Tensei Shite Inaka de Slowlife wo Okuritai
Elna mother practices the sword! ?
「……ふう、酷い目にあった」
髪の毛を風魔法で乾かした俺は、ロウさんと馬から離れて馬車の近くへと戻ってきた。
そこではエリノラ姉さんが一人木剣を振っていた。休憩時間なのに一人で稽古か。
あそこに行けば巻き込まれる可能性は大なので、そっと視線を移動させる。すると草の丈が低い場所にエルナ母さん、ノルド父さん、シルヴィオ兄さんとミーナがいた。
布を敷いてその上に座り、紅茶とクッキーを摘まみながら談笑しているようだ。
いいね。ピクニックみたいで実に平和的だ。
天気が良く、見晴らしの平原の中でお茶をするのは最高だろう。むさ苦しくて疲れる稽古などと比べるべくもない。
俺も紅茶を飲んで一休みしたかったので、迷うことなくそちらへ向かう。
エルナ母さん達がいる方向までテクテクと歩くと、シルヴィオ兄さんとノルド父さんが気付いたのか振り返る。そして何故か二人共苦笑をした。
どうして苦笑をするんだ? 疑問に思ったところで、俺の肩にトンと手が置かれた。
「ちょうどいいわ。アル、ちょっと稽古に付き合いなさい」
振り返ると、エリノラ姉さんが実にいい笑顔を浮かべながら言ってきた。
いつの間に、俺の後ろまで迫ってきたのか。つい、さっき見た時は数十メートルは向こうにいたではないか。一瞬にして距離を詰めてきたことは不可解だが、今はそれを疑問に思っている場合ではない。
「嫌だよ! 俺はここで和やかにお茶をするんだ!」
休憩時間まで稽古とか冗談ではない。それじゃあ休憩の意味がないじゃないか。
「何よ? また座るの? 休憩が終わったらまた馬車で長い間座るのにまた座ってしんどくないの?」
「稽古をするよりしんどくないよ」
エリノラ姉さんの言い分もわからないでもないが、稽古までする必要はないと思う。別にちょっと一息ついて、散歩でもできれば俺はいいのだ。
しかし、脳筋なエリノラ姉さんに俺の言葉の意味は伝わらず、不満そうな顔をする。
「最近やっとアルの剣の調子が戻ってきたのに、ここで稽古の時間を空けるとまた鈍るわよ?」
一応は俺の剣の腕を心配しての言葉らしい。
「それにあたしも一人で剣を振っているだけじゃ、つまらないし」
違った。多分こっちが本命の言葉だ。きっと俺の剣の腕がどうのこうのは建前だな。
「いいじゃないのアル。ちょっとくらい身体を動かしなさいよ」
何とか理由をつけてエリノラ姉さんを振り切ろうとしたのだが、エルナ母さんがエリノラ姉さんを援護するように言葉をかけた。
「アルはエリノラが誘わないと身体を動かさないしね。馬車の中でずーっと死んだ目でボーっとしているのを見ているとこっちも心配になるわ」
「あっ! わかります! ちょっと見ていると心配になりますよね!」
エルナ母さんの言葉に追随して頷くミーナ。
馬車の中でやたらと俺の顔を見てくるなと思ってはいたが、そんな事を思っていたのか。
まったくもって余計な心配だ。俺はただ好きでボーっとしているだけだと言うのに。
「ほら、少しは身体を動かしてリフレッシュしてきなさい」
俺からすれば、ここでお茶することがこれ以上ないリフレッシュなんだけど。
「エルナ母さんは稽古のしんどさを知らないから簡単に言えるんだよ」
もはや俺が稽古をする流れは変えられない。半ば諦めの境地で捨て台詞を吐くと、エルナ母さんが少し考え込むように黙り込む。
それから手に持ったティーカップをお皿の上に置くと、驚くべき事を口走った。
「……そうね。たまには私が稽古をやるのも悪くないわね」
「「「えっ」」」
エルナ母さんの言葉に、誰もが驚いて間の抜けたような声を漏らす。
冗談半分で言ってみたのだが……まさか、エルナ母さんが本当に稽古に参加するのか? 屋敷でも稽古を見ているだけで口しか挟まず、面倒くさがりのエルナ母さんが?
エルナ母さん以外の皆は聞き間違いかと疑って、お互いに顔を見合わせる。
「何よ。あなた達のその顔は? それにノルドまで酷いじゃない」
俺達の反応を見て、エルナ母さんが不満げな声を上げる。
「い、いや、エルナが稽古に参加するのは珍しいから」
じっとりとした視線を向けられてノルド父さんが思わずたじろぐ。
「というか母さんが剣の稽古なんてできるの?」
エリノラ姉さんが放った最もな疑問。
エルナ母さんは過去にノルド父さんと同じパーティーにいた冒険者で魔法使いだ。その時に数々の戦闘をこなしてきたので経験や知識もあるのだろう。稽古中にアドバイスを述べていることからそれはよくわかる。
だが、知識があることと実際に自分が身体を動かせることは別である。
エルナ母さんの本職は俺と同じ魔法使い。俺やシルヴィオ兄さんのレベルならともかく、エリノラ姉さんの相手は難しいんじゃないかな?
誰もがそんな心配げな表情をする中、エルナ母さんは澄ました表情で言う。
「これでも私は元冒険者なのよ? 魔法使いだけど近接戦闘くらいできるわよ。使うのは剣じゃなくて棒術になるけど」
エルナ母さんって普段から穏やかな物腰だからあんまり冒険者っていう印象がないんだよな。ずっと貴族の令嬢でしたって言われても違和感がないくらい。
それなのに自信満々に接近戦。しかも棒術が使えるとは意外だな。
魔法使いで杖を持っていたからだろう。棒術とか言うと、どこか上級者向けなイメージがあるのでカッコいいな。
「でも、どうせ自衛くらいしかできないんでしょ?」
俺が素直に感嘆の念を抱いていると、エリノラ姉さんがどこか挑発するような口ぶりで言う。完璧にエルナ母さんが近接戦はできないと思っているようだ。
エリノラ姉さんの挑発により、辺りの空気が一瞬冷たくなる。
俺とシルヴィオ兄さん、ミーナがハラハラとしながら見守っていると、エルナ母さんは微笑を浮かべながら、
「ええ、そうね。エリノラ程度の相手を精々軽くいなすくらいだわ」
「…………」
エルナ母さんの言い返した言葉にエリノラ姉さんが無言になる。
空気にピシリとヒビが入るような音が聞こえた気がした。穏やかな天気や平原とは裏腹に、冷たい空気が辺りを流れ出す。
これには二人以外の皆も黙って佇むしかない。
いやー! もう止めて! どうして女性という生き物は勝手に争い出すのか。争うなら争うで俺とトールのような穏便なじゃれ合いくらいにして欲しい。
バチバチとした空気を醸し出して、しれっと言葉に毒を混ぜないで欲しい。
というかエリノラ姉さんを軽くいなせるって、それはもはや自衛とは言わないレベルなんじゃないだろうか。
「へー、これでもあたしは結構強い方なんだけど?」
エリノラ姉さんが剣呑な雰囲気を滲ませながら言う。
「子供の割にはでしょ?」
しかし、エルナ母さんは特に気にした風もなく失笑気味に答えた。
俺の隣にいるエリノラ姉さんから得体の知れないオーラが漂い出す。
本当に止めてエルナ母さん。隣にいるエリノラ姉さんが怖いから。
「じゃあ、相手してよ母さん」
「ええ、軽く付き合ってあげるわ」
エリノラ姉さんが背を向けて歩き出すと、エルナ母さんがすっと立ち上がってついて行く。
後に残された俺達は呆然とそれを見送る。
「……えっと、母さんは大丈夫なの? 父さん?」
「大丈夫だよ。エルナは強いから」
シルヴィオ兄さんの心配げな言葉に、ノルド父さんはエルナ母さんを信頼しているのかしっかりと頷い
た。
「親子の関係に亀裂が入ったりしないよね?」
「不吉な事を言わないでくれよ! た、多分大丈夫だと思う。もし何かあったら皆でフォローしよう!」
俺が最も懸念している事を言うと、ノルド父さんが少し焦りながら答えた。
俺としてはそこも堂々と答えて欲しいところだった。