The Demon King Seems to Conquer the World

Episode 109: Two and Four

一通りのことが終わり、立ち上がると、左足の膝がズキッと傷んだ。

嫌な予感がして見てみると、ヘルメットにこそぎ取られたのか、厚手のズボンは引き裂け、皮膚が抉られていた。

挫滅(ざめつ)しているので、縫えるような傷ではない。

抉られている以上に、膝が芯まで痺れるような鈍痛があった。

膝蹴りで痛めたのだろう。

膝の皿でも割れてなきゃいいが……。

気にしてても始まらないな。

キャロルのところに行くか。

左足を庇いながら、とぼとぼと歩いて、じっと見ていたキャロルの近くまで行った。

「済んだぞ」

「……うん、見ていた」

そういったキャロルの表情は、なんとも形容しがたかった。

気丈に振る舞っているのか、微笑んではいるが、どこか茫然としている。

「怖い思いをさせたか」

キャロルの首に剣がかかり、人質にされた時は、内心では冷や汗をかいたものだ。

というより、目の前で殺人が行われたのだから、キャロルもそこらのお嬢様ではないにしろ、大なり小なりのショックはあるだろう。

「いや……そうでもなかった。助けてくれると分かっていた」

「そうか?」

助けてやれるかは五分五分以下だったので、事前に分かっていたというのはおかしな話だが、いい意味で信じていたということだろう。

「この期に及んでも攻撃してこないということは、配下の連中は周囲にいなさそうだな」

「状況はよくわからないが、見放して逃げたというのもあり得るのではないか」

昨日からのゴタゴタで、キャロルには十分に出来事の説明ができていなかった。

キャロルから説明を求めてこなかったからだが、こいつなりに極限状態にあることを察し、口をつぐんでいたのだろう。

昨日の時点では、カンカーはまだ二人の部下を伴い、矢は刺さったが死亡が確認できない人間がもう二人いた。

矢を刺した二人は死んだと楽観視しても、少なくとも二人はほぼ無傷だったはずだ。

だが、その二人もカンカーの強行軍についていけず、燃えた荷物を見た時点で反抗・離別した、というのは、十分すぎるほどに考えられる可能性だ。

なにしろ、カンカーは荷物を持っていない。

鎧や、どこかポケットの中にでも入る物以外は、完全に手ぶらだ。

「それもあり得るだろうな」

「うん」

「だが、どの道そいつらの事は心配していても仕方がない。こうなったら、できることをしていくだけだ」

この足じゃ運動不足のデブ相手でも追っかけて殺すのは難しい。

この周りにいるかもしれないから、周囲を探索して見つけて殺しておく、というのは、実行不可能なのだ。

それで状況が悪化しようと、その場その場でどうにか対処していくしかない。

「……そうだな」

と、キャロルは一瞬目線をそらし、あらぬ方向の地面を見た。

追って視線をたどると、そこには松葉杖があった。

松葉杖は、わずかに「へ」の字をかいていた。

つまり、柄が折れている。

どんな勢いで蹴ったんだ。

「あーあ」

杖のところまでひょこひょこと歩き、拾い上げ、横木のところを持って先で地面を軽く叩くと、ベキッと音が鳴って、ますます曲がってしまった。

これでは、どの道使えない。

体重を預けられるほどの耐久度がない。

「まあ、村までもう少し……のはずだしな。なんとかなるだろう」

たぶん。

「そうだな。私も、木に手をつきながらなら、いくらか歩けると思う」

それしかないわな。

どうしても無理だったら、肩を貸しあいながら歩くとか。

それくらいしかない。

しかし、着々と状況が悪化しているのに、キャロルは堪える様子もない。

ヒステリーを起こすでもなく、ガタガタ震えて前後不覚になるでもなく、落ち着いている。

偉いな。

「朝メシを食ったら行こう」

「わかった」

でも、これで食料が終わったら、本当に終わりだな。

この足では、狩りもできそうにない。

***

朝食を食って、ほんの少しづつ歩き始めると、すぐに木に手をついて歩くという案が馬鹿馬鹿しいほどに非効率である、ということがわかった。

「こりゃ、きついな」

俺は少し休憩、とばかりに背を幹にもたれかけ、振り向いて言った。

連々と木が密に生えているわけではないので、木々の間は何も頼ることなく歩行しなければならない。

それに、そもそも大木の幹は垂直なので、体重を預けられない。

階段の手すりのように、腕の力で足の負担を軽減するといったことができない。

加えて、歩けば歩くほど、膝と足裏の鈍痛は増していた。

「……あぁ」

若干遅れてついてきているキャロルは、元気がない。

落ち込んでいるというより、ノミで気力を削るように、一歩一歩やってくる痛みが頭を侵しているのだろう。

だが、俺のほうも、膝がかなり頼りない。

力をかければ、泣くようにガクガクと震えだす有様だ。

背負うことなど出来そうにない。

「肩を貸し合っていくか」

「そう、だな」

俺は、若干戻り、遅れていたキャロルのところまで辿り着いた。

「はぁ、はぁ……待ってればよかったのに」

まあ、先の方で待っててもよかったか。

「寂しがると思ってな」

「……あぁ、そう、かも」

心ここにあらずなのか、なんとも素直な返事が返ってきた。

「じゃあ……肩組むぞ」

「うん」

俺はキャロルの肩に手を回した。

キャロルも、同じように組み回してくる。

若干身長に差がある。

「大丈夫か? 俺は左足、お前は右足を怪我してるから、行進の要領で普通に歩く。怪我してない方の足は踏ん張れよ」

「わかった」

「いいな。いくぞ」

右足を踏み出すと、キャロルの肩がピクンとはねた。

痛みが走ったのだろう。

だが、腕越しに俺に体重を預けているので、これまでよりかなり軽減されているはずだ。

左足を出し、同じようにキャロルの肩に軽く力をかける。

キャロルも、左足のほうは全く無事なので、きっちりと耐えた。

思いのほか、楽だ。

「いけそうだな」

「うん」と、キャロルは頷く。「でも、もっと体重をかけていいからな。手加減しているだろう」

「そうか?」

そう言われても、自覚がなかった。

「こういう場面で男が女に遠慮がちになるのは分かるが、その足が腐りでもしたら、私は本当につらい。こっちは、左足は全然大丈夫だから」

キャロルも並の鍛え方をしているわけではないから、左足が大丈夫というのは本当だろう。

怪我のない状態であれば、流石に俺は無理としても、ミャロくらいは担いで走れるくらいの体力は余裕であるはずだし。

「わかった。そうするよ」

「こういう時くらい、頼ってくれ」

「そうだな」

他人を頼り過ぎないというのも欠点か。

いや、結構頼ってきてる気がするけどな。

***

そのまま六時間以上を歩くと、小さな道に出た。

作りが雑な石畳が、手入れもそこそこに森を二つに割っている。

キャンプ中に何度か通った、見覚えのある道だった。

幅の広さや石畳の具合、どこを見ても、大街道から枝分かれしてニッカ村に通じる道にそっくりだ。

「あぁあ……」

疲れ果ててボロボロになっていたキャロルが、崩れ落ちるように脱力した。

肩を組んでいた俺に、ズシッと体重がかかった。

「おい」

「あっ……あぁ、すまない……」

そう言うと、キャロルはぐっと五体に力を入れて立ち直った。

顔を覗き見ると、今までの険しい顔がほどけ、押し寄せてくる安心感で弛緩したような顔をしていた。

無理もない。

本当なら、その場に座り込んで泣き崩れたいほどだろう。

キャロルは、村では助けが待っていると期待しているフシがある。

最初から望み薄かなと思っている俺と比べれば、安心が大きいのは当たり前のことだ。

それに、この状況では、期待するなとも言えない。

希望はあればあるほど良いのだから。

「どうする? 休憩するか?」

「いや、まだ大丈夫だ」

「じゃあ、歩くか」

道を、向かって左に歩きはじめた。

この道がどのあたりか、目印もないので覚えてはいないし、あとどれくらい歩けばニッカ村なのかも分からない。

下手をすると、今日中には着かないかもしれないな。

「ちょっと、止まってくれ」

俺は時計を見た。

午後二時半を指している。

かなり厳しそうだ。

「どうしたんだ?」

「いや、今日中には着けるかな、と思ってな。無理そうだ」

「どうしてだ?」

「今の場所がわからんからだ。たまたま近い所に出た可能性もあるが、そうそう上手くはいかないしな」

「いや、かなり近いぞ」

なんでそんなことが分かるんだ。

「この道は、村に近づくにつれて敷石が良く手入れされているんだ」

「そうなのか」

「うん。見た感じ、ここは大街道よりかなり村に近い」

ほほう。

俺は気に留めなかったが、そういうことらしい。

こういった整備された道は、村の者も森にアクセスするのに使っていただろうから、使用頻度の高い部分だけ石畳が良く管理されているというのは、ありえる話だ。

「良く覚えてたな」

「私は、こういう田舎の村に来たのは初めてだったから……物珍しくて、いろいろと見ていたんだ。村人の生活を想像しながら。もう少し歩いたら、木こり小屋が見えるはずだ。きっと」

木こり小屋については、俺も存在を覚えていた。

こういった所では、樵(きこり)は森の中に幾つか簡単な拠点を作って木を切る。

建材の場合は人足を雇って丸のまま運び、薪にする場合はその場で適切な長さにカットし、大八車のようなもので村まで運んで割る。

道沿いの木こり小屋では、倒したままの丸太が小屋の脇に何本か転がされ、乾燥中だったはずだ。

「だとすると、相当近いな」

正直なところ、現在地すらおぼろげにしか分からず、この道と交差することだけを目的に歩いていたので、村に近い所に出たのは完全に偶然だった。

これは、奇跡的と形容してもおかしくないくらい運がいい。

「うん、たぶん、間違いないと思う」

「助かった。そういうことなら、気の持ちようが違う」

味方の待機の有無は置いておくとしても、村にたどり着くことが重要であることに変わりはない。

近いとわかっているのなら、重い足も軽くなるというものだ。

「じゃあ、はやく行こう」

「急ぐなよ。そんなに近いなら、焦る必要もない」

「うっ……それは、そうだが」

「夜までにゃ着けばいい」

俺は時計をポケットにしまった。

「さ、行くぞ。右足からな」