――その『声』を聞いたのは、全身をセイジの精液(ザーメン)でドロドロにし、雨によって洗い流した直後の事であった。

 ゴブリンでもブラックドッグのでもない魔物の咆哮。それを聞いた二人は流石に性欲が再燃する事なく、所謂『賢者モード』のセイジは率先して服を着込み、戦いの音色が聞こえる方へ向かった。

「姫様……っ!」

「セイジ!」

 テットとサーヤが振り向いて声を上げる。

 マキナとセイジが到着したそこでは既に、二人以外の全員が合流し終えていた。

 これで散り散りになった全ての者が集結した。しかし喜ぶ暇もなく、今から立ち向かわなくてはならないのは――。

「グォォォオオオッ……!」

 そこには。周囲の木よりも更に高く太い大樹が、幹の部分に人間の顔のような模様を浮かび上がらせ、おぞましい声で咆えていた。

 無数の枝や蔓(ツル)を触手のようにして、この森に迷い込んだ人間達を屠ろうとしている。

「フローズン! フローズンランス!」

 魔導書を開いたサーヤが氷の魔法を放ち、カイナも弓で遠方から狙撃する。そんな二人を襲う木の触手をソラリスは槍で防ぎ、テットとリクはそれぞれの剣で斬り落としていく。

 そこにマキナとセイジも加わり、戦力としては7体1の構図。だが大樹のモンスターは、生半可な攻撃ではダメージを受けている様子も見せない。

「この森のボスって所かしら……!」

「気を付けろ、サーヤ嬢……! 恐らくさっき、私達をバラバラにしたのもコイツの仕業だ……!」

「あたしの弓じゃ、全然効果がないでしゅ……!」

 全員がこの魔物の強さに舌を巻く。攻防一体の触手は一本たりとて油断する事ができず、しかし本体にも意識を向けて攻撃しないと倒せない。だが巨大な樹木がそのまま魔物となっており、伐採用の斧が何十本とあっても足りないだろう。

「や、ヤベぇ……。あんなん勝てないって! 近付けないし! 守ってリク!」

「ちょ……!」

 セイジのブレイブ・バーンの力を使えば、掠り傷を付ければ勝てるかもしれない。

 しかし短剣で斬撃を与えるには、限りなく接近する必要がある。それを可能にする技量も勇気も、自称勇者のセイジは持ち合わせていなかった。

 背中に縋りつく親友に、リクは二刀を振るいながら戸惑った声を上げる。

 惚れているサーヤや姉妹だけでなく、グランデルの王女にまで手を出したセイジ。そんな彼と、彼と共に現れたマキナに、リクは気まずくてどう声をかければ良いか分からなかった。

「姫様……!」

「はいっ!」

 しかし事情を知らないテットは、迷いなき目を主君に向ける。

 そしてつい先程までセイジに種付けされていたマキナも、戦う冒険者の顔つきを取り戻し。

 セイジの、勇者の精液を注がれた事によって強化された新魔法を、杖を高く掲げて発動した。

「『クリムゾン・ボルカニックインフェルノ』……ッ!」

 故郷を旅立った当初より、何倍も何十倍も増幅した体内魔力を火炎に変えて。

 小さな太陽を思わせる灼熱の火炎球は小雨を蒸発させ、それを――人面大樹(モンスター)に向けて撃ち出した。

「グゥゥゥオォォォォォッ!!!」

 爆炎に包まれる魔物は、悲痛な叫びを森中に響かせる。強力な魔物とは言え、やはりその本質は『木』。火炎に弱いのは自明の理と言えた。

「すご……」

 煌々と燃え盛る人面樹を見て、サーヤは改めて自分とマキナの実力差を痛感した。扱う魔法の難易度から威力まで、大人と赤子ほどすらある。魔法を扱う者として、マキナという王女は嫉妬するほど上位に存在していた。

 実力だけでなく、家柄も地方領主と一国の姫君では比較にならない。そんなマキナを、セイジが放っておくわけないとも思い、はっと顔を横に抜けた。

「ちょ、ちょっとセイジ! アンタ遅れて来ておいて、結局何も――」

 照れ隠しでツンケンした態度を取りながら、リクの背中に隠れるセイジに詰め寄る。

 その時――。

「――サーヤちゃんっ!」

「ぇ……」

 燃え盛る大樹から、無数の蔓が伸びる。炎上する触手は槍のように鋭い先端を向け、矢のような速度でサーヤに迫る。

 それを見た時、サーヤもマキナ達も反応できなかった。倒したと思った魔物による最後の抵抗。不意打ちの攻撃に、反応できたのは――リクだけだった。

「――はあぁぁ゛っ!」

 サーヤと触手の間に割って入り、神速の剣撃で斬り落とす。

 しかし二刀の隙間を縫って触手は突き立てられ、体の何か所も切り刻まれた。

「ぐ、ぁ……!」

「リクっ!」

「リクお兄ちゃん!!」

 少女達の叫びが響く。

 リクは全身を深く切られ、貫かれ。剣を落として大量の血を流した。

「リク……っ!」

 サーヤは地面に倒れるリクを見て、顔を真っ青にしている。

 そんな彼女を叱りつけたのは――セイジだった。

「サーヤ! 治療魔法だ! 俺のブレイブバーンで強化する! 早くっ!」

 リクが倒れて動揺するサーヤに大声を上げ、心を落ち着かせてやる。

 しかし実際セイジも、足をガクガクと震わせ焦っていた。それでもサーヤの魔法と勇者の力を合わせて、リクを治そうとするも――。

「……良いって、別に……」

「リク……!?」

 リクは口から血を吐き出しながら、弱々しくセイジの腕を掴んで拒否した。

「俺なんか、別に……。……むしろ、都合が良いだろ……」

「何言ってるのよ、リク……!? 貴方が居なくなったら、私は……! 嫌よ、そんなの……!」

「……俺は、サーヤちゃんの事、ずっと……! でも、俺は……!」

「っ……!」

 サーヤが魔導書を開いて治癒魔法を発動している間も、苦し気に息を漏らし、本音を零して。

 そんなリクの姿にサーヤもセイジも、ソラリスもカイナも心配そうに寄り添い、声をかけ続けた。

 そんな仲間達の姿を見て、リクは少しだけ安心した顔で気を失った。

「……皆、ここを頼む……」

「セイジ……?」

 魔法で致命的な傷は塞ぎ、残りの怪我を治すサーヤ。

 涙を流して気を失ったリクを見つめ、セイジは思い詰めた顔で立ち上がった。

 一方。マキナとテットもリクの事を心配したが、駆け寄れない理由があった。

「グオォォォ……!」

「……姫、お下がりください……!」

「再生……しているのですか……!」

 周りの大樹が枯れていく。それと連動して、燃え盛っていたはずの大樹はどんどん傷を塞ぎ皮を再生させ、復活しようとしていた。

 恐らくこの森の全ての生命エネルギーを、根から吸い上げているのだろう。このままではリクだけでなく、全員が致命的なダメージを負う可能性がある。全滅を招くかもしれない。

 暴れるように振り回されるツルを警戒し迎撃しながら、どう攻略しようかと攻めあぐねるマキナとテット。

 その間から、『勇者』は歩を進めた。

「セイジさん……!? 危な……!」

「……俺の、せいだ……」

「……!」

短剣を持ち、再生を始める大樹のモンスターに向かって。震える足と手で、歯をガチガチ鳴らしながら、セイジは立ち向かう。

 だがセイジの実力では、あまりにも危険だとマキナは制止しようとする。そんな彼女を止めたのは――他でもないテットであった。

「……道は俺が斬り開く。決して止まるな」

 テットはリクの想いを知っている。苦悩を話してくれた。だからこそテットも剣を握り、『ケジメ』を付けさせようとしていた。

「……行くぞ!」

「う、うああああああああああッ!!!」

 上擦った声と震える体で、セイジは駆け出す。その速度よりも素早くテットが先導し、襲い来る触手を一人で次々と斬り落としていく。そんな二人を援護して、マキナも魔法を撃ち込んでいく。

 セイジは二人にカバーされながら、恐怖で震える体を叱咤し、一直線に大樹に向かう。

 その間にも思い起こされるのは、グリフォス領で生まれ育ってから現在までの記憶。サーヤと出会い、リクやその姉妹と出会い、五人一緒に過ごしてきた日々。

 少し考えれば分かる事だった。リクがサーヤに惚れているのも。姉妹を自分(セイジ)に奪われて、耳の良いリクが気付かないはずがないと。どう思うのかと。

 だがそれを全部無視して、己の快楽のために勇者の紋様を使い続けてきた。

「だからここは……! ここだけは……っ!」

 『勇気』を振り絞り。何度も触手に体や防具を裂かれながら、それでも短剣(自分)の間合いに飛び込んで。

 ――人面樹(モンスター)の眉間に、剣を突き立てた。

「ブレイブ・バァァァァァンッ!!!」

 勇者の力を全て注ぎ込む。

 魔物はそれに抵抗して、森中の全ての生命エネルギーを吸い上げる。しかし――伝説の勇者の力が、魔物を浄化する速度の方が早かった。

「グギャァァァァア……ッ!」

 大木は光の粒となって、その全容を薄めていく。この世界からかき消えていく大樹を、セイジは茫然と立って眺めていた。

「へへ……。俺だって、やる時はこんくらい……」

 振り向いて、仲間達を見つめる。

 リクの傷は大丈夫そうだ。重傷だが、命に別状はなさそうだ。サーヤ達の安堵した表情を見れば分かる。

 マキナも安心した顔を浮かべ、テットは――その表情を、凍り付かせた。

「セイジさんっ!」

 直後にマキナも気付き、悲鳴を上げると同時に。

 背後から――木の槍に腰を貫かれた。

「ぁ……」

 完全に消滅する直前、大樹の魔物が放った最後の最期の攻撃。木の触手でセイジを突き刺すと、その槍ごと魔物は消え去った。

 しかしセイジは血を吐いて崩れ落ちる。すぐにマキナが駆け寄るが――その時、不思議な体験に襲われた。

(え……?)

 時間が止まったかのような。世界から色彩と音が消え、景色が真っ白に埋まっていく。

『……やはり、ダメなようだな……』

 完全に地面に倒れる、その直前の姿勢で硬直するセイジ。テットもサーヤ達も、微動だにしていない。呼吸している様子すら。――世界が停止している。

 その中で動いているのは自分自身と、そして、幽霊(ゴースト)のように半透明な女性騎士だった。

『私の血を受け継ぐ者だからといって、誇り高き魂がなければ……。最後にはそれらしい片鱗も見せてくれたが、この傷ではもう胴から下は一生動かないだろう』

 下半身不随。それを理解してマキナの心臓は跳ね上がる。

 セイジの体から蒸気のように立ち上って、淡々と呟くその凛々しい女性は、動揺するマキナに目線を向けた。

『……あぁ、グランデル卿の末裔か……。彼には色々世話になった……。しかしキミも、そんなもの(・・・・・)に囚われている場合ではないよ。時間はあまり、残されていない……』

 質問も疑問もたくさんあるのに。それでもマキナが問いかけるより先に、女性は煙のように天へと昇って行ってしまう。

『探そう……。真の勇者の資質を持つ者を……。あの男を、このまま放っておくわけには……』

「……ま、待っ……!」

 ――そして時間は動き出す。

 手を伸ばしてもそこにはもう既に、女性の姿はなく。全てが消え去って元の青空を取り戻した草原と、そこで真っ赤な血を流すセイジだけが静寂に包まれていた。

 テットは大声でマキナを呼び、セイジの仲間達は急いで駆け寄る。負傷したばかりのリクですら意識を取り戻し体を起こし、セイジを助けようと動いていた。

 マキナもすぐに正気に戻り、セイジを止血しようと走る。だがその胸中には既に、セイジを愛しいと想う気持ちは消え去っていた。

 セイジの左手の甲から消えた、勇者の紋様と同じように。

*****

 ブリタニカ王国、首都ロンドメルン。その南門付近を占拠していた大樹の森は嘘のように消え去り、それを成し遂げた少年少女達を――黒いフードを被った男は、高い城壁の上から見下ろしていた。

「……また俺の邪魔をするつもりか。『ジャンヌ』……」

 魔法杖を握り、顔を隠して。しかし僅かに覗かせる顔の傷と、鋭い眼光でマキナ達を捉え。左手に持った小さな結晶(クリスタル)を、袖の中にしまい込んだ。

「まぁ良い、実験自体は成功だ……。待っていろ……。思い知らせてやる……。俺の全てを裏切った、世界の全てに……!」

 そして一陣の風が強く吹くと、そこにはもう、誰の影もありはしなかった。