「はぁ、はぁ…………畜生ッ!! 逃げられたッ!」

激戦の末、魔物がその見た目からは想像できない甲高い悲鳴を上げ倒れる。

アーノルドを襲ったのが運の尽きだった。先程までアーノルド達が手こずっていたのは鬼が異様な慎重さを見せていたからだ。不意打ちとはいえ、ほぼ万全の状態(もしかしたら憤怒でいつも以上の実力を出せていたかもしれない)の《豪雷破閃》に勝負を挑んだ時点で勝敗は決まっていた。

倒れ伏す緑の鬼の頭部にダメ押しとばかりに剣をつきたて、アーノルドが膝をつく。

倒せた。だが、時間がかかった。もう既に《千変万化》の馬車は見えない。

身体がずっしり重い。今から追いかけても追いつくのが難しい事はわかっていた。

自分に言い聞かせるが、憤懣は収まる気配はない。

度々逃げようとする魔物を囲み牽制し、アーノルドの戦いをサポートしていたエイが駆け寄ってくる。ぼろぼろだが、エイは《霧の雷竜(フォーリン・ミスト)》の中では二番手の実力の持ち主だ。その一挙手一投足からは他のメンバーと比べ、少し余裕が見える。

「大丈夫ですか、アーノルドさん?」

「クソッ! クソッ! 絶対に、許さんッ!」

「落ち着いてください、アーノルドさんッ! 今すぐ追いかけるのは無理だッ! おい、お前ら、キャンプを確保しろ。ここで一泊する」

頭の中には《千変万化》が最後に残した言葉が渦巻いていた。

これほど馬鹿にされたのはアーノルドがハンターになってから初めてだった。ハンターになったばかりでろくに実力が伴っていなかった頃すら、ここまで虚仮にされたことはない。

油断すれば爆発してしまいそうな怒りを心の奥に押さえ込み、エイに先導されキャンプに向かう。

キャンプには《千変万化》が用意した跡がまだ残っていた。過剰なくらいに焚かれた炎の側には串に刺された肉や魚が幾つも炙られており、周囲には魔物の気配はない。

不幸中の幸いだった。ここならば身体を休めるには絶好だろう。既に《炎の烈風(クリムゾン・フレイム)》が腰を下ろし、周囲の警戒とキャンプの準備に入ってる。

深く深呼吸し、自分を落ち着かせる。

「なんとか窮地は切り抜けましたね」

「ああ…………よくやった」

《千変万化》を見つけた瞬間に飛び出したアーノルド。それに代わり、魔物の襲撃をしのぎながらパーティを守ったのは間違いなくエイだ。

短い称賛に、エイがにやりと笑みを浮かべる。

「へっ。なーに、あの鬼――どうやらアーノルドさんが狙いだったみたいで――考えていたよりずっと楽でしたよ」

「……クソっ、全てがあの男の手の平の上だというのかッ……」

怒りに任せ、地面に拳を叩きつける。轟音にびくりと身を震わせ《炎の烈風(クリムゾン・フレイム)》のメンバーがこちらを見るが、それでもアーノルドの怒りの炎は些かも治まらない。

馬鹿げた思考だ。アーノルドは間違いなく自分の意思で《千変万化》を追っている。

神ならぬ身でその全てをコントロールする事などできるわけがないのだが、いかんせんタイミングが良すぎた。

「……一度じっくりと考える必要があるかもしれませんねぇ。接触してみてどうでした?」

「…………今までにない相手だッ! クソっ……回避すらしなかった。俺の一撃を無防備に受けて、身じろぎ一つしないとは、どういう理屈だ。ありえん」

アーノルドの一撃は竜すら屠った一撃だ。しかも今のアーノルドはその時は持っていなかった武器――『豪雷破閃』を持っている。

高レベルのハンターには化け物じみた耐久力を持つ者が多い事は知っている。だが、その一撃が致命打にならないだけならばともかく、一撃を受けて無傷というのは本来ありえないことだ。

傍らの女ハンターを庇い無防備な姿を見せた時には馬鹿なと思った。急所にアーノルドの一撃を受ければ一流のハンターでも死は免れない。

だが、次の瞬間、アーノルドに訪れたのはさらなる衝撃だった。

自分の手を開き見下ろす。刃が弾かれる感触が今も手に残っている。間違いなくアーノルドが倒した雷竜よりも硬い。

「純粋な耐久力でアーノルドさんの一撃を受けきれるとは思えねえ。結界では?」

「……間は与えなかった。その数瞬で俺の攻撃を防げる結界を張れる、と?」

超一流の魔導師が血の滲むような努力をすればそんな事も可能かもしれない。

だが、相手の挙動には何かをするような様子は見えなかった。

エイが難しい表情で言う。

「……宝具の類では? 『結界指(セーフ・リング)』、とか……あのレベルのハンターなら持っていてもおかしくはねえ」

「ありえん。俺は、確かに数撃当てた。『結界指』が防げるのは初撃だけだッ!」

結界指は有名な宝具だが、同時に弱点も有名だ。あれはあくまで、不意打ちを防ぐための宝具なのだ。故にアーノルド程のハンターにもなると、人間を相手にする際、相手がその宝具を持っている可能性がある事を常に念頭に入れている。

「あの男には、余裕があった。反撃する素振りも見せなかった。クソっ、この俺を前に、構えすらしない、だと!?」

回避ならわかる。武器で受け止めるならわかる。だが、あの男は怯えもせずアーノルドの攻撃を受けてみせたのだ。

まるで――格の違いでも見せつけるように。

烈火の如き攻めを見せる《絶影》は確かに強かった。速度も並外れていたし戦いに慣れてもいたが、何よりその一撃は盗賊職とは思えないくらい重かった。

同じ盗賊のエイでも相手にならないだろう。アーノルドでも下手をすれば負けるかも知れない。あれは鍛え上げられたハンターだ。

だが、からくりがわかっているという意味ではまだマシだ。《千変万化》は異質というただ一点のみでその遥か上を行く。

どうやって戦って良いのかわからない。まさかレベル7にもなって、一度交戦してなお、そのような印象を受けることがあろうとは。

「幻術……とか? あの体格ならば、前衛ではないでしょう」

「実体のある幻術? 馬鹿げてる。まだ生身で耐えきったという方が納得できるッ!」

ハンターは常に未知を想定するものだが、いくらなんでも限界がある。相手が全知全能である事など想定していたらハンターなどやっていられない。

あらゆる可能性を考え、自らそれを否定する。

相手に剣を抜かせなかったのでは、どういう風に立ち回るべきか想定することすらできない。

唯一、勝ちの目があるとするのならば――アーノルドの全力をぶつける事だ。《豪雷破閃》はアーノルドの二つ名であり、自ら勝ち取った武器の名であり、アーノルドの最終奥義の名でもある。

結界だろうが生身だろうが、それを上回る一撃を与えればいいだけだ。シンプルな答え、アーノルド好みの答えだ。

だが、《千変万化》も自分で耐えきれない攻撃が来たら回避くらいするだろう。レベル8にもなるハンターの回避能力が低いわけがない。大ぶりの奥義が当たるとはとても思えない。

怒りを鎮め、思考するアーノルドに、後ろから声がかけられる。

身の程をわきまえない命知らずの声だ。

「おっさん! おっさんの目的って、もしかして《千変万化》なのか?」

「……」

顔をあげ、ギロリと睨みつけるが、ギルベルトは特に反応を見せず、何故か感慨深げに頷いた。

後ろでパーティメンバー達がぎょっとした表情をしている。だが、空気を読まないギルベルトの声は止まらない。

「わかる、わかるぞ。俺も狙っている。最強のハンターになる上で奴は避けて通れない。煉獄剣を返してもらわないといけないからな。……まぁ、まだ全然勝てる気はしないけど」

「……」

あまりにも傲岸不遜な言葉だった。ギルベルトはそこそこ才能があるし現時点での実力だけ切り取っても中堅だが、アーノルドから見ればまだまだ足りていない。アーノルドの攻撃が一切通じなかった《千変万化》に目の前の小僧の攻撃が通るとも思えない。

ギルベルトはアーノルドの前にどっしり腰を下ろすと、何の肉だかわからない串焼きを齧りつき、咀嚼しながら言った。

「俺は、奴の事を調べた。まぁ、前も言ったけど詳しい情報は出てこなかった。けど、わかったことがある」

「……なんだ?」

あまり期待せずに聞き返すアーノルドに、ギルベルトが腕を組み眉を顰めて言う。

「《千変万化》は盗賊(シーフ)でも剣士(ソードマン)でも守護騎士(パラディン)でも魔導師(マギ)でも錬金術師(アルケミスト)でもないって事だ。どうやら、《千変万化》はハンターになる前、仲間たちと職が被らないように注意したらしい」

ギルベルトが上げた職のほとんどは一般的なものだ。

大抵のハンターはその内のいずれかに区分される。それを除けば考えうる職は数える程しかない。

「…………では、なんなんだ? まさか治癒術士《ライター》だとでも言うのか?」

「いや、回復は宝具を使っていたから……多分違うと思う。戦士(ウォーリア)にしては武器も持っていないし――俺は、考えてもわからなかった。おっさんならわかるかなって」

ギルベルトが弱ったように言う。役に立たない男だ。

だが、もともと情報はなかったのだ。その言葉が本当ならば参考くらいにはなる。

再び熟考に入るアーノルドに、エイが言った。

「とりあえず、今日は身を休めましょう。追跡は明日からだ、馬車はちょっと痛いが、途中の街で探せばいい」

「……《千変万化》の場所が、わかるのか?」

馬車の轍がどこまでも残っているとは思えない。アーノルドの問いに、エイが唇を歪め笑った。

緊張に開いた瞳孔がアーノルドを映している。

「ああ、奴ら、なんだか知らねえがこっちの追跡を待っている。小せえ声だったが――湖畔で言っていたのを聞いたんです。次の目標は――

【万魔の城(ナイト・パレス)】だと」

「何……?」

【万魔の城(ナイト・パレス)】。アーノルドはその名前に聞き覚えがあった。

ゼブルディアに存在する宝物殿の中でもトップクラスの難易度を誇る宝物殿だ。そして、《嘆きの亡霊》が攻略中の宝物殿でもある。

推奨攻略レベルは――8。アーノルド達が拠点としていたネブラヌベスでは存在しなかった超高難度の宝物殿。

身体をぶるりと震わせる。武者震いだ。

《炎の烈風(クリムゾン・フレイム)》のメンバーが緊迫したように顔を見合わせている。

「来てみろと、言っているのか。自分を追うのならばそれくらいしてみろ、と」

《千変万化》の馬車に乗っていたメンバーは弱かった。一番弱そうに見えるのが《千変万化》であることは置いておいて、レベル8の宝物殿を攻略しようとするのならば心もとない戦力だ。

いくら《絶影》や《千変万化》が強くてもそれだけで宝物殿は攻略できない。戦力という意味では疲労しているとは言え、パーティフルメンバーが揃っているアーノルド達の方が上に思える。

「奴ら、合流するつもりかもしれない」

「ふん……それを恐れるくらいならば、最初から追跡などしない」

強者に立ち向かう。それもまたハンターの本能だ。

いずれ攻略に向かうつもりだった。今回のはいい機会だとも言える。

獣のような凶暴な笑みを浮かべるアーノルドに、エイは肩を竦め仲間たちを振り返った。

パーティは一蓮托生だ。決戦の時が近づいている。

§ § §

叩きつけるような大雨の中、【万魔の城】に向けて双眼鏡を覗いていたシトリーが僕を見て困ったように言う。

「あー……もういないみたいですね。入れ違いみたいです。馬車がありません」

「マジか…………仕方ない、温泉でも寄って帰ろうか」

せっかく騒動やら雷やらアーノルドやら回避しながら何日もかけてここまでやってきたのに、現実は非情である。

僕は肩をすくめると、御者をやってくれているクロさん達に話をするべく立ち上がった。