Takarakuji de 40-oku Atattandakedo Isekai ni Ijuu Suru

45 Story: Master Zirconia is watching.

 野盗によるグリセア村襲撃の翌朝。

 時刻は午前5時で、イステリアの空は薄っすらと白み始めてはいるものの、太陽が顔を出すには後30分は掛かるだろう。

 イステリアにあるナルソン邸では、まだ朝日も顔を見せていない早朝ということもあり、所々を巡回している警備兵以外に人影は見えない。

 だが、ナルソン邸のとある一室では、早くもその部屋の主が、もそもそと豪華な天蓋付きベッドから這い出そうとしていた。

 その部屋の主であるリーゼは、寝癖で若干乱れた艶やかなダークブラウンの長い髪を手で踏んでしまわないように気をつけながら、何とかベッドから這い出すと、寝ぼけ眼(まなこ)のままベッド脇に腰を掛けた。

 そのまま1分程ぼーっと座り続け、大きなあくびをして背伸びをする。

 そして、ベッド脇に置いてある小テーブルの上に用意されていた水差しを手に取り、一緒に置いてあった銅のコップに水を注いで口につけた。

 口に含んだ水を口の中でぶくぶくと躍らせ、同じく小テーブルの上に用意されていた銀の器にぺっと吐き出す。

 それを何度か繰り返した後、今度は大きな青銅の鏡が付いた鏡台の前に移動し、置いてあった木製ヘアバンドで髪を上げ、ヘアバンドと一緒に用意されていた銀の器に張られている水で顔を洗う。

 顔を洗い終えると、濡れた顔を柔らかな布のタオルで拭き、ヘアバンドを外した。

 寝巻きとして着ていた膝丈まである純白のチュニックを脱ぎ、用意されていたショートパンツとシャツを着る。

 そして、自身の髪と同じダークブラウンの布紐を使い、慣れた手つきで後ろ手に髪を1つにまとめ、ポニーテールを作った。

 顔を傾けながら横目で髪のまとめ具合を確認すると、今度は部屋の中央に移動して、ほぼ180度の角度でぺたんと足を開いてその場に座り、入念にストレッチを始める。

「いち、にい、さん、しー」

 両手で右足の先を掴み、掛け声をかけながら、ぐっと右足の脛に額をつける。

 それが終わると同じように左足の脛にも額をつけ、それを交互に何回か繰り返した。

 両足に向けたストレッチが終わると、今度は開脚したまま上半身を正面の床にぺたんと付け、10秒程じっとしてからゆっくりと身体を起こして立ち上がる。

 その後も、全身を意識した様々なストレッチを、20分程掛けて何度か繰り返し行った。 

 ストレッチが終わると、鏡台の脇に用意されていた膝下まで丈のある薄手のチュニックをもぞもぞと着込み、革のベルトで腰の辺りをきゅっと締める。

 そして、鏡台の上に置いてある小さな布袋を手に取り、小さく開いて中身を確認してから革紐で口を縛り、ポケットに入れた。

「槍、槍っと」

 皮のブーツを履き、ベッド脇に立てかけてあった短槍を手に取ると、リーゼは扉の鍵を開けて部屋を出る。

「リーゼ様、おはようございます」

「おはよう、セレット。今日も中庭に行ってくるから」

「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」

 部屋を出てすぐに、リーゼの部屋の前で待機していた若い女の警備兵と挨拶を交わし、中庭へと向かう。

 途中、警備兵に会う度に必ずその兵士の名前を呼んでは声を掛け、何人かとは二言三言言葉を交わした。

 夜中から朝までの時間に屋敷内を警備する兵士は、ほぼ固定メンバーで構成されている。

 リーゼが早朝に1人で中庭へと向かうのはいつものことで、それを見て行き先を尋ねるような兵士は1人もいない。

 リーゼが中庭に到着する頃には辺りは大部明るくなっており、朝露に濡れている中庭の草木は、朝日を反射してキラキラと輝いている。

 リーゼはブーツを草から滴る朝露で濡らしながら、中庭の開けた場所に移動した。

 そして、小さく息を吐いてから短槍を構え、流れるような動きで短槍を振るい始めた。

 リーゼが中庭で短槍を振り回している頃、ナルソンの執務室では、一良が左頬を机に押し付けるような格好で眠りこけていた。

 昨夜、一良はリーゼを含めたイステール一家と2度目の夕食を食べた後、ナルソンたちよりも先に執務室に戻り、日本から持ってきた缶詰を何個か食べた。

 そして、後から戻ってきたナルソンとハベル、それにアイザックやジルコニアも加えて、殆ど休憩も挟まずにひたすら工事書類をまとめ続けたのだ。

 途中、一良以外の者達は別の仕事をこなすためにちょこちょこ部屋を出ては戻るを繰り返していたのだが、たまたま全員が部屋からいなくなった時に一良の集中力がぷつりと切れ、机に突っ伏すとそのまますやすやと眠りにつき、今に至るというわけである。

 一良の肩には誰かが持ってきてくれたらしい毛布が掛けられており、口元からは少量の涎が机に垂れていた。

 幸いなことに、書類は机の隅に片付けられているため、涎による被害は一良の顔面と机以外には発生していない。

「はっ!?」

 至福の表情で眠りこけていた一良は、突然身体をビクンと震えさせると、ばっと顔上げてキョロキョロと辺りを見渡した。

「ああ、寝ちゃったのか……いてて」

 変な体勢で寝ていたということもあり、体が軋(きし)むように痛む。

 昨日も、昼間はハベルと一緒に河川の視察を行い、夜はずっと書類整理を行っていたため、相当疲労が溜まっていたらしい。

「あー、皆には悪いことしちゃったな……こんなことならちゃんと部屋を借りて休めばよかっ……あ!」

 一良はそこまで言うと、突然慌てたように机の上に視線を走らせ、隅に置いてあった目覚まし時計を引っ掴む。

 アナログ式の時計の針は、午前6時30分を指そうとしていた。

「び、微妙な時間……まだいるかな……」

 一良は時計を置いて立ち上がると、慌てた様子で部屋を出て行った。

「ふう……昨日の今日じゃ、さすがにこないか……」

 1時間近く短槍を使ったトレーニングを行い、リーゼは短槍の石突を地面に付くと呟いた。

 そして、ポケットから小さな布袋を取り出し、革紐を解いて中を覗き込む。

「……きれい」

 布袋の中にはハート型のペンダントが入っており、ハート型の銀枠の内側には透き通った乳白色の宝石――人工オパール――が埋め込まれていた。

 人工オパールは朝日に照らされると虹色に輝き、角度を変える度にキラキラと光を反射してリーゼの瞳を楽しませる。

「リーゼ様、おはようございます」

 そうして暫くの間リーゼがペンダントを眺めていると、布タオルを持ったエイラがやってきた。

「あの、カズラ様は……」

「うん、今日は来ないかも」

 リーゼはエイラに答えながら布袋をポケットに仕舞うと布タオルを受け取り、額と首筋に流れる汗を拭う。

「ねえ、本当にあの人が、このペンダントを落とした人なの?」

「それは間違いありません。カズラ様も私のことを覚えていたみたいですし」

 一昨日の夜、初めてリーゼがカズラと夕食の席を一緒にした後、慌てた様子のエイラがリーゼの部屋にやってきた。

 そして、以前イステリアの街中でエイラが不注意でぶつかった男と、ナルソンが友人として紹介してきたカズラという男は同一人物であるということを告げたのだ。

 以前ぶつかった男と同一人物であるということは、今リーゼが持っている宝石を落とした人物と見て間違いない。

 今リーゼが持っている宝石の持ち主が本当にカズラなのかを確認するついでに、この宝石をきっかけに個人間での交流も持てればとリーゼは考えた。

 そこで、リーゼは昨夜、夕食後に席を立った一良の元にエイラを送り、話したいことがあるから明日の早朝に中庭に来て欲しいと伝えさせたのだ。

 カズラは自分のことをかなり気に入っているように感じていたので、呼び出せばすぐにでも尻尾を振ってやって来ると踏んでいたのだが……。

「リーゼ様、もしあのペンダントが、カズラ様個人の所有していたものだとしたら、どうなさるおつもりですか?」

 今からでも来ないかな、とリーゼが屋敷へと繋がる中庭の入り口を眺めていると、おずおずとエイラが問い掛けてきた。

 その表情からして、半ば答えを予測しているのだろう。

「んー、あれを個人で持ってるくらいのお金持ちなら、いつもの連中みたいに私に惚れてもらって、色々贈り物をくれるように仕向ければいいかなって。でも、この間お母様の言ってたことも気になるのよね」

「ジルコニア様の?」

「うん。何でも、あのカズラって人はとある国の大貴族出身らしいのよ。で、その大貴族っていうのが物凄いお金持ちらしいの。彼自身も色々珍しいものとか変わったものも沢山持ってて、お金もいくら使っても使い切れないくらい持ってるんだって」

「……このご時勢にそんな人がいるなんて初耳です。何処の国の貴族様なんですか?」

「それが、何処の国の人なのかまでは教えてくれなくて……でも、王都にいる王族とか、その取り巻き貴族だって休戦直後だっていうことが信じられないくらい豪華な生活を送ってたのを私も見たし、彼が凄いお金持ち貴族だとしても別におかしくないんじゃないかな……あ、来た」

 リーゼとエイラが話し込んでいると、中庭から屋敷に通じる扉が開き、慌てた様子の一良が走り出てきた。

 一良は中庭にいるリーゼを見つけると、ほっとした様子で歩み寄ってくる。

「カズラ様!」

 リーゼは歩み寄ってくる一良の名を呼ぶと、短槍を持ったまま一良に小走りで駆け寄る。

 エイラは後を追うような真似はせず、その場に立ったまま腰を折って一良に頭を下げた。

「おはようございます。遅くなってすいません」

「おはようございます。急に朝早くお呼び出ししてしまってごめんなさい……あの、ご迷惑ではなかったですか?」

 頭1つ分ほど一良より背の低いリーゼは、不安げに揺れる瞳で一良を見上げる。

 そんなリーゼに、一良は優しく微笑んだ。

「いやいや、迷惑だなんて。私もリーゼさんとお話したいなと思っていたので、お声掛けいただけて嬉しかったですよ」

「まあ、ありがとうございます!」

 社交辞令のような一良の返答にも、リーゼは本当に嬉しそうに喜んで見せる。

 自分に向けられるリーゼの笑顔に、一良の顔がほんの少し赤くなったように見えた。

「や、槍の稽古をしていたのですか?」

「はい、毎朝の日課なんです。イステール家の者として、武器の扱いには慣れておかないといけませんから」

 リーゼはそう言うと、左手に持った短槍に目を向けた。

 短槍の長さは140cm程で、小柄なリーゼが持つと大分大きく見える。

「(ううむ、髪を下ろしたドレス姿もいいけど、こういうラフな格好にポニテってのも素晴らしい。これは将来化けるな……いや、既に十分美人だけども)」

 短槍を眺めるリーゼを見て、一良がそんなことを考えていると、一良の視線に気付いたリーゼが不思議そうに小首を傾げて見せた。

「あ、えっと、話したいことがあるってエイラさんから聞いたのですけど」

「はい、実はカズラ様に見ていただきたい物があって……」

 自らの視線を誤魔化すように言う一良に、リーゼは特に気にした様子も見せずにポケットの中から布袋を取り出す。

 そして、中からハート型のペンダントを取り出すと、手の平に載せて一良に差し出した。

「これ、カズラ様の物ですよね?」

「ん?」

 差し出されたペンダントを見て、一良はきょとんとした表情を見せた。

 そして、リーゼの手の平に載っているペンダントをしげしげと眺める。

「(……あれ?)」

 もっと驚いた表情を見せると思い込んでいたリーゼは、そんな一良の様子に拍子抜けした。

 もしや、単なるエイラの記憶違いで、以前エイラがぶつかった相手と、目の前にいる一良は全く別の人物なのではという考えが頭をもたげる。

「これは……ああ、なるほど。話ってこれのことだったんですね」

 数秒ペンダント眺めていた一良は、合点がいったといったような表情で頷いた。

「リーゼさんが持ってるってことは、以前エイラさんとぶつかった時に落としたのかな。無くしたことに気付か……いや! 無くしたと思って探してたんですよ!」

「っ! は、はい、あの時、偶然エイラのエプロンポケットに入ってしまったみたいで……」

「(今、気付かなかったって言い掛けたよね!? こんな高価な物を無くした事に今まで気付かなかったって、一体どういう神経してるわけ!?)」

 一良の台詞を聞き、リーゼは内心仰天していた。

 リーゼが今まで一度も見たことの無いような非常に珍しい宝石を、無くした事に気付いていなかったと言い掛けたのだ。

 普通なら、このような物を紛失した時点で大騒ぎする。

「やっぱり、カズラ様はあの時エイラとぶつかった方だったのですね。あの時はお忍びか何かだったのですか?」

「えっと……そうですね、そんな感じです。あの時はリーゼさんに助けていただいて助かりました。ありがとうございます」

 歯切れ悪く肯定する一良に、リーゼはこれ以上問い詰めてはいけないと判断した。

 どういう理由かは分からないが、一般市民として街で行動する必要があったのだろう。

 変に探りを入れると、心象を悪くしかねない。

「いえ! あの時は私の護衛が勝手な真似をして、カズラ様に酷いことをしてしまって、本当にごめんなさい。……あの、これカズラ様にお返ししますね」

 本当に申し訳なさそうな表情で謝罪を述べながら、リーゼはペンダントを布袋に入れると一良に差し出した。

 一良はリーゼから布袋を受け取ると、数秒考えてからリーゼに布袋を差し出す。

「ありがとうございます。でも、これはリーゼさんに差し上げますよ。先日のお礼と、お近づきのしるしってことで」

「えっ!?」

 布袋を差し出されたリーゼは、驚いたように目を見開くと、一良が差し出す布袋と一良の顔を交互に見る。

「で、でもこんなに高価なものをいただくわけには……」

 おろおろと困ったような表情を見せるリーゼに、一良は

「いいんですよ」

 と微笑んでみせる。

「偶然とはいえ、リーゼさんとエイラさんが保管してくれていなければ、これは二度と見つからなかったでしょう。私も半ば諦めていましたし、どうぞ貰ってやってください」

 爽やかにそう言ってのける一良に、リーゼは心の中で

「いや、全く気付いてなかったじゃん!」

 と突っ込みを入れたが、そんなことはおくびにも出さず、布袋を受け取ると胸の前できゅっと握り、

「……ありがとうございます。私、大切にしますね!」

 と、これ以上無いほどに嬉しそうな笑顔を一良に向けた。

 そんな極上の笑顔を向けられ、一良は

「(ああもう可愛いなちくしょう!)」

 と内心悶え、リーゼは

「(この人桁違いのお金持ちだ! それに気前もいいじゃない!!)」

 と確信するのだった。

 中庭でリーゼと一良が何やら話し込んでいる様子を、ジルコニアは2階の窓の影から眺めていた。

 そして、リーゼが一良から何かを受け取り、喜んでいる様子を見ると、

「あらあら」

 と微笑み、そっとその場を立ち去った。