「どこを目指していくんだ?」

「とりあえず京まで行きたいです」

この吉原があった場所。

皆で過ごしてきた地から、私は旅出とうと決心していた。

皆とこのままお爺ちゃんお婆ちゃんになるまで一緒にいるのも悪くはないが、ここで生きて行くにはあまりにも大事な思い出ができすぎたのだ。

あの人がいない、清水兄ィさまがいないこの地は、寂しくて悲しくて、心がどうにかなってしまいそうだった。

宇治野兄ィさまを見れば、その隣に面影を追ってしまう。

羅紋兄ィさまが騒げばその中にあの笑顔を探してしまう。

あの時……清水兄ィさまが姿を消したあと、寺に戻って来たおやじ様達に私は何も言えなかった。

清水はどうした? と聞かれたものの、起きたときにはいなかったと言うしかなく、本当のことを言ったとして、信じてくれる人はそうそういない。

そうしているうちに彼についての憶測が次々と飛び交い、吉原に戻って客を助けるために焼け死んでしまった、一人故郷へ帰った、女の元へ身を寄せた、等好き放題に言われてしまっていた。

けれど本気でそう思っている者は少ない。

なので彼のことをよく知っている天月の者達は、未だに清水兄ィさまが神隠しにあったのか、などと冗談半分本気半分で思っている。

けれど私は唯一一人、凪風だけには本当のことを話していた。

清水兄ィさまが透けて消えてしまったのだと、そんなことを真面目に聞いてくれそうなのは凪風くらいしか思い当たらない。そして案の定彼はその話をしっかりと受け止めてくれたし、私の胸の内を突き破らないぐらいの距離感で相談にも乗ってくれた。

またチャッピーと護の姿も見当たらなく、凪風もそれについては渋い顔をしていた。

火事の時には私と清水兄ィさまと一緒にいて寺へ二匹とも行ったはずだと言われたけれど、私が目を覚ました時には清水兄ィさましかいなかった。

不可解なものである。

「結局、愛理もこつ然と姿を消してしまったし、この世がどうなってるのか未だに分からないよ」

愛理ちゃんも清水兄ィさま同様、姿が消えてしまったのだと凪風は話した。

あの夢か幻か分からない空間で共にいたことを覚えていた私は、それを聞いたとき手が震えてしまった。繰り返させないと言った彼女が、いったいどういう選択をしたのか。

「皆は死んでしまったんじゃないかって言ってるけど、身体は見つかっていないし」

旅の支度を済ませておやじ様に挨拶をしたあと、私は共に旅へ出る凪風と縁側で座り込んで話をする。

実は秋水、蘭菊も旅についてくる予定で、一人旅に出る私を心配してか三人が一緒に行くと声を上げた。

他にも宇治野兄ィさまや羅紋兄ィさま、十義兄ィさまや梅木や他の人達が一緒に行くと言ってくれたけれど、大人数で行くには色々大変であるし、そもそも清水兄ィさまの姿を重ねてしまう兄ィさま達と共に歩いていく自信がなかった。

和泉も行きたいと言ってくれたが、まだ小さな彼を連れまわすのは良くないので、どうにかしておやじ様の元へ残るようにと説得した。

それとは別で私がこの同期の三人と旅に出ることにしたのは、昔約束したことを思い出したからである。

約束というより、行けたら良いね、という願望にも近い蘭菊の言葉に同意しただけなのだけれど。

『吉原から出て、世の中を見るんだ。四人でな』

一人旅の予定は、その言葉を思い出したせいか、四人旅へと意識を変えた。

彼らにこの何度も巡る人生の中でされたことは、この先一生涯忘れることは無い。何度人間として底辺な扱いをされたのかも、脳裏に焼き付いている。

けれど今の皆は、あの時の皆ではない。

同じ人間でも、同じ人間とは言えない。

前世の私がああだったように、今回の私がこうだったように、別の人間として生きている。

清水兄ィさまを好きになっていたのは変わらないが、この世でもまた好きになれていたことは、その魂に出逢えていた以上に嬉しかった。

彼がどうなってしまったのかは、愛理ちゃんと一緒で今でも分からない。

色んなものを望み過ぎてしまった結果だと言っていたが、彼が望んだこととは何だったのだろう。

最後まで自分のことは何も話さずにどこかへ行ってしまった。

消えてしまったけれど、死んでしまったとは思いたくなかった。最初から幽霊のような存在だったと言われても、身体は確かに温かかったし、痛くなるくらい抱きしめてくれた。

彼が鏡に布をかけてそれを見なかった理由も分かったけれど、そんなことがこの世であり得るのかと今でも信じがたい。

不思議体験をしていたのは自分も変わりないけれど、そんなことがあり得るのなら兄ィさまが今もどこかで生きてくれているのを信じても、ばちは当たらないだろうか。

「ほら行こう」

「うん」

荷物の中に金子を入れたか確かめたあと、凪風が差し出した手を掴んで立ち上がる。

玄関の前へ一足先に来ていた秋水と蘭菊が目に入ると、小走りをして二人の元へと駆け寄った。

「もう良いのか」

「秋水もチビッ子達と話せた?」

「ああ。文も送るし、もうこれきり会えなくなるわけでもない。生きていれば必ず会える 」

秋水が私にそう笑って目くばせをする。彼も兄ィさまがいなくなって元気がなくなっていたが、今では前を向いて私のことも自分のことのように励ましてくれていた。生きていれば必ず会える。そうだね、そうだよねと私が返すと、しょうがない奴だなとまた笑って頭を撫でてくれた。

「宇治野兄ィさん! 俺行ってきます!」

「気を付けてくださいね。山の辺りは物騒みたいですから、 小刀も待ちました?」

「大丈夫です!」

ハキハキと宇治野兄ィさまに別れの挨拶をしているのは蘭菊だった。まるで母親のように兄ィさまが身支度を手伝っている様は親子のよう。

「野菊もそんな格好をしていても女の子なんですからね。無理せず何かあったら三人を盾にするんですよ」

「ヒデェ!」

私と凪風の姿を見た宇治野兄ィさまが、私の格好を見て心配そうな顔をする。

もう男装をしなくても良いのだが、私は働いていた頃のように男の格好で旅をすることにした。

女の格好でも別に構わないのだが、周り三人が男で女が一人という光景はなんか嫌だ。

男性の旅装は菅笠と呼ばれる帽子はもちろんのこと、マントのような引廻し合羽を羽織り、小袖と動きやすいモモヒキを着て脚絆を履く。

一方で女性の旅装は男性の旅装より重いそうで、モモヒキは履けないどころかあの面倒な帯を結び着物をたくし上げて移動しなくてはならないというのだから、私的には旅にあまり最適ではない。

「野菊! これ持ってけ!」

「羅 紋兄ィさま? これ脇差ですか?」

「輩に襲われたらこれで撃退しろ、な。いざとなったら売っても良い代物だから持っていて損はないぞ」

「ありがとうございます」

屋敷の奥からバタバタと走って外に出てきた羅紋兄ィさまが、手に小さな日本刀を持ってやってくる。

「あ、でも売っちまうのはアイツに怒られそうだからやめた方が良いかもな」

「アイツ?」

「この刀は清水のだ」

「え……」

美しい黒の鞘に収まった脇差。

手に取るそれは、あの綺麗な人をそのまま刀という形にしたような雅な姿をしていた。

「お前が持っていた方が、アイツも良いだろう」

「そうで、しょうか。良いかは分かりませんが……一生、大切にします」

「ああ。じゃあほら、元気に行ってこい!」

気がつけば三人が屋敷の前から離れたところまで進み、道の脇には元遊男の仲間達が見送りに来ていた。

いけない。いつまでもここで話していたら、日が暮れてしまう。

私が三人の元へと駆け寄ると、見送りに顔を出すことを最後まで拒んでいた梅木の声が聞こえた。

「野菊兄さん!」

「梅木?」

「ちゃんと文を送ってくださいね! 約束ですよ!」

そう言って、彼は羅紋兄ィさまの隣で手を振る。

私もそれに振り返すと、三人の目を見てこの町からの一歩を踏み出した。

この一歩を後悔することは、きっとない。

これが私の選択で、これが私の望んだ人生だ。

私が初めて自分の意志で進む、十六歳のその先の私。

笑顔で明日が迎えられるように、あの人がくれたこの世界を、私は大手を振って歩いて行こう。

でも、ねぇ兄ィさま。

貴方のいない私の天国は、炎が燃え盛るあの灼熱の地獄よりも。

きっと、深くて悲しい世界になるのでしょうね。