アイス食べたいなぁ。
夜気にぶるりと身体を震わせ、僕は現実逃避しながら宝具でもなんでもない外套の襟を寄せた。
いや、正確に言うのならば僕が身を震わせた理由は空気が冷たいため、ではない。なぜかトレジャーハンターから、ただの狩人(ハンター)に転職してしまったリィズちゃんが一番の原因だ。
ティノが一生懸命、石柱の上を飛び回り、存在もしない何かを探している。
それを指示したリィズは、僕の前にサンドラビットの首をひたすらに積み上げていた。
リィズはこの近辺で生きる如何なる獣よりも素早く、そして食べるために狩っているわけでもないのでその手が止まることはない。
僕が気づいたサンドラビットはたった一体だったのだが、生態系を支えているだけあって、どうやらこの近くにはずいぶんサンドラビットがいたようだ。
リィズはそれらを捕まえ僕の前に持ってくると、当然のように首をはね、僕の前に積み上げた。
闇の中、死後もなお輝くつぶらな瞳は非常に不気味だ。僕は途中から目を背けたが、どさりどさりという音までは排除しきれない。ウサギが大きな鳴き声をあげないのは不幸中の幸いであった。
それ、食べるのかな? 食べないよね? やめなよ、動物いじめるの。いや、一応魔物に区分されるみたいだけど、動物みたいなもんじゃんそれ。
僕は博愛主義である。暴力を振るわれるのは当然嫌いだし、振るうのもあまり好きではない。魔物の討伐は罪にはならないのでリィズを止める理由はないのだが、あまりにも酷い。
ティノが見ててくださいって言ってたじゃん。見ててあげなよ。僕には見えないんだから。
僕は深々とため息をついて、苦言を呈することにした。
ハンターになってからいつも助けられていた。僕はリィズ達に大きな借りがある。
だが、それとこれとは話が別だ。
「リィズ……その辺でいいんじゃない?」
「え? ほんとぉ?」
音が止まる。一体何匹狩ったのか、顔を背けていても強い血の匂いが漂ってくる。
ある程度匂いには慣れている僕でも吐き気を催すような酷い匂いだ。
「……僕は……博愛主義なんだ」
見損なってはいない。この程度で見損なう程、僕とリィズの間にある絆は弱くない。
だが言葉がそっけなくなってしまう事は止められない。僕の言葉に、リィズが僕の眼の前に回り、首を傾げた。
純粋に不思議そうな眼だ。
「? 端末を狩るんじゃなくて、本体を狩れってこと?」
??? 何言ってるのか全然わからない。またハンター用語かな?
「でも、端末っていっても、端末側は使われていることすら無自覚みたいだしぃ、さすがの私でも大元がどこにいるかはわかんないかも。ずいぶん警戒されてるみたい。この手のはルシアちゃんかシトが詳しいんだよねえ」
リィズがその唇に指を当て、早口で言う。その言葉を理解するのに必死で、何言ってるのか全然わからない。
とりあえず全然わからなかった前半は置いておいて後半だけ考える。
警戒されている? そりゃあれだけ仲間を殺されたのだ。サンドラビットも群れを作る生き物なんだろうし、警戒くらいするだろう。まぁその警戒もこの分だと無駄だったみたいだけど。
そして、ルシアやシトリーってウサギに詳しいのか……。初めて知ったけど、魔導師や錬金術師って変な知識たくさん持ってるからそういう事もあるだろう。
三人が本気を出したらウサギどころか何も残らないだろう。そこまで本気でウサギ狩らなくていいって。
うん。言ってる事の八割くらいは理解できた気がする。重要なのはリィズに虐殺をやめさせることだ。
僕は何も見えない暗闇に視線を彷徨わせ、格好をつけて言った。
「とりあえず、これ以上ウサギを狩る必要はないって事さ。大体、警戒されてるとかどうでもいいし」
「クライちゃん、さっすがぁ。格好いい! でも、まだ大元を潰せてないしぃ、私達に手を出した事は後悔させないといけないと思うの。敵対したくせに、隠れたままで生き延びられるなんて思われたら名折れじゃない? 『嘆霊』の名に賭けて叩き潰さないと……私達の事を居場所も特定出来ないゴミクズだって思ってるよぉ? このまま私達が舐められたままなのは良くないと思うの。ちゃんと歯向かう気も起こさないように踏み潰さないと。絶対ルシアちゃんもシトもそう言うよ?」
リィズが眼をキラキラさせる。僕の言いたいことがあまり伝わっていないようだ。
ウサギ相手に全力過ぎやしませんか。
相手はサンドラビットだよ? 人間ならともかく、サンドラビットだよ?
別にウサギに舐められたところで名折れなんかじゃないと思うし、そもそも彼らは誰にも迷惑をかけずこの弱肉強食の世界を慎ましやかに生きていただけだ。こっちに手を出してもいない。
いつも全力なのはリィズの美点だが、相手くらい選んで欲しい。
それに、ルシアやシトリーを何だと思ってるんだか。
言わないよ。彼女達はあまり無駄を好まない。リィズが強く主張すれば付き合うだろうが、そうでもなければ無害なウサギを殲滅しようなどとは思わないだろう。
真面目にリィズの言葉を考えると、内容が馬鹿らしすぎてニヤニヤしてしまう。
と、そこで僕は自分の誤りに気づいた。
リィズが後ろに手を組み、まるでわくわくしたかのような視線で僕を見上げている。
そうだな。リィズはちょっと浅慮なところがあるが馬鹿ではない。乱暴だがユーモアもある。僕にとっては大切な友人だ。
となると、リィズの言葉――多分、冗談のつもりなんだろう。最近コミュニケーションが少なかったのでそれを埋めようとしているのかもしれない。
ただの冗談でサンドラビットの死体の山を作るのは頂けないが、目くじらを立てるような内容ではない。
今日の僕は冴えてる。
「いや、そもそもウサギなんて正直眼中にないし……それに、居場所を特定出来ない? 大元? 王? ウサギの王はウサギの巣穴の中にいるに決まってるじゃん。考えるまでもないよ」
もしかしたら外に出ているのかもしれないが、基本は巣穴の中にいるだろう。そもそもサンドラビットの群れに王がいるのかはかなり疑問ではあるが……。
僕のノリノリな返しに、リィズの表情が花開くように明るくなる。
「リィズは全部眼で見て探そうとするから悪いんだよ。ちゃんと頭で考えないと」
「えぇー、私も考えてるのにぃ。……そっかぁ、巣穴の中、かぁ……この辺りには似たような巣穴がいっぱいあるし、臆病なウサギの飼い主にぴったりの隠れ場所、かもぉ……」
飼い主ってなんだよ。サンドラビットに飼い主なんていないだろ。
「うんうん。そうだね。そんなのどうでもいいからさ、弟子の勇姿を見てあげなよ」
僕の眼では何も見えないが、頑張っていることだろう。
なぜか唇を歪め酷薄そうな笑みを浮かべるリィズの肩を掴み、円柱の方に向けさせる。本気かどうかはわからないけど、ウサギに執着するのはやめなさい。
ぼんやりした月明かりの下、黒いぼんやりしたものがぼんやりしている。ぼんやりしていることしかわかんねえ。
数メートルある柱同士の間をぴょんぴょん飛びまわっている様子は妖怪でも見ている気分だ。
「立派になっちゃって……もう一人前の盗賊じゃん」
「えぇー、本当? まだまだ鍛錬がたりてないよぉ。早く成長して私の組み手の相手やってもらわないと……」
僕は十分だと思うんだが、リィズはまだ不満そうだ。まぁ、彼女が弟子を取った目的の一つが、ティノを自分より強く育てて練習相手にすることらしいので仕方ないだろう。
というか、ずっと薄々思ってたんだけど、自分より強く育てるって矛盾してね? どうやるんだよ。
アイスを食べたい気持ちいっぱいでリィズをなだめにかかる。ティノが調査を終えるまでになんとか彼女にはこの宝物殿にやってきた理由を納得してもらわなくてはならない。
「僕はね、ティノの成長を見たくてこの宝物殿に来たかったんだ。『白狼の巣』ではリィズの手を煩わせたかもしれないけど、あれは運が悪かったんだ」
「えぇー、ティーもいいけど、私の成長も見て欲しいなぁ」
リィズが肩を掴まれたまま、思い切り首をあげ、僕を下から見上げた。
見てもわかりません。もう十分強くなってると思うんだけどなぁ。
リィズ達は既に僕の手に負えない。ティノも実はあまり負えてない。見るだけならいいけどアドバイスとかできないよ……。
僕はお茶を濁す事にした。
その健康的に焼けた首筋を手の平でなでてやる。リィズの眼が潤み、肩の力が抜け、ブルリと身体を震わせた。
体温がだいぶ上がっているようだ。
リィズの積んでいるエンジンは高性能にチューンナップされてある。
エネルギーとは簡単に言うと熱だ。彼女が実力を発揮する時、リィズの体温は常軌を逸して高くなる。
これは卓越した技術と闘志を武器にするルークや肉体の頑強性を突き詰めたアンセムとは違う。
「大丈夫大丈夫、ティノの成長を見ればリィズがどれほど頑張ったのかもわかるよ。リィズは気を張りすぎだ。もう少し気を緩めていこうぜ」
「自然体であらゆる事態に対応しろってこと? うーん、私達もそこそこ修羅場は潜ってきたつもりだけど、まだその域は遠いかなぁ。クライちゃんがクズどもの世話をするためにいなくなって、探索も退屈になっちゃったし」
「うんうん、そうだね?」
……何言ってるのかわからないけど、楽しそうならいいか。
リィズが自分を納得させるように大きく頷き、僕の方に身体を預けてくる。
「うん。でも、元気出たかも。ありがと、クライちゃん。私、頑張るね。クライちゃんをがっかりさせないように」
「……がっかりなんてしないよ」
むしろ、リィズ達が僕にがっかりしないか心配なくらいだ。
と、その時、円柱の上から安堵と(珍しく)興奮が入り混じったティノの声があがった。
「ますたぁ、宝具! 宝具、ありました! 腕輪型ですっ! 見つけましたよ、ますたぁ! ますたぁ! お姉さま!」
「お、やるじゃん」
こんな低位の宝物殿で宝具が見つかるなんて滅多にないことだ。人がほとんど来ないのが良かったのかもしれない。
日頃の行いがいいんだろうな。僕とは大違いだ。
ちゃんと目に見えた成果が出たのだからリィズも満足だろう。
そう思って下を見ると、リィズの表情には先程までの楽しそうな表情が消えていた。眉を顰め舌打ちする。
「クソっ、ティーめ。油断しやがってッ。宝具一個見つけるためにクライちゃんがこんな所まで来るわけがねえだろ。この揺れを感じないのか」
……ん?
ずずん、と。まるで地面がひっくり返ったかのような揺れが全身を襲った。
さすがのティノも驚いたのか、短い悲鳴をあげ、跳び上がる。
冷静なのはリィズちゃんだけだった。
地震ではない。揺れは止まる気配がない。
あまりの混乱に何も言えない。悲鳴をあげる事すらできない。動くこともできない。
リィズがまるで僕を落ち着かせるかのように腕を取り、ギュッと抱きしめる。それで少しだけ平静を取り戻す。
そして、予想外の光景に僕は沈黙した。
音と振動の元は円柱群の中心部にあった。円柱に囲まれた広いスペースに、大きな黒い塊がせり上がっている。
高さは周りの円柱と同様、四メートル程。一見すると同じ柱にも見えるが、遠くからじっと見ているとその柱には『四肢』がある事がわかる。
暗闇の中、その頭に、三角形を逆さにしたような奇妙な文様が赤く輝くのが見える。
何あれ?
リィズちゃんが唇に人差し指を当て、真剣な表情でブツブツ呟いている。
「ゴーレム。金属装甲。脚部にブースター。両腕に砲門。盾に長剣。翼はなし。高度な陸戦型ゴーレム? 紋章は、シトがやるって言ってた『アカシャ』。…………クライちゃんの目的はこれかぁ……うん、確かに、強いかも」
ゴーレム? ああ、そうか。ここも一応幻影が出るんだったな。
僕はリィズの戦況分析を聞きながら知ったかぶりをした。
「うんうん、そうだね。大きなサンドゴーレムだね」
『白狼の巣』といい、昨今の宝物殿事情はずいぶん物騒だな。ボスなんだろうけど、宝物殿の難易度に対してレベルが高すぎませんか?
大きいとは強いと同義だ。ドラゴンはその体格だけで無数のハンターを屠る。
まぁ眼の前のサンドゴーレムはそこまで大きくないが、ティノと比べるとあまりにも大きい。
巨大サンドゴーレムがぐるりとこちらを振り向く。細かいところは見えないがシルエットから、リィズの言う通りその巨大な人型が大きな剣と盾を持っている事がわかる。
僕が余裕ならば今すぐにでも逃げ出していたところだ。足が動かねえ。
リィズが珍しく険しい顔をしている。
「うーん。さすがに私、ティーじゃまだ無理だと思うなぁ。私達、戦闘はあまり得意じゃないし、軽くとか言って、クライちゃんの見積もりって厳しいよねえ」
「……選んだのはティノだし」
あー、ゲロ吐きそうだ。