「………くん、……でんか」

声が聞こえると、ぱちりと目が開いた。

「ユーリくん、起きてください」

ミャロの声だ。

「ああ……起きてる」

上半身を起こすと、激しく体がだるい。

寝不足だ。

外を見ると、外は薄明るく白んでいる。

早朝か。

「ミャロ。迎えに来てくれたのか?」

「はい」

目の前には、ミャロがしゃんとした顔で立っている。

が、顔には覇気がない。

俺以上に寝ていないのだろう。

「すまんが、少し面倒なことになった……話は聞いてるか?」

「聞いています。今朝、夜衣(よごろも)の人が来ました」

夜衣?

「それって……あの王の剣っぽい奴らか?」

「たぶんそうだと思います」

「夜衣ってのがキルヒナの王剣なのか?」

「部隊の性格的には少し違う部分もあるようですが、ほぼ同類といっても差し支え無いと思います」

やっぱりそうだったのか。

「そうか、わかった。じゃあ……行くとするか。色々と面倒だが、正午までには状況を収拾して出発したい」

「その前に、朝食を用意しましたので、食べてください」

と、ミャロは編み籠を机の上に置いた。

「用意がいいな」

「ありがとうございます」

なに気なく、枕の横に置いた時計を開くと、午前の六時だった。

寝坊してしまった。

「城下では、王配が近衛を率いて、荷を積ませていました。まだ、随分かかりそうでしたから、それほど急ぐ必要はないでしょう」

「リャオはどういう意見だった」

ベッドから降りながら言う。

「なにも言っていませんでした。ただ、内心で反対でも、口には出さないと思います」

「なんでだ?」

「反対を公(おおやけ)にして、ルベ家の隊員を率いて分離してしまえば、作戦が成功した場合、反感を抱く者が多く出るでしょう。この作戦は、どう考えても成功する可能性のほうが高いです」

そりゃそうか。

ルベ家だけが勲章を貰えない、ということになったら、いい面の皮だしな。

「土壇場でやられたら困るんだがな」

「それはないでしょう」

「どうしてだ」

「キャロル殿下がいるからです。現時点ならまだしも、生死に喫緊(きっきん)の危険があるときに逃げ出したら、たいへんな不名誉ですよ」

そりゃそうだ。

当たり前だ。

あかんな。寝起きで頭が回ってないらしい。

「キャロル、まだ寝てんのか」

「……起きてる」

キャロルはむっくりとベッドから起き上がった。

寝ぼけてもおらず、意識はハッキリしているようだ。

「ミャロが持ってきてくれた。食おう」

そう言いながら、俺は席について、ジョッキに入った水をコップに注ぎ、ソーセージが挟まれたパンを口に頬張った。

まあ……そんなに美味くはないな。

兵士用のものだろうし。

遅れて、キャロルが席に座って、食事を摂り始めた。

二人して、黙々と平らげる。

「ごちそうさま」

「……ごちそうさま」

キャロルが俯(うつむ)きながら言った。

元気がなさそうだ。

ミャロが、一瞬キャロルを見た。

そして、次に俺の方をまっすぐに見ると、

「ユーリくん、キャロルさんと寝ました?」

と言った。

「………っ」

キャロルが、厳しい親に悪さを見破られた子供のように、ビクっと震えた。

「寝た」

俺とキャロルがこの部屋で一緒に寝ていたか、というのは、一目瞭然のことなので、それを聞いているわけではないだろう。

昨晩はやってないが、二つベッドがあるのに一つのベッドに二人で寝てる、というのは、どう考えたっておかしな話だ。

ミャロに起こされた時は、まずいなぁ、とは思ってたんだけどな。

「……そうですか」

ミャロは、静かに俯いた。

一瞬だけそうしたあと、キャロルのほうを向いた。

「キャロルさん。おめでとうございます」

ぺこりとお辞儀をする。

「えっ……」

頭を下げたままのミャロを見ながら、キャロルは呆然とした顔をしていた。

「誰にとっても、良い選択だと思います。女王陛下もお喜びになることでしょう」

そこまで言うと、ミャロは頭を上げた。

「いや、ちが……」

「――すいません、少し失礼します。ふ、服を整えておいてくだ、さい」

ミャロは、言い繕いながら顔をそむけ、振り向くと、スタスタと歩いて部屋のドアを開けた。

そのまま、ドアを締めて、出て行ってしまった。

***

「ユーリ、追ってくれっ」

「いいのか?」

俺が即座に返すと、キャロルは「何を言ってるんだ」という目で俺を見た。

当たり前だろう、と。

「お前は、俺が追っても構わないのか?」

俺がそう言うと、キャロルは虚を突かれたような顔をした。

ぎゅっと顔を歪ませる。

「……っ、頼む……」

「じゃあ、行ってくる」

俺は、席を立った。

キャロルの横を通りすぎて、ドアへ行こうとする。

すれ違ったところで、手を掴まれた。

見下ろすようにキャロルを見ると、泣きそうな顔で、こちらを見上げている。

「いか……、……ッ」

一瞬、ぎゅっと俺の腕を強く掴むと、その手を離した。

「……行ってくれ」

何かを盛大に勘違いされている気がする。

「言い方が悪かったな。俺は昨日今日で浮気ができるほど、器用な人間じゃないぞ」

「えっ……そうな、のか?」

「そうだ」

俺は、今度こそドアに向かった。

***

ミャロは、部屋を出た廊下の、右の突き当りにいた。

窓の桟に手をかけ、外を見ているふりをしながら、下を向いていた。

両肩に力が入っていて、どうにも窓の外を見て黄昏れているようには見えない。

「ミャロ」

「あっ……」

近寄って声をかけると、こちらを見た。

泣いてはいない。

だが、どこか戸惑っているような顔をしていた。

「ユーリくん、すいません……私としたことが、動揺してしまって……すぐに戻りますから」

「まだ時間はあるんだろ? 少し話すくらい、構わないさ」

俺はすっと手を伸ばし、ミャロの頭を撫でようとした。

ミャロは、その手を見ると、怯えるように顔を歪める。

俺の手が、ぱしっ、と払いのけられた。

軽い衝撃が手に響く。

「あっ……ごめんなさい」

「……いや」

ミャロに手を払いのけられる日が来るとは……。

「でも……すみません。今は……ちょっと」

ミャロは、払った手を抱くようにして言った。

「いや……すまんな。無神経だった」

「いえ……、ボクが悪いんです。昨日から薄々察していたのに……いざユーリくんの口から答えを聞いたら、気持ちが昂ぶってしまって」

「そうか」

「でも、勘違いしないでください……ボクはユーリくんの……その、妻になりたかったわけではありませんから」

そりゃそうだ。

俺は、ミャロが軍師みたいなのや権謀家になりたがっている、と感じたことは幾らでもあるが、恋人や妻になりたがっている、と感じたことは一度もない。

自分で言う通り、事実それは違うのだろう。

だが、何かしら割り切れない思いがある、ように感じる。

「わかってる」

「自分でも……なんでなのか、よくわかりません」

どうも、戸惑っているらしい。

気持ちを持て余している、と言ったほうが正確なのか。

「それでいいじゃないか。前にも言わなかったか。なんの味気もない、石のような奴じゃあつまらない」

俺も大昔に彼女にフられた時は、自分でも驚くほど打ちのめされたしな。

あの頃は俺もアホだったけど。

「………今は、石になりたいです」

まぁ、そういうこともあるか。

「確か、もっと前に、お前のことを嫌いにはならない、とも言った」

「……はい」

「それじゃ駄目か。お前が嫌になって、俺から離れることにならない限り、俺は突き放したりしない」

俺がそう言うと、俯いていたミャロが、はっとした表情で、俺を見た。

先程までと、なにかが違う。

心にかかっていたモヤは、晴れたのだろうか。

「……そんなこと言って、いいんですか? ボクは、自分でも思いますが、面倒くさい女ですよ。こんなふうに、気持ちも割り切れない。突き放したほうが楽かも」

「楽もなにもない。面倒に思わないからな」

「まったく、ユーリくんは人誑(ひとたら)しが上手くて、困ってしまいます」

もう、大丈夫そうだな。

「落ち着いたなら、行くぞ。さっさと顔洗って出かけなきゃな」

「……はい」