The Demon King Seems to Conquer the World
Chapter 273: The Messenger Comes to the Ship
白旗を揚げた船は、近くまで来ると錨を下ろして停船した。ボートを下ろして四人の人物が乗ると、漕ぎ手がボートを漕いでこちらに向かってきた。
さすがに漕ぎ手はただの船員だろうから、一人はエンターク竜王国の政府関係者で、もう一人はクルルアーン竜帝国の外交を担当する誰かだろう。
残った一人は……まあ想像はつくがな。
縄梯子を投げると、ボートが近づいてきて、三人が登ってきた。
案の定、三人の内の一人はシャン人である。
三人は、甲板に登ってくると、周囲を見回した。そして、一人がシャン人に耳打ちをした。
「突然の来訪失礼致します。我々は停戦交渉にやって参りました。責任者はどなたでしょうか?」
シャン人が喋ったのは、シャン語である。
恐らく、クルルアーン竜帝国の外交官にはまともなシャン語の話者がおらず、通訳者を必要とするのだろう。
「どういうつもりだ?」
と、俺はテロル語を使って、努めて不機嫌そうな声色を口に出した。
「察するに、その者は奴隷であろう。我々の船に、我々の同胞を奴隷として引き連れてくるとは、一体どのような感性をもっていれば外交の場でそのような無礼を働けるのだ?」
俺がそう言うと、シャン人の通訳者は戸惑ったような顔をした。
意味が分かっていないようだ。ひょっとしたら、この人はシャン語とアーン語を喋れるだけで、テロル語は解さないのかもしれない。
残りの二人は、俺のド正論に今気づいたように、ハッとした目でこちらを見た。
「た、大変失礼いたしました。適任の通訳者は彼しかいなかったのです」
と、テロル語に切り替えて言う。
「お前は? クルルアーンの使者か?」
「いいえ、わたくしはエンタークの竜王陛下に仕える、クルルアーンに駐在する大使でございます。普段はアシュレイアの大使館に勤めております」
「この者を連れてきたのはお前なのか? この無礼の責任はお前、ひいては竜王国にあるということでいいのか?」
んなわけがないことを知りながら、俺は竜王国の大使を問い詰めた。
竜王国がクルルアーンに派遣している大使が、シャン語の通訳者を自国から連れていくわけがない。活躍する場面は皆無である。
九割九分、この通訳はクルルアーン竜帝国で使われている奴隷だろう。
案の定、責任問題を切り出されると、大使はもう一人のクラ人に深刻そうな顔を向けた。
そう切り出されたら庇うことはできない、と目で伝えているのだろう。さすがに、どこまで広がるか分からない外交問題の罪を、国王に相談もせず自国が被ることはできない。
勝手にそんなことをすれば、この人は責任を取らされて処刑されたり、そうでなければ自ら死ななければならなくなるだろう。
「どうした? この愚行は誰の発案なのかと聞いている。それとも、お前らは二国揃って奴隷になっている同胞を見せつけに来ただけなのか?」
「申し訳ございませんでした」
もう一人のクラ人が、ひざまずいて両手を甲板につけた。
そのまま、すっと頭を下げ、額を甲板に触れるほど近づける。やや丸まった土下座のような格好をした。
「この者を連れてきたのは、私の落ち度です。どうかお許しください」
「お前は何者だ」
「私は、クルルアーン竜帝国の宰相、ハリーファと申します」
宰相?
その上に大宰相とかいう位があるのでなければ、クルルアーン竜帝国の実務を担うトップの男ということになる。
「察するに、ここにいる奴隷の青年は、この船にテロル語の話者がいなかった場合に備えて、意思疎通を図るために連れてきたわけだな」
「ご賢察の通りでございます」
「それで、この無礼に対して、どのように責任を取るつもりだ」
「この場で、この者とその家族を奴隷身分から解き放ち、自由の身に致します。必要であれば、我が国から正式な謝罪を」
堂々とした謝罪ぶりだ。
俺がブチ切れるという問題が発生してから、アドリブで対策を練り、プライドを捨ててさっぱりと平伏をしてこの回答をするというのは、なかなか出来ないことだ。普通の人間なら、もっとグダグダになるところである。
この様子だと、俺がユーリ・ホウだということもほぼ推察していそうだな。
「お前、家族がいるのか?」
と、俺はシャン語に切り替えて、通訳の男に言った。
「あっ、はい。います」
「急なことですまんが、この宰相様はお前を奴隷身分から解き放つと言っている。お前が望むなら、この船に乗ってこのまま故郷に帰ることも可能だ。家族も奴隷から解放するようだから、俺が言えば送ってくるだろう。お前はどうしたい」
「………そうですか」
奴隷の通訳は、かなり思い悩んだ顔をした。
まったく事情が分からないが、なにか葛藤しているようで、すぐに帰るとは言わなかった。
「……私は帰りません。家族はクルルアーン人なのです」
「クルルアーン人? すると、妻は平民ということか?」
「そうです。私は龍宮に勤めていて、妻の身分は……少し複雑な身分制度があるのですが、平民といって差し支えありません」
なんだか良く分からないが、複雑な事情があるようだ。
「そうか。奴隷から解放されることに関しては迷惑ではないか?」
「それはとても嬉しいです。どなたか存じませんが、ありがとうございました」
奴隷の通訳は、ぺこりと頭を下げた。
それなら、まあいいだろう。無理やり連れて行っても迷惑だろうしな。
「頭を上げたまえ。貴殿の謝罪は受け入れた」
俺がテロル語でそう言うと、ハリーファと名乗った男はゆっくりと立ち上がった。
「貴殿は、我が国と会合の場を持ちたいのだな。ならば、ハリーファ殿以外の二人はあそこの船に戻ってもらう」
「えっ――しかし」
エンターク竜王国の大使は、困った声を出した。
恐らくは、仲裁役として同席し、仲を取り持つ役目を果たさないと困ったことになるのだろう。
「……貴国とは通商条約を結んでいるのだから、白旗を揚げてやってくるのは結構だ。だが、勝手に戦争中の国の人間を連れて乗船したのはよくない。まずは貴殿が一人で来船し、仲裁役を務めることの合意を得てから、初めて連れてくるべきだったな」
俺は面倒なことを言った。
だが、内容的には至極真っ当な意見であるはずだ。
例えて言うなら、喧嘩している相手を、共通の知人が玄関の戸を開けて勝手に家の中に連れ込んだようなものだ。まずは一人で戸を叩いて、家の中に入れていいか伺うべきだろう。実際には喧嘩どころではなく、現在進行形で殺し合いをしている相手なのだから、仲裁を買って出たのであればなおさら気を遣うべきである。呆れた無神経さと言う他ない。
恐らくは、ここにいるハリーファが焦って大いに急かしたせいでそこまで気が回らなかったのだろうが、外交官であるからには自ら気が付く必要がある。それができなかったのはこの人の落ち度だ。
「仲裁役というのは、紛争をしている両者が認めることによって初めて成り立つ立場だ。我が国は、事前になんの相談も受けていない。まずは一人で出向いて話を持ちかけるところから始めるのが礼儀というものだ。勝手に仲裁役を名乗られても困る」
「ですが……」
「ハリーファ殿は穏便にお返しすることを約束する。今のところは、船に戻りたまえ」
俺がそう言っても、大使はすぐに動こうとはしなかった。
失態をどうにか挽回できないかと迷っているのだろう。
俺の言ったことは正論だが、あえて問題にしなければ表面化しない話でもある。友好国だし相手も急いでいるだろうから、いくつか手間をすっ飛ばしたところでおおらかに認めてくれるだろう。と楽観的に考えていたのかもしれないが、こちらにはこちらの事情がある。こいつには下船してもらわないと困るのだ。
「失礼、少し相談させていただいてもよろしいでしょうか」
ハリーファが言った。
「構わない」
俺がそう言うと、ハリーファは大使と二人でアーン語で話し始めた。二言三言話すと、
「……この度は、貴国に大変な無礼を働いてしまい、申し訳ございませんでした。仰せの通り、失礼して下船させていただきます。正式な謝罪は後ほど……」
と、大使が謝意を述べはじめた。降りてくれるのだろう。
「構わない。別に、俺は怒っているわけではない」
ハリーファとの腹を割った話し合いに邪魔なので、適当に言いがかりを考えて降りてもらっただけのことである。
最近気がついたが、俺は他人の落ち度をほじくることにかけては、かなり天才的な手腕を持っているようだ。あまり嬉しくはない才能だが、これに関してはミャロでもこうは上手くやれないだろうと思う。
「それでは、失礼します」
「おい」
俺がシャン語で言うと、下船しようとしていた大使と通訳が振り向いた。
「もし故郷に帰りたいのなら、長期休暇かなにかで帰れることになるかもしれない。今からの交渉次第だが、期待していてくれ」
通訳に向かって言うと、彼はやはり故郷が恋しかったのか、嬉しそうな顔を見せた。