ジンの鎧が完成したその二日後、いよいよ『準暴走』を迎え撃つために選抜された冒険者達がリエンツを出発する日となった。

 リエンツで戦うべきか、それとも打って出るべきか。議論の結果、リエンツの街の運営会議は打って出ることを選択した。最も安全なリエンツでの防衛ではなく、『準暴走』の発生源近くまで打って出るという不確定要素を多分に含んだこの選択は、随分思いきったものと言えるだろう。その決断をしたグレッグ以外の会議メンバーは、その根拠となる情報が聖獣ペルグリューンからもたらされたことを知らないので尚更だ。

 それだけこれまでグレッグが積み上げてきた信頼が大きかったということなのかもしれないが、これはグレッグの本意ではなかった。

「俺としては安全策をとりたかったんだがな」

 会議後、グレッグはジンにこう語っていた。

 いくらペルグリューンの見込みでは『準暴走』の規模が小さいとはいえ、あくまでそれは予測にすぎなく、実際には『準暴走』が起こってみないとわからない話だ。もし想定外に規模が大きかった場合は、迎え撃つ冒険者達が受ける被害も大きくなる。

 村や農作物の被害は補填が可能だが、人命はそうはいかない。冒険者ギルドの長であるグレッグが慎重になるのも当然だった。

「まあ、決まったからにはやるしかないがな」

 グレッグは会議で暴走が小規模になる見込みであることや、対応策として打って出ることも可能とは伝えたが、その真意は住人の混乱を防ぐための安心材料のつもりだった。結果的にその目的は果たされたが、冒険者達に課された責任は重大だ。

 会議で方針が決まったその日のうちに、近々『準暴走』が発生するという予測と、それに対処するために冒険者が討伐に出ることが発表され、リエンツに住む全ての住人が知るところとなった。その知らせを聞いて慌てて街を出る者もいたが、対応策も同時に発表したおかげか、そこまで大きな混乱がおこらなかった。

 それがリエンツが戦場にならないことからくる安心感から来ているかもしれないと考えると、グレッグもこの結果に納得するしかなかった。

 そしてリエンツの街に滞在するBランク以上の冒険者七十三名と、Cランクから選抜された百五十名。そして神殿から選抜された十名を加えた合計二百三十三名からなる討伐隊が結成される。

 この討伐隊にはBランクであるジン達『フィーレンダンク』はもちろん、同じBランクであるザック達『巨人の両腕』にゲイン率いる『風を求める者』、Cランクからはジェイド達『歩み続ける者』やクリス達『セーラムの棘』、更にはジン達の同期であるアルバート達『勝利への道』もそのメンバーに選ばれていた。

 そしてその出発日当日、ジンは早朝からオルトの自宅を訪れていた。

「オルトさん、イリスさん。申し訳ありませんが、トウカとシリウスのことをよろしくお願いします」

 それは彼らにトウカとシリウスを預かってもらうためだ。

 さすがに今回はシリウスを守る余裕がないからと、シリウスを説得してトウカと留守番してもらうことになったのだが、孤児院ではシリウスも一緒に預かってもらうことは難しく、そこでオルトの厚意に甘えさえてもらうことになった。

「いよいよ出発ですね。どうかお気を付けください」

 冒険者ではないオルトができることは、ジン達の大事な家族であるトウカとシリウスを預かることで、彼らが後顧の憂いなく戦いに臨めるようにすることだけだ。

「トウカちゃんとシリウスくんは任せてください。ね、アイリス?」

「うん、アイリスがおねえちゃんとシリウスちゃんとあそぶから、さみしくないよ」

 イリスとアイリスの母娘からも、それぞれ心強い言葉をもらう。特にアイリスの台詞には和まされた。

「ふふっ。はい、ありがとうござます。アイリスもよろしくね」

 ジンはオルト達に笑顔で頭を下げ、続けて愛娘に語りかける。

「トウカ、二~三日で戻ってくるからな」

「うん……お父さんもお母さんも、怪我をしないように気をつけてね」

 トウカには今回の留守番がいつもと違うことは理解できているのだろう。心配そうに自分を見つめるトウカに、ジンは大丈夫だよと、安心させるように笑顔で応えた。

 最後にジンはシリウスの前にしゃがみ込む。

「シリウス、トウカを頼むな」

「わん!」

 シリウスは、ジンから自分達がいない間トウカを守るように頼まれていた。今でもジンに同行したいという気持ちが残っていたが、それでもシリウスはトウカを一人で残せないというジンの言い分には納得している。シリウスにとっても、トウカは大事な家族だった。

「では、いってきます」

「「「いってらっしゃい」」」

「わん!」

 そしてジン達は、集合場所でもあるギルド前の広場へと移動した。

「よく集まってくれた!」

 時間になり、グレッグが広場に臨時で作られた壇上に上がって話し始める。そのすぐ後ろには神殿長のクラークなど、この街を代表する面々が並び、前にはジン達討伐隊のメンバ―が、そしてその周りを囲むように討伐隊に参加しない他の冒険者や街の人々が見守っていた。

「皆も知っての通り、ここからそう遠く離れていない双子山のあたりで、魔獣が多数発生する兆候が見られた」

 この場にいるメンバーの中には、正式発表がある前からこの話を聞いていた者も多い。また、その他の冒険者達も、正式発表後に既に受けていた依頼以外でリエンツを離れた者はいなかった。

 元からこの街で鍛え上げられてきたリエンツ所属の冒険者達だけでなく、他の街出身の冒険者達もこのリエンツでなにかが変わったのかもしれない。

「幸いその規模はそれほど大きくならない見込みだが、それでも数百体規模の魔獣の群れが発生する可能性がある。双子山周囲の村々に住む人々の避難は既に済んでいるが、このままいけば彼らの村や畑は魔獣どもに蹂躙されるだろう」

 ここまでグレッグの演説を黙って聞いていた群衆が、ここでざわざわと少し動揺を見せ始めていた。グレッグが言った具体的な数字や未来を思い浮かべ、想像力が刺激されたのだろう。

「だが、俺達には力がある。この『迷宮』で鍛え上げてきた、誰かを、何かを守る力が!」

 未だ『迷宮』の真実は公にはなっていないが、グレッグはここで自分達は『迷宮』で己を鍛え上げてきたのだと宣言する。それは過去に存在した偉大な迷宮主に対する敬意の表れであり、その業績が公になる第一歩となった。

「俺達の力でこの街を、村を、畑を、人々を守ろう。笑顔を、暮らしを守ろう。それが俺達にはできる!」

 グレッグの言葉に頷くのは討伐隊のメンバーだけでなく、その周りに待機する冒険者達もそうだ。討伐隊が街を離れる間、このリエンツを守るのは彼らの役目だ。

「だが、忘れないで欲しい。守るべき命の中には、自分自身の命も含まれていることを……」

 このグレッグの台詞に、ハッと何かに気付いたような表情になった者も多い。これから討伐隊の彼らは、命を失う危険の中に飛び込んでいくのだ。

「生きていればこそ、俺達は守ることができる。仲間達に気を配り、お互いに協力することを忘れるな。全員で戦い、全員で生きて帰るんだ」

 戦争という言葉が過去の愚行の代名詞となったこの世界で、数百対数百という集団戦闘を経験した者などいるはずもない。冒険者は魔獣との戦闘には慣れてはいるが、それはパーティ単位の話だ。そしてだからこそ、パーティ同士の連携が重要になっていた。

 ここでグレッグは、視線を討伐隊の周囲にいる人々に向ける。

「そして討伐隊に参加しない冒険者達よ、お前達にも頼みたいことがある。もし万一魔獣の規模が想定より大きすぎた場合、俺達はこの街に戻ってきて、体勢を立て直してから改めて戦うつもりだ。その時にはお前達の力も借りることになる。鍛錬と準備を怠るな。俺達がいない間、この街を守ることができるのはお前達だけだ。そして万一の時、俺達と共に戦えるのも」

 グレッグの言葉に、周囲で見守っていた待機組の冒険者達が大きく頷く。彼らは街を守る為に残るのだ。

「この街に住む皆にもお願いする。俺達を信じ、何があろうと冷静に対処してくれ。俺達は一時的にこの街を離れるが、この街から全ての冒険者がいなくなるわけではない。我がギルドの副ギルドマスターであるメリンダをはじめ、たくさんの頼もしい冒険者達が残ってこの街を守るから安心してほしい。そして神殿長のクラーク殿を筆頭とした神官の方々もいる。俺達がいなくても、リエンツの街は万全だ」

 後顧の憂いをなくすため、メリンダとクラークはリエンツの街に残ることになった。高い実力を持つ彼らは討伐隊への参加を望んでいたが、街の統制を保つためにも残留が求められた結果だった。

「この遠征がどんな結果になろうと、俺達はこの街を守ってみせる。どうか皆の協力を願う」

 最後に深く頭を下げ、グレッグの戦説は終わる。

 そして壇上を降りるグレッグに、冒険者だけでなく街の人々からも万雷の拍手が贈られるのだった。

「行くぞ!」

 そしてグレッグの後にも続いたいくつかの挨拶のあと、街の人々やこの街に残る冒険者達の声援を受け、ジン達討伐隊はリエンツの街を出発する。

 この日のために、商人達の協力でたくさんの馬車を借り上げることができた。そこには討伐隊の面々を乗せるだけでなく、ビーン達が夜を徹して揃えたポーションなどの支援物資も積み込まれている。

 冒険者ですし詰め状態となった馬車の集団は、数度の休憩を挟みながら夜まで走り続け、暗くなるころに双子山の周辺まで更に数時間ほどかかる距離まで近づく。今夜はここで野営し、夜が明ければ防護柵などを築くなどして戦いの準備を済ませ、交代で休憩を取りながら魔獣の発生を待つ。その発生は早ければその日の午後、遅ければ深夜になるかもしれない。

いずれにせよ『迷宮』から出てきた魔獣の群れを、万全の体勢で迎え撃つ予定だ。

 ――その予定だった。