Tensei Shite Inaka de Slowlife wo Okuritai
Midsummer training
――ここらで稽古を頑張って脂肪を燃やすとするか。
そんな軽いノリで中庭を走り出した俺だが、開始して十分も経たないうちに心が折れかけていた。
うだるような熱気の中で走れば全身から汗が流れ出る。
荒れる息を整えようとすれば熱気の孕んだ空気が体内に入ってき、走れば走るほどそれが繰り返されて体内まで焼けるようだ。
というか体力がない方だと自覚していたが、ここまで体力が少なかっただろうか? カグラに行く前の稽古では、もっと体力があったように感じられる。
夏の日差しという事を抜きにしても、これほど早く疲れはしなかったはずだが。
これも長い間稽古をサボっていた弊害なのだろうか。
暑い。しんどい。そのような言葉が頭の中でぐるぐると回り続ける。
「アル、随分とペースが落ちているよ? もっと顔を上げてしっかりと腕を振って走らないと余計にしんどいよ」
ノルド父さんからのアドバイスを聞いて顔を上げる。
そうだな。しんどい時でもしっかりとした体勢で走らなければ余計に疲れるからな。
ノルド父さんの言う通り、顔を上げてしっかりと腕を振ると少し楽になった気がする。
額からこぼれる玉のような汗を拭って、俺はしっかりと前を見据えて走る。
前方二十メートルくらい先ではシルヴィオ兄さんが、しっかりとした姿勢で走っていた。
何だか俺がカグラに行っている間に随分と逞しくなった気がする。
シルヴィオ兄さんは室内に籠って本を読んだり、勉強ばかりしているせいか俺よりも少し体力がある程度だったのに、今では普通にランニングするだけでもこの差だ。
よく考えればシルヴィオ兄さんは俺が王都に行っている間も、稽古をずっとやり続けていたのだ。逞しくなるのも当然だろう。
……これは剣の方でも大きな差がついていそうだな。
「考え事をする余裕があるなら、もう少しペースを上げられるんじゃないかな?」
シルヴィオ兄さんを眺めながらボーっとそんな事を考えていると、俺の後ろを走りながらノルド父さんが言ってきた。
「な、何でわかるの?」
別に俺は口に出して言ったわけでもないと思うんだけど。
俺が振り返りながら言うと、ノルド父さんがため息を吐きながら、
「アルは考え込むと目がどんどんと死んでいくからね。それくらいすぐにわかるよ」
どうにも納得できない理由なのだが……。
「ほら、余裕があるならもっと走って」
「は、はい」
……何だろう、このデジャブ感。すごくエリノラ姉さん的なものを感じる。
エリノラ姉さんも、こうやって俺の後ろにぴったりと付いてきてプレッシャーをかけてきていたよな。
あれはノルド父さんの真似だったのだろうか? こうも後ろにピッタリと張り付かれると、肉食動物に追いかけられているようで怖いんだよな。
おっとっと、また思考を飛ばしていると怒られそうだ。
俺は速度を上げてグングンと前に走っていく。それに伴いノルド父さんも合わせるようにくっ付いてきた。
チラリと後ろに視線をやると、ノルド父さんと目が合う。
「…………」
後ろを見る余裕があるならきちんと走りなさい。そんな言葉が視線に宿っていた。
まったくもってその通りなので俺は大人しく前を見て走る。
……何だか、俺の一挙手一投足全てを見抜かれているような気がするな。
にしてもシルヴィオ兄さんもノルド父さんもよく涼しげな顔で走れるな。
身体に冷気でも纏っているのではないだろうか?
ん? 冷気? ランニングをしろとは言われていたが、魔法を使ってはいけないとは言われていないな。ちょっとぐらい魔法を使っても良いのではないだろうか?
なーに、ちょっと涼しくすれば走りやすくなる。走りやすくなれば俺の脂肪燃焼効果も増えるというわけだ。
よし、ここは氷魔法でも使って空気を少し涼しくしてやろう。
俺はノルド父さんに見えないように笑いながら、氷魔法を発動する。
するとヒンヤリとした冷気が漏れ出し始めた。それを俺は自分の身体だけを纏うようにコントロールする。
しかし、走って身体を動かしているせいか、中々魔力の操作に集中できずに冷気が定まらない。
走りながら魔法を発動してコントロールするのはかなり難しいな。
だが、辛い今の状況を乗り越えるためであれば苦でもない。俺の魔法制御能力はこういう時のために磨いてきたのだ。今ここで実力を発揮しなければ、いつ発揮するというのか。
身体はしっかりと動かしつつも、俺は意識を内側へと潜らせて魔力をコントロール。
いつものようにイメージを浮かべて、冷気を自分に定着させる。
そうやって走っていると辺りの空気がヒンヤリとしてきた。
違う、俺の身体の周りだけが冷たいんだ。
いつもよりも少し不安定だが、走りながらもでもしっかりと魔法をコントロールできたようだ。
ああー、涼しい。先程までの暑苦しい空気が嘘のようだ。
こんな快適な気温の中であれば、もっと余裕を持って走れるな。
そう思いながら穏やかに走っていた俺であるが、後ろから頭を叩かれた。
「こら、氷魔法を使いながら走らない」
「ええ!? 冷気は後ろにいかないようにコントロールしていたのに何でわかったの!?」
「魔力を外に漏らした時点でバレバレだよ」
俺の言葉に呆れながら答えるノルド父さん。
そうだった。ノルド父さんとエルナ母さんは魔力の反応に敏いんだった。
くそ、魔力の反応に鈍いエリノラ姉さんが相手であれば、楽に走ることができたというのに。
「ほら、走りながら魔法をコントロールできる余裕があるならもっと走って」
俺が歯噛みしていると、ノルド父さんがそう言って背中を押してくる。
俺は仕方なくペースを上げて走るが、それでもノルド父さんは走ってプレッシャーをかけてくる。もっと早く走れという事か。
さらないペースを上げると、ノルド父さんも付いてくる。
「え? まだペースを上げないといけないの?」
「アルは余裕を持たせるとロクでもない事を考えるからね。ペースを上げて走ることだけに集中させようと思っているよ」
「…………」
爽やかな笑顔と共に告げられた言葉を聞いて俺は絶句した。
◆
「はぁ、はぁ……つ、疲れた」
「お疲れ様です、アルフリート様」
中庭の木陰で座り込む俺に、サーラが冷やしタオルと水筒を渡してくれる。
シルヴィオ兄さんやノルド父さんの方にはミーナが渡しに行っているようだ。
「ありがとう」
サーラにお礼を述べて、冷やしタオルと水筒を受け取る。
それから冷やしタオルで顔の汗を一気に拭った。
氷の魔導具で冷却されたタオルはヒンヤリとしており、肌に当てるだけで気持ちがいい。
俺はそのまま顔を覆うように冷やしタオルをかけてホッと一息。
「……はぁ」
その心地よさに思わず渋い声が出てしまう。
火照っていた身体の熱がドンドンと冷やしタオルに吸収されていくようだ。
そのままボーっとした俺は、手に持った水筒を口へと運ぶ。
これも同じく魔導具で冷やされており、口の中に入れるととても気持ちがいい。
水にはレモンが混ざっているのか、運動直後でも非常に飲みやすくするりと喉を通っていった。疲れた身体にレモンの爽やかな酸味が染み渡る。
「……はあ、レモン水が美味しい」
ただ水に混ぜただけだというのに、どうしてこれほど美味しくなるのだろうな。
レモンの風味が漂う水を、俺はクピクピと飲んでいく。身体が水分を欲していたからかドンドンの胃の中に入っていくな。
レモン水を飲んでホッと一息をつくと、誰かが近付いてきた。
「アル、大丈夫かい?」
「……何とかね」
冷やしタオルで顔を覆っているために視界は暗いが、声と気配でシルヴィオ兄さんが近付いてきたとわかる。
多分、ぐったりとした俺を見てシルヴィオ兄さんは苦笑いしているのだろう。
「ノルド父さんってば、少しでもペース緩めたりするとドンって足音を踏み鳴らしてくるから怖かったよ」
「真面目に走っていたら、父さんはそんな事はしないよ」
ノルド父さんに無言で追いかけられた俺は、それはもう必死に走った。
中庭を走るノルド父さんと俺は、まさに追い立てられる肉食獣と逃げ惑う草食獣のようだっただろう。
そんな無茶にも思えるランニングであったが、俺は熱中症で倒れることも酸欠になることもなかった。
それはノルド父さんが俺のペースメーカーでもあるからだ。
俺が本当に限界なペースでは走らせないし無理もさせない。俺が焦ってペースを上げ過ぎると注意してくるほどだ。
そこがエリノラ姉さんやルンバとの違いだろうな。
あの二人はペースを上げると面白がって、もっとペースを上げろと要求してくるからな。
それにより途中でダウンして、稽古を中止にすることもできるのだがノルド父さんが相手ではそうもいかないな。
「魔法を使って楽をしようとすると即座に気付かれるし、一筋縄ではいかない相手だよ」
「いや、ただのランニングだし魔法は使わないでおこうよ」
何事も楽をしたいと思うのが俺だ。ノルド父さんすらも欺けるような、魔法を考え付かないとな。
俺がそうやって考え込んでいると、ノルド父さんがパンパンと手を打ち鳴らす。
「そろそろ休憩は終わり。次は素振りをしようか」
「はーい」
「えー」