さて、そのホープ君だが、彼はデオンの次にこの世界の魔法を習得している。

 そんな彼が優秀なのは言うまでもないが、いくら彼が元の世界では魔法に習熟していたとはいえ、魔法文字を学び始めてから一カ月も経たないうちにスキルに目覚めるなど、本来なら考えられないことだ。

「――と、こんなところでしょうか。これ以上は私も資料がないとよく話せませんので」

「いえ、よくわかりました。レイチェルさん、ありがとうございます」

 夕食が終わった後に待つ束の間の自由時間、それぞれが思い思いの時間を過ごしている中、たき火の側でホープはレイチェルからこの世界の神様について教えてもらっていた。

 ホープは仲間達と共にレイチェルからこの世界の神さまについてある程度の話を聞いていたが、それで済まなかったのは彼が習得した魔法が『回復魔法』だったからだ。

 彼の世界でも『回復魔法』には神様が関係していると考えられており、自身も護衛団に入る前は神官だった経歴を持っているだけに、ホープはこうして再び『回復魔法』を習得できたのもこの世界の神様のおかげだと一層恩に感じていたのだ。

「神殿ならたくさん資料があります。その中でも王都の神殿が一番大きいですので、もっと詳しく知りたいのであれば一度行かれてはどうでしょうか」

「そうですね。私としてもちゃんとお礼とご挨拶をしたいですので、王都で時間ができればそうしてみます」

「はい。……ふふっ」

 レイチェルの提案に頷くホープだったが、それを見たレイチェルが思い出し笑いをこぼした。

「?」

「申し訳ありません。少しジンさんを思い出しまして」

 疑問符を浮かべるホープに気付いたレイチェルがすぐに訳を話す。

「ジン殿を?」

「ええ、ジンさんも先ほどホープさんが言っていたようなことをよく言ってるんですよ。この世界の神様にもそうですが、元の世界の神様にもちゃんとお礼と報告をしたいんですって」

「ああ、なるほど」

 その理由に納得したのか、ホープもまた笑みをこぼす。その話はホープ自身もこの世界に来て数日が経った頃にジンから直接聞いたことがあった。

「お参りする際、私はこの世界の神様だけでなく、元の世界の神様にもお祈りしていますよ。今はこの世界の神様にお世話になっていますが、それまでお世話になっていた事実は変わりませんからね」

 これは元の世界の神様への信仰のあり方に悩む人々に、ジンが自らの考えを示したものだ。

 現代の日本でも、信仰は文化や習慣、そしてその人の考え方にも影響を与えるものだが、彼らのように神の力を実感できる世界で生きていたのなら尚更だろう。そんなホープ達はこの世界に来たことで救われたが、同時に元の世界と今まで信仰してきた神様との繋がりを失っている。彼らの全員が信仰心に篤いわけではなかったが、信仰を失った不安感はその大小はあれども全員に共通していたのだ。

「この世界の神様方に感謝するのは当然ですけど、元の世界の神様にも元気にしてますとちゃんと伝えたいじゃないですか」

 この世界の神様の力がなければ、ジンも彼らもここにはいない。それは紛れもない事実だったし、この世界の神様に感謝を捧げるのは当然だろう。

 また、元の世界でのジンはそれほど信心深いわけではなく、神や仏の力を強く感じたこともなかったが、それでも結婚式や初詣に行けばじんわりと心が浮き立ったし、葬式に参加することで親しい人を失った悲しみが少し軽くなった。この世界ほどハッキリしたものではないが、神や仏の存在がジンの心のよりどころの一つになっていたのは事実だ。である以上、ジンがそうした恩を忘れるはずもなかった。

「あれは新鮮な考えでした。この世界の神様のお世話になる以上、元の世界の神様のことは忘れなければならないと思っていましたから」

 その時のことを思い出し、ホープの表情は笑みが一層深くなる。

 この世界の神殿は全ての神様を同列に奉じており、ある意味寛容な宗教だと言えるが、ジンがしているように神殿に奉じられていない異世界の神様に祈るというのは、例えるならキリスト教の教会で仏様に祈るようなものなのかもしれない。どちらに対しても失礼だし、もしジンがこのことに気付いていたら、少なくとも神殿で祈ることはなかただろう。

 だが、その場合でもジンは別の場所で祈っていたはずだ。元の神様にも祈るというこの行為は、ジンにとって唯一残った元の世界との繋がりでもある。実際に世界を隔てた向こうに伝わっているかは別にしても、祈ることでジンの精神安定に役だっていたのは間違いない。

 そしてこの精神安定という点においては、ホープ達百余名にとっても同じだった。

「あれで地に足が着いたというか、この世界でも生きていけると思いましたからね」

 いくら救われたとはいえ、元の世界との繋がりを失い、異なる世界に放り出されたストレスは決して軽いものではない。それが世界は違えども同じく異世界よりこの世界にやってきていたジンという先人の存在で少し楽になり、さらにか細くとも元の世界との繋がりは失われていないことを示されたのだ。

 この世界に来た百余名は比較的早期にこの世界に馴染めたが、そこに一人の例外もなかったのはジンのおかげと言っていいだろう。

「ふふっ。やっぱりジンさんは凄いです」

 レイチェルは誇らしげに満面の笑みを浮かべる。彼女自身もジンに救われた一人だ。

「ふふっ。本当にそうですね」

 現段階でもジンは自分達の為に様々なことをしてくれたが、それはこの後もまだまだ続く。レイチェルの言葉にホープは心から同意していた。

 ただ、ジンがそこまで意識していたのかというと、少々疑問が残る。単純に異世界生活の先輩としてアドバイス程度のつもりだった可能性が遙かに高かった。

 ――だが、ジンがこれだけはと意識していたことが一つだけある。それについては、現在も馬車の中で話し合いが行われていた。

「よし、他に何か思う付くことがなければ、今日はこのくらいにしましょうか」

「はい、今回も何事もなく済んでホッとしました」

 その言葉通り、シェスティは安堵の笑みでジンに返す。馬車の中にいたのはジンとシェスティだけでなく、アリアとファリスを加えた計四人だった。

 ここまで話していた内容は、この世界と彼女達の世界それぞれの文化や生活、武器や発明など多岐にわたっている。

 それは代々の転生者が心がけてきたであろうこと――『この世界の在り方を尊重し、急激な変化をもたらすようなことは極力避ける』という心得を守るためだ。

 このことは唯一のお願いとして、ジンはシェスティ等百余名全員に伝えていた。

「やっぱり生活レベルはあまり変わらないみたいですし。おそらく大丈夫じゃないでしょうか」

「だね。俺もそんな気がしてるよ」

 同様の話し合いはこれまでも数回行っているため、お互いの世界のことは大分理解が出来るようになっている。これまでの話し合いでも火種になりそうなものは見つかっておらず、ファリスの意見にはジンも同意できた。

 とはいえ万一のことを考えると、今後もしばらくは話し合いを続けざるを得ないのも事実だ。

「デオンさん達には申し訳ないですが、元の世界の魔法が使えなくて良かったと言うべきでしょうね」

 生活レベルは大差なくとも、魔法はシェスティ達の世界の方がかなり進んでいた。こちらの世界では伝説となっている転移魔法など、もしこちらの世界でも使用できたなら大事になりかねない魔法はたくさんある。詠唱と魔法文字という根本のシステムが違うおかげでこの世界では使えないが、その事実にアリアは正直ホッとしていた。

 彼女の側には似たような爆弾をいくつも抱えているジンという存在がいることを考えると、アリアがそう思ってしまうのも無理はないだろう。

「念のため魔法関連の書物などは全てデオンが一括して管理することになっていますし、そちらは安心してください」

 たとえこの世界では使えなくとも、元の世界では体系的にまとめられたものだ。何をきっかけに技術のブレイクスルーが起きるかはわからないため、シェスティもデオンに秘匿するよう厳命していた。

「ありがとうございます。ただ、使えそうなものはドンドン試してみましょう。生活していく上で武器になりますからね」

 広めないで欲しいとお願いしているのは、世界に与える影響が大きすぎるものだけだ。ジンに彼らの文化や習慣等を否定する気は微塵もない。

「今のところ候補に上がっているのは果物とか野菜の種か」

 商売の種になりそうな第一の候補として、ファリスが上げた果物や野菜が上げられる。この世界でも栽培できればの話ではあるが、可能であれば立派な特産品になるだろう。

「あと織物も綺麗でしたよ。あの模様は見たことありませんでしたし」

 アリアが指摘した織物のように、この世界に持ち込まれた彼らの品々には独特の美意識が見られる物も少なくない。残念ながら彼らの中に織物などの技術を持つ者は少ないが、デザインなどであれば比較的簡単に流用が可能だ。木工職人であるマキシムのようにジャルダ村にも多くの職人が住んでいるため、お互いに協力することで新しい特産品ができるかもしれなかった。

「料理も上手くいけば店を出せるかもしれませんからね。これはティアさんや村に残った奥様方次第ですけど」

 ジンが言うように、食はまさに飯の種には最適だ。その再現には調味料や食材を吟味する必要があるだろうが、これから行く王都は食材の宝庫でもある。

 ジンも協力するつもりではあるが、ここはティアに頑張ってもらうしかない。

「村に残った人達も頑張っているでしょうし、戻ったときに良い報告ができるように私達も頑張りましょう」

「「はい!」」

 ジンが最後に笑顔でそうまとめると、シェスティとファリスもそれ以上の笑顔で応える。

 彼女達の瞳は未来への希望で輝いていた。