらい経っただろうか。

腕の中のクラウディアは、もう諦めたのか、あるいは抵抗するだけの体力がなくなったのか、ぐったりとして俺のされるがままになっている。　　

そうこうしているうちに『反応』があった。

ルナマリアの時にも感じたもの。どうやらクラウディアもそれを感じたようで、力なく伏せられていた瞼が大きく見開かれている。

祓　――さて、本来ならここで終わらせるところなのだが、なんとはなしに不安があった。たった一レベル上げただけで呪いを完全にうことができるのか、という不安が。

だから、俺はさらに魂を注ぎ続け、二回目の反応を待った。

それを確認した後、ようやく唇を離す。

「……ふう。こんなもんか」

「こんなもんか、じゃないですよ！」

成し遂げた気分で呟いた瞬間、目の前の少女から怒りの声があがった。

「た、たしかに、その、いいとは言いましたけど！　言いましたけれども！　もうちょっとこう、手加減というか、優しさというか、そういうのがあってもいいと思います！」

真っ赤な顔をしたクラウディアが、右手で唇を覆いながら憤然と言い放つ。

ふーふーと息を切らせて俺を睨んでいるところを見るに、今の一幕はそうとうお嬢様のご機嫌を損じてしまったらしい。

まあ当然だよな、と思いつつ確認をとる。

「お怒りはごもっとも。重々お詫びしますが、その前に確認の方をお願いします」

「確認ってなに――あ、そうか、レベルが上がったかどうかですね。もう、誰かさんのせいで色々なことがいっぺんに頭から吹き飛んじゃいました」

俺をじと目で睨みつつ、クラウディアが己のレベルを表示させる。

直後、公爵令嬢の口から嘆声がこぼれ落ちた。

「わあ……ほ、ほんとにレベルがあがってる……それも二つも！？」

「よし！　それで、お身体の具合はどうですか？　とりあえず怒鳴り声が出せるくらいには元気になったようですが」

「え、ちょ、ちょっと待ってくださいね……正直、いろいろびっくりしすぎて……と、とりあえず、手も足もちゃんと動きますし、これまでにあった変なしびれも消えてますね」

「ふむふむ。他にはどうです？」

「あとは、頭も、なんかすごいすっきりしてます。それと――」

「それと？」

「あ、いえ、これはその……」

躊躇　何かにしたクラウディアが、ごまかすように両手を左右に振ったとき、俺の耳にある物音が飛び込んできた。

なんというか、ぐー、としか書きようのない音が。

真っ赤になってうつむくクラウディアには申し訳なかったが、俺はそれを聞いてようやく胸をなでおろすことができた。

食欲が出てきたということは、身体が回復のためのエネルギーを欲しているということ。最悪の状態から脱した何よりの証拠といえる。

魂も器からあふれんばかりに満ち満ちている。呪いの影響がどう出るかは経過を見なければ分からないが、すくなくとも今日明日にどうこうなることはありえない。

俺はその事実に心から安堵する。

そして、安堵すると同時にぶっ倒れた。

それまでこらえていた魂付与の反動が一気に来たのだ。

ルナマリアで経験済みとはいえ、ほとんど日をおかずに同じことを、しかも二レベル分まとめてやったのだから、当然といえば当然の結果。

クラウディアが慌てたように俺の名を呼んでいるが、それに応える力はすでに残っていない。

垂直の崖を転がり落ちるように、俺の意識は瞬く間に闇に飲まれていった。