The Demon King Seems to Conquer the World

Episode 035: Takeo Herald

イーサ先生に別れを告げた後、俺とハロルは酒場に繰り出した。

「やっぱぶどう酒はねえのかぁ」

ハロルは酒場のメニューを読むと、残念そうに言った。

シヤルタ王国ではぶどうは栽培できないため、ぶどう酒というのは市場に出回っていない。

「残念でしたね。ビールで我慢してください」

「そうするか。ビールはシヤルタのもんが一番美味いしな。やっぱり、酒は地酒に限る。お前はなんにする?」

「僕は、あー、ミルクでいいです」

「なんだ、酒は飲まねえのか?」

シャン人はやたら酒に強いので、良く酒を飲む。

食堂ではさすがに出さないが、寮生でも飲んでいる奴は多い。

二十歳未満は飲酒不可という決まり事もない。

「お酒は二十歳まで飲まないことに決めてるんです」

そんなに影響はないと思うが、体にどんな影響があるか解らない。

一滴も飲まないと誓いを立てているわけではなかったが、常飲するつもりにはならなかった。

「なんだ、学院ではそういう決まりなのか? ここでは守らんでも」

「いえ、自分で決めたルールみたいなものなので。それに、今日は用事が残っていますし」

「そうか?」

ハロルはウェイターを呼ぶと、すぐに酒を頼んだ。

ビールが瞬時といっていいほど早く運ばれてくる。

ハロルは、いかにも船乗りらしく、それを一気飲みに飲んだ。

「……ぷふぁ~。美味いっ」

豪快な飲み方だ。

あー、美味そうだな、おい。

俺も前世では酒を飲まないほうではなかったし、飲みたくなってくる。

ルークはどちらかというと蒸留酒派だし、ビールを飲むときもグビグビとはいかないからな。

「じゃあ、土産話をお願いします」

「ああ、いいぜ。まずな、俺は大アルビオ島に向かって帆を張って、航海は端折(はしょ)るけどな、なんとか到着できたんだ」

「いやいや、端折らないでくださいよ。どうやって航海したんですか?」

「どうって?」

「沿岸航行じゃないんですから、難しいでしょうに」

この国には、大アルビオ島までの精確な海図などない。

それは船乗りにとっては大変なことで、つまり陸の見えない大海原に漕ぎだしたら、すぐに自分の居場所が解らなくなってしまうということを意味する。

GPSのような便利な代物はない。

バルト海や地中海のような内海であれば、それでもそのうちにはどこかの岸に着くわけだが、大西洋などの大海原の場合は違う。

言うまでもなく、アルビオ共和国の場合は、沿岸を航行して行くことは難しい。

途中にある沿岸が全部敵国なのだから、外海を通って行くほかない。

「ああ、いつも航法を任せている爺さんがいるんだよ。そいつがやってくれた」

おい。

他人に丸投げだったのかよ。

「やってくれたって、ヤマカンでですか?」

「ヤマカンっつうと言葉が悪いが、まあそういうことだな」

ヤマカンとか。

しょっぱなから命がけじゃないか。

「それでな、なんとか到着して、誰もいなそうな谷みたいなところに入って、錨を下ろしたんだよ」

「はいはい」

「そうしたらよ、岸に上がったら、森のなかからゾロゾロ人が出てきやがってよ」

「えっ」

「捕まっちまったんだよ。どうも、海賊の根城だったみたいでさ」

「へ、へぇ」

生還ENDなのは解っているんだが。

よく生きてたな、こいつ。

「そんで、クラ語で『どこの軍隊のもんだ』って言ってきたんだよ。その時ほどイーサ先生に感謝したことはないね。『俺は商人だ。シャン人の半島からきた』って堂々と言ってやったよ」

おいおい。

「そしたら、嘘言うなっつーもんだからよ、帽子取って耳を見せてやったら、仰天してやがったよ」

そりゃ、仰天するだろ。

海賊は、どっかの国が海軍だして討伐しに来たと思ったに違いない。

そうしたら、馬鹿がノコノコでてきて、取り囲んでみたら、遥か北方の異人種だっていうんだから、そりゃ驚く。

「そこからは酒飲みよ」

待て。

待て待て。

「どうして酒飲みなんですか? 戦闘になったりとかするもんなんじゃ」

「奴らは海の民だからよ、海難者は助けてやる決まりなんだってよ。財産も取らねえんだって」

「へえ」

俺の感覚からしてみると、海賊がそういう行動を取るのはちょっと信じられない気分だが、そういう特異な文化もあるのかもしれない。

この世界では海難は多いから、もし漂流してきたらお互い様、という文化が形成されているのかも。

さすがに広汎な風習ではなく、海洋国家であるアルビオ共和国だからこその風習なのだろうが。

面白い文化だ。

「まあ、俺達は海難したわけじゃないけどな。とにかく、酒飲みになったんだ。そこで、飲み比べよ。俺たちがザルだってことを教えてやったぜ」

「なんとも楽しげで良かったですね」

なんとも幸運なファーストコンタクトだ。

一つ歯車が狂っていたら、こいつはその場で惨殺、荷は全て奪われ、BADENDだったろう。

「まあな。それでよ、船員はその海賊の村に置いてきて、俺は首都のほうに行ったんだよ」

「船員さんたちを村に置かせてくれたんですか? なんとも親切な」

「もちろん、メシと宿代のカネは置いてったさ」

「ああ、なるほど……」

この場合のカネというのは、シヤルタの金貨のことだろう、金貨は金でできているので、通貨の違いを越えた本源的価値がある。

とはいえ、向こうからしたらこっちは蛮族なわけで、よく置かせてくれたな……。

「俺らが着いたのは、お前がイーサ先生と言ってたところの、大アルビオ島だったんだな。だから、小アルビオ島まで陸路と渡し船を使って行った。首都は小アルビオ島にあるんだ」

「ほほう」

まあ、適当に海を航行したらスコットランドの辺に漂着する可能性が最も高いだろう。

実際、そのへんに漂着したんじゃなかろうか。

「それで、王都ってところはシビャクより大分小さかったんだけどよ。とにかく着いたんだよ」

「頑張りましたね」

言葉を勉強したとはいえ、仲間も連れず、ぶっつけ本番で外国一人旅を成し遂げたというのはスゴイ。

「そんで、まずは何日か酒場で入り浸って喧嘩とかしてたんだよ」

おいおい。

「喧嘩ですか」

「勘違いしてるかも知れねえが、船乗りにとってはそれが当たり前なのよ。陸に上がったら酒場に入って、何日か乱痴気騒ぎっていうのはさ。もちろん、喧嘩したってのは、船乗り相手だぜ」

「なるほど」

そういうものか。

もう良く判らんよ、俺は。

「そうしたらよ、城からの使者みたいのが宿に来てよ。招待されたんだよ」

げげ。

「招待されたっつっても、共和国っつーのは、シヤルタみてえに気取った感じじゃないんだな。会食なんつーから緊張してたら、こっちみてーに作法がどうこう煩えなんてこと、全然ないんだよ。多少畏まってはいたけどな、酒が入り始めたらそれもなくなって、宴会よ」

宴会かー。

いやいや、どういう国なんだよ。

「それでわかったんだが、共和国っつーのには、王様がいないらしくてな」

そりゃそうだ。

王様がいたら王国だ。

「その場には、一等つええ海賊とか、金儲けしてる商人とか、いろいろいたんだよ」

そういう形もあるよな。

つまりは有力者が集まっての合議制ということになるのだろう。

そういうのも共和制には含まれる。

「そこで色んな奴と知り合ってな。酒の流れで商売してもいいってことになったんだ」

「酒の流れで、ですか」

「まあ、運が良かった。商人なんかとはな、特に仲が良くなって、次の日も港に連れて行ってもらって、いろんな奴を紹介してもらったんだ」

本当に運が良かったな。

トントン拍子だ。

「次の日に、船を預けた村への帰路に就いて、船を返してもらって、首都へとんぼ返りよ。一応、売れそうなもんを積荷に満載しといたからな。着いたらそれを売り払って、しばらく港に船を留めた。船もな、あんまり古い形の船だって呆れられたりしたけどな」

やっぱり、技術はかなり水を開けられているらしい。

「一週間ぐらい、そこで停泊して、勘定係なんかと市場を見て回って、どれを持って帰ったら売れるか調べたんだ。いろいろと運んできたぜ。やっぱり、大分カネになった」

ハロルの航海は大成功だったってわけだ。

「そりゃあ、良かったですね。いや本当によかった」

ハロルの苦労は報われた。

「まあ、これで土産話は終わりだな」

「なるほど。大分ためになりました」

***

「ところで、そっちはなんか新しいことはあったのか?」

「ええ、まあ。いろいろ思うところありまして、僕も商売をすることにしました」

「おまえがか? なんでまた」

意外そうだ。

俺のような貴族の御曹司が商売を始めるなんてことは、普通ないからな。

「自慢するわけじゃないんですけど、授業が殆ど終わって、卒業までの間は午後いっぱい暇になってしまったんですよ。だから、首都でできる商売を始めようかと」

「……シビャクで商売を新しく始めるのは、難しいぞ」

やはり思うところがあるのだろうか、ハロルは深刻そうな顔になった。

「それは僕も心得ているので、全く新しい品を考えたんですよ。ほら、ハロルさんに見せたでしょう」

「ああ、あれか」

「あれを今作ってるんですよ。まあ、まだ試作品ですけど」

あれは第十号試作品だ。

「だけど、どうせ頑張って開拓しても、盗まれて終わりだろ?」

どいつもこいつもこう言うんだなぁ。

「そうしないように先手を打ちました。特許っていうんですけど」

「特許? 専売特許のことか?」

「いえ、違うんですよ。特許というのは……」

俺は簡単に特許のことを教えた。

「それは……上手いことやりやがったな」

「そうでしょ。もう制度についての公示もでていますし、第五号特許まで認められたみたいですよ。ちなみに第一号は、僕の植物紙です」

「もう作ってるのか?」

「ええ、もちろん。王都の山側の小屋を借りて、こつこつ作っていますよ」

「すげえな。今度、見ていっていいか」

「今日はこれから向かうつもりですが」

「それじゃ、ちょっとついて行かせてくれよ」

***

連れて行くことになった。

「馬車代がもったいないので、僕の家に行きましょ」

「お、おう」

別邸は、酒場から歩いて十分ほどだった。

顔パスで門をくぐると、厩舎にいき、世話係に言ってカケドリを一羽借りた。

「おい、乗ったことないんだが」

「うちには二人用の鞍があるので大丈夫ですよ」

もっとも、カケドリは馬のように水平に背が長く伸びているわけではないので、男二人乗りは若干狭苦しいのだが。

「そういう問題か」

なにやらカケドリに乗るのが初めてらしい。

「いい経験ですよ。馬より乗り心地がいいくらいですから。先に乗ってください」

「う……解ったよ」

ハロルは渋々、鐙に足をかけてよたよたと鞍に跨った。

俺はもう慣れたものなので、鐙を踏んでひょいと飛ぶように乗る。

ハロルの股の間に挟まるような格好になった。

「いきますよ」

タッタカと走りだす。

若鳥でもない体の大きい中年の鳥なので、二人乗ってもへっちゃらだった。

***

「着きましたよ」

着いたところは、シビャクの西の際にある、古い建物だった。

この建物を選んだのには、いくつか理由がある。

ひとつは、ボロボロで安かったこと。

ふたつめは、元は家畜小屋だった関係で、家畜に水を飲ませるために水車で水を引き入れる装置が残っていたこと。

みっつめは、シビャクの上流にあるため、汚水にまみれておらず、水がきれいなこと。

中は汚いし、全面が土間だが、作業場としては十分だ。

扉を開けて中に入った。

「来たか、ユーリ。今回のはなかなか良いぞ」

作業をしていたカフが、喜色を浮かべて言う。

第十一号試作品はなかなかいいようだ。

今俺がメモで使っているのは第十号試作品だが、既に筆記に耐えるレベルのものができている。

書き味は、まだまだコピー紙には到底及ばない、ざらざらしたものだが、とにもかくにも、文字を書いて、それを記録するという用途には耐えるレベルのものができている。

そろそろ売り物になるか。

「……カフじゃねえか」

「ん?」

カフがハロルの顔を見て、急に無表情になった。

「ハロル・ハレルか、なんでここにいる」

「てめーこそ、こんなところでなにをしていやがる」

「質問を質問で返すなと教わらなかったのか? こっちが聞いてるんだよ」

「アレンフェスト商会の手代(てだい)が、こんなところで間諜のまね事か? こいつになにをするつもりだ?」

「あんなところ、とっくに辞めた。いつの時代の話をしている」

なにやら剣呑なご様子である。

「お二人は知り合いなんですか?」

「知り合いじゃねーよ」

ハロルが言った。

「昔の商売敵だな」

ほー、なるほど。

「まあ、仲良くしてください。カフさんは大事なパートナーですから」

「仲良く出来るか。こいつは昔っから薄汚え真似ばっかりしてきやがって、ウチの商売を何度も何度も邪魔しやがって……」

「それが与えられた仕事だったんだから、仕方がないだろうが。大昔の話を、いつまでグチグチ言ってやがる。女々しい野郎だ」

「誰が女々しいだァ? またぶっ飛ばしてやろうか?」

ハロルが腕まくりする。

またってことは、既に一度ぶっ飛ばし済なのか。

カフのほうは冷静なようで、やれやれと眉間に手をやって、処置なしというような呆れた仕草をしている。

「そうやって力で解決して、後で泣きを見るのが相変わらずの趣味なのか? これだから船乗りは困る」

やべーこいつら。

大人のくせにめっちゃ口喧嘩しとる。

「てめぇ!」

ハロルが発奮して、俺を押しのけてカフに掴みかかろうとしたので、思いっきり出足を蹴って転ばした。

背中の服をぐっと掴んで転ばないようにしたが、土間に膝が着いた。

「ハロルさん、ここで暴れられちゃ困りますよ……」

何やら過去に色々あったみたいだから、別に喧嘩をするのはいいが、ここでされるのは困る。

なにせ、そこらに石を乗っけて脱水中の紙やら、漉桁やら、いろいろあるのだ。

特に漉桁なんか、上に大人が倒れたらすぐ壊れてしまいそうなものだし、壊されたら作業に差支えが出る。

「止めんなよ」

「イイスス教を学ぶって言った矢先からこれじゃ、イーサ先生が残念がりますよ。言い負かされて喧嘩して、相手をぶん殴るなんて」

「ぐっ」

イーサ先生の名前を出すと、ハロルはさすがに効いたようだった。

おとなしく立ち上がった。

「ふん」

「お前も、場所を考えて喧嘩を売ってくれよ。道具がぶっ壊れたらどうすんだ」

「……そうだな。確かに壊されちゃ業務に差し障りが出る」

「なんだ、こんな子供にタメ口きかれてんのか。笑えるぜ」

俺もちょっと違和感があるんだけど、そうしてくれと頼まれとるんだから、仕方がない。

「ユーリは雇用主で、俺は雇われ店長だ。分をわきまえてんだよ、海夫野郎」

「ってめえ」

海夫野郎っていうのは悪口なのか。

事実を並べたようにしか聞こえないのだが。

「やめてくださいね、二人共」

やるなら外でやれ。

「それで、第十一号試作品は?」

「……ああ、これだ」

カフにペラリとした紙を渡された。

「ほう」

薬物漂白していないので、やはり茶色っぽい。

コピー紙のようなものを知っている俺からしてみると、色は気になる。

だが、元より白っぽい材料を使っているので、十分に白かった。

そもそも、羊皮紙からして純白ではないのだから、流通上問題はないだろう。

むしろ、見るべきところは紙質だった。

表面がのっぺりとしていて、ケバつきが少ない。

繊維のケバつきというのは、筆が引っかかる原因となるので、これは重要な要素だった。

筆が引っかかるというのは、書き味が悪くなるというだけではなく、紙が破ける原因にもなる。

最低限の性能として、普通の人が普通の筆記具を使い、一枚にびっしり文字を書いて、破れるのは一割以下にしたい。

耐久性を上げるためには紙を分厚くするしかなく、分厚くすると、言うまでもなく様々なデメリットが発生するので、表面の紙質は特に重要な要素といえる。

「素晴らしい出来だ。よくやったな」

「俺も、我ながら良い出来だと思ったんだ」

カフは良い製品ができて嬉しそうだ。

「これなら売り物になるだろう。とりあえずは製品化第一号だ」

「これは文房具屋に売り込むことでいいんだな」

「ああ、そうしてくれ」

カフとの会議で、方針はある程度決まっていた。

これは、とりあえずは羊皮紙の端切れの代替として売り込む。

羊皮紙の端切れというのは、主にメモ用紙としての用途で売られている、形の整わないいびつな羊皮紙のことだ。

羊皮紙は獣畜の皮から作られるが、獣畜の皮というのは、もちろん綺麗な長方形をしているわけではない。

なので、長方形の用紙として売るために、周りの部分は切って除かれる。

また、羊皮紙はナメシのあと、乾燥の過程で収縮しないように引き伸ばされるのだが、ナメシの過程で傷が入っていると、それが針穴程度の穴でも、乾いた時には大きく広がってしまう。

用紙としては、やはりその部分も不良部位ということになるので、これも除かれる。

つまり、端切れというのは、羊皮紙生産の過程で生まれる、不揃いな余り物ということになる。

当然、価格としては綺麗な四角のものよりだいぶ落ちるわけだが、それでもなお高い。

ミャロなどは、端切れを買い集め、大雑把に四角にして、端に穴を開けて括り、上達の捗らないクラ語の単語帳にしている。

もちろん、端切れは形がいびつなので、長い文章は書けず、なにかと不便だ。

そこで、真四角の紙が出てくれば、代替品として大いに売れるだろうと見込んでいた。

植物紙は、品質としては羊皮紙に劣るので、最初からは羊皮紙の代替としては売らず、他の方向から攻める。というわけだ。

「生産性はどうだ」

いくら品質がいいといっても、仕入れに金がかかったり、量が手に入らない材料では、話にならない。

「材料としては、特別に調達が難しい物は使っていない。工夫したのは、脱水工程だ。ケバは圧縮の時、木の板の表面が荒いから生まれるんじゃないかと思ってな。研ぎたてのカンナで削った上等の板に、蝋を塗りつけて撥水するようにした」

「考えたな、偉いぞ」

「そうでもない」

カフはその言葉に反して、やはり嬉しそうだった。

「値段は、やっぱり端切れと較べて大安売りじゃなくていいだろう。これほどのものであれば、端切れと比べりゃ段違いで使い出がある」

機能的により優れているものを、特価大廉売で売ってやる必要はない。

「俺もそう思った。同じ面積の端切れの七割ってところか」

七割か。

「それでいい。次々に売れたら、限界生産力がピークになって品薄状態になる前に、人を雇って限界生産力を上げよう」

「人は簡単に雇えるが……道具のほうは用意できるのか?」

「もう一つ作ってもらうように頼んである。三つ目が必要なようなら、言ってくれ」

リリーさんには二個目の注文を出してある。

一個目の代金を多めに払ったので、快く引き受けてくれた。

漉桁一個で千五百ルガだ。

「わかった」

だが、生産設備のボトルネックは解消できても、材料調達のボトルネックはなかなか難しい。

今は、糸屋や織り屋から材料を掻き集めているが、そこから産出される材料などたかが知れている。

漉(す)き手が一人であれば、シビャク全体からかき集めれば、操業に十分な材料が揃うだろうが、二人、三人と増えれば、需要に供給が追いつかなくなるだろう。

本格的に木を材料にする方法を考えなきゃならない日が来るか。

「おまえら……ずいぶん本格的にやってんだな」

ハロルが呆気に取られたように言った。

「あたりまえだ。俺らはこれで天下を取るんだ」

天下。

いつのまにか、カフのほうはそういう気持ちになっていたのか。

「天下って……おいおい」

「ホラじゃねえ。羊皮紙ギルドをまるまる乗っ取るくらいまでやるぜ」

確かに、そのようなことは言ったが。

「まあ、紙で終わりではないですけどね」

「へ?」

「は?」

「紙が軌道に乗ったら、すぐにでも次を始めますよ。紙を量産して羊皮紙市場を乗っ取るなんていうのは、序の口も序の口ですから。まあ、次の技術はまだ特許を申請していないので、さすがにハロルさんの前では口に出せませんけれどね」

「おい、なにを言ってる。本気なのか?」

カフが言ってきた。

「本気もなにも、まさかコレ作ったら終わりだと思ってたんですか?」

それでは困るんだけど。

「いや、まあ、な」

なんだ、そんなつもりだったっぽい。

馬鹿な。

紙なんていうのは、手っ取り早く稼ごうと思って考えた方法にすぎない。

さっさと終わらせて、次の事業の元手にするのだ。

金は幾らあっても足りないのだから。

「カフさんが紙屋で終わるつもりなら、それでもいいですけど。僕は、これと同じくらい発展性のある事業を、とりあえずあと二つは考えてますけどね。紙は一番簡単そうだから手始めにやってみただけで」

「おいおい、マジかよ」

いや、カフは製紙屋になるつもりだったのか?

「カフさんが製紙事業部の部長で満足するなら、それでも構いませんが」

そうしたら、新しい人材を探さなきゃならないな。

カフは十分に有能だし、気心もしれてきたから、できれば今まで通り社を預けたいが。

「いや、お前がもっと先に行くなら、どんだけでもついてってやる。俺の才が及ぶまでな」

カフの目には力があった。

酒に溺れた時代には戻るつもりがないのだろう。

頼もしいことだった。