Sweet Reincarnation

181 Tales High Tension

ボンビーノ領ナイリエ。潮の香の漂うこの町は今、一つの話題で持ちきりだった。老いも若きも、男も女も。何かあれば、その話題が持ち出され、にわか通がしたり顔で解説しだすビッグニュース。

それが、ボンビーノ子爵家とモルテールン男爵家の婚約についてである。

最近は景気も良いとあって子爵家の人気は高めであり、港町であれば他所の情報に詳しいものも多い。となれば、他所の噂も自然と広まるわけだ。

他家でも注目の的となっている両家。その二つがくっつこうというのだから、耳目を集めないはずがない。そして、他領でも盛んに噂になる話が、当事者たちのお膝元で話題にならないはずもない、というわけだ。

しかし、話題になることと、真実が広まる事とは別。噂というものは、往々にして尾びれや背びれがくっついて、伝言ゲームになりがちなものだ。

曰く、今回の婚約は政略結婚であり、社交界で陰謀に嵌められた子爵がしたくもない婚約をした、であるとか、実は子爵がモルテールンの娘にぞっこんで、かなりの無茶をやらかして今回の婚約になった、であるとか。

事実とは違うのは間違いないのだが、微妙に事実に抵触するような噂も多かったりする。

そんな噂の当事者。ボンビーノ子爵ウランタは今、件の婚約を大々的に発表する為の準備に追われていた。

「ケラウス、衣装はこれでどうかな」

「良いと思います」

「ああ、でも相手に合わせておいたほうが、見栄えがするよね」

「そうですね」

「じゃあやっぱりこっちの方がいいかな」

「良いと思います」

ボンビーノ家の番頭にして、ウランタの補佐役。ウランタからすれば親戚筋にあたるケラウスは、何度目になるか分からない溜息をついた。彼の返答が投げやりになっているのは子供にでも分かるぐらい明らかなのに、気付かない例外の一人が、溜息の元凶でもあるというのだから厄介な話だ。これが上と下の関係が緩いモルテールン家であれば、今頃は盛大に皮肉られるか、或いは遠慮なしに諫言されていることだろう。

「若様よ、いい加減にしないと、温厚なあたいでも堪忍袋の緒が切れると思うんだけどさ。服よりも先に、こっちの話をしても良いでございましょうか?」

言葉の端々から刺々しい苛立ちを滲ませるのは、ニルディア女史。子爵家では新参ながら、海軍の主力を一手に預かる重鎮であり、女性の意見もあった方がいいとの理由から、ウランタの衣装選びに付き合わされていたのだ。実にいい迷惑である。

海賊紛いな気の短い連中の頭だったニルダだ。彼女も大概気が短い。今の今まで大人しく付き合っていたことが奇跡ともいえる。

朝から始めてかれこれ三鐘ほど。もう日は高く上がり切り、お昼の時間だ。これ以上服選びに付き合わされるのは、もう嫌だ、という気持ちから、ニルダは別の話題を持ち出すことにした。

本来ならばウランタの行動を部下が差配するような真似は慎むべきなのだが、止めるべきケラウスさえも辟易としていたのだから、止める者が居ない。居たとしても、ニルダと全く同じ気持ちになっていたに違いないだろう。

「良いですけど……ジョゼとの婚約披露に、ちゃんと服を用意しておかないと」

「あのさあ、婚約披露ったって、やるのはまだひと月も先だろ? 服を選ぶよりも大事な話があんだろう」

「大事な話?」

「ああ。服よりも先に、招待客を決めちまわないと。こっちの都合を押し付けるわけにもいかないんだしさ。他にも当日の警備やら、宿泊者の準備やら、やるこたあイワシの群れぐらいあんだから、ちゃっちゃと動いて欲しいもんさ。せめて招待客だけでも、服の前に決めてくれないかねえ」

「でも、変な服でジョゼに変に思われたり……」

「男の服なんて、最低限整ってりゃ何だって良いんだよ!!」

「そんな乱暴な。貴族としては、身嗜みも大事なことで……」

「いいから、さっさと仕事を片付けろってんだよっ」

よく言ってくれた。と、ケラウスを始めとする他の従士達は思った。彼らなら遠慮があって、ここまではっきりとは言えなかったところだ。良くも悪くもニルダの直情的な性格は、優等生気質の根付くボンビーノ家では珍しく、こういうときは言いたいことをズバっと言ってくれるだけに重宝しがち。

それに、ニルダのいうこともまた正論だった。

離れた場所にもひとっ跳びできるカセロールや、人外の速度での移動手段を持つレーテシュ家、或いは空を飛べるカドレチェク家や王家、等々。本人、或いは囲っている魔法使いの魔法を使って、長距離の移動を圧縮できる家は別にして、普通の家であれば、移動手段は馬車になる。

大国と区分される神王国は国土も相応に広い国であり、ボンビーノ家から一番遠いところの人間なら、やって来るのにひと月では足りない。南部でも屈指のボンビーノ家の招待だ。是非参加したいと思う人間も多いが、物理的に難しい相手も居る。

招待客の取捨選択と、実際に参加するメンバーが決まるまでの対応。一ヶ月の時間があろうと、厳しいことには変わりがない。さっさと決めてくれというのは、実務を担当する部下たちにとって切実な願いである。

「まず、王都に居る目ぼしい相手には招待状を送ってあるんだろ?」

「ケラウス、どうだったっけ?」

ニルダの問いかけに、ウランタは即答できなかった。

「送っております」

「そうなると、各地の領地貴族様にも送ってるってことでいいかな?」

「ええ」

ケラウスが頷く。ジョゼとの婚約で浮かれに浮かれ、地に足がついていないウランタを支えるのが彼の役目。補佐役として、絶対に必要であろう招待状の送付は、既に終えていると断言した。優秀な補佐役がいると、トップは実に楽だ。

ウランタも満足そうに頷いたが、両手にもった服はそのままである。

「あたしが気にしてるのは、神王国の貴族以外はどうかってことさ」

「どういうことです?」

「……あたいはまだ新参で、こんなことをいうのも悪いって思うけどさ、この家は、何年か前までは没落してたじゃないか」

ニルダの飾らない言葉。自分の仕える相手に対し、酷い言い様である。が、その内容自体は誰もが知る常識なので、止める人間も居ない。

「没落はしていません。その手前で踏みとどまっていました」

ずっと苦労してきたウランタである。流石にムっとした表情をして、服を手放した。

「ああ、はいはい、手前でも何でもいいけどさ、ようは貧乏で、他所の貴族からは無視されてたわけさ。違うかい?」

「まあ、不本意ですがその通りです」

実に不敬な言葉だ。お前んところは貧乏だったろ、などとは、親しい友人でもなかなか指摘できない。それを仕える主に対してずけずけというのだから、ニルダも肝の据わった女性である。

幸いなのは、主人のウランタは苦労人だけあって狭量とは縁遠く、部下の諫言を受け入れるだけの度量があることだろうか。

「その時と今とじゃ、うちの影響力ってのは大分違うと思うんだけどさ」

「ええ。私がウランタ様の傍にお仕えしてからでも、相当に状況が変わっております」

ニルダの意見に、ケラウスが返答する。どこか誇らしげであるのは、お家の中興を果たせた実績があるからだろうか。

「だったらさ、招待さえすりゃ、外国の要人って奴も、来たがるんじゃないか?」

「ほう」

思わぬ意見に、周りがややどよめく。

ニルダは元来の船乗り。市民権を持たずに傭兵稼業をしていた分、土地に縛られることなくあちらこちらの港を行き来していた。だからこそ、土地に縛られる他の従士達とは、違った目線で物事を見れるのだ。外国、ということが簡単に意識に上るだけ、彼女の視野は広い。

「神王国の貴族を集めて婚約披露ってのも良いけどさ、こういうのは、どれだけ凄い連中を集めるかで箔ってもんが決まる。そうだろ?」

「確かに」

「あたいも、他所の団に呼ばれて会合やらに顔を出したことがあるけどさ。やっぱり、普段見慣れないような連中とかが居ると、見慣れた顔ばかりの時とは雰囲気が違うよな。こっちも気合が入るし」

「おっしゃりたいことは分かります。つまり、我が子爵家の権威を高める為にも、神王国以外の諸外国から、招待客を招くべきだと言いたいわけですね?」

「そうさ」

移動が速くて馬車、外国とはしょっちゅう戦争。自分達の土地から一生出ない人間もザラ。

そんな社会である以上、固定概念というものも強くなる。神王国以外から来賓を呼ぼうなどとは、ニルダ以外思いもつかなかったことであり、新鮮な驚きと、好意的な反応をもって従士達の間にどよめきが走る。

「ケラウスはどう思う?」

しばらく考え込んでいたウランタだったが、自分なりの考えがまとまったところで、補佐役に意見を求める。さっきまでは色ボケの少年だったのが、現在は立派な領主に見えるのだから、ウランタも中々の人物だ。

補佐役の意見を求めるのは、彼の意見を丸呑みする為ではない。自分の考えに、見落としが無いか確認する為だ。それが分かったケラウスも、慎重に言葉を選んで話す。

「賛成です。当家の名声は高まっておると断言できますが、それでも過去の状況で不安視されている部分もあるのは事実。ここで諸外国の要人を招くことが出来れば、当家に対する声望はこれまでとは一線を画すことになりましょう。それに、当家は交易を営んでおります。この機会に、対外貿易の新たな航路を模索したいとおもっていたところで、諸外国で港をお持ちの領地貴族を招ければ、今後大きな利益を産むと思います」

ウランタやケラウスは、ボンビーノ家に勢いのない。いや、正直に言って没落しかけていた時を覚えている。何をやっても上手くいかず、打つ手打つ手が全て裏目に出る時期。それには理由もあった。

困窮している時は、一挙に状況を改善させたいという欲求が強くなるもので、限られた資産を運用しようにも、実入りの少ない案件より、一発逆転を狙った博打のような行動が多くなるものなのだ。それは当然の如くハイリスクであり、落ち目が落ち目を呼ぶ不運の連鎖が起きる。

余裕から低い倍率にかけるときは当たりが続いて、余裕が無くて高い倍率に掛ければ外れが続く、ギャンブルと似たようなものだ。

外れが続くことを運が悪いと表現するのなら、ボンビーノ家は不運が続いていた。そんな家に好んで近づいてくるのは詐欺師か一部の菓子職人ぐらいであり、その時分の記憶もまだ新しい現状、ボンビーノ家を軽んじる風潮があるのは間違いない。

ここで、海外の客を招ければ、それだけでボンビーノ家を他家が見直す要因になり得る。

ケラウス他何人かは積極的賛成。他の者も、悪くて中立といった雰囲気。反対者は居ない。

となれば、ウランタとしても否は無い。

「うん、そうだね。じゃあその手筈をとってくれるかな。まずは……オース公国は大丈夫だよね?」

「はい。彼の国ならば当家も幾ばくかの伝手があります。招待するのは、難しくないでしょう」

「ヴォルトゥザラ王国は?」

「そうですね、王都の宮廷貴族の中には、ヴォルトゥザラ王国の穏健派と縁戚関係にある方が居るとか。間接的なアプローチにはなりますので確実性は無いですが、間違いなく連絡が取れる相手が居る、というのが心強いですな」

「サイリ王国は?」

「あの国とは、先ごろ戦争をしたばかりです。それに、当家は旧ルトルート辺境伯家を潰した一翼を担っております。恨まれることはあっても、祝いはされないと思うべきです」

「そっか。それもそうだよね」

神王国と接する周辺国の内、オース公国とは元々付き合いがある。ボンビーノ子爵家自体が古い家で長く続いている分、過去の遺産は健在。

また、ヴォルトゥザラ王国は基本的に神王国の西部が親しい国。ボンビーノ家としては呼ぶにしても箔付け以上ではない。ただ遠い。誰かを呼ぶにしても、距離の問題があるだろう。

そして、サイリ王国から誰かを呼ぶなど、まず不可能だ。あの国はかなり広い領土を神王国に盗られたと公言しており、今も隙あらば攻め込むと牙を向け、爪を研いでいる。招待などすれば、これ幸いと軍隊を送り込んできかねない危険性があった。つまり、論外。

これら三か国の対応。常識的な対応で、特に問題も無く話はまとまる。

問題は、残る一つの隣国。

「でさあ、あたいが思うに、聖国の連中にも声掛けるってのはどうよ」

「は?」

ウランタが、思わず聞き返した。

聖国との戦争は直近のことであり、その記憶も真新しい。驚いて当然だろう。

「だからさ、あの国の連中とは手打ちが済んでんだろ?」

「そうらしいですな」

ニルダの感覚的な説明では分からない人間も居たのだが、ケラウスには言いたいことが何となくわかった。

サイリ王国とも近年戦争をし、その件では講和も終えている。聖国とも状況は似ている。

だが、戦闘行為のみで講和した聖国と、土地を取られて無理呑みした講和とでは、感情的な嫌悪感の質が違う、と言いたいのだろう。

「だったら、呼んでも問題ないだろうさ。案外、うちんところと関係改善の芽をつぶさないように、他のところよりも気遣ってくれるんじゃないか?」

「ほう、それは面白い」

「早速、連絡を取りましょう」

モルテールン家とボンビーノ家の婚約披露の準備は、着々と整えられていった。