Tearmoon Empire Story

Episode 88 By the way, have you noticed?

さて、ところ変わって、夜の街。暗い路地裏にて。

ディオンが殴り倒した男に、シュトリナは聞き取りすることにする。ちなみにもう一人の男は、殴り倒されると同時に意識を失っているので、候補は一人きりだった。

特に縛っているわけでもないのだが、未だに尻餅をついたまま立ち上がれない男に、シュトリナはゆっくり歩み寄る。

「それじゃあ、早速だけど、お話を聞かせてもらおうかしら?」

顔を近づけて、ニッコリと可憐な笑みを浮かべる。それを見た、男は、ひぃっと息を呑んだ。それから、もう一人の、気を失っている男に恨みがましい目を向けた。

彼が起きていれば、尋問される確率は二分の一だったわけで……。そんな彼に、ディオンは、朗らかな笑みを浮かべた。

「いや、幸運だったね、君。相方が気絶してくれて……」

「……へ?」

きょとん、と首を傾げる男。その彼の顔を覗き込んで、

「なにしろ、尋問相手が一人なら話ができなくならないように乱暴は控えるべきだけど……、二人いるんなら、一人を痛めつけて脅しても、問題ないじゃないか?」

耳元で、囁くように言った。

男が、ひぃっと肩を震わせるのを見て、シュトリナは笑みを崩さないまま言った。

「ディオン・アライア、少し殺気を抑えてくれない? あまり脅かしすぎると、拷問……じゃなかった、尋問に差しさわりがあるわ」

実に可憐な、愛らしい少女の声。されど、男は、それにも震え上がる。

いったい、この少女は、なぜこんなにも平然としていられるのか? 震えがくるほどの殺気を放つ男を横において、なぜ、こんなにも普通に笑っていられるのか……。

人は、不自然なものに恐怖を覚えるもの。彼が抱いた感覚は、真夜中の墓場で絶世の美女と出会ってしまった時に抱くものに近かった。

酒場であれば喜ばしい出会いも、墓場では恐怖になる。

惜しむらくは、その恐怖を最初から抱けなかったことだ。治安の悪い夜の街を、貴族の令嬢が歩いているなどという異常に気付いてさえいれば、こんなことにはならなかったのに……。

そんな後悔も後の祭り。シュトリナはニコニコと笑みを崩さず、歌うように話し出す。

「あなたは、人買いとか、誘拐を専門にしている悪い人でしょ?」

「い、いや、俺は……」

「うふふ、否定しなくってもいいわ。言い訳や嘘は時間の無駄。この場合、あなたが人買いの罪人かどうかは、それほど問題じゃないもの。まぁ、リーナになにをしようとしたかは少し気になるところだけど、うん、特別に今回は不問にしてあげる」

頬に指をあてるという、なんとも愛らしい仕草をしてから、

「それでね、今、あなたが気にしなければならないことは、あなたがリーナたちのために、どう役に立てるか、ってことだと思うんだけど、あなた、どう思う?」

そうして、シュトリナは笑みを消して……、上目遣いに男の顔を覗き込んだ。灰色の大きな瞳に見つめられ、男は息を呑んだ。

「そのことを、よく考えながら、質問に答えてね」

しばし、男を見つめてから、シュトリナは再び笑みを浮かべた。

ゆっくり、言い聞かせるようにして話し出す。

「以前、このあたりにエシャール王子が迷い込んだことがあると思うのだけど、その時に、エシャール王子と接触した人を探してるの。心当たり、ないかしら?」

「そっ、そんな話……」

「ふふ、リーナはとっても優しいから何度でも忠告してあげるのだけど、下手に聞いたことない、なんて言わないほうがいいと思うわ。自分が知らないなら、せめて知っている人を紹介するとかしないと……、あなたに優しくする理由がなくなっちゃうじゃない?」

「ひっ、ひぃいいいいいっ!」

青ざめる男に優しい笑みを浮かべて、

「さ、それじゃあ、聞かせて。エシャール王子に接触した人間に、心当たりはあるかしら?」

シュトリナは楽しげに言うのだった。

「ふーん……、騎馬王国訛りの男ね……。まだ、潜伏しているかしら」

男への尋問を終えてから、シュトリナはつぶやいた。

「……もういないか……。でも、念のためにもう少し……」

「ところで、イエロームーン公爵令嬢、この連中はどうする?」

拘束した二人の男を見下ろしながら、ディオンは言った。

「んー、そうね。別にリーナは、この国の貴族じゃないから、王都の治安なんか知ったことじゃないけど、万に一つもベルちゃんが危ない目に遭わないように、お城の兵士に連絡を入れておきましょう」

っと、そこで、シュトリナはパンッと手を打った。

「あっ、それよりも、ベルちゃんとあなたの関係よ。ベルちゃんが言うには、かなり仲が良いみたいなお話だったけど……」

それを聞き、ディオンは首を傾げた。

「先ほども言っていたけど、まったく心当たりがないな。面識がないわけじゃないけど……」

それはシュトリナの持つ情報とも一致する答えだった。ディオン・アライアは、性格的に考えて、正体不明の少女ミーアベルのことを警戒こそすれ、簡単に気を許したりはしないだろう、と。

けれど……、そのような情報、今のシュトリナに意味はない。

友人の言ったことこそが唯一無二の真実。ゆえに、目の前のディオンがいかにそれらしいことを言ったところで、ベルの発言と食い違うものは偽りということになる。

だから、シュトリナの目には、目の前の帝国最強の騎士がなんとも疑わしい態度をとっているように見えて……。

「あら……、隠すの……。なにか、隠さざるを得ないような事情があるのかしら……。あ、まさか……」

っと、シュトリナはじっとりとした視線をディオンに向ける。

「まさかとは思うけど、ディオン・アライア、あなた、童女好きなのかしら? それで、ベルちゃんのことを狙ってるから……」

「あはは、あいにくと二十歳未満の娘さん(フロイライン)は恋愛の対象外なんでね」

ディオンは、シュトリナのきわどい質問をさっくりと切り捨てる。

「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれると言うが、どうせ切り結ぶならば、研がれた後の、鋼のような人格と切り結びたいと思うのさ。精錬される前の鈍らとでは、つまらないからね。その点、姫さんも、グリーンムーン家のお嬢さまも、君も変わりはないな。僕の恋愛対象になるには、大いに不足しているよ」

「恋愛の話をしているのだけど……」

「僕の中では、あまり差がないんだよ。恋愛も殺し合いもね」

「……あなた、お友だちいないでしょう、ディオン・アライア」

ちょっぴり呆れた顔をするシュトリナに、ディオンは肩をすくめて答える。

「うーん。多くはないが、君よりマシじゃないかな、イエロームーン公爵令嬢」

それを聞いた瞬間……、すとん、とシュトリナの表情が消える。

「……ベルちゃんが、いるから、別にいいもの」

うつむいたシュトリナは、少し拗ねたような口調で言った。

少女の傷に触れてしまったことを察したディオンは、バツが悪そうに頭をかいた。

「親友は一人でも良いだろうが、友だちは多いに越したことはない。これからじっくりと増やしていけばいいさ。せっかく、家のくびきから解放されたんだから」

それから、横目でシュトリナのほうを窺う。と、シュトリナはポカンと口を開けていた。

「誤解していたわ、ディオン・アライア。あなたは、老若男女問わずに嬉々として斬り殺せる鬼神の類だと思っていたのに。きちんと人間らしい思いやりも発揮できるのね?」

ディオンは、小さく肩をすくめて、

「こういう役は、ガラじゃないんだけどね」

「あら、そんなことないと思うけど……。案外、教師なんかむいてるかもしれないわよ?」

からかうような口調で言うシュトリナ。ディオンはやれやれ、と首を振り、

「それは、御免被るな。とても退屈な人生になりそうだ」

「そうかしら? ミーアさまのそばだったら、そこまで退屈はしないような気がするけど」

シュトリナの切り返しに、咄嗟に反応しかねて、顔をしかめるディオンなのであった。

ところで……お気付きだろうか?

ディオンが挙げた令嬢の中に、一人だけ、中身は二十歳を超えている人物がいたのだが……。