Story of The Ancient Demon King!

Episode 10: Part One and Part Two in the Garden

「――グラス!!」

エリカの声が、轟々(ごうごう)と突き進む火球の音と混じって響く。

刀は鞘に収まったままで、グラスは棒立ち。

抜刀して斬るにしても避けるにしても、初動を起こすタイミングは過ぎているように見受けられた。

誰もが、火球を放った小太りの男の新たな犠牲者の誕生を思った。

だが、火球はあっさりと弾け飛ぶ。

「……は?」

妙にクルクルとした髪型の小太りが、裏返った素(す)っ頓狂(とんきょう)な声を漏らす。

「……お好きなだけ撃って来てもらって構いませんよ? もっと強力なものが良いのですが、可能でしょうか」

「くっ! このっ、ッ!!」

頭に一気に血が上(のぼ)り、怒りのままに火の玉を次々と撃ち出す。

「……」

それを難なく、左手に持った刀の鞘(・)で打ち払っていくグラス。

鞘をぶつけられた火球は、両断され、内側から瞬く間に霧散してその姿を消していく。

最小限の軽やかな動きで鞘を振っているグラスは、何処と無く申し訳なさそうで不満そうな顔付きだ。

「まぁいいでしょう……。エリカ様、この程度の魔術であれば、鞘に魔力を込めて払えば刃で斬り払うより簡単に対処できます」

「……………この、程度、だとぉぉ……?」

歯軋りしながら言う男子生徒のコメカミには青筋が浮かび、より魔力を込められた火の玉が連射される。

学生とは思えない魔術センスだ。

だがグラスはそれを一つ残らず打ち消し、尚且(なおか)つ指導を続ける。

「お聞きになられていますか?」

「あ、え……う、うん……」

歯切れの悪いエリカの返事に、より詳しい説明を始める。

「これならば刃こぼれもしませんし、上手くやれば余波も食らいません。刃渡りも隠せます」

「はぁ! はぁ! はぁ!」

流石に魔力残量が厳しくなってきたのか、火の魔術の乱れ撃ちが止む。

「……申し訳ありませんでした」

「ふぐっ、何がだっ!」

いつの間にか男子生徒の眼前まで近付いていたグラスが、心からの謝罪を送る。

「何、まだまだこれからです。才能はあるのではないかと。あの〜、何でしたっけ。例の、小国の三男坊のやりたい放題の王子様の名前は」

この場の誰もが、この使用人が何を言い出したのか理解できなかった。

「ゲッソ・クジャーロですよ、グラスさん」

いや、1人だけ理解していた。

ライト王国一の知性を持つセレスティアが、心なしか楽しそうな口調で助言する。

「あぁそうでした。ゲッソ様でした」

ポカンとしてしまう男子生徒。

「そのゲッソ様は学園で一番魔術が使えるらしいですから、まだ新入生のあなた様ならば参考になるやも知れません」

ここで初めて判明した。

この使用人は、自分の事をついこの前入学して来た新入生と勘違いしているのだと。

「私がこちらの王女様方にお聞きしましたところ、ゲッソ様は人格に関しましては、どうしようもないお方で、はっきり言ってしまえばただの犯罪者(・・・)なのですが……こっそりと魔術を使うところを覗いて学ぶ分には問題ないかと」

「ッ……!?」

あのセレスティアと、ライト王国三大美女の一人とされるエリカの抱いていた印象に、胸を深く抉(えぐ)られる男子生徒。

本人にしてみれば、恥じ入るところは何一つない。これまでの自分の行いを振り返ってみても、高貴な身分と実力ある者として当然の行いだったと考えている。

故に今彼の頭の中にあるのは、自分とセレスティア達の仲を邪魔する何者かの陰謀や、自分の才能に嫉妬した誰かが自分の悪い噂を吹聴しているのかも知れない、といった類の考えばかりだ。

そして、それと同時に……。

「おっと、この事は内密にお願いします。まだこの仕事を続けたいですから。……それでは、ご協力ありがとうございました」

一礼し、振り向いて王女達の元へ歩いていくグラス。

周囲からは隠れて笑う嘲笑(ちょうしょう)。

受けた屈辱と恥辱により、覚えがない程の激情が彼を突き動かす。

「――〈雷の鞭(サンダー・ウィップ)〉ッ!!」

バチバチと弾けるような音を立て、鞭の形をした電撃の塊が、大きくしなりながらグラスの背に迫る。

♢♢♢

エリカとセレスティアから、ソレはよく見えた。

こちらへ歩くグラスと、背後の……ゲッソ。

ゲッソが赤く怒り狂った形相で魔術を発動する。

それと同時……いや、むしろそれよりも早く、グラスは何気ない動作で刀を持つ手を上げる。

そして、親指で鯉口を切った。

たったそれだけの動きだが、そこには誰もが瞬きも忘れて魅入るだけの迫力があり、刹那の事ながら、時の流れが遅くなったかのように感じられた。

しかし、そこからの展開は清流のように一息に過ぎ去る。

流麗な動きで深く身体を沈め、同時に振り向きながら刀に手をかける。

一閃。

半円を描くように放たれた刃により、雷の鞭がゲッソの持ち手寸前より断たれた。

いつ抜刀したのかも認識できない。

速さではない。

あまりに綺麗に流れる一連の動作に、理解が追い付かなかった。それだけだ。

一目で分かる卓越した美麗な剣技に、誰もが言葉もなく呼吸も忘れる。

その静寂を、鞘と刀を打ち合わせるように激しく納刀したグラスが自ら打ち破る。

剣戟音にも似たその苛烈な納刀は、静かな流水を思わせた一刀(いっとう)との対比から、その場の者達の心を酷く熱くさせた。

「……もう終了でよろしいですよ? あまり無理をされると明日の授業に差し支えます。慣れない学園生活で見えぬ疲労もあるでしょう」

「……」

別人となったように雰囲気の柔らかくなったグラスから、子供へ向けるような温かい眼差しがゲッソへ送られる。

「……お、覚え――」

「この事はしっかり覚えておきますので、サロンをご利用の際は是非とも私にお声掛けください。サービスいたしますので」

唇にそっと添えた人差し指にギザなウィンクを添えて、「覚えてろ!!」のセリフを覚えておく宣言で寸断するグラス。

「〜〜ッッ、おいッ! 行くぞ!」

ゲッソは憤死しそうな程に顔を赤くし、買った女で鬱憤を晴らそうと自室へ向かおうとする。

その事がはっきりと分かってしまう女性2人は、恐怖に顔を蒼白く染める。

「あっ、お待ちください。そちらの方々は学園の関係者ではありませんね。一般人の許可なき立ち入りは禁止されています」

見逃したらクビにされ兼ねないと、慌てて女性達を止めるグラス。

「こいつらは私が買った女だッ! どうしようが私の勝手だろうが!!」

「買った? ……なるほど」

何かを察したようなグラスが、またもやゲッソに生温かい目を向ける。

「いくら魔術の腕が上がらないからと、女性でそのウサを晴らそうというのは如何なものでしょう。私としましては、スポーツをオススメいたします。あなた様は……少し運動不足のようですし」

「なっ!?」

健康の為にもなって一石二鳥の案と、自信を持ってアドバイスを送る。

「ふふ、それがいいかも知れませんね」

「ぷっ、そうだね」

セレスティアとエリカまでが笑みをこぼし、賛同してしまう。

「ぐぅぅッッ!! き、キサマァァ、覚えておけッ!!」

「え、えぇ。ですから絶対に忘れません。お待ちしております」

「ガァァァアア!! アァァァァァアア!!」

発狂したのではと誰もが期待(・・)する雄叫びを上げ、ゲッソが鈍足で庭園から走り去る。

♢♢♢

ゲッソに連れて来られた女性2人に涙ながらに感謝されたグラスは、訳も分からず愛想笑いでその言葉を受け取り、学園の出口まで案内する為に庭園を後にした。

グラスが不在となった庭園のテーブルには、セレスティアとエリカ。

「あ、あの人って、あんなに強かったんですね……」

そして、騒ぎを聞きつけて様子を伺っていたハクトが加わり、周囲の者達同様に先程のグラスの話題に花を咲かせていた。

「あれはおそらく、鞘に収めた状態から解き放つ刀術の技でしょうね。刀ですら珍しいライト王国では滅多にお目にかかれないでしょう」

セレスティアが向かいに座るエリカとその傍らに立つハクトへ語る。

「……あんなのを教えてもらえるんだ……」

先程グラスから譲り受けた刀を抱き締めて、期待に胸を踊らせたエリカがふと呟く。

「……なんだったら婚約解消でもいいぞ」

いつもの仕返しとばかりに、イタズラ小僧のような笑みを浮かべて言うハクト。

「は、はぁ? 何言うの? 別にグラスの事なんて……ただの使用人だし……。確かにさっきはちょっとだけカッコ良かったけど……変な奴だし……」

誰がどう見ても満更ではなさそうなエリカの態度に、ハクトはつい楽しくなってしまう。

「まぁ、好きにしろって事だ。俺はいつでも言ってくれれば――」

「――いけません」

聞いた事もない程に厳しい一言。

一瞬、本当に彼女が発した言葉なのか疑ってしまうハクトとエリカ。

「セレスティア、姉様……?」

「私は、貴女がどのような恋愛をしても構わないと思っています。貴族であれ、平民であれ、他国の人間であれ、自由な恋愛をして欲しいと考えています。……ですが、あのグラスさんは許せません」

いつもの威厳が紛い物とさえ思える、万人を圧倒する威光を放つセレスティア。

「なんで……」

「あれから、少し気になって彼を調査してみました」

当然のエリカの疑問に、粛々と語り始める。

「彼は身元が不確かであるにも関わらず、誰も知らない内に採用され、誰にも疑問を抱かせる事なく当たり前のように働いていました」

ライト学園は、格式の高さから従業員についても非常に厳しい厳正な審査がされる。

セレスティアが言うには、そのデータはあれども採用されるとはとても思えない経歴であったらしい。

「ただの不正であればまだいいでしょう。……ですが私は、彼が【黒の魔王】の手の者である可能性も考えています」

「そんな!?」

「い、いや、それは……しかし……」

この短期間の間にセレスティアが学園に顔を見せたのは、グラスの監視目的である事を知る2人。

「【黒の魔王】がどれほど凶悪な存在であるか、2人にはよく言って聞かせて来ましたね?」

「うん……」

「はい……」

幼き頃よりセレスティアが出会った超越的かつ超常的な強さを持った【黒の魔王】の話。

忘れる訳がない。だが……。

エリカ達はユニークなグラスに好感を持っていただけに、まだ少し信じきれない思いもあった。

いや、信じたくないという思いだろうか。

「……まだ確定ではありませんが、不正は間違いないでしょう。ですから決して彼に気を許してはなりません。……いいですね?」

普段の慈愛の雰囲気から考えられないくらいに強く念を押すセレスティア。

「は、はい!」

「……うん」

エリカは、ぐるぐるとまとまらない思考で、無意識に腕の中の刀を強く握り締めていた。