ドラゴンの棲む山へおもむくセイカを見送った後。

イーファは一人、滞在する部屋への道を戻っていた。

手持ち無沙汰な気持ちになる。

自然と、溜息が漏れた。

アスティリアへ一緒に行けると決まった時は、これで少しは従者としての仕事ができると、セイカの役に立てると思っていた。

だけど現実には、ただ足手まといになっているだけだった。

そんなことを思いながら、あてがわれた部屋の扉を開ける。

室内には、先客がいた。

「ん、戻ったか」

イーファは目をしばたたかせる。

そこにいたのは、学園でセシリオ王子のそばに控えていた、亜人の女性だった。

透き通るような白い肌に、尖った耳。

それがエルフという種族の特徴であることは、イーファも知っていた。

不思議と、怖くはなかった。

好きだったおとぎ話にも出てくる、神聖な種族という印象があったせいかもしれない。

ただ。

今の状況は若干、わけがわからない。

「え、あの……なにかご用ですか?」

「お前とは一度二人きりで話したかった。まあ座れ」

エルフの女性――――たしかリゼと呼ばれていた――――は、まるで部屋の主であるかようにそう促した。

仕方なく、イーファはそばにあった椅子に腰掛ける。

リゼは自分は座ろうとせずに、部屋を歩き回りながら話し出す。

「プロトアスタはいいところだろう」

「は、はあ……」

「街には歴史があり、住民は善き人々で、そして何より土地の魔力にあふれている。古来から我がエルフの種族がアスティリアと深く交流していたのも、あのドラゴンがこの街を長く見守ってきたのも、すべてはこの豊かな魔力のためだ」

「そ、そうなんですか……わたしは、魔力とかよくわからないですけど……」

「いや、わかるだろう」

エルフは、その翠の双眸をまっすぐイーファに向ける。

「これほど精霊がいるんだ。それくらいはお前も察していたはずだ」

「ええっ、せっ……あ、いえその、なんのことか……」

「誤魔化す必要はない」

そう言うとリゼは、手を掲げ、宙を泳いでいた青い魚――――水属性の精霊を細い指でつまむ。

「この地に精霊は多いが、特にこの、青の子らがここまで満ちている都市も珍しい。背後に山がそびえ、周辺の水源に事欠かないためだろう。そのせいか、この街で生まれる子には水属性の適性を持つ者が少なくない」

リゼが指を離すと、青い魚はあわてたように泳ぎ去って行く。

思わずそれを目で追っていたイーファは、リゼの視線に気づくとはっとしてうつむいた。

それから、恐る恐るエルフを見上げる。

「……どうして、わたしがその、見えるって……」

「そう思わない方がどうかしている。魔石や魔道具でそれほどの精霊を集めている者が、それを意図していないなどと誰が思うだろう。学園の食堂でお前を見た時、私は驚いたぞ。そしてすぐに思い至った。この娘は、我らの末裔(まつえい)なのだと」

「ま、末裔、って……」

イーファは、戸惑った声を上げる。

「子孫、ってことですよね? わ、わたしが……?」

「そうだ。今ではもう知る人間も少なくなったが、我らエルフの魔法は、他の種族やモンスターの使う魔法とは大きく異なる」

リゼはイーファを見下ろしながら続ける。

「魔力で精霊を纏(まと)い、精霊に呼びかけることで神秘の事象を引き起こす。精霊と交流する力こそが、エルフの権能なのだ。学園では、集めた精霊に呼びかけて魔法を使っているのだろう? お前の魔法は、まさしくエルフの魔法だ」

「で……でも」

イーファが困惑したように言う。

「……わたしは、普通の人間です。あなたほどの魔力だって、持っていません」

初めて見た時から、リゼの周りには色とりどりの膨大な精霊が渦巻いていた。

きっと、相当な魔力を持っているのだろう。

言われたリゼは、ふっと笑って答える。

「私を基準にするな。これでも腕には覚えがある方だ。まあ確かに、お前にはほとんど魔力が見受けられない。そのうえ、種族的な特徴も薄い。だがその程度はささいな問題なのだ……両親のうち、金髪はどちらだ?」

「え、えっと、母です……」

「ならば母方の遠い祖先にエルフがいたのだろう」

「で、でも……」

「魔力量は種族の中でも多寡がある。容貌の特徴も、人間の血が濃くなれば消える。だが、その精霊を見る目は別だ。それは紛れもない我らが同胞の証……お前の母親には見えていたか? 見えていなかったのなら、お前は特別な先祖返りだ。よかったな」

「……」

イーファは呆然としていた。

自分の力のルーツが、まさかこんなところで判明するなんて思ってもみなかった。

自分が、かつておとぎ話で読んだ神聖な種族の子孫だということも。

言葉のないイーファに、リゼは落ち着いた口調で語りかける。

「これも精霊の巡り合わせだ。思わぬところで同胞に出会えたことは私もうれしい。だが……同時に、哀れにも思う。奴隷身分だ、これまで大変な苦労があったことだろう」

「そ、そんなこと……」

「実を言えば、今日は我らが若様に代わり、私がお前を説得に来たのだ」

エルフが微笑を浮かべて告げる。

「アスティリアの後宮(ハレム)に来い、イーファ」

「えっ……」

「あそこはなかなかおもしろい場所だぞ。かつて在籍していた私が保証しよう。我らが若様はまだ青臭いゆえやや頼りないが、悪い男ではない。お前を今の主人から救い出す甲斐性くらいは見せてくれるだろう。まあもっとも、だからといって無理に妃となる必要も……」

「あ、あのっ、すみません!」

イーファがあわてて遮った。

それから、視線を逸らしつつ言う。

「お、お気持ちは、うれしいです。でも……わたしはやっぱり、後宮には入りません」

元より、イーファにその気はなかった。

セイカに言われても、自分がそこにいるイメージは湧かない。

「それに……今だって、わたしは十分幸せです。学園は楽しいですし、セイカくんもやさしいです。だから、今以上の生活なんて望みません」

「……何を言っているんだ?」

「えっ」

イーファは、リゼの顔を見た。

思わず困惑する。

そこには、理解不能といった表情が浮かんでいたからだ。

「お前は……あの少年の奴隷のままでいいというのか?」

「え、あの……」

「私がお前を後宮に誘ったのは、何も出世や王妃になる道が開かれるからではない。若があの少年からお前を買うというのならば、それはお前にとっても願ってもないことだろうと思ったからだ。無論、若は気づいていなかっただろうが……」

「ま、待ってください。何の話をしているんですか? セ、セイカくんを悪く言っているのなら、わたしだって怒りますよ!」

「……お前も、気づいているはずだ」

リゼは、微かに緊張の滲んだ声で言った。

「あの少年は化け物だぞ」