全員に事情を簡単に説明し、最低限の人員を残し、ストラヘイムのサガミ商会商館まで転移する。アクイド達は、転移にも一応驚きはしたが、若干、諦めの入ったものだったようにも思える。

私はこの度、チームを四つの班に分けることにした。

第一、夜間サザーランド北門前、改造班。北門前に深い穴を掘(ほ)って、そこにいくつかの工作を凝らしていく。これにはトート村の守衛隊がその役を担(にな)ってもらうことになった。ちなみに、夜間なのは、単に可能な限り作業を人目に晒(さら)されたくないから。これ以上、門閥貴族共(足手纏い共)に難癖(なんくせ)付けられるのはまっぴらだし。

第二、魔法の取得とマスタークラスへの引き上げの班。このままでは、アクイド達は弱すぎる。裏にアンデッドを生み出す敵の存在が見え隠れする以上、最低でも複数の上級魔法を覚えてもらわねば、この戦争生き残れそうもない。故に、サテラ達に、アクイド達の魔法の取得とマスタークラスまでの修練の教官役を指示しておいたのだ。

第三が、小道具作成班。もっとも、これは丁度、炭坑開発の技術で現在少々面白いのを開発中だったので、それをこの度、転用することにしたのだ。作成というよりは実験といった方がいいかもしれない。

既に、午後六時三〇分を回っている。そろそろ、リリノアの帰宅の時間だ。

第一研究所の中央研究室へ足を踏(ふ)み入れると――。

「だから、そうじゃないっ! そこの図面はまず、ここの箇所に注視(ちゅうし)すべきなのだっ!」

「でも、ここの方がもっと重要だと思いますわ!」

睨み合う二人と、うんざりした顔で、遠巻きに眺める社員達。

「でも、親方、確かにピストンを上下させるのはこの弁の開閉なわけで、リリーちゃんの言も一利あるのかも」

「むう……」

ルロイは、設計図の一点を凝視し、腕を組み唸り出す。

何やっとるんだ。あいつらは……しかも、あの図面は、時計ではなく、私達が今開発途中の蒸気機関の動力炉のものじゃないか。

この蒸気機関は、産業革命の核ともいえる人類が生み出した至高の技術。この技術が完成すれば、人類は、風車や水車の手を借りずにどこにいようとも、動力を生み出すことができるようになる。

まさしく、人類史上の大発明。いまだに、魔法的思考にどっぷりなルロイ達がおいそれと理解できるはずもなく、開発には難儀(なんぎ)していたところだったのだ。それを素人のリリノアに見せて理解できるはずもないだろうに。

「ルロイさん、期限は一か月しかないんです。素人相手に遊んでないで、ちゃんと教授してくださいよ」

「ふん! あんな玩具(おもちゃ)、とっくの昔に完成しとるわい」

思考を邪魔されてよほど不快なのか、しかめっ面で、そんなありえないことを言いやがる。

玩具って、いくら図面があっても素人がおいそれと作れるもんじゃないぞ。とすると、ルロイが作って与えたのだろうか。そんな中途半端な仕事をやるような人ではないはずなんだが。

「ルロイさん、困りますよ。その時計は、リリー自身が作らないと意味がないのです」

「阿呆、ンなこと頼まれてもするかい!」

「グレイ会長、未だに信じられませんが、リリーちゃん、図面みただけで、たった三時間で組み立ててしまったんです。面白がって、親方がリリーちゃんに、いろいろな図面を見せて」

「……」

正直、絶句するほかない。立体的なものを二次元で表現するのだ。図面の見方だけで、かなりの経験がいる。ルロイは、即座に読み解くことができるが、それは図面を見てきた経験則による結果だ。それをただ一度目にしただけで組み立てるなど、天才を通りこして、変態の域だろう。

「そんなことより、グレイ、この図面はどこに注目すべきなのじゃ?」

ルロイが図面を突きつけてくる。

「ああ、最も重要なのは弁ですよ。この開発が当面の課題となります」

「……そうか」

俯くと、笑い声を上げ始める。

「面白い! 面白いぞ! 小娘っ! 明日も来い! 存分にまた、語り合おうぞ!」

「はいですわ!」

目を輝かせながらも、頷くリリノア。

マジかよ。意気投合(いきとうごう)してしまった。まさか、リリノアの指摘したあの図面の箇所が弁だったということか? とすると、あの蒸気機関の理論を理解した? いやそれは絶対にないな。おそらく、勘で言っているに過ぎないのだろうが、それでも無茶苦茶なセンスの持ち主だ。知識至上主義の私としては、この手のシックスセンスが異様に発達した物の怪とは関わりになりたくないのが本心のところだ。

「それで完成した時計は?」

「これですわ!」

女性用の最新式の自動巻き式。いきなりこのとっておきの図面を用いたのかよ。ルロイの奴、結構本気で教えてくれたらしいな。

「ならば、そのままのわけにもいくまい。今から包装しよう」

「はい!」

第一研究所の包装課で、専用の箱に入れて、リボンで包んで出来上がりだ。

大切そうに、包装された時計を抱えるリリノアを促し、私達はサザーランドの裏路地へと転移する。

「グレイ……」

もじもじと手を忙しなく動かし、上目遣いで見上げるリリノアの姿を一目見れば、こいつが次に何を口にするのかなど自明の理だ。

「明日も研究所に来てもかまわんよ」

それなら、私が付きっ切りになる必要もないし。

「ホント!!?」

「ただし、最初に誓った通り他言は無用だぞ。もし、破れば、誰が何と言おうと、お前とは金輪際(こんりんざい)関わらん」

飛び上がらんばかりに喜ぶリリノアに苦笑しながらも、そう釘を刺す。

「わ、わかってますわ」

「ならいい」

本日のリリノアの成果についての報告を受けながらも、皇帝宅へ向かう道中、面倒な一団が視界に入る。

あのユキヒロとかいうイケメン勇者が、真っ白な歯をキラッと光らせ、取り巻きの騎士風の女性や婦人達を引き連れやってきていた。

「やあ、リリー、今日も綺麗だね」

「……ありがとうですわ」

顔を一面、嫌悪に染めながらも、そう呟く。どうやら、リリノアのこの様子から察するに、この勇者殿が死ぬほど嫌いらしい。

それにしても、リリノアは一三、四歳にしか見えない。その少女に色目を使うとは、この勇者君、もしかしてロリコンなんだろうか? いや、勇者君も一七、八歳程度。四、五歳下に過ぎないし、この場合、ロリコンには当たらないんだろうか?

などと、しょうもなくも素朴な感想と疑問を覚えていると、私の存在にようやく気付いたユキヒロが顔を顰める。

「お前、またいるのかよ」

「皇帝陛下にリリノア殿下の騎士の役を拝命(はいめい)いたしましたもので」

なぜか、リリノアが頬を紅潮(こうちょう)させて俯(うつむ)く。今の発言のどこに、恥ずかしがる要素があるのだろう。子供の考えることはやはり、摩訶不思議(まかふしぎ)である。

「こんな貧相な餓鬼が、騎士だってさ。なあ、君達笑えんだろ?」

取り巻きの女たちから、嘲笑が沸き起こる。

「リリノア殿下、キュロス公のパーティーへ招待されているのです。殿下がいらっしゃれば、さぞお喜びになることでしょう。さあ、そんな貧乏貴族の子倅など放っておいて、勇者様と共に行きましょう」

取り巻きの赤髪にショートカットの女騎士が、リリノアに、恭しくも手を差し伸べる。

正直、私が護衛の任を解かれた後なら、思う存分やってもらって結構だが、今は困る。あの皇帝の狂気っぷりから察するに、リリノアに何かあれば、間違いなく面倒なことになるから。

「申し訳ないが、今は私が騎士だとお伝えしたはずです。本日はお引き取り願います」

「貴様のような下級貴族の分際で、殿下の騎士だと? それがどれほど不敬な発言か貴様は理解しているのか?」

そういわれても、騎士の役を完遂しなければ、不敬罪で訴えられるらしいからな。

「ええ、嫌というほどね」

「なんか、こいつムカつくな」

ユキヒロが、怒気のたっぷり含んだ声で、首元をガリガリ掻くと、勇者とはとても思えぬ形相で私を睥睨する。

(癇癪か)

どうやら、勇者殿は、精神が未発達で肉体だけ無駄に成長したような御仁らしい。

「よく言った。その無謀さだけは褒めてやろう」

暴発寸前のユキヒロの代わりに、赤髪ショートが、叫び、腰の剣の柄に手を触れる。殺気は感じられないから、ただのパフォーマンスなんだろうが、なぜ、こいつらはこうも短慮なんだ。

「それはどうも」

「舐めやがって――」

遂に、ユキヒロが激高し、野次馬共から一斉に視線が集中する。目立つのは不本意だが、黙ってやられるほど私は人間ができてやしない。正当な権利を行使させてもらう。

左手で私とリリノアに風の特位(スペシャル)魔法――《不可視の迷宮《インヴィジブルラビリンス》》を発動する。

これで、この愚者共は私達を傷つけることはできない。むしろ、一定以上の攻撃をすれば、この愚者共は地獄を見ることになる。少々大人気ないような気もするが、死なない程度で術は解除するつもりだし、そのくらい耐えてもらおう。

「やあ、グレイ君に勇者君じゃないかい」

一触即発の状況で、背後から掛けられる陽気な声。この声には聞き覚えがある。

振り返ると、馬車から身を乗り出している帝国でも有数の奇人であり、世界経済を動かす怪物の一人がいた。

「ライナさん――」

口を開こうとするが、任せろとのジェスチャーをされるので、《不可視の迷宮《インヴィジブルラビリンス》》の術を解除する。

「やあ、リリー、久しぶり」

「ライナ叔父様、御無沙汰しております」

「最近、仕事ですれ違いだったしね」

「ええ。お会いできて嬉しいですわ」

「今帰りかい? ならば、どうせゲオルグのところに向かうところだったんだ。乗りなよ。グレイ君もだ。積もる話もあるしね」

皇帝を呼び捨てかよ。そして叔父様の言葉。ライナって、皇族の親戚筋だったってわけね。

「いいよね、勇者君?」

呆気に取られている一同に、ライナはそう念を押す。

「いけよ」

そっぽを向いて不機嫌そうに、地面に唾を吐くと、歩き出す勇者ユキヒロ。

私達もライナの馬車に乗り込み、事なきを得たのだった。

ライナと共に、皇帝宅へ訪問し、ようやくお役御免になると思ったのだが、夕食を食べていくことを強制される。それでも、和気藹々(わきあいあい)とした団欒(だんらん)ならまだ救いがあったが、結果は御覧の通り。

「最近は優秀な人材は、商業ギルドに全て持ってかれる。いい加減にして欲しいものだ」

皇帝が不機嫌そうに呟くが、ライナは肉を噛み千切りながらも、いつもの笑顔を絶やさない。

「あのね、利益追求が人間という生き物の本質だよ。

衣食住にも金が要る。教育を受けるにも金がいる。結婚するにも金がいる。子供を育てるにも金が要る。店を出すにも金が要る。

そう、この世を支配するもっとも純粋なものは、愛でもなければ、誇りでも忠義でもない。利益(かね)だ」

ここまで言い切れるのは、ある意味すごいな。

とはいえ、基本的には、私もライナと同意見だ。ただ、その金の生み出す利益の最終産物がライナはさらなる資金であり、私は知識であるというだけの違いに過ぎない。

「はぐらかすのはお前の悪癖(あくへき)だぞ? 何が言いたい?」

「うーん、それじゃあ、はっきり言うね。真面(まとも)な神経してたらさ、あんな家柄(いえがら)だけで威張(いば)り散らしている無能貴族や、チヤホヤされてのぼせ上っている世間知らず坊ちゃんが跋扈(ばっこ)する場所への就職など御免被るでしょ? 基本実力至上主義の僕らの世界に足を踏み入れたがるはずだよ」 

きっと、勇者達のことを言っているんだろうな。ライナはあまり他者を悪くは言わない。商売上、無意味であり、非生産的な行為だからだろう。その彼がここまで口にするほど、この帝国のピラミッドの頂点には、あの手の輩(やから)で埋め尽くされているのかもしれない。

「我らも馬鹿ではない。先代が押し進めてきた無意味で、非生産的な血統絶対主義は、各分野で可能な限り排他してきている」

「でも、それでキュロス公ともめてるんでしょ?」

「ああ、この国には、それが必要だからな」

「彼らは――いや、この国の大部分の貴族がそれを望んではいない。下手をすれば――死ぬかもしれないよ?」

「もしあの程度の小物に殺されるなら、この俺もその程度の男だったということだ。受け入れるさ」

血統主義を否定し、実力主義を主軸(しゅじく)に据(す)える。要は要職への平民の採用だろう。とすれば、統治機構の一新も視野に入れているのかもしれない。

「正気かい? 君が死ねば、それこそ元(もと)の木阿弥(もくあみ)。くだらない血統独占支配は当分続くよ」

「そうならないために、組織を零から再構築するつもりだ。新たな統治機構成立のためには、知に優れた人材が必要なんだ」

不穏な空気だよな、これ。

「それが、僕をここに呼び寄せた理由ってわけ?」

「そうだ。グレイを帝国によこせ」

「いやだよ。彼は僕ら商会の希望にして指針。これからの商会は、彼を中心に回っていく。こんなしみったれた国の人柱にするなど正気の沙汰(さた)ではないね」

もはや、反論する気にもならない。この世界の大人達は、どうしていつも私の意思を無視したがるのだろう。

それよりも、幸運にももうじき、ジークとの約束の時間。早々に、こんな鉄火場のような場所から退散するに限る。

「ではジーク殿との約束がありますので、私はこれで暇乞(いとまご)いをさせていただきます」

立ち上がり、一礼すると、瞼を閉じていたリリノアが目を開ける。

「グレイ、明日、お待ちしておりますわ」

リリノアは、欠伸をしながら、僕にそう伝え、手を振ってくる。

二人のこの手の言い争いは特段珍しいものではないのだろう。途中から、ウトウトしており、物騒な話は耳にしていないようだった。

このリリノアの反応に、それをつまみに言い争いを再開する二人を尻目に私は皇帝宅を出る。