アイリスに途中ねだられ、ジンが肩車しつつ到着したのが『ガルディン商会』のリエンツ支店だ。

 ガルディン商会は王都に本店を構えるナサリア王国でも有数の商会で、ジンが連れられた店も支店とは言え立派なものだった。店内には食料品から武器防具まで、たくさんの種類の商品が展示してあり、全体的に高級なイメージだ。アイリスを肩車から降ろし、店内に入ったジンはその品揃えに圧倒される。

「凄いですね」

 自分が褒められたかの様に嬉しそうにするアイリスも可愛いが、それよりつい武器や防具が気になってしまうジン。初めて見る黒鉄やミスリル等の謎金属で作られたそれらの品々は、ジンのファンタジー好きな心をくすぐった。

 重量はあるが頑丈で耐久力に優れた黒鉄と、軽くて鋼鉄以上の強度を持つミスリル。物も良いのだろうが値段も高く、小金貨(約10万円)単位で買える品は少なかった。

 総資産は大金貨780枚(約7億8千万円)以上あるジンだったが、自力で稼いだお金以外は使わないようにしているので今は手が出ない品ばかりだ。だが初めて見るそれらの品々は、いつか手に入れたい品として良い目標になる。ジンはつい夢中になって見てしまう。

「おにいちゃーん」

 痺れを切らしたのかアイリスがジンを急かす。だがジンも結構しっかりと武器防具を眺めていたので、これでも4歳の子供にしては我慢した方だろう。

「ごめんねアイリス。でもアイリスのお父さん達のお店は凄いね。お兄ちゃんもびっくりしたよ」

 自分の事をお兄ちゃんと言う事に少し抵抗を感じつつも、アイリスに合わせてそう言うジン。

「えへへ~」

 褒められたアイリスは嬉しそうに身をくねらせる。ジンは武器防具を見るのを切り上げて、今度はアイリスに付き合うことにした。

 そしてアイリスがジンを案内したのが食品コーナーだ。とは言っても野菜や果物等をそのまま売っているのではなく、ドライフルーツにしたりジャムにする等、一手間加えてあるものばかりだ。

「これがおいしいの」

 アイリスが自信満々に指さすのはリンゴのジャムだ。そして父親であるオルトの方を窺うアイリス。母親のイリスは、一足先に奥でお茶の準備をしている。

「しょうがないな。ジンさんがいるから特別だぞ」

「うん!えへへー、おにいちゃん、あとでたべようね」

 オルトの許可を得て、嬉しそうにジャムの瓶を抱きしめて笑うアイリス。オルトはその様子を見て苦笑しつつ、ジンに言う。

「アイリスはこのジャムが好きなんですよ。食べ過ぎるので、ご褒美でしかあげないようにしてるのですけどね」

「ふふっ、なるほど。確かにリンゴは美味しいですからね」

 ジンはアイリスを微笑ましく思いながら、ジャムが置いてあった棚に目をやる。初めて見る名前のジャムもあったが、この世界にもリンゴや苺などのジンが知る果物が存在しているようだ。とは言え、ジンが知る品種改良を重ねた現代日本のそれとは、さすがに品種が同じという事はないだろう。しかし似たようなものであれば味の想像もつく。

 糖尿病による食事制限のせいであまり食べる事が出来なかったが、本来ジンは甘いものが大好きだ。昔は駄目だったが、健康な今の体なら遠慮なしに甘いものを食べる事が出来る。家を借りるようになったら、お菓子でも作ってみようかと思うジンだった。

 他にもさすが王都で商売をしている事もあって、たくさんの種類の食品が並んでいる。恐らく色々な国との交易で仕入れているのだろう。そうして棚を眺めていたジンは、ついに捜し求めていたものを発見する。

「おお!」

 興奮のあまり思わず声を出してしまうジン。手に持って確認するが確かに間違いない、味噌だ。そして味噌があるならと、その周辺を探して醤油も見つけた。

「何かお目に適うものが見つかりましたか?」

「はい。王都にあるとは聞いていましたが、この街で見つける事が出来て嬉しいです」

 オルトの問い掛けに満面の笑みで答えるジン。

「そこまで喜んでいただけると、商人冥利につきますね」

 オルトも嬉しそうだ。そしてそれを見たアイリスもジンに話しかける。

「おにいちゃん、それおいしいの?」

「もし知っているのと同じなら美味しいよ。スープにしたり、お野菜につけて食べるのもいいね」

「……おやさいきらい」

 美味しいという言葉に目を輝かせたアイリスだったが、野菜と聞いてその顔が曇る。

「あはは、アイリスはお野菜の美味しさがわからないなんてもったいないなー。お兄ちゃんは野菜大好きだなー」

「えー、おやさいおいしくないよ。うそだもん」

 からかうように言うジンに対して、アイリスもまだ懐疑的だ。

「お兄ちゃんは嘘をつきません」

「うー」

 そうして二人でたわいの無いやり取りを楽しんでいると、母親のイリスが戻って声をかけてきた。

「まあまあ、楽しそうですね。お茶の用意が出来ましたので、此方にどうぞ」

 そうして笑顔で促されたジンは応接間らしきところに通される。ジンは味噌と醤油を棚に戻し、アイリスはリンゴのジャムを持ったままだ。そしてオルトはジャムの代金を払ってから後に続く。いくら自分の店とは言えその辺りはきっちりしている様で、ジンには好印象だ。

 長椅子の片方にはジンとアイリスが、反対側にはオルトとイリスの夫婦が座る。テーブルの上には紅茶らしき飲み物とお茶菓子が用意してある。

「お兄ちゃん、アイリスがつくってあげるね」

 そう言ってアイリスが、お茶請けのクッキーにリンゴジャムを乗せてジンに差し出す。

「ありがとうアイリス。……美味しいねー」

「えへへっ」

 ジンがお礼に頭をなでると、アイリスは嬉しそうに笑う。その様子を目を細めながら見ていた両親も、嬉しそうに言った。

「アイリスがこんなに懐くなんて。まだこっちにきて間もないので、友達もいなくて寂しそうにしていたから心配してたんです」

「本当にそうだね。迷子の時といい、ジンさんにはお世話になりっぱなしです」

 自分達も誘ったとは言え、子供のわがままに此処まで付き合ってくれる人はそういるものではないと、二人も重々承知しているのだ。ありがとうございますと、ジンの優しさに頭を下げる二人。

「いえ、これも何かのご縁でしょうし、こうしてアイリスと仲良くなれたのは私も嬉しいですから」

 そう返したジンは、続けて悪戯っぽく笑って言った。

「それにこうしてお邪魔したおかげで美味しいお茶をご馳走になれましたし、探していた調味料も見つけることが出来て、此方がお礼を言いたいぐらいですよ」

 そうにこやかに話すジンだったが、その袖をアイリスが少し不満げにひっぱった。

「ああ、そうそう忘れたね。アイリスが作ってくれた美味しいお菓子も食べられたね。ありがとうね、アイリス」

 そう言ってアイリスの頭を撫でるジン。アイリスも機嫌を直して笑顔になる。その可愛らしさにジン達も笑顔になり、そのまま四人で歓談する。

 アイリス向けの甘めの野菜サラダの話など、色々な話をお互いにしたが、その中で話題がジンの住まいの話になった。

「それではジンさんは、近い将来に家を借りるおつもりなんですね」

 そう確認するのはオルトだ。

「はい。宿屋ではよくしてもらっているのですが、どうしても割高になってしまいますしね。料理も好きなので、そろそろ自分で作ってもみたいというのもあります」

 答えるジンの表情は明るい。味噌や醤油も見つけ、料理熱が高まってきているのだ。それに家を借りる事は目標の一つでもあるのだから、そうなってしまうのも当然だろう。

「まあ、もう少し稼いでからの話になりますが、出来れば風呂付の物件があれば良いのですけどね」

 魔法で水汲み等の労力が減るとは言え、やはり個人宅での風呂はあまり多くない。あるとしても、自然と大き目の家になるだろう。ただ、風呂好き日本人としての感覚が抜けないジンにとっては、ほぼ必須で欲しい設備だ。いざとなったら改築して作ろうかとさえ思うジンだった。

「もしかするとご紹介できるかもしれません」

 顎に手を当てて、ジンの話を聞いていたオルトがそう言った。

「確か四部屋か五部屋ほどある家だったと思うのですが、私達がこの街で住む家を探した時に検討した家があったんですよ。私達はもう少し部屋数が欲しかったので現在の家に決めましたが、確かその家もお風呂付だったと思います」

「風呂付は嬉しいですが、その部屋数ではお高いでしょう?」

 オルトの情報はありがたいが、ジン的には少し大きすぎる気もする。とは言え風呂付ともなればある程度の大きさになるのは当然だろうし、家賃によるなとジンは思う。

「家賃は小金貨3枚くらいだったと思います」

 小金貨3枚として、ちょうど一か月分の宿泊料と同じだ。予算としてはギリギリだが、いつでも自由に風呂に入れる事や、料理を自分で作れる事、それに今後調合等の作業部屋が出来ると思えば、そう悪い条件ではない。無意識に腕を組んで考え込むジンと、隣でそれを真似して腕を組むアイリス。

 その姿に笑いを誘われつつも、オルトがジンに話しかける。

「ふふふっ。私はこう見えてそこそこ信用がありますので、何でしたら少し交渉してみましょうか?必ずご期待に添えるとは申しませんが、保証人としてもお役に立てると思いますし」

 あまりランクが高くない冒険者の場合、信用という面で家を借りる事が難しい場合もある。ジンはあと1件の依頼達成でDランクになるが、その場合でもオルトのような社会的地位のある人間からの保証があると無いでは雲泥の差だろう。

「お気持ちは大変嬉しいのですが、そこまでしていただいて宜しいのでしょうか?それにまだその家も見ていないので、必ず借りるとも言えないですし」

 しかしオルトのその提案に、ありがたいが故に恐縮してしまうジン。

「はい。実は貸主の方とは知らない仲ではありませんし、ジンさんなら私も安心して保証できます。何れにせよジンさんもすぐという訳ではないのでしょう?」

「はい。もう少しお金を貯めてからのつもりですから、早くても1~2週間後の話です」

「でしたらその間に、他にも色々と検討されると良いと思いますよ。私がお薦めするのもその一つとお考え下さい」

 そこまで言われたらジンとしても願っても無い話だ。ジンは厚意に感謝して頭を下げる。

「ありがとうございます。是非検討させてください」

「いえいえ此方こそ少しでも御礼になれば嬉いです」

 にこやかに笑顔で答えるオルトと、頷くイリス。ジンは笑顔で夫妻に微笑みかけた後、何気なく隣に座るアイリスに目をやる。

 そこには物真似が交じってしまったのか、腕を組んだまま頷くアイリスの姿があった。

「「ぷふっ、はあっははは」」

 ジンだけでなく、アイリスの様子に気付いた夫妻も思わず吹き出して笑ってしまう。そしてジンはアイリスの頭をなでながらしばらく笑い続けた。