「階層主(ボス)は俺に任せろ! まず取り巻きを倒してくれ!」

 ジンはグレイブを両腕で持ち直すと、気合いと共に階層主の前に立ちはだかる。大盾は手元にないが、元よりグレイブや槍のような長物は攻防共に優れた武器だ。そのリーチの長さを利用して、ジンは階層主の注意を一身に集めた。

「ブォオオオ!」

 咆吼と共に階層主が大斧を振り下ろすが、3メートルを超す巨体から生み出される膂力と大斧の超重量の組み合わせは、ジンといえどまともに喰らえばひとたまりもない。ジンはグレイブを打ち付けるように大斧に合わせ、必死にその軌道をそらした。

 ドゴォッ!

 狙いを外した大斧が轟音と共に迷宮の床に叩きつけられる。ジンは先ほどと同じく揺れと衝撃のようなものを感じたが、二度目ともなれば、もう体勢を崩すことはない。

『斬撃強化(スラッシュ)!』

 むしろ今がチャンスと、伸びきった階層主の腕の間接部を目掛けてグレイブを振るう。総黒魔鋼製のグレイブは魔力をよく通し、『武技』の威力が跳ね上がる。つい数カ月前にも、ジンはAランク相当と思われる大猿(マッドモンキー)の変異種の太い首を斬り飛ばしている。

 この階層主の体は赤いプレートメールの装甲で守られているが、あの変異種も硬く分厚い皮と毛皮で守られていた。階層主の鎧も魔力によって作り上げられたものというのは同じであり、いくら見るからに防御力が高そうな装甲でも、あの時より更に実力を上げた今なら通用するはずだと、ジンは階層主の腕を落とすつもりで『武技』を放ち、実際それは現実のものになると思われた。

「くっ!」

 ――だが、結果は希望を大きく裏切る。

 階層主の腕を覆う深紅の装甲には大きな亀裂が入ったものの、断ち切るどころか、かろうじてその身に傷を付けるだけで背一杯だ。

 確かに狙っていた関節部にある装甲の隙間は外れてしまったが、それでも装甲で止められてほとんど攻撃が通らなかったのは想定外の事態だった。

「想定以上だ! エルザ、階層主には全て『武技』を使え! アリアも詠唱して『古代魔法』だ! レイチェルは回復に専念!」

 このかつてない強敵が相手では生半可な攻撃は通じないと、ジンは続けざまに指示を出す。『武技』で威力を増したジンの黒魔鋼製のグレイブでも装甲に傷をつけるだけで精一杯と、その強さはAランク相当だった大猿の変異種を上回っていると思われた。ジン達もこの階の階層主はAランク相当だろうと覚悟していたが、まだ考えが足りていなかったようだ。

 赤いプレートメールを身に纏った巨大なミノタウロス。その脅威が、迷宮の最後を守る守護者として、ジン達の前に立ちはだかっていた。

(強い! だが勝てるはずだ!)

 これまでにない強敵であるのは事実だが、まだ勝機はある。

 確かに階層主のプレートアーマーに阻まれて斬撃の効果は薄いかもしれないが、エルザの大剣はその重量から打撃力もかなりのものであったし、アリアの『古代魔法』はその攻撃力の高さ故に階層主にも通用するだろう。

 危険な階層主の攻撃は傷つかない体を持つジンが一身に引きつけ、それをレイチェルの『無詠唱』で即時発動可能な回復魔法が支える。ジンが倒れさえしなければ、時間はかかってもいつか階層主の体力がつきるはずだ。

「皆、回復薬を惜しむな! 全力で行くぞ!」

 ジンはアリア達にも複製したHP、MP回復ポーションを数個ずつ渡している。市販されているものとは違い、この複製ポーションは瞬時にHPやMPを回復してくれるので、万一の緊急回避にも役立つ。

「おう!」

「「はい!」」

 ジンの檄に応え、アリア達も気合いを入れ直す。かつてない強敵を前に、ジン達は闘志をみなぎらせ、それぞれが行動を開始した。

(まずは取り巻きを倒す!)

 階層主の相手はジンに任せ、エルザは取り巻きで残った二体のミノタウロスに向けて走る。最初はパーティ全員でかからねば倒せなかったミノタウロスも、今では一人で二体を相手にすることもできるようになった。少しでも早く片付けてジンのフォローをしようと、気合いは充分だ。

『ファイアランス!』

 そのエルザのフォローをしようと、アリアは先ほど顔面に魔法を叩き込んだミノタウロスに、二度目となる炎の槍を無詠唱で打ち込む。無詠唱だと若干威力が落ちてしまうのが難点だが、今はスピード優先だと、アリアも一刻も早くジンのフォローに専念したかったのだろう。

「グヮ――」

 アリアの魔法の直撃を受けて怯んだ一体は、次の瞬間にはエルザによってその首を飛ばされ、叫び声を上げる途中で言葉を失っていた。

「あと一体!」

「任せて!」

 エルザとアリアは阿吽の呼吸で連携し、ほどなくして最後に残っていた取り巻きも地に沈めた。

『ハイヒール!』

 その少し前、レイチェルは無詠唱で回復魔法を発動し、ジンのダメージを回復する。

 ジンは一身に集めた階層主の攻撃をグレイブを巧みに使って防いでいるが、完全に受け流せるほど階層主の攻撃は軽くない。刃を合わせる毎にジンの両腕にしびれにもにた鈍痛が残る。防御力の高い大盾越しでもダメージを喰らうほどなのだから、それがない今は尚更ダメージは大きかった。

 レイチェルがこの場で果たしている役割は大きく、レイチェルの回復魔法なしにジンがこの場に立っていることはできなかっただろう。

(ジンさんの大盾は……)

 大盾の必要性を感じ、レイチェルはジンと階層主の攻防に注意を払いながらも周囲に視線を巡らせて大盾を探す。幸い大盾は階層主側ではなく自分達側の後方で見つかったが、衝突の凄まじさを象徴するかのように、部屋の隅の方まで飛ばされている。その距離はレイチェルにこの場を離れることを躊躇わせるに充分だった。

 レイチェルはじれながらも回復に専念し、ひたすらチャンスを待ち続ける。

「待たせた!」

 そしてチャンスが訪れた。

 取り巻きを片付けたエルザが階層主への攻撃を開始して階層主の気をそらす。狙うのはジンが大きな傷を付けた階層主の左腕だ。階層主もエルザを無視することはできず、明らかに攻撃の頻度が下がった。

「――敵を滅せ! 『炎の槍(フレイムランス)』!」

 アリアも詠唱した『古代魔法』をミノタウロスに放つ。無詠唱と違い威力が減衰していないので、詠唱の時間はかかっても『古代魔法』の高い攻撃力を十全に活かすことができる。

「ブォオオ!」

 現在では幻となっている『古代魔法』は伊達ではなく、階層主にも大きなダメージを与えている。この攻撃で、ようやく階層主のHPが半分を切った。

「レイチェル!」

 その少しだけ余裕ができた瞬間に、ジンは視線は階層主に固定したまま右手でハンドサインを出す。人差し指一本だけのそれは「行け(GO)!」のサインだ。

 全員が揃った状態で更に大盾が戻れば、このあと更に階層主の攻撃が増したとしても耐えられる。そして攻撃を一身に集める自分が落ちさえしなければ、エルザとアリアの攻撃でいつか階層主の体力は尽きると、ここを勝負所とジンは考えた。

「すぐ戻ります!」

 ジンの指示で迷いを捨て、レイチェルはジンの大盾の元に走る。戻るまでの回復は各自に任せることになるが、ジンが大丈夫と言ったのだからと、信じてひた走った。

「ブォオオオオオオオオオオオオ!!」

 レイチェルがこの場から離れたのを好機と考えたのか、もしくは彼女が戻るまでが勝負の分かれ道と魔獣の本能で理解したのか。階層主が一際大きな声で吠えると、鎧の隙間から見える黒い体毛が真っ赤に変わっていく。まるで蒸気のように周囲が揺らいでいるようにも見え、それに伴ってプレッシャーもどんどん増していった。

『打撃力強化(インパクト)!』

 その迫力に圧されながらも、生じた隙を狙ってエルザが『武技』で攻撃を加える。確かに階層主にダメージを与えるが、階層主はそれをものともせずに返す刀で無造作に大斧を振るった。

「ぐっ!」

 咄嗟にエルザは大剣でブロックするが、その威力はこれまで以上だ。このままでは先ほどのジンのように吹き飛ばされると直感的に理解し、エルザは自らも大きく後方に飛んで勢いを殺した。

『フレイムランス!』

 アリアも本能的に危険を感じ、詠唱を途中で止めて即座に無詠唱で魔法を放つ。本来なら無詠唱だと威力が減衰するはずだが、何故か詠唱した時よりも階層主のHPゲージが多く減った。おそらくかつてゲルドが使用した『狂化(バーサーク)』のように、階層主は防御力が減る代わりに攻撃力が増すスキルを発動したのだろう。

 だが、それでも階層主のHPはまだ三割以上残っている。アリアは減ったMPを一定量以上保つためにMP回復ポーションを煽りつつ、回復を待って再度無詠唱で『フレイムランス』を放とうとした。

「アリア! 逃げろ!」

 だが、そのアリアの目論見は崩れる。異変を察したジンが、焦りと共に叫んだ。

 一番のダメージソースとなっているアリアを危険視したのだろう。階層主が目の前にいるジンを超えてアリアを睨めつけ、僅かに腰を落とす。

 それは走り出そうとする前にする行動。その巨体を活かした危険すぎる攻撃(タックル)の前兆だ。

「させるかぁあ!」

 ジンはここでアリアをやらせるわけにはいかないと、加速する前にタックルを潰すためにグレイブを構えて突撃する。

 立ち上がりさえ潰せればこの突進を止めることができるし、少なくともアリアが階層主から距離をとる時間は稼げるはずだ。危険性は覚悟の上で、そこは自らの体の性能頼みだった。

『全体防御強化(プロテクション)!』

 それと同時に、少しでもダメージを減らすため、体全体の防御力を上げる武技を発動させた。

 この『武技』は、大猿の変異種との戦いをきっかけにオズワルドから学んだ『魔力纏』からヒントを受けて生み出されたものだ。そしてこの『武技』の存在が、ギリギリのところでジンを救うことになった。

「ぐぅ」

 轟音と共にジンは階層主と激突し、思わずその口からうめき声が漏れ出た。

 ジンが振るったグレイブは、階層主の体を守る鎧に阻まれて痛打を与えることはできず、少しはその勢いを殺したもののジンは階層主の巨体が生み出すタックルと正面からぶつかった。立ち上がりをつぶせたのでまだ完全には加速がのっていない状態だったが、それでも身長3メートルを超える巨漢の超重量は脅威でしかない。かろうじて階層主のタックルを阻むことに成功したが、その代償としてジンのダメージは深かった。

(回復! 回復! 回復!)

 衝突の衝撃にくらみながらも、ジンは複製ポーションを連続して使用してHPを回復させる。だが、即効性はあるものの回復量が少ない複製ポーションでは、完全回復に時間がかかる。

 一方でスキルの影響か階層主はまるで堪えている様子はなく、いち早く立て直すとジンのHPが全快する前に大斧を振るってきた。

「くっ!」

 かろうじてグレイブを合わせたものの、大斧の直撃を受けたグレイブがジンの手から飛んでいく。

 危険な階層主を前に、ジンは無手の状態となってしまった。

「ジン!」

「ジンさん!」

 ピンチのジンを前に、吹き飛ばされて距離を空けられたエルザが悲鳴を上げつつ駆け寄ろうとする。そしてそれと同時に、もう一つジンを呼ぶ声がした。

「投げろ!」

 ジンはエルザにも、そしてもう一つの声――レイチェルにも目を向けることなく、階層主の前に無手で立ち続けたまま叫ぶ。その視線の先には、ジンにとどめを刺すべく大斧を振りかぶる階層主の姿があった。

 ――そこから先は刹那の出来事だ。

 ジンの背中側に白い円(サークル)が浮かび、そこにレイチェルが投じた大盾が吸い込まれるように瞬時に消える。そしてその次の瞬間には、ジンの左手に大盾が、右手には木剣が現れた。

「衝撃力強化(バッシュ)!」

 『無限収納』を経由して一瞬で装備を調えたジンは、自らを襲う大斧の軌道から体をずらしながら、渾身の力を込めて大盾をその大斧にぶつける。その衝撃で大斧の軌道は僅かにずれ、ジンの体をかすめるように足下の地面を穿った。

『フレイムランス!』

 続けてアリアが無詠唱で唱えた古代魔法が、階層主の顔面に突き刺さる。

 自分をかばって危機に陥ったジンの姿に一瞬動揺したアリアだったが、すぐにその動揺を治め、MPの回復と共に即座に魔法を放っていた。この『古代魔法』が階層主のHPを大きく削る。

 ――レイチェルが、アリアが己の役割を果たす中、最後の一人もまた己のできることをする。

『インパクト!』

 魔法の衝撃で揺らぐ階層主の背後から、エルザが大剣を振るった。

 自らよりも大きい魔獣を相手にする時の基本は、その魔獣の構造を把握し、最も効果的な攻撃ポイントを見つけることだ。そしてそのポイントは、往々にして体を支える足になる。

 エルザの大剣が膝裏から階層主を襲う。その攻撃はダメージを与える以上に関節に衝撃を与え、無理矢理膝を曲げられる恰好になった階層主の体が大きく傾ぎ、3メートルオーバーの巨体が倒れ込むように膝をついた。

 これで1メートル以上の身長差がなくなり、今ならグレイブに比べるとリーチが短い木剣でも届く。

『インパクト!』

 ジンの木剣が赤い装甲の上から階層主の脳天を直撃し、その脳みそを装甲もろとも粉砕した。

 そしてこれがこの戦いの最後の一撃となり、ジン達がこの迷宮を守る最後の階層主を討伐して迷宮踏破者となる資格を得た瞬間となった。