The Death Mage Who Doesn’t Want a Fourth Time
Quiet story 41: Looking back on yesterday with the noble royal nobleman [Uruz]
アルクレム公爵領の領都アルクレムで起きた、悪神フォルザジバル復活事件。その知らせはオルバウム選王国内の全ての公爵領に、そして敵国であるアミッド帝国まで駆け巡った。
悪神復活と討伐によってもたらされていた衝撃は、アルクレム公爵領内で起きていた『顔剥ぎ魔』事件を霞ませる程強く、悪神が復活した事自体を疑う者はいても、『事件の裏に何か別の真実が隠されているのではないか』と言う勘繰りもさせない程強かった。
そのためアルクレム公爵達以外の者は真実を知らず、ヴァンダルー達が行った茶番劇を真実と思い込んでいるものが殆どだった。
それは、切れ者と評判のオルバウム選王国宰相、ウルゲン・テルカタニス侯爵、そして軍務卿のファザリック・ドルマド侯爵も例外ではなかった。
オルバウム選王国の選王領、その首都にある選王城では現選王であるコービット公爵不在のまま、上記の二名を含めた選王国の重鎮達が集まり、非公式の会議を行っていた。
「百メートル以上の悪神に、それより一回り以上大きい山神の化身か……よくアルクレムが無事だったものだ」
見るからに気難しそうな顔つきの老人、ウルゲン・テルカタニスはアルクレム公爵家からの報告を記した書類と、秘密裏に送り込まれている密偵がもたらした報告書を見比べ、そう評した。
「アルクレムの街は、魔物の暴走に備えるために堅牢な壁に囲まれているが、悪神には紙同然のはず。しかも、軍は精強と言えず、例外は『アルクレム五騎士』とその直属の騎士のみ。それでいながら街、そして民に被害を出さずに悪神を討伐するとは……見事なものだな」
「いやいや、確かに街の内側は無傷で、死傷者もおりませんが、それ以外の被害はかなりのものですよ。
『荒野の聖地』のボルガドン神殿は壊滅し、神殿関係者は全員死亡したらしいですぞ。神殿跡は巨大な穴に呑みこまれ、遺体の回収もままならぬとか。
それに『崩山の騎士』ゴルディが死亡しています。後継の息子も死亡しているので、五騎士の穴が埋まるのは何時になる事やら」
テルカタニス宰相に対してそう指摘した、ナマズのような髭を伸ばした小太りの壮年の男。彼がファザリック・ドルマドだ。
軍人には見えない彼は、人が良さそうな顔の裏でアルクレム公爵家が負った損失を冷静に計算していた。
計算していたが……実は『荒野の聖地』はボルガドン神殿に偽装されたゼーゾレギン神殿であり、神殿関係者やゴルディ、そしてその息子も人間に擬態した擬態人間である。そのため、実際は獅子身中の虫を駆除出来たので、収益は黒字なのだが。
しかも、もし擬態人間の件が明らかになっていたらアルクレム公爵家の名誉が地に堕ちる事は間違いなかった。公爵家に従う貴族達の中にはタッカード・アルクレム公爵の治世に不安を覚え、他の公爵家はそれを煽ってクーデターを起こさせる可能性もあった。
それを防ぐ事ができ、ゴルディを名誉の戦死扱いにして処理できたのだから、アルクレム公爵家にとって今回の事件は歴史上稀に見る大黒字と言えるだろう。
「その辺りはどうにでもなるだろう。アルクレムは、元々商業が盛んな公爵領だ。金蔵で眠っている大量の金を吐き出せば、何れ神殿も再建できるはずだ。
『崩山の騎士』の穴も、A級冒険者やそれと同等の腕を持つ傭兵を雇い入れるなりなんなりすれば、塞がる」
「だとすれば、私としては幸いですね。補助金を出さなくて済む」
テルカタニス宰相の言葉に、財務卿である痩身の中年貴族が頷く。
「勿論、幾らかの補助金と暫くの間は税を調整しなければなりませんが。安普請の神殿でも建てられて、また悪神に復活でもされたら事ですから」
「確かに。悪神がアルクレムを滅ぼしただけで満足するとは限らなかった以上、オルバウム選王国全体の危機と考えるべきだ」
「そうなると、次は恩賞か。だが……厄介な事だ」
侯爵以上の上級貴族達が目を落としたのは、アルクレム公爵家からもたらされた報告書だ。
功績のあった者にどれくらいの恩賞を与えるのかは、アルクレム公爵家の裁量だ。騎士や兵士の昇進や昇給、新たな領地を与える事や、勲章の授与も、余程極端な事をしない限り、他の公爵や中央の貴族達は口出ししないのが慣例である。
だから恩賞に関しては殆ど事後承諾で、前もって連絡して来る事はほぼない。
しかし書類には、そのほぼない事が、『悪神の討伐、再封印に多大な功績を挙げたダークエルフのダルシアに、姓と名誉伯爵位を与える』と記されていた。
「名誉伯爵位か、貴族位なら許可はこちらで出す決まりである以上、却下する事も可能だったが……それにしても伯爵とは大きく出たな」
名誉貴族位は、貴族でない者が多大な功績を挙げた時に与える一種の称号だ。世襲も出来ず、貴族位は当主の死亡と同時に選王国へ返還される。
だがその貴族位と同じ権限が与えられており、毎年年金も与えられる。名誉貴族から更に功績を挙げて、本物の貴族になった者も歴史を振り返れば何人もいる。
だからこそ、ダークエルフの女名誉伯爵は厄介に思えた。
「千年の寿命を持つダークエルフ……我々の孫が引退する時期になっても現役か」
「しかも、我々は彼女に名誉伯爵位を与えられる事に対して口出しできないのに、彼女は名誉伯爵位を得てさえしまえば、我々に対して幾らでも口出しする事ができる。面倒だな」
「ええ、アルクレム公爵に仕える伯爵位の貴族と同等ですからね。限度はありますが、こちらも無下には出来ない」
ダルシアが名誉伯爵になると、テルカタニス宰相達も彼女を貴族として扱わなければならない。
彼らが無条件に従わなければなければならない程の地位ではないが、正規の質問状には何らかの答えを返さなければならないし、正式にアポイントメントを取られたら面会しなければならない。
平民だからと、強権を振るえなくなるのだ。
「諸君、問題はそこではない。厄介なのは、彼女がヴィダの新種族であり、ヴィダの御使いを降ろす事が出来る聖女である事だ」
テルカタニス宰相が問題視していたのは、彼女がヴィダ信者やヴィダの新種族達の象徴になってしまう事だ。
テルカタニス宰相達の多くは、今のオルバウム選王国を良しとし、大きな変革を望まない保守層である。ヴィダの新種族が台頭するような展開は、歓迎出来なかった。
しかし、その言葉に外務卿は異議を唱えた。
「ですが、元々アルクレム公爵はファゾン公爵程ではありませんが、アルダ融和派に気触れていました。今回も、融和派としてのポーズの為にダークエルフに名誉伯爵位を与えたのではないでしょうか?」
かの言葉を聞いた貴族達は、そうかもしれないと頷き合った。
『蒼炎剣』のハインツ達によって、最近急速に勢力を強めたアルダ融和派も、テルカタニス宰相にとっては歓迎しがたい変化だ。
それは彼等の善悪の価値観や宗教観に反するからではなく、彼等が人種であり、貴族である……既得権益を享受する側であるためだ。
だが、アルダ融和派が主流になる変化ぐらいなら、まだ許容範囲内だ。融和派は現在の体制を維持しながら、ヴィダの新種族の待遇を改善していく思想だから。
「密偵達からの情報によると、このダルシアと言うダークエルフと息子のダンピールは、融和派ではなくヴィダ原理主義を標榜しているそうだ」
だが、テルカタニス宰相が口にした言葉は貴族達の許容範囲内を超える事態を想像させるのに、十分だった。
「げ、原理主義!? 聞いた事がありません。それはいったいどのような思想なのですか!?」
「私もありませんが、推測は出来ますな」
ざわめく貴族達の中で、比較的落ち着きを保っているドルマド軍務卿が髭をしごきながら口を開いた。
「恐らく、あらゆるヴィダの新種族を人間と同等に扱う事を求める主義主張の事でしょう。ダークエルフや獣人種、巨人種、竜人、ダンピールは勿論、ケンタウロスやハーピィー、アラクネやスキュラ……そして吸血鬼も。
自治区から新種族達を解放し、それぞれの長に貴族位を与え、自由な商取引と移動する自由を与えるようにと要求するのではないかと」
ドルマド軍務卿の言葉の衝撃に、貴族達は思わず押し黙った。人種より寿命が長いヴィダの新種族達が、特に吸血鬼のように身体的、魔術的能力に優れ、不死性に恵まれた種族が貴族となり政治に加われば、間違いなく一大勢力を築き、オルバウム選王国を内側から乗っ取って、ヴィダの新種族中心の国にしようとするだろう。
伝説の『傭兵王』ヴェルドが築いた王国よりも強権的な、ヴィダの新種族国家が出来上がるのだ。
「出来ればアルクレム公爵を止めたいところだが、口を挟む口実がない。それに、公爵も悪神討伐の英雄の働きに報いない訳にはいくまい。
既に問題のダークエルフは町を一つ救っているようだしな」
タッカード・アルクレム公爵の思惑は不明だが、無視できない功績を挙げた者への見返りを渋る訳にはいかないだろう。
「ゴルディが欠けた分、民衆も新しい英雄を求めるでしょうからな。……いっそ、公爵がそのダークエルフを新しい『アルクレム五騎士』の一人として抱え込んでくれれば、アルクレム公爵領内に影響は留まるのですが」
ドルマド軍務卿はそう言いながら、彼自身もそれはないと思ったのか、首を横に振った。
彼と同感だったらしい財務卿も、書類を見ながら口を開く。
「そのダークエルフと騎士以外で他に功績を揚げたのは……ダンピールの従魔扱いでアルクレムに滞在していたアラクネ、スキュラ、グール……それにエンプーサという亜人型の魔物か。従魔では、勲章や名誉貴族位を与える訳にはいきませんな。
それにテイマーギルドのマスターや、アーサーという男が率いるE級冒険者パーティーもいたようですが、英雄に仕立て上げる程の功績ではなかったようです」
出来ればアルダ融和派の者に、選王の名で勲章を与えるなどして英雄に仕立て、ダルシアとのバランスを取りたかったのだが、それは不可能だと改めて確認して息を吐く。
「やれやれ、近年増えた素質のある若者達……英雄候補達はいったい何をしていたのやら。アルクレムにも、十人以上いたはずでしょうに」
「いや、『真なる』ランドルフこそどこで何をしていたのだ。悪神復活のような大事件こそ、S級冒険者の出番ではないか」
アルクレム公爵領に目障りな存在が誕生する事が避けられない事を悟った貴族達は、口々に英雄候補達やランドルフの名を出して八つ当たりを始めた。
実際、アルクレムでは英雄候補と呼ばれていた者達への賞賛は、今はダルシア達に向けられている。彼等は悪神が復活する前にアルクレムから旅立っただけで、悪神に恐れをなして町から逃げ出した訳ではない。しかし、不在の英雄より、悪神を討伐した者達に賞賛と尊敬が向けられるのは当然の事だった。
「英雄候補とやらが神々の加護を得ているのなら、悪神復活の予兆に気がつきアルクレムに集まってもいいだろうに」
そう貴族の一人が毒づくが、彼も英雄候補達がその神々の神託によってアルクレムから旅立ったとは、思わなかった。
「諸君、既に起きてしまった事を嘆いても仕方がない。名誉貴族位を与えられるのが、息子の方でなかった事を、せめてもの幸いとしようではないか」
そしてテルカタニス宰相は、そう言って場を纏めようとした。確かに、ダークエルフよりも更に寿命が長く、更にアルダ原理主義者の神経を逆なでする、ダンピールの名誉貴族が誕生するよりは、今の状況は幾分マシと言える。
「ははははっ、テルカタニス宰相閣下、流石にそれはありますまい」
しかし、貴族達の多くは彼の言葉に同意するどころか、笑い出した。
「アラクネやスキュラはともかく、新種の魔物を何匹もテイムしている点や、変身装具なるマジックアイテムを発明した点からするに、母親同様才能豊かな少年なのでしょうが、未成年ですから」
「それも怪しいと私は思いますが。幾らダンピールと言っても、その少年はあまりに幼すぎます。とても噂通りの功績を自力で遂げているとは思えません」
「なるほど。彼の背後にいる何者か……ダークエルフ等のヴィダの新種族のテイマーや錬金術師が、自分達の功績を少年のものとして、偽っているという事ですな」
「確かに、そのダンピールが優れた錬金術師なら、同時に優れた魔術師であるはず。それなのに、魔術師としての功績がないのは不自然だと思っていましたが、そう考えれば納得がいきますな」
「個人的な武力は、中々のようですが。町の外で襲いかかって来た、アルダ過激派らしい賊を返り討ちにしているそうですし。尤も、その戦いぶりも誇張されているでしょうから、あてにはなりませんが」
口々にダンピールの少年、ヴァンダルーの功績や能力に対して疑問を呈する貴族達。彼らはヴァンダルー達を直接見ておらず、情報も伝聞に頼っている。そのため、彼等がこれまでの人生で培った『常識』で、考えやすい答えへ流れてしまうようだ。
実際、ヴァンダルーが悪神との戦いに加わったという報告は無いのだが……。
「いやいや、宰相殿のいう事も尤もだと思いますよ。ダンピールの少年が名誉貴族位を得ていたら、母親はもちろん背後のヴィダの新種族の権力者達の傀儡となり、アルダ融和派と手を結んでヴィダの新種族の地位向上の為の運動がより激しくなっていた可能性がありますからね」
そして、財務卿がそう纏めた。
テルカタニス宰相はそんな財務卿たちに対して、気を悪くした様子も見せずに言った。
「私のつまらない冗談で場を和ませられたのなら、幸いだ」
その言葉によって貴族達がまた小さく笑いだす。ドルマド軍務卿も彼等と同じように笑いながら、その内心ではテルカタニス宰相の発言の意図について考えていた。
(やはり宰相の発言は、この場に居る者がどれ程ダンピールの少年……ヴァンダルーについて知っているか、試す為か)
ドルマド軍務卿はその役職上、各公爵家が抱える軍に強力なコネがある。それによって、軍関係ならちょっとした諜報組織並の情報収集が可能だ。
それで彼は今回の悪神復活に際した事件を調べてみたが、おかしい事に気がついた。悪神を再び封じるために出現したという、ボルガドンの化身。その化身が現れる前に、悪神と何者かが戦っていたらしいのだ。
最初は、『真なる』ランドルフがボルガドンの化身が現れる前に駆け付けたのかと思ったが、それにしてはおかしい。
彼が駆けつけていたのなら、事件後の不要な調査や追跡を防ぐため、アルクレム公爵にだけは話を通す。それなのに公爵が送って来た報告書に彼の名が無いという事は、悪神と戦ったのは彼以外の何者かだ。
その何者かについて、ドルマド軍務卿は調査した結果、彼の目に留まったのはヴァンダルーの名前だった。
ヴァンダルーについて、ドルマド軍務卿は過去に一度、アミッド帝国が流した偽情報だと断じた事があったが……それは早計だったかもしれない。
偽情報ではなく真実だったとして、アミッド帝国に現れたヴァンダルーと、アルクレム公爵領に現れたヴァンダルーが同一人物だったとして、ハートナー公爵領のある町に彼が現れた事が確認されてから約四年……いや、五年か? それだけの時間を経て、何故彼はアルクレム公爵領に姿を現したのか。
(宰相閣下は、より詳しい情報をお持ちのようだ。私も、もう一度ヴァンダルーと言うダンピールについて、探ってみるとしましょう。
思わぬ切り札になるのか、それとも早いうちに排除すべき存在なのか、知らないままでは危険ですからね)
ドルマド軍務卿がそう内心で思惑を巡らせている頃、サウロン公爵の当主となったルデル・サウロンは、報告書に目を通すなり、叫び声をあげた。
「中止だ! アルクレム公爵領に滞在しているダークエルフのダルシアと、その息子を招くのを中止しろ!」
「か、畏まりました! すぐにヴィダ神殿の神殿長へ使いを出します!」
蒼い顔をしてそう返事をする公爵家の家宰に、ルデルは更に続けた。
「都に居る全ての騎士団長と、宮廷魔術師長に重要な会議を行うと伝えろ! 後、アルクレム公爵家とハートナー公爵家に使いを――」
「お待ちください」
しかし、ルデルの叫びは報告書を彼に提出した人物によって遮られた。
「ハートナー公爵家に使いを出すのは、会議が終わってからでも宜しいかと」
「それも……そうだな。騎士団長達と宮廷魔術師長に重要な会議を行うと伝えてくれ。頼んだぞ」
それによって多少落ち着きを取り戻したのか、ルデルは声を抑えて改めて家宰に指示を出すと、深いため息を吐いた。
そして家宰が部屋から退出した事を確認してから、頭を抱えて声を絞り出した。
「……まさか、ヴィダの御使いを降ろす事が出来るダークエルフの聖職者の、その息子が自治区のスキュラの長老と繋がっていたとは」
「ええ、私も覚えのある名前を思わぬところで目にして、驚きました」
ルデルが読んでいる報告書は、サウロン公爵家に仕える密偵達がアルクレムで手に入れた情報に、報告書を提出した諜報組織の長が注釈を加えたものだった。
それにはアルクレムでヴァンダルーが連れていた、スキュラの少女の名前と似顔絵があった。問題はそれが、スキュラ自治区のスキュラの中でも有力な長老だったペリベールの、娘の一人、プリベルと同じ名前と顔をしていたのだ。
「他人の空似の可能性を考えましたが……偶然にしては出来過ぎているかと」
「確かにそうだ。だが、この報告書が正しければ、我々は虎の尾を踏み続けているのかもしれん」
ヴァンダルーとプリベルの母ペリベールが繋がっているのなら、彼の母親であるダルシアもスキュラと繋がっているはず。
そして、今も旧スキュラ自治区を占領しているレジスタンスたちとも。ルデルがその功績を認めず、それどころかアミッド帝国と繋がっていると判断し、リーダーの『解放の姫騎士』もろとも死んだ事にして闇に葬った者達だ。
更に、何度も旧スキュラ自治区を制圧しようと傭兵や冒険者を送り込んできた。尤も、全て撃退されてしまったので、今では調査と監視に留め、領土奪還のための作戦を練り、戦力を集めている最中だが。
実は、その戦力としてもルデルはダルシアの協力を期待していた。
「私は危うく、虎に『お前の縄張りを奪うのを手伝ってくれ』と言うところだったのか……。しかし、ヴィダがアンデッドの軍勢を許容したと言うのか? 確かに、『堕ちた勇者』ザッカートの前例はあるが、あれとは事情が異なるだろうに」
「さて、その辺りは何とも。旧スキュラ自治区の奥深くに送り込んだ密偵は、誰一人として帰って来ませんので。
ただ、ヴィダを頂点として仰ぐ神々の中には、ザッカートの誘いに乗った邪悪な神々が含まれていると、アルダ神殿では語られているそうですが」
「なるほど……会議の後、ハートナー公爵家にはヴァンダルーについての情報提供を依頼し……アルクレム公爵家にはどこまで知っているのか、そして何のつもりなのか探りを入れなければならんな」
ダルシアに名誉伯爵位を与えるという、アルクレム公爵。彼はヴァンダルーとスキュラについて……ヴィダの新種族について、どれほど知っているのか。
もし、アルクレム公爵が全てを知っていて、それでなおヴィダの新種族側に付くとしたら、最悪だ。
サウロン公爵領は南東の旧スキュラ自治区と東のアルクレム公爵領から挟み撃ちを受ける事になる。北は岩山、西は敵国、頼みの綱は南のハートナー公爵領だが、どれだけ期待できるのかは分からない。
「ドルマド軍務卿にも連絡を……いや、あのナマズ髭の言葉を聞いたばかりに、この苦境に立たされているのだ! 迂闊に情報を与えるのは危険か? だが、ハートナー公爵領に期待できないのなら……クソ、今の選王のコービット公爵は頼りにならないし、どうすればよいのだ!?」
考えている内に再び口調が荒くなり、叫び出すルデル。諜報組織の長は、今度は彼が落ち着くのを無言で待つ事にした。
(あたし、ケイティ・ハートナー。もうすぐ五歳になる女の子。将来は、立派な政略結婚の道具になる予定)
『君がこのメッセージを聞いているという事は、前世の人格と記憶が戻った事を意味する』
(おとーさまはハートナー公爵家の当主、ルーカス・ハートナーよ。おかーさまは正妻で、あたしは長女だから、未来の旦那様は他の公爵家の後継者か、最低でも侯爵以上の貴族になりそう)
『このメッセージは、君が前世の人格と記憶を取り戻した時に自動的に再生される』
(まだ四歳だけど、文字の読み書きとか礼儀作法の基礎を習っているの。でも、それよりあたしは騎士や冒険者になりきって遊ぶ、ごっこ遊びが好きだったみたい。
それで今日はこれから……はいはい、降参よ)
「黙って聞けばいいんでしょう」
ケイティ・ハートナー、前世の名を【ウルズ】のケイ・マッケンジーという少女は、頬杖を突いて脳内に響くロドコルテのメッセージに大人しく耳を傾けた。
メッセージでは、ステータスに調整を施した事や、アクティブスキルを5レベル分自由に取れる事、そしてハートナー公爵家はヴァンダルーと因縁のある家なので、彼の攻撃に備える事等が告げられる。
『最後に、私に強く祈る事で私へのメッセージが届くかもしれない。後、【御使い降臨】スキルを使う事で、情報の交換や、伝言のやり取りが可能だ。
メッセージを聞き終わったらどちらかを試して欲しい。【御使い降臨】は目立つスキルなので、前者を推奨する』
それを最後にロドコルテの声が聞こえなくなると、ケイティはどちらもしないまま部屋の天井を見上げて考えた。
「……面倒くさ。正義の味方は、前世で十分だし……そもそも、コイツがやらせようとしている事って、正義じゃないし」
ケイティは怠そうにそう呟くと、過去を見る事が出来る【ウルズ】の能力で、自分の五分前の姿を映しだした。
そこには、西洋人形のような美少女が映っている。公爵令嬢……この国の制度ではプリンセスと呼ばれる事も多い立場だが、名前負けはしないルックスのはずだ。
『地球』で行われていた美少女コンテストでも、良い線まで行けるかもしれない。
「小国のお姫様相当の生まれを用意してくれたし、そもそも転生して貰えなかったら、『地球』のテロで死んで終わりだったから、恩を感じていない訳じゃない。でも、【グングニル】の海藤カナタの敵討ちの為に、ヴァンダルーと殺し合いはしたくないわね」
ケイティも、海藤カナタがヴァンダルーに魂を砕かれた経緯は、ロドコルテから知らされていた。
それだけに、カナタの敵討ちをしようなんてつもりは、欠片も持っていなかった。
「だけど、ヴァンダルーか……家との因縁って、ご先祖様がタロスヘイムのお姫様達を裏切った事だけよね? お父様が他に何もしてないといいけど……」
それよりも気がかりなのは、ヴァンダルーと自分の家の関係である。ハートナー公爵家がタロスヘイムを裏切った事は、カナタが滅ぼされた状況を知らされた時に、ついでに教わっていた。
それだけなら、今の当主であるルーカスが先祖の過ちを認めて謝罪し、レビア王女達の名誉を回復すれば和解の可能性もあるはずだ。その結果、もしかするとルーカスは隠居するしかなくなるかもしれないが、それでもカナタのように殺されるよりはましなはずだ。
前世の人格と記憶を取り戻したと言っても、生まれてからの記憶が無くなった訳ではない。ケイティはルーカスを父と認識しているし、愛情も感じていた。
「お父様に聞いても、五歳前の娘に話してくれるはずはないわよね。最近、妙にピリピリしているし。【ウルズ】で調べるにはその場所に一度は行かないと。映す角度を調整すれば融通は利くけど……とりあえず、お父様の執務室に行けばわかるかしらね。
そう言えば、他の皆はどうしてるんだろう? 田中や鮫島は同じ時期に転生したはずだけど……はあ、それを聞くにはロドコルテに祈らないといけないのか」
ああ、毎日のお稽古とおやつの事を考えて、爺を困らせて、お母様みたいな奥様じゃなくて、お父様みたいなカッコイイ軍人になりたいって憧れるだけですむ、昨日に戻りたい。
そう思うケイティだったが、過去を司る女神の名を冠した【ウルズ】の能力を持つ彼女でも、時を戻す事は出来ないのだった。